「SNSの匿名性が、自分を支えてくれるのかもしれない」──珠川こおり×柿原朋哉/匿名時代の作家対談

文芸・カルチャー

公開日:2022/9/25

柿原朋哉さん

 YouTubeチャンネル「パオパオチャンネル」で活躍してきたぶんけいさんが、本名・柿原朋哉名義で小説家デビューを果たした。『匿名』(講談社)は、覆面アーティスト「F」と彼女の歌声に命を救われた25歳の越智友香、ふたりの主人公の内面に分け入る物語。SNS社会を生きる人々の人間関係、ネット空間の匿名性、その虚実の狭間を克明に描いた作品となっている。

 そんな柿原さんが、さまざまな先輩作家と繰り広げる対談企画。ラストを飾るのは、20歳の若手作家・珠川こおりさん。2作目の小説『マーブル』(講談社)を刊行したばかりの珠川さんとともに、SNSとの向き合い方、クリエイターの匿名性について語り合っていただいた。

(取材・文=野本由起 撮影=干川 修)

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「小学生の頃から絵本みたいなものを作っていて、高校入学後、長編小説を書き始めました」(珠川)

マーブル
マーブル』(珠川こおり/講談社)

柿原朋哉さん(以下、柿原):珠川さんの新刊『マーブル』、読ませていただきました。初めてお会いしますが、小説のイメージどおりですね! すごく優しい空気の小説だったので、きっと優しい雰囲気の方なんだろうなと思いながら読んでいました。予想が当たってよかったです(笑)。

珠川こおりさん(以下、珠川):ありがとうございます(笑)。

──珠川さんは、現役の大学生です。高校時代から長編を書き始めたそうですね。

珠川:もともと物語を作るのが好きで、小学生の頃から絵本みたいなものは作っていました。長編小説も書いたことはあったのですが、最後まで書き切れたことがなくて。高校に入学してから、加藤シゲアキさんの『ピンクとグレー』を読んで、私も長編小説を書きたいなと思うようになりました。『ピンクとグレー』はグレイッシュな雰囲気ですが、ちょっと明度が高い不思議な感覚もあって。ストーリーも雰囲気もとても好みで、「私もこういうものを表現してみたい」と思い、そこから長編小説の執筆を始めました。

柿原:もともと加藤さんのことが、お好きだったんですか? 『ピンクとグレー』を手に取ったきっかけは何だったんでしょう。

珠川:確か図書館に置いてあった本を見て、タイトルと装丁に惹かれたんじゃないかと思います。テレビはあまり観ないので、加藤さんのことはほとんど知らなくて。小説を書いてらっしゃる方というのは知っていましたが、それくらいの認識でした。

柿原:じゃあ、あとからNEWSとして活動していると知って驚いたという順番ですか?

珠川:そうなんです。

柿原:それも珍しいですね(笑)。

──柿原さんは、お好きで読まれていた作家さん、影響を受けた作家さんはいらっしゃいますか?

柿原:僕が映像系の大学に行きたいと思ったきっかけは、湊かなえさんの『告白』を読んだことでした。同時期に中島哲也監督の映画も観たところ、ただストーリーをなぞるだけでなく映画ならではの解釈や演出が入っていて、「小説ではこういう表現ができて、映像ではこんな表現になるんだ!」と、それまで観てきた原作ものの映画とは別格の感動があったんです。そこから映画監督を目指して頑張っていたのですが、最近になって「僕は映画というより物語が好きなんだ」と気づきました。

──最初に興味を持ったのは、小説ではなく映画だったんですね。その時は、小説を書こうとは思わなかったのでしょうか。

柿原:自分が小説を書くというのが、まったく想像できませんでした。しかも、ちょうどその頃、僕はカメラやパソコンが好きだったんですね。それで「小説と映画だったら、映画のほうが向いてるかな」と思ったのかもしれません。今思えば、カメラを好きなのと映画を作るというのは全然別だなと思いますけど(笑)。もしも僕がすごい量の本を読んでいたり、何か書いたりしていたら、その時点で小説の道に進んでいたかもしれないですね。

──珠川さんも、小説以外にいろいろな活動をされているんですよね。今は大学で美術を学んでいるそうです。他にも、バンド活動をされていたとか。

珠川:バンドと言っても、高校時代に所属していた軽音楽部の活動をそのまま続けてるだけなんです。

柿原:なにを担当されてるんですか?

珠川:キーボード兼ボーカルです。

柿原:すごい! 器用ですね。

珠川:でも、あまり音楽が得意じゃなくて(笑)。他のメンバーは曲作りもできて才能もあるんですけど、私だけちょっと下手なんです。

──美術や音楽の活動は、小説になにか影響を及ぼしていますか?

