「小説を書くことで、素直な言葉を吐き出せるようになった」一穂ミチ×柿原朋哉/匿名時代の作家対談

文芸・カルチャー

公開日:2022/9/14

柿原朋哉さん

 超人気YouTuber・ぶんけいとして知られる柿原朋哉さんが、作家デビューを果たした。そのタイトルは『匿名』(講談社)。誰もが匿名で他者と交流できるようになった現代を舞台に、生きづらさと秘密を抱える若者の姿を鮮烈に表現した。

 そんな『匿名』を上梓した柿原さんが、先輩作家と「匿名時代」を考える対談企画がスタートする。まず登場していただくのは、『スモールワールズ』『パラソルでパラシュート』(いずれも講談社)などで知られる一穂ミチさんだ。

 実は柿原さん、一穂さんの大ファンとのこと。やや緊張しながらスタートした対談では、キャラクターとの距離の取り方や匿名時代の人間関係など、濃密な話題が次々と飛び出した。

(取材・文=五十嵐 大 撮影=干川修)

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「一穂さんは、キャラクターの人生を見届ける覚悟を持たれている」(柿原)

匿名
匿名』(柿原朋哉/講談社)

――まずはお互いの作品への感想からお聞かせください。

一穂ミチさん(以下、一穂):ネタバレしないように感想を述べるのが非常に難しいんですが、主人公の友香ちゃんの「どこの集団にも溶け込めずにうまくいかない感じ」なんかは身につまされる思いがしました。彼女、他罰的なところがありますよね。なんとなくすべてを人のせいにしている。お母さんとか学校の一部の女子とか。

 そういう人って別に攻撃的なわけではなくて、傷つきたくないんだと思います。他人のせいにしておけば傷つかない。でも、責任を自分に向けてしまうと、確実に自分自身が傷つくわけです。それを避けようとする臆病さは、読んでいて「わかるな」と思いました。

 途中からハラハラしながら読みましたけど、着地点は「よかった……」と思える感じ。そういう点で、「安心して読んでください」と勧めたい作品でした。

柿原朋哉さん(以下、柿原):自分が書いたものに感想をいただけるだけでも光栄なのに、一穂さんは言葉のチョイスが美しくて、そこに感銘を受けてしまいました。本の感想をこんな風に述べられるなんて……。

――では、一穂さんの『パラソルでパラシュート』の感想をお願いします。

パラソルでパラシュート
パラソルでパラシュート』(一穂ミチ/講談社)

柿原:ドキドキしながら言わせていただきますね(笑)。一穂さんって、不思議な空間や特殊な状態、奇妙な関係が、短い時間のなかで変わっていくさまを上手に書かれる作家だなって思っていたんです。そんな一穂さんが長編を書かれたということで、「どんな風になるんだろう、さらに複雑になるのかな」と楽しみにも不安にも思いながら読みました。

 読み終えてまず思ったのは、「やはり僕は、一穂さんの作品が大好きだな」ということです。なぜ好きかというと、一穂さんがキャラクターのことを愛していることが伝わってくるから。先程、『匿名』の感想をいただいたときも、主人公の友香を「友香ちゃん」と呼びましたよね。僕が書いたキャラクターを「ちゃん」付けで呼ばれる方は一穂さんが初めてで。それからもわかるように、一穂さんって小説に出てくるキャラクターを「作品のなかの人物」だけで終わらせていないんだな、と感じるんです。そのキャラクターの人生を最後まで見届ける覚悟を持って接しているというか。

 だから『パラソルでパラシュート』を読んだときも、ラストに感動しました。「キャラクターを愛していないと、このラストには辿り着けない」と感じたんです。一穂さんの作品を読んだことで、僕ももっとキャラクターに向き合っていかなければいけないとも思わされました。

一穂:友香ちゃんは若い子なので、どうしても「ちゃん」を付けて呼んでしまいますね。彼女はうっすら絶望感を抱いていますけど、「もう少し歳を重ねたら、もうちょっと楽になると思うよ」と言ってあげたくなりました。

――一穂さんにとって、小説のキャラクターというのはどれくらいの距離の人物なんでしょうか?

一穂:遠い親戚のような存在だと思います。そんなに大好きというわけでもなく、ただ「元気でやっていてくれたらいいな」と思える感じで。行動原理に共感できる人もいれば、「なんでそんなことするの?」って人もいるんですけど、基本的には「こういう人なんだ」と割り切って、それぞれにあまり作為を加えないようにしています。

柿原:なるほど。書いていて「嫌いだな」と感じるキャラクターもいるんですか?

