「人は日常的に、人格や見せたい自分を使い分けて生きている」──真下みこと×柿原朋哉/匿名時代の作家対談

文芸・カルチャー

公開日:2022/9/22

柿原朋哉さん

 人気YouTuber・ぶんけいさんが、本名・柿原朋哉名義で作家デビューを果たした。『匿名』(講談社)は、覆面アーティスト「F」と彼女の歌声に命を救われた25歳の越智友香、ふたりの主人公が織り成す物語。SNSでファンアカウントを作り、“推し”に近づこうとする友香だったが……。匿名を用いてネットの海をさまよいながらも、自分自身の内面と向き合う若者たちの姿を生々しく描き出している。

 そんな柿原さんと先輩作家による対談企画。今回は『茜さす日に嘘を隠して』(講談社)で、作家やミュージシャンとの共作を果たした真下みことさんが登場。ふたりが語る、匿名時代の生き方とは? 互いの作品に対する感想もお見逃しなく!

(取材・文=野本由起 撮影=干川 修)

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「読者に届けたいもの、芯となる部分がある方なんだなと思いました」(真下)

──おふたりは初対面ですよね。お互いの作品や活動に対して、どんな印象を抱いていましたか?

柿原朋哉(以下、柿原):真下さんと僕は、担当編集さんが同じ方なんですよね。僕が本を書き始めるちょっと前に、真下さんのデビュー作『#柚莉愛とかくれんぼ』(講談社)が本屋さんに並んでいて。「こんな現代的なテーマを扱っていらっしゃる方がいるんだ」と思ったのを覚えています。

真下みこと(以下、真下):私も「パオパオチャンネル」のおふたりのご活躍は拝見していました。編集さんから「この方が小説書かれるんですよ」と伺った時は、すごくびっくりして。これまでYouTuberの方が小説を書くイメージがなかったので、どんな作品になるんだろうと楽しみにしていました。

柿原:嬉しいです。ありがとうございます!

──真下さんのデビュー作『#柚莉愛とかくれんぼ』が刊行されたのは、2020年2月です。柿原さんは、その頃から小説を書き始めていたんですね。

匿名
匿名』(柿原朋哉/講談社)

柿原:書こうとし始めたのが、2020年でした。まだ『匿名』の原形もなくて、1文字も書けていなかったですけど(笑)。実際に書き始めたのは1年半くらい前。1年で執筆して、2、3カ月かけて改稿しました。

真下:初めての小説で、そんなにすんなり書けるのはすごいと思います。

柿原:いえいえ、そんなことは。編集さんに納期を決めてもらいながら進めていきました。

──特にご苦労されたのは、どんな点でしょう。

柿原:今までやってきた仕事の中で、一番孤独だったんですよ。YouTubeや映像の仕事はチーム単位で動くことが多かったんですが、小説は当然ながらひとりの時間が多いじゃないですか。制作期間がここまで長いのも、初めてのこと。ミュージックビデオは1、2カ月で完成しますし、YouTubeなんて早ければ撮った次の日に投稿しますから。フィードバックがない状態で創作し続けるのが初めてだったので、自分は今どういう状態なんだろうとわからないまま作っていました。今もまだ慣れなくて、難しいなと感じています。

──書いている途中で不安になりませんでした?

柿原:なりました。最初にプロットを書いては直し、書いては直しを繰り返していたんですが、それを見た編集さんチームがこのままでは終わらないと思ったのか「フィードバックはしない」と決めてくれたんです。「とりあえず、前に進むことだけ考えてください」と言ってくださり、1カ月に1回ある程度決まったページ数を送るようになりました。その段階では褒めてはくれますが、修正は入らないので、とりあえず進めることしかできなくて。もし途中で修正がかかっていたら、くじけていた可能性があります(笑)。

──完成した『匿名』の手ごたえはいかがでしょう。

柿原:納得のいくものは書けたと思っています。現段階の自分にやれることは全部やったと思うし、納期ギリギリ……いや、超えるくらいまで改稿させていただきましたから。僕は5年後も10年後も小説を書き続けるつもりですが、後から振り返って「デビュー作はこれが正解だったよね」と思えるものにはなったんじゃないかなと思います。もちろん、もっとこうしていきたいという野望はたくさんありますが、現段階のベストは尽くしました。

真下:私も面白く読ませていただきました。文章がすごく映像的ですよね。最初のシーンから映像が浮かびやすくて。読み終わってから、ミュージックビデオや映画制作というルーツがおありだと知って「そういうことか」と納得しました。文章が頭の中にスルスル入ってきますし、それだけでなく伝えたいこと、芯となる部分があって。読者に届けたいものがちゃんとある方なんだなと思いました。

