綾部祐二が語る【海外留学】渡米は、芸人の世界に飛び込んだ時とちょっと似ている《インタビュー①》

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更新日:2022/8/20

「夢はハリウッドスター」。そう公言している綾部祐二さんがアメリカへ渡って早5年。現地での活動や生活についてこれまで沈黙を続けてきた彼が、この度初のエッセイ集『HI, HOW ARE YOU?』を発売し、“空白の5年間”を明らかにした。

 インタビュー第1弾では、著書の中でも綴られている「海外留学」について、渡米して得られた経験や苦労、そして、心の支えとなっているものを語ってもらった。

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「なんにもできない」ということを人生で味わえたことは凄く大きかった

――綾部さんがアメリカに移住されて、もう5年が経つんですね。ここ数年は、コロナの影響もありますが、10年以上前から日本人は留学、特に1年以上の長期留学をしなくなったと言われています。ネット学習も進化する今、わざわざ留学する必要はないという意見も出ていたりもしますが、綾部さんはこの現状をどう考えていますか?

 その意見に関しては、一刀両断します。とにかく英語を、語学を身に付けたいんだって言うんだったら、日本で十分にできると思います。無理して海外に行かなくても、習得できる時代なんだよ、って良い方向に捉えることもできますよね。ただ、海外に留学するっていうのは、それだけではないと思うんです。例えば、「サグラダ・ファミリアを見たいんだ」って言ってる人が、YouTubeの動画を5万回観たって1回現地に行って見るのとはわけが違うじゃないですか? もっと言えば、外に出ていろんな町をまわると、すべての看板が現地の言葉で、すべての人たちが日本語をしゃべっていなくて、っていうところにいて、何も得ないわけないじゃないですか? だから、「とにかく語学だ!」、「外国の人なんかと触れ合わなくたっていい、俺は英語だけを上達させたいんだよ!」って言うんだったら、海外で学ぶ必要なんて絶対ないと思います。ただ、それにしたって、部屋でも外でも学べるんですから、留学するに越したことはないと思いますけどね。

――語学だけではない、日常生活で得られる多くの経験があるということですね。

 まさに、自分の中での「なんだこの感覚」とか、「なんだろう、この素敵な高揚感」といったところですね。もし僕が日本にあのまま残っていたとしたら、得られてなかったと思います。やっぱり、人とか文化が違いますからね。考え方も違うから、建物も違ったり、いろんなことが違って……。それをうまく言葉にできないので、とりあえず海外に出てみてほしいと思うんです。今僕が感じている、この「うわあああああああっ!!」っていう感情が、みんなには伝わらないから、それをこっちに来て感じてよって。例えば……あれと一緒です。「温泉に入った時の気持ちよさを言語化して」って言われると、難しいじゃないですか? まさにそんな感じで、温泉に入った時の「わぁああああああ」っていう気持ちよさが、海外に行ったらずっと起きてますよ、って言いたいんです。でも、それを言語化するって難しい。だから、とりあえず温泉入ってよって思うわけですよ。

――そうは言っても、海外での生活は大変ではないですか?

 そうですね。全然違う国で、言語もわからないまま、本当に「0」から、っていうか。アメリカで僕は“赤ちゃん”みたいなもんなんですから、当たり前ですけど、周りから子供扱いをされる。芸人の世界に飛び込んだ時とちょっと似ています。無名だった下積み時代は、誰にも相手にされないっていう。それでも日本だと、結局プライベートでは、東京に行って楽しい、女の子とめちゃくちゃ遊べる、別にモテないこともない、と。だから、アメリカに来て、「あっ、本当になんにもできない」、「やばい、もう全然会話にも入っていけない」っていうのを人生で味わえたことは凄く大きかったですね。ただやっぱり、はがゆいこともめちゃくちゃありますよ。会話のプロとして芸人でやってきたのに、面白いことなんか何一つ言えず、ノリだけで笑かして。20年くらい芸歴があるのに、すがるのは結局顔芸なんかい、っていうね。

ディズニーランドが“別世界”だと思っているから、必ず月に一回行って、それを味わってたんです

――それでも折れずに生活できているのは、綾部さんの中に心の支えとなっている何かがあるんでしょうか?

 単純に、「憧れ」というものです。それはもう子供の頃からあるものですね。

――憧れ?

