「私の考えていることや信じていることを排除されたくない」――『檸檬先生』が話題の珠川こおりさんに聞く、著作や執筆への思い

文芸・カルチャー

公開日:2022/10/1

 第15回小説現代長編新人賞を受賞した、珠川こおりさんの『檸檬先生』(講談社)。音や数字に色が見える共感覚者の生きづらさを描き、話題を呼んだ1冊だ。

『檸檬先生』や2作目となる『マーブル』(講談社)のこと、小説現代長編新人賞への応募理由など、おうかがいしました。

(取材・文=立花もも)

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周囲との“ズレ”に気づいて思い悩んだ経験が「共感覚」を描いた根底にある

――小説現代長編新人賞を受賞した『檸檬先生』は、音や数字に色が見える共感覚の持ち主である小学3年生の少年が、同じ特性を持つ中学3年生の少女と出会う物語です。こんなにも色彩豊かに、共感覚者の世界を言葉にできるものなのか、と読んでいて驚きました。

檸檬先生
檸檬先生』(珠川こおり/講談社)

珠川こおりさん(以下、珠川) ありがとうございます。私としては、メインとして書きたかったのは先生と生徒……教える側と教えられる側の関係性のなかで生まれる、“普通”とは何かという問いだったんです。同じ特性の持ち主で、自分よりいろんな世界を見て知っている少女のことを、少年は「先生」と呼びますが、最初は本当に、教師と生徒の関係に設定しようかなと思っていたんですよね。「共感覚の人を書こう!」という意気込みが特になかったせいか、「よくこんな難しい題材を……」みたいな講評をいただいたときは「そうか、題材に難しいとか難しくないとかがあるのか」と他人事のように思いました(笑)。

――先生と生徒の関係性を描こうと思ったのは、教える側の“普通”を教えられる側が無自覚に押し付けられてしまうことへの疑問、みたいなものがあったのでしょうか。

珠川 そうですね……。どんな立場であっても“普通”を押し付け合ってしまうことは、どうしても避けられないとは思うんですけど、教えられる側に経験と知識が乏しい場合、疑問を抱く余地もなく、素直に飲み込んでしまうじゃないですか。たとえば私も、幼いころは親や教師から言われることに、なんの矛盾も感じることなく「そういうものなのか」と思って従ってきた。でも、中学に入って明確に自我が芽生えてくると「それはちょっと違うんじゃない?」とか「本当にあのとき言われたことは正しかったんだろうか」と、ふと立ち止まってしまうこと、あるじゃないですか。

――ありますね。むしろ大人になった今も、その繰り返しのような気がします。

珠川 最初から明らかにみんなとは違う、のではなく、他者とのかかわりを通じて少しずつ、自分はどうやら一般論からズレた考え方をしているらしい、と気づいたときに、思い悩んだことが私自身にもあったんです。ズレを隠しきれずにいると、コミュニティからはじかれてしまうし、隠し通してみんなにあわせていると、自分のアイデンティティが潰されてしまう。そのどちらも正義とは呼べないよなあ、と。社会全体の秩序を守ることも、その秩序におさまらない個性を見つめることも、どちらも大事なんだけど、どちらも大事にするためにはどうしたらいいんだろうと、いろいろ考えていたことが、『檸檬先生』の根底にはあります。

――その“ズレ”を表現するためのひとつが、共感覚だった。

珠川 最初は、共感覚という言葉を知らなかったんですよ。人とは違う景色……音や数字に色がついて見える人がいてもいいんじゃないか、と設定を考えていたら、それを共感覚と呼ぶのだと、あとから知りました。ということはつまり、私は、そういう感覚を持った人たちを“ありえない”ものとして考えていたということなのだな、とそれはそれで複雑な気持ちになりましたし、あらためて“普通”とは何かを考えるきっかけになったのですが。

――主人公の少年が、〈五は赤、六は緑だから、黒になって、黒はゼロじゃん〉と言うシーンが印象的でした。だから、3年生になっても「5+6=11」の計算ができない彼は、教室でも浮いてしまう。そんな彼に「共感覚が全て正しい訳じゃないよ」という先生のセリフは、自分の“普通”を信じすぎてはいけない、という読者の私たちに対する戒めでもあるようで、胸に刺さります。

珠川 共感覚を調べ始めたときに、似たエピソードを聞いたんです。色の掛け合わせは間違っていないけれど、算数としては間違っている……。そんなことを、いろいろ考えました。

――ちなみに少年には、先生が檸檬色に見えているんですよね。だから、檸檬先生。その色に、意味はあったのでしょうか。

珠川 なんとなく、です。私が檸檬と聞いて真っ先に思い浮かぶのは高村光太郎の「レモン哀歌」ですが、その詩にまとわりつく死の雰囲気だったり、明るい場所にあるはずなのにどこか暗さが漂っていたり、透明度が高いのに不穏、みたいなところが、彼女のイメージと重なったのかもしれません。あとは、檸檬、れもん、レモン、と表記を変えるだけでずいぶんと印象が変わるじゃないですか。切りとり方によって表情が変わるところも、彼女にぴったりであるような気がしました。

マジョリティでも、信じているものを根っこから覆されるのはつらい

――2作目の『マーブル』も、色がまじりあうイメージのタイトルで、章タイトルふくめ、やはり色が印象的に使われた作品ですが、大学で美術を学んでいる珠川さんにとって、やはり色は特別に大事なものなのでしょうか。