一穂:いますね(笑)。自分に似ているキャラクターだと、特にそう思ってしまうかもしれません。自分の嫌なところが露骨に出ていたりもするので。そういうキャラクターって編集さんから「灰汁が強すぎますね」と指摘されることも多くて、表現をマイルドにすることも少なくありません。柿原さんが書かれた『匿名』は、主要人物が女の子ばかりですよね? そこで悩まれることはありませんでしたか?

柿原:女の子だから、という点ではあまり悩みませんでした。ただ、休みの日にどんなことをして過ごすのかとか、リアルには想像できなくて。だから、わからない部分は敢えて書こうとはしなかったですね。ただ、わからないけれども書かなくちゃいけない部分もあって、そこは女友達の話を参考にしました。

 僕はまだ一作しか書いていないので、キャラクターの性別によってどんな効果が生まれるのかとか、わかっていないんです。性別、年齢、肩書などで見え方は変わりますよね。そこがまだ把握できていない。だから次回作以降では、さまざまな人たちを描いていきたいとも思います。

 一穂さんは『スモールワールズ』で本当にさまざまなキャラクターを書き分けていますよね。キャラクター設定って、どうやって決めているんですか?

一穂:『スモールワールズ』は最初から「いろんなキャラクターを登場させよう」と考えていたので、性別も年代もわかれるように意識しました。それに限らず、そもそも「前回の作品では女の人を書いたから、次は男の人にしよう」という風に、いつもバランスを取ろうとしているかもしれません。

「表現者にとって、良い時代を迎えられた」(一穂)

――『匿名』では、名前も顔も隠して活動するFという謎めいた女性のことも描かれていきます。Fはまさに現代を象徴するような存在です。誰もが自分のことを隠し、匿名で活動できるようになりましたよね。

柿原:実際のアーティストにも、正体を隠して活動している方っていますよね。それを僕は純粋に楽しんでいるんです。逆パターンでいうと、昔の声優さんって顔出しをしない方が多かった。でもいまは、みなさん顔出しをして活躍されていて、ファンもそれを楽しんでいますよね。つまり、正体を明かすのか隠すのかは良い悪いではなく、広がりなのかな、と。自分がどういうスタンスで活動するのか、取捨選択できる時代がやってきたのだと感じています。

一穂:わたしもその自由さは良いことだな、と思います。Fみたいに顔は出したくないんだけど、歌声は届けたいというスタンスも一般的になってきていて、ファンも詮索はしない。受け取る側のモラルも広がっているのは素敵なこと。本来、歌声と見た目は関係ないですからね。そういう意味では、表現者にとって良い時代を迎えられたのだと思います。

――それは小説家にも通ずることですよね。

一穂:そうです。作品と作家の見た目は関係ない。もちろん、ビジュアルを武器にする作家がいたって構わないですし、それも含めて「自由」です。わたし自身は「どうして顔出しする必要があるの?」というスタンス。顔出ししないことに対して「なぜ?」と訊かれることもあるけれど、そうではなく、「この人は顔出ししないスタンスなんだね」と自然に納得してもらえるようになるとうれしいですね。

柿原:各業界に「これをするのが当たり前」という風潮があると思うんですけど、出版業界でいうと、最近は顔出しする人も多いから、出さないことがイレギュラーに受け止められてしまうということですよね。

一穂:そうなんです。顔出しを前提とするメディアもありますし、出さないことで仕事の幅が狭まる不利さもあります。別に何が何でも出たくない、と思っているわけではないんですよ。ただ、いまって情報の蛇口を開けてしまったら最後、もうこちらではコントロールできない時代じゃないですか。どこに流れていくのかもわからないし、広がってほしいところには広がらなかったりもする。それが怖いんです。

柿原:すごくわかります。僕はYouTuberとして4、5年、自分の顔を世の中に晒してきました。それ自体はもちろん嫌ではないんですけど、一方で、顔を出していると言葉を選ばざるを得ないとも感じていて。でもあるとき、カメラをオフにして生配信してみたら、言葉をまったく選ばない自分がいたんです。つまり顔を出すことで、発信する言葉にブレーキがかかってしまうことがあるんだな、と。