「アメリカ」というものに対してですね。僕、日本にいた時に月に最低一回はディズニーランドに行っていたんですね。なぜかというと、日本中で“別世界”にいられるのは、ディズニーランドだけだと思っていたからなんです。あとはどこに行っても日本。でも、あそこだけは日本じゃない、違う世界みたいじゃないですか。僕はディズニーランドが“別世界”だと思っているから、必ず月に一回行って、それを味わってたんです。……千葉の舞浜でそれを感じてる人間ですよ? バイクで首都高に乗って40分で着くとこに行って、「うわあああああ!! 別世界だ!!!!」ってやれてる人間なんですから、これが飛行機で14時間かけて飛んだ国に行ったら、その感動っていったらもうわかると思うんですよね。結局それは何かって言ったら、準備とかじゃなく、自分で言うのもあれなんですけど、ただただ純粋に、ピュアに、めちゃくちゃそういうのに憧れているってだけなんですよね。

――なるほど。憧れというものに対してもですが、綾部さんは出来事をとても深く心で感じる方だなと思います。どうしてそんな“感性豊かな綾部祐二”になったのだと思いますか?

 それは、やっぱり環境だと思います。母親の目立ちたくないという性格と、父親のなんか目立ちたいという性格が、うまいこと半分半分になって両方を持ち合わせた自分が生まれてきたんだと思うんですね。例えば、小学校の時、みんなと同じようにランドセルを背負っているのが嫌だから、学校にバンダナをして行って怒られるとか。小学校でバンダナなんかするのは、何かを変えたかったからなんですよね。あとは、自転車もみんなと同じで嫌だから、ちょっとだけなんかのステッカー貼ろうとか。そういうことをやっていくうちに、いつの間にか自分を外から見るようになっていったんです。みんなと違うところにいる自分を見て、それを楽しんでいる。そうして、自分の中の感性がどんどん育てられていって、「ジョジョ」の世界じゃないですけど、なんかスタンドみたいなのがいる状態になっているんですよね。

――他の子と違うなっていう綾部さんの振る舞いに対して、お父さんやお母さんがストップをかけることはなかったんですか?

 うちは母親がめちゃくちゃ厳しかったんです。親父は一切、母親の教育に口を挟まないから、親父には一回も怒られず、母親にはもう、ビンタやらバケツで殴られるやら、っていう。そんな中でも特に、「人様に迷惑をかけるな」っていうことは強く言われていて、そこだけは制圧されていました。それと同時に、「その枠の中だったら、なんでも好きなことをやれ」ということを常に感じていましたね。

――バンダナや自転車のステッカーは、誰にも迷惑かけないですもんね。

 でも、「学校じゃダメだというルールがあるんだからやめなさい」と言われて終わりました……。

――(笑)。そういった幼少期を経て、今の綾部さんがあるんですね。感性が育てられていく過程のお話は、人気絶頂だった5年前に渡米を決意したことと無関係ではないようにも思います。他人とは違った綾部さん流の考え方があるような。

 僕は普段、ギャンブルを全くやらない人間なんですね。いわゆるパチンコ、競馬、ルーレット、カジノとか。でも、「自分の人生」だと何かギャンブル的なことをしたくなる。日本を離れてアメリカへ行く、っていうのも一つのギャンブルだと思うんですよね。そこでスターになれるのか、なれないのかって。

――ギャンブルということで、いまのところ勝敗はいかがですか?

 掛け金はもう十分に元を取っていますね。例えるなら、競馬で30万円懸けたとしたら、とりあえずもう手元には30万円、50万円くらいある感覚ですね。いや、300万あるな(笑)。あとはいかに「大金」を手にするかですかね。というのは、「自分が夢を手にするか」っていうことなんですけどね。

■著者プロフィール
綾部祐二(アヤベユウジ):
2000年デビュー、03年、又吉直樹とお笑いコンビ「ピース」を結成。10年にブレイクを果たし、一躍人気タレントに。人気絶頂の16年、アメリカに拠点を移すことを発表。9本あったレギュラー番組すべてを降板し、17年10月にニューヨークへ移住。
22年5月には渡米5周年を機にロサンゼルスへ移動し、YouTubeチャンネル『YUJI AYABE from AMERICA』を立ち上げるなど、夢の実現に向け精力的に活動している。

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