珠川:私の中では「表現」というざっくりした分野の中に、絵も音楽も小説も入っている感じなんです。特になにか影響があるわけではないのですが、小説の中に音楽や美術をつい出しがちではありますね。

──『マーブル』も、主人公の弟がTwitterでイラストを投稿したり、二次創作をしたりという設定です。柿原さんの感想をお聞かせください。

柿原:描写のひとつひとつが繊細ですよね。デビュー作からそうだったと思いますが、僕はそこに優しさを感じました。世界を細かなところまで見たり感じ取ったりしているからこそ、繊細な言葉が出てくるんだろうなと思って。きっと珠川さん自身が聞き上手、気配り上手なんだろうなと感じましたし、そういうところが小説のキャラクターたちにもあらわれているのかなと思いました。

『マーブル』でも、できる限り誰も傷つかないようにみんなが気を遣っているし、優しくしようとしています。でも、ぶつかり合うこともあるし、理解できないこともある。これがもし珠川さんの筆致じゃなかったら、もっとつらい話になっていたかもしれないと思ったんですよね。珠川さんの持つ繊細さ、優しさによって、最初から最後まであったかい世界のまま走り抜けられる。すごくまろやかで読みやすいけれど、テーマはズドンと重くて。重さと優しさが、ひとつの作品の中に両方入っているのが珍しいと思いましたし、楽しく読ませていただきました。

「『自分という存在をどう受け入れるか』を描きたくて、自分がどういうものかわからない主人公にしました」(柿原)

匿名
匿名』(柿原朋哉/講談社)

──逆に、珠川さんが『匿名』をお読みになった感想をお聞かせください。

珠川:『匿名』というタイトルから、最初は覆面アーティスト「F」の覆面に匿名性を見出す話かと思って読んでいました。でも、だんだんSNSのアカウントの使い分けや本来の自分とは違うなにかに匿名性を見出しているんだなとテーマが深まっていって。最終的には、匿名性と本来の自分、自分の過去に迫っていくのがすごく面白くて、ドキドキしながら読みました。

柿原:ありがとうございます。光栄です。

──作中には、覆面アーティスト「F」と彼女を信奉する越智友香というふたりの主人公が登場します。彼女たちの人物像は、どのように形作っていったのでしょうか。

柿原:追う側と追われる側、両サイドから書きたいという思いがまずありました。そこからふたりの関係性が決まり、あとはどういう人物なのかを考えていった感じです。

 大前提として、「自分という存在をどう受け入れるか」という話が書きたかったので、自分がどういうものなのかわからない人を主人公にしようと思って。最初は越智友香が主人公で、「F」はサブという感覚でしたが、書き進めるにつれて「F」という存在が膨れ上がってきて、最終的にダブル主人公になりました。

──珠川さんは小説の登場人物を作り上げる時に、どのように考えていくのでしょうか。

珠川:まず物語の軸や流れを考えて、その中で「こういう動きをするこういう感じの人」という人物像をふんわり決めます。そこから「このテーマの中で動くのは、どういう生い立ち、どういう性格、どんな容姿の人だろう」とゆっくり考えていくんです。そこまでがっちり決めて書き出すと、キャラクターがだんだん生き出して、いろんな動きをし始めます。それを、できるだけ自然のままに書くようにしていますね。

「匿名のSNSなら、自分の素性を隠しつつ、なりたい自分になれる」(珠川)

──今回の対談では、“匿名性”についても語っていただきます。おふたりが考える、SNS社会の匿名性についてご意見をお聞かせください。

珠川:今はYouTubeやTwitterで、多くの人たちが匿名を使っています。ネット上の自分は、「こうありたい」と願う偽りの自分。そういう人にとっては、自分の素性を隠しつつ、なりたい自分になれるのがSNSという匿名の場なのだと思います。また、現実では言えないことも、匿名のSNSなら曝け出せるという人もいます。そういう人にとっては、SNSは自分がありのままでいられる場ですよね。匿名だからこそ面倒なことが起きるケースもありますが、今の時代、SNSの匿名性は自分を支えてくれるのかもしれません。

柿原:僕たちの世代もそうですが、もっと若い世代の人たちは当たり前のようにアカウントを使い分けていますよね。誰から教わったわけでもないのに、自然と分けています。それがいいとか悪いとかではなく、それくらい当たり前のことになっているんだなと思います。

──珠川さんは20歳の大学生、柿原さんは28歳です。珠川さんは生まれた時からインターネットがある環境だったと思いますが、ネットやSNSの捉え方に世代差は感じますか?

柿原:珠川さんはスマホ世代ですよね?