 でも小説って、書いているときはどこにも顔を出さないわけじゃないですか。たったひとりで机に向かっているので。そういう意味では、小説を書いているときは素直になれるような気がします。そして僕自身、これから先の人生では「言葉を選んで生きるのではなく、もう少し素直に生きてみたい」と思っているところだったので、こうして小説にチャレンジしてみてすごく良かったですね。

「若い読者を連れてこられるような作家になりたい」(柿原)

一穂:ただ、小説を発表するということは、自分の顔以上のものを世間に晒すことでもあるような気がします。

柿原:初めて小説を書いたことで、それも痛感しました。自己紹介するよりも、一冊読んでもらったほうが早いかもしれませんよね。

一穂:そうそう。自分が思っている以上に、小説には作者のことが表れますから。しかもデビュー作って、「その人のすべてが出ている」なんて言われたりもしますよ。

柿原:そういうのって、書いた直後よりももう少し時間が経ってからじわじわ感じるものですか?

一穂:2、3作目を書く頃には感じると思います。他の人は気づかないかもしれないけれど、自分のなかで腹落ちするというか。

柿原:そうなんですか……! ちょっと怖いですけど、時間が経ってから『匿名』を読み返したとき、自分が何を感じるのか楽しみです。

――作品を通して自分自身をさらけ出す小説家に対して、『匿名』の友香のように素性を隠して他者と交流しようとする人も決して珍しくはなくなりました。そういう時代の変化をどう捉えていますか?

柿原:僕からするともう当たり前というか、そういう時代になったのだから適応しないといけないな、という感覚です。これから先、メタバースが当たり前になったら、さらに匿名性は色濃くなると思いますし、そこまでいくとたしかに怖い気もします。でも現状を受け止めて、生きていくしかない。不満もなければ喜びもなく、諦めに近いような感覚かもしれません。

一穂:わたしはインターネットの黎明期から知っている世代ですが、2000年代の初めって、あの頃、ネットの掲示板で交流した人と初めて会うときは非常にドキドキしたんですよね。でも、いまはそれが当たり前になっている。しかもアカウントも使い分けられていているじゃないですか。アニメの話をするアカウントでコスメの話をしても広がらないから、みんな、それぞれの専用アカウントをいくつも持っている。まるで自分を細分化して、うっすらとした関係を広げているようにも見えます。ただ薄いからこそ、切り捨てられるときも早い。

柿原:関係は希薄になりがちかもしれません。でも、いまの若い人たちにとっては、それが生きやすいのかもしれない、とも思います。それくらいの距離のほうが楽という人が大多数だったから匿名で交流できるSNSが生まれたのか、あるいはSNSがあったからそういう距離がふつうになったのか、どちらかはわかりませんが。

――そういった現代社会のちょっとした怖さは、『匿名』にも表現されていますね。

柿原:そうですね。だからこそ、いつかは『パラソルでパラシュート』のような作品にもチャレンジしてみたくて。小説執筆で悩んでいたとき、実はそのタイミングで『スモールワールズ』を読んだんです。温かい話もあればゾッとするようなものもある。同じ話でも、読者によって感じ方が異なったりもする。一穂さんの作品って、本当にさまざまな感想が出てくるんです。そしてそういった作品こそが、世の中に必要とされているんだな、と思いました。だからぼくも、将来的には一穂さんのように味わい深い作品を書ける作家になりたいって思っています。

一穂:ありがとうございます。わたしは『匿名』を読んで、心地よい読後感を得ました。作中に「因果応報」というキーワードが出てきますが、誰にだって小さな棘はある。でも、思春期に刺さった棘は、なるべくなら触れたくないですよね。『匿名』は、そんな小さな棘を抜きに行く物語だったんだな、と感じています。

柿原:すごい……。いまの言葉を帯に書きたかったです(笑)。

一穂:柿原さんは若い読者をたくさん連れてこられる方だと思うので、これからもそういう作家として頑張ってほしいです。

柿原:頑張ります! たしかに、僕はYouTube出身なので、応援してくれている人の年齢層も若いんです。なので、これまでYouTubeを観てくれていた人たちを、今度は文芸界に引っ張ってこられたらいいなと思います。そして小説の面白さを知った若い人たちが、僕の作品に限らず、たくさん本を読んでくれるようになったらうれしいですね。

(柿原さん)ヘアメイク=入江美雪希 スタイリング=金野春奈 衣装協力:ジャケット8万円、パンツ3万6000円(Ground Y/ヨウジヤマモト プレスルーム TEL:03-5463-1500)、その他スタイリスト私物(すべて税別)

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