柿原:恐縮です……! あまり説教臭くならないように心がけたつもりですが、読み終わったあとに何か読者の中に残るといいなと思って。真下さんに、その思いを汲み取っていただけてすごく嬉しいです。

真下:デビュー作は、「書きたいことを全部詰め込むぞ」という気持ちで書かれたのではないかと思います。次回作のテーマはもう見えているのでしょうか。

柿原:まだ構想中ですが、次は短編集に挑戦してみたいと思っています。『匿名』ではふたりの主人公を書き分けましたが、どちらも同世代の女性なんですよね。年齢も性別も違う人、人間じゃないキャラクターなどたくさん書けるようになりたくて。その修業の意味も込めて、短編集を書いてみたいんです。

真下:面白そうですね。楽しみです!

「顔を出すことで価値や保証が生まれることも。匿名のメリットとデメリットは表裏一体」(柿原)

──この対談シリーズでは、現代の“匿名性”についてお話を伺っています。真下さんも『茜さす日に嘘を隠して』(以下、『アカウソ』)で素性を隠したシンガーソングライター・文を登場させていますが、SNS社会の匿名性についてどんな思いを抱いていますか?

茜さす日に嘘を隠して
茜さす日に嘘を隠して』(真下みこと/講談社)

真下:私自身、ペンネームで活動していますし、今は顔出しもしていないので、いわゆる覆面の状態です。ただ、ネットの書き込みにおける匿名性って、ひとつの名前ではなくいろいろな名前を使い分けることを指すのかなと思っています。匿名という言葉が大きくなったからこそ、その定義も人によって違うような気がします。

柿原:本来の意味としては、真下さんのおっしゃる定義が正しいように思います。僕が作中で使った“匿名”という言葉は、“人格”という意味に近いかもしれません。接する相手によって見せる自分って違いますよね。

 それがSNSになると、さらに複数の顔を使い分けるようになり、それぞれのつながりもなくなります。例えば僕が料理好きクラスタの人、アイドル好きクラスタの人と仲良くしていたとしても、各クラスタの人たちは違うクラスタで見せている僕のことを知りません。それが僕のイメージする“匿名性”なんです。

──確かに私たちは、日頃から人格を使い分けて生活しています。仕事相手に見せる自分、恋人に見せる自分、友達に見せる自分はそれぞれ違いますし、SNSでもアカウントによって見せる顔を使い分けています。それが柿原さんの考える“匿名性”ということでしょうか。

柿原:この小説を書きながら、そう思いました。もともとは「ぶんけい」と「柿原朋哉」を使い分けている自分について考えることから始まったんですけど。でも、それってペンネームやハンドルネームを持っている人だけの話ではないなと気づいたんです。人は日常的に見せたい部分を見せたい場所によって使い分けながら生きているよなと思って。ネットで活動したことがない人でも、そういった人格の使い分けに共感してくれたらいいなと思いながら書きました。

真下:お話を伺って、すごく納得しました。今だと人格の使い分けが、SNSのアカウントの使い分けになっている気がしますよね。SNSによって、人格の使い分けがよりわかりやすくなっているように感じました。

柿原:しかも、どんどん細分化されていますよね。昔は音楽好きの人だったら音楽アカウントをひとつ持つだけでしたが、今は好きなバンドごとにアカウントを分けている人もいます。おそらく、ピンポイントで好きなものの情報を見られるようにアカウントを分けているんでしょうね。自分が分けたいからというより、分けたほうが他の人に見てもらいやすしラクだからという理由で分けているように感じます。

──そうやってアカウントや人格を分けたほうが生きやすいのでしょうか。

柿原:僕の場合、自分の会社、YouTube、小説、アパレルといろんな仕事の顔があるので、分けたほうが生きやすい……かな。悩ましいところです。分けたほうが好きなことにチャレンジできるし、好きな自分でいやすいかもしれないけど、でも“使い分け疲れ”もある気がします(笑)。

真下:生きやすさについて言うと、私の場合、作家の仕事で失敗しても普段の仕事には影響がないし、普段の仕事で失敗したからといって小説には影響がないというある種の安心感はあります。アカウントを分ける人も、趣味のアカウントでやらかしたとしても他のアカウントには影響しませんよね。それもあって分けたほうがいいと思うのかもしれません。

──『匿名』に登場する覆面アーティスト「F」のような、顔を出さないことによる匿名性についてはどんな考えをお持ちですか?