珠川:そうですね。でも、私はガラケーから入りました。周りの子も、小学校低学年はキッズケータイ、高学年になってガラケーという感じでした。

柿原:まだガラケーに触ったことがある世代なんですね。僕は中学までガラケーで、高校からスマホ。それでも周りに比べると、早いほうでしたね。

珠川:私の場合、スマートフォンは中学か高校になってようやく持つようになりました。小学生の頃からパソコンの授業でインターネットに触れていましたが、私は家ではあまり触らせてもらえなくて。他の子は、もう少し早くネットの文化に触れていたように思います。

柿原:珠川さんご自身や周りの皆さんは、いつ頃からTwitterやInstagramを使い始めましたか?

珠川:中学の頃は、学校にスマホを持ち込めなかったので同級生がSNSをやっていたかはわからなくて……。私もまだSNSはやっていませんでした。高校になると、クラスのLINEもあってみんながつながっていましたね。部活やクラスのTwitter、Instagramアカウントもありました。

柿原:クラスLINEはなかったなぁ……。僕の頃とはけっこう違いますね。僕は確か高校生の頃にTwitterを始めたんですけど、当時はもっとアングラな雰囲気でした。オタクと呼ばれる人たちのネット上の遊び場みたいな感じで、本名でアカウントを作る人もほとんどいなくて。僕もリア友とはつながらず、ひっそりアニメの話をするような場所でしたね。珠川さんのお話を聞いて、ジェネレーションギャップを感じました。

──珠川さんご自身は、ペンネームを使い、お顔出しをせずに作家活動をしています。そこには、なにか意図があるのでしょうか。

珠川:いろいろな思いがありますが、説明しづらくて……。まず、顔出しをして、顔についてとやかく言われたくない(笑)。見た目によって男女で分けられるのも嫌でした。他にも、知り合いに知られたくない、自分の知らない誰かが私の顔と名前を認識しているのは嫌だという思いもあります。最後の理由が、一番大きいかもしれません。

柿原:え、じゃあ珠川さんの知り合いは、珠川さんが作家だということを知らないんですか?

珠川:ほとんどの人は知りません。書いている内容を知られて、「こんなことを思っているんだ」と思われるのが恥ずかしくて。珠川こおりと普通に生活している自分を、無意識のうちに差別化しているのかもしれません。

「『多様性を受け入れよう』と強制するのも、私の意見の押し付けかもしれない」(珠川)

──今度は『マーブル』についてのお話も聞かせてください。珠川さんが小説を書く時は、まずテーマを決めて、「モチーフ・ツール」を考えたうえで登場人物を設定するそうです。今回の『マーブル』におけるテーマや「モチーフ・ツール」にしたものを教えてください。

珠川:中心となるテーマは、多様性やジェンダー観です。そのうえで描こうと思ったのが、姉と弟のふたり。それぞれのジェンダー観や考えていることを、どう捉えるかがメインテーマでした。ツールに関しては、大きいものだと二次創作。細かいモチーフとしては、はちみつ、ゴーヤ、緑色などを登場人物の心情、気持ちの移り変わりを表すものとして使っています。

柿原:「モチーフ・ツール」は最初から決めておくんですか?

珠川:二次創作までは決めましたが、あとはものによります。はちみつは、書いている途中から「これをどんどん出していこう」となりました。

──主人公の茂果は、弟の性的指向に疑問を抱き、それをなかなか受け入れられないという人物です。多様性やジェンダー観について、センシティブなところまで踏み込んだなという印象を受けました。

珠川:私自身、「押し付けられるのは嫌だな。多様なジェンダー観があっていいじゃないか」と思っていた時期に、この小説を書き始めました。ですから、茂果についても「その押し付けは嫌だな」と思いながら書いていたんです。でも、「自分の意見を押し付けずに、多様性をすべて受け入れよう」という考えを、そうではない人に強制するのもひとつの押し付けですよね。私も、無自覚に自分の意見を押し付けているんじゃないかと気づいたんです。

 作中にはいろいろな考えを持つ人が出てきますが、それ以外の考え方を持つ人もいるはず。そういう方がこの小説を読んだ時にどう思うか、本当にいろいろ考えて……。書くのは私ひとりなので、私だけの考え方に偏ってしまうんじゃないかと考えると怖かったし、センシティブなところもあるので書きづらさはありました。

 結末を書くにあたっても、その考えを私が押し付けているようにはしたくなくて。「これがベストです」ではなくて、「こういう考え方もあるんだな」と考え方の存在を認めてもらえたらいいなと思いながら書いていました。私が普段当たり前だと思ってることも、人によっては当たり前じゃないし、普通じゃないかもしれない。それを踏まえたうえで自分の意見を話し、相手の意見も聞けたらいいなと思います。

柿原:おっしゃるとおり、いろいろな考え方を持った人たちが登場する作品ですよね。その中でも、一番極端なのが主人公というのが意欲的だなと思いました。

 当事者側、つまり弟を主人公にしたほうが、ストーリー的にも世間からの見え方的にも書きやすそうですよね。「理解できない」「わからない」という人の視点で、センシティブなテーマを書くのって難しいと思うんです。“わからない側”の視点で物事を見ることになるので、反感を持たれてしまう可能性もありますから。