柿原:顔出しをしない方は増えていますし、そこに違和感はありません。どちらかというと、この先どうなっていくのかが気になりますね。最近もInstagramのストーリーズをスワイプしていたら、顔出しをしないアーティストのオーディション告知が出てきたんです。それくらい顔を出さないことが当たり前になって、しかもそれが武器にもなるんだと驚きました。

真下:歌うのは好きだけど、顔を出すことに抵抗があって活動できなかった方、歌を諦めてきた方が、活動しやすくなるのはリスナーにとっても嬉しいことです。

柿原:VTuberもそれに近いですよね。ただ、覆面アーティストが乱立してきた時にどうなるんだろうと思います。顔がわからないアーティストばかりになってきたら、顔を出している人が貴重になるかもしれない。先日、ボカロPのDECO*27氏とお話ししたんですが、彼はボカロPには珍しく顔を出されているんです。その理由を聞いたら、「みんなが出さないから、ボカロPのことをなかなか理解してもらえなかった。誰かが顔を出さないと、怖いものだと思われたままになってしまうから、僕は出すことにしたんです」と言われて。「顔を出すことにより、価値や保証も生まれるんだな。メリットとデメリットは表裏一体なんだな」とあらためて思いました。

真下:私は仕事の関係で顔を出していないのですが、結果的に自分の小説をあまり先入観なく読んでもらえているのかなと思います。「作者の顔が浮かぶのはちょっと嫌かも」という方もいるかもしれません。そういう意味では、顔を出さないメリットもあるように思いました。

「読者の想像力を利用できるのが、小説のいいところ。余白を作って、読者の体験で埋めてもらえますから」(柿原)

──続いて、真下さんの『アカウソ』についてのお話を。この作品をもとにした楽曲が配信されたり、作中にシンガーソングライターが登場したり、音楽との親和性が高い作品ですよね。小説で音楽を描くことの難しさ、楽しさについてご意見をお聞かせください。

真下:小説の中では音を流せないので、文字だけで音楽を表現するという難しさは感じます。でも、今回『アカウソ』で実際に楽曲を作っていただき、音楽を入れることで生まれる広がりを、あらためて感じました。先ほど、柿原さんは小説を書く時は孤独感があるとお話しされていましたが、『アカウソ』で音楽を制作した時はいろいろな方々が関わって、幅広い考え方を取り入れられたのも刺激になりました。

──柿原さんも『匿名』の中で、覆面アーティスト「F」や彼女の歌を描いています。

柿原:自分の場合、まず題材として覆面アーティストを扱いたいというところから始まったので、音楽の話を書きたかったわけではないんです。ただ、「F」の歌声に救われた人を書くとなると、どうしても音楽を表現する必要がありますよね。どうやって描こうか、すごく悩みました。

 でも、読者の想像力をある程度利用できるのが、小説のいいところ。映像だと明確な画を提示しなければならないけれど、小説は余白を作って読者の体験で埋めてもらえますから。最低限「こういう良い曲なんです」と情報を提示すれば、読者がそれぞれ「こういう曲なら命が救われるかもしれない」と補完作業をしてくれます。なので、あまり楽曲について明確には書き切らず、こういう雰囲気の声でこういうトーンの歌だという描写にとどめました。難しくはありますが、おのおのが音を想像しながら読んでもらえるのが、小説の良さかなと思います。

真下:柿原さんのおっしゃる通り、書き込みすぎないことが大事だなと思います。『アカウソ』に出てくるシンガーソングライターの曲も、歌詞は一部だけ書いて、そこから全体をふわっと想像してもらえればいいなと思って書きました。今のお話を伺って、私も結果的に小説の余白から生まれる自由さを使っていたんだなと気づきました。

──『アカウソ』は、『青く滲んだ月の行方』(以下、『アオニジ』)とリンクした小説です。共作には大変なご苦労があったのでは?

真下:常に何かしらの締め切りがあるような状況でした(笑)。それに、今まで本当に自由に書いてたんだなとあらためて気づかされました。ふたつの小説は共作で、青羽悠さんの書く『青く滲んだ月の行方』と世界観も登場人物も共有しています。青羽さんの書いた原稿を読むと、私が思い描いている主人公とはちょっと違う動きをしたり、逆に私には想像もつかなかった動きをつけてくれたりしていて。これまで自分は自由に書いてきたつもりでしたが、想像力の狭さに気づきましたし、とても勉強になりました。

柿原:具体的に、どういう流れで制作していったんですか?

真下:まず、青羽さんに『アオニジ』のプロット、物語の設計図みたいなものを4話分くらい作っていただきました。それを見て、私も「青羽さんの作品に出てきたこの人を、ここで出そう」と考えながら4話分のプロットを作って。それをもとに打ち合わせをして、要望を互いに伝え合ってから、1話ずつ順番に書いていきました。

柿原:青羽さんのプロットが先だったんですね! 僕は、真下さんの『アカウソ』を先に読んで、その後『アオニジ』を読んだんです。そのせいか、『アカウソ』が先に作られたんだろうなと思っていたので、今お話を聞いてびっくりしました。それにしても、すごいことに挑戦されましたね!

真下:ありがとうございます。私と青羽さんの間に入っている編集さんは、すごく大変だっただろうなと思います。

「アカウントを作った時の、新しい自分が生まれたような感覚。その気持ちを文章から感じ取ることができました」(真下)

──おふたりとも20代で、若者のリアルを描く作家として注目される機会も多いと思います。若者を主人公とした小説を執筆するうえで大切にしていることはありますか? また、作中にはInstagramやTwitterなども登場しますが、同時代性と普遍性のバランスについてはどう考えているのでしょう。

柿原:『匿名』は普遍性を意識していないというか、そこまで気にする余裕がなかったというのが正直なところです。等身大の自分が100点、120点を目指して、今持っている武器を使って一番遠いところまで行けたらいいなという気持ちで書いていたので。それに、まだ普遍性についてわかる年齢でもないなと思って。50歳、60歳になった時に、「あ、昔から変わらないものがあるな」とやっとわかるのかもしれません。この先、50年後に残る小説を意識していくのかもしれませんが、今はまだしっくり来ません。真下さんはいかがですか?

真下:私は若い人だけでなく、上の世代の方にも読んでほしいと思っていて。例えば「Instagramのストーリーズ」と書くと、「ストーリーズって何だろう」となって読み進められなくなるかもしれません。それはもったいないなと思うんです。なので、自分たちだけがわかる言葉で書かないようにすることを心がけています。それが普遍性なのかというとまた別の話ですが、上の世代の方が読んでも「出てくる小物は違うけれど、確かに自分もこんなことを思っていたな」と感じていただけるような小説を書けたらいいなと思っています。

 その一方で、10年後、20年後に読み返した時に、今の時代の資料になるようなものが書けたらいいなという思いもあります。ある意味、時代とともに作品が古くなっていくとも言えますが、その時代のことがわかる用語集みたいになっていたら強いなと思います。

柿原:真下さんの作品は、そのバランスが見事ですよね。Instagramに関する描写って、同世代の人には何も説明しなくてもわかると思うんですけど、そうじゃない世代の人にもわかるようにしつつ説明しすぎてもいません。現代劇を書こうとすると、どうしてもTwitterやLINEを出さざるを得ませんが、出せば出すほど普遍性はなくなっていくはず。でも、真下さんの小説はそうじゃない。模範解答を見せてもらったような気持ちになりました。

──では、最後にこの記事を読んでいる方に向けて、お互いの著書を薦めていただけますか。

柿原:『アカウソ』はどの世代でも楽しめますが、特に大学生から30代前半の方に刺さりそうだなと思いました。僕は今28歳ですけど、この世代の人たちはみんな『アカウソ』の登場人物たちと近い経験をしてきていると思うんです。すべてを経験したことがなくても、「大学時代にこういうことがあったな」と自分と重なる部分が見つかるはず。僕自身、この本を読みながら、「この世界に自分がいてもおかしくないな」と思いました。自分があるページで登場したとしても違和感がないくらい、リアリティのある世界が描かれています。

 今悩んでいる人にも読んでほしいし、「こういう青い時代があったな」と回顧しながら読むのもきっと楽しいでしょうね。悩んだまま30歳になってしまった人が、「ないがしろにしてきたあの頃に向き合ってみようかな」という気持ちで読むのも面白そうだと思いました。

真下:『匿名』は、10~20代の方に読んでほしいなと思います。主人公の越智友香は、匿名で「F」のファンアカウントを作った時に、新しい自分に生まれ変わったような気持ちになりました。その感覚って、今の若い世代も絶対に感じたことがあるはず。アカウントを複数使い分けていないとしても、ひとつ目のアカウントを作った時に新しい自分が生まれたような感覚になったんじゃないかなと思うんです。その気持ちを文章から感じ取ることができますし、とても読みやすいので普段小説を読まない方にもぜひ手に取ってほしいなと思います。

(柿原さん)ヘアメイク=入江美雪希 スタイリング=金野春奈 衣装協力:ジャケット8万円、パンツ3万6000円(Ground Y/ヨウジヤマモト プレスルーム TEL:03-5463-1500)、その他スタイリスト私物(すべて税別)

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