 でも、『マーブル』はそういった立場の人を主人公に置いているからこそ、今まで読んだことのない作品になっています。茂果を主人公にしたからこそ見えてくる景色、移り変わっていく感情がある。それを見事に表現していると思いました。

珠川:茂果は、恋人の朗がバイセクシャルだということは普通に受け止められるんです。でも、身内となると話が変わってきます。そういう話を、私も当事者から聞いたことがありました。「家族はLGBTに関するニュースを、フラットに受け止めている。でも、いざカミングアウトしたら他人事ではなくなったせいか、なかなか受け入れてもらえなくて……」という話を聞いて、身近な人ほどありのままを受け止めるのは難しいんだなと思いました。

 そこで、血のつながらない恋人のことは受け入れるけれど、身内のことになると冷静な判断ができなくなる人物を主人公にしました。私も、そういう視点でジェンダーについて考えてみたかったんですよね。書いてる間は「茂果、違うだろう!」「なんでそんなに頑固なの?」と何度も思いました(笑)。私は自分の書くキャラクターを好きになりますが、もしかしたら茂果を嫌う方もいるかもしれません。

 でも、茂果のように自分事になった時に、「どうしよう」と焦ってしまうことは誰にでもあるはず。彼女の思いも含めて、多様な考え方を「そうだよね」と受け入れられるような視点を、新たに得られたらいいなと思いました。

柿原:茂果が弟のセクシャリティに疑念を抱いた時に、茂果の心情が語られますよね。遠い誰かの話なら受け入れられるけど、近くで起きたことは受け入れられないかもしれない。それって、本当に難しい問題ですよね。例えば、病気だってそう。病気を扱った映画や小説は感動的に思われることが多いですが、身近に同じ病気の人がいたら感動どころの話じゃないですよね。

 それって、エンタメの罪深い部分だなと思います。僕らはエンタメを摂取して生きていますけど、それは描かれていることが他人事だから。『マーブル』を読んでそこにハッとしました。でも、だからと言ってどうすればいいのかもわからない。今後もふとした瞬間に、「あ、僕は今このニュースを見て楽しんじゃったかもしれない」と思いそうな気がして。そういう意味でも、読後に大きなものが残る作品だなと思いました。

「今の自分には無理でも、小説を乗りこなした自分ならもっと面白いものを書けるはず」(柿原)

柿原:僕から珠川さんに聞きたいことがあるんです。珠川さんは『マーブル』が、デビュー2作目ですよね。1作目を終えて、2作目を書くまでにやったこと、考えたことはありますか?

珠川:私が1作目を書いたのは、高2の冬から高3の春でした。それを小説現代長編新人賞に応募してから結果が出るまでは、受験の準備をしていました。その後、デビューが決まって2作目を考える時には、1作目で少しだけ触れたジェンダーというテーマについて、見つめ直そうかなと思いました。

 そのうち受験も終わり、大学で美術を学び始め、他の分野からも小説に取り入れられそうなものがあるかなと探してみたりして。大学の授業もいい経験になりましたし、新しいことにいろいろと触れる時間になりました。

柿原:その若さで、すごくおいしい時間を過ごしましたね(笑)。新しいことに触れまくってるじゃないですか。この歳になると、どうしても停滞し始めるのでもうちょっと外に出ようと思いました(笑)。

──柿原さんは「YouTuber・ぶんけいが本を出す」という一過性の話題を求めるのではなく、今後も長く作家活動を続けたいという意向があるようです。作家としての決意表明を聞かせていただけますか?

柿原:今回、「僕はやっぱり物語を作りたい」と思い、小説に挑戦しました。実際に書いてみると、あらためて小説の可能性を感じたんですよね。映像制作の仕事では、予算やスケジュールの都合で実現できないこと、あるいは宇宙の話のようにスケールが大きすぎて映像化が難しいことも、小説なら実現できます。頭で思い描いたものを、何の制限もなく表現できるのがすごくうれしくて。これからも、小説という懐の深い世界で頑張っていきたいと思いました。

 今は未熟で描けないテーマも、小説を乗りこなした自分なら面白く書けるようになるはず。そこに到達するまで、ずっと書き続けたいと思っています。そのためには本が売れないといけません。僕が生きていくためにも、まずは『匿名』を買ってください(笑)。もちろん『マーブル』も一緒にお願いします!

珠川:ありがとうございます(笑)。

(柿原さん)ヘアメイク=入江美雪希 スタイリング=金野春奈 衣装協力:ジャケット8万円、パンツ3万6000円(Ground Y/ヨウジヤマモト プレスルーム TEL:03-5463-1500)、その他スタイリスト私物(すべて税別)

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