マーブル
マーブル』(珠川こおり/講談社)

珠川 意識的に色を描写するようにしていた『檸檬先生』と違って、『マーブル』は特別意識していたわけではありませんが、私にとって色は感情を動かすものなので、自然と滲み出てしまったのかもしれません。たとえば『マーブル』の主人公・茂果(もか)の心情をあらわすのに、ただ「嬉しかった」と書くよりも、桜みたいな、淡いピンク色を連想させるように書いたほうが、よりそのニュアンスが伝わるじゃないですか。細かい感情の変化や揺れを描くために、私は色を使うことが多いのかなあと思います。

――『マーブル』は、弟の穂垂(ほたる)がBLマンガを描いていることを知った大学生の茂果が、もしかしたら弟は同性愛者なのではないかと思い悩む過程を通じ、『檸檬先生』とはまた違う形で、“普通”とは何かを問う物語でした。

珠川 2作とも、根幹のテーマは共通していると思うのですが、書いている私自身が変容しているために、ストーリー構成も結末も違うものになったなあと思っています。あたりまえですけど、私のなかの“普通”も日々更新されていくんですよね。新しく出会う人たちがいて、共感する意見も、そうでないものも、たくさん吸収しながら、同じ問題に向き合い続けることが大事なんじゃないかなと思うんです。『マーブル』を姉と弟の話にしたのも、実際、身内にいわゆるマイノリティと呼ばれる人がいた、という方の話を聞いたから。家族が同性愛者かもしれない、と思い至ったときの葛藤は、赤の他人に対してのそれに比べると、また全然違うものになるんじゃないかと思ったんです。

――『檸檬先生』の主人公は共感覚者。マイノリティ側の視点で描かれますが、『マーブル』で、異性愛者である姉を主人公にしたのはなぜだったのでしょう。

珠川 葛藤する、ということは、相手を否定しているということではなくて。先ほどの話にも重複しますが、人は自分にとっての“普通”を、周りの人もあたりまえに共有していると思いがちで、だからこそ無自覚に押し付けてしまうんだと思うんです。それが、同じ両親のもとで育ったきょうだいなら、なおさら。でも、本当はそうじゃなかった。いちばん身近にいて、いちばん共有するものが多いはずの相手が、自分とは違う“普通”や“正しさ”を身につけていたのだと知ったときは、シンプルに衝撃を受けると思うんですよ。衝撃を受けたうえで、どうその相手を否定せずに向き合っていくのか、寄り添って、尊重していくのか、みたいな葛藤を、描きたかったんです。

――茂果側の視点で「否定するつもりはないし、弟のことを愛してはいるが、簡単に受け止めきれはしないし、できれば自分側に寄ってほしいと思ってしまうエゴ」みたいなものが丁寧に描かれているのが、よかったです。

珠川 私は、私の考えていることや、“普通”だと信じていることを、排除されたくないんですよ。もちろんそれが、マイノリティの方々を無自覚に抑圧することにつながるかもしれない。それは絶対にしてはいけないことだけど、それでも、マジョリティだからといって自分が信じていたことを根っこから覆されて駄目なものとして扱われるのは、やっぱり、つらい。マジョリティだろうがマイノリティだろうが、誰かの大切にしているもの、信じているものを頭ごなしに排除することなく、そのありようを認め合うことはできないだろうか……というのが、『マーブル』で書きたかったことのひとつですね。

――『檸檬先生』も『マーブル』も、相手を思いやっていることは十分伝わってくる一方で、“好き”という感情が、相手を救うわけじゃないということも同時に描かれているのが、切なかったです。

珠川 恋愛にしろ、家族愛にしろ、友情にしろ、好きだという気持ちを免罪符にしたくないと思っているんですよね。それは感情を暴走させ、行きすぎた行動を招いてしまうことだから。でも、誰かを好きになることで、人は他者とのつながりを持つことができる。関係をつなぐ感情と、関係性のなかで培われる立場、そしてその人それぞれが社会的に背負っているもの、そのすべてをよりフラットに見つめなおしていけたらいいなとは思っています。

――2作目を刊行したことで、より作家としてご自分の内包するテーマも見えてきたと思うのですが……小説現代長編新人賞に応募したのは、どこかそのテーマと通じるものを感じていたからですか?

珠川 いえ、たまたま何かの本で読んで、知っていたというだけで。でも、『若おかみは小学生!』や『黒魔女さんが通る!!』といった、青い鳥文庫の作品が好きだったので、講談社という出版社に惹かれるものはあったんですよね。受賞したら、編集者さんがとてもやさしいので、応募してよかったなあと思っています(笑)。ただ、テーマに関しては、最近、いろいろと考えすぎてしまうところがあって……。デビューしたことで、ちょっと、気負いすぎてしまったんですよね。でも本来、私が望んでいたことは、自分の書いた小説で誰かを楽しませたり幸せな気持ちになったりしてほしい、ということだけ。その一心で書いたからこそ『檸檬先生』は思いがけず多くの人に手に取ってもらえたのかなと思いますし、これから先も、その純粋な気持ちを忘れないようにしたいです。

 これから応募する予定のみなさんが、小説を書くモチベーションはそれぞれ違うでしょうけれど、評価されるかどうかはいったんおいておいて、まずは自分の“書きたい”という気持ちを大事にしていただけたらと思います。

珠川こおりさんプロフィール:
たまがわ・こおり●2002年東京都生まれ。小学校2年生から物語の創作を始める。高校受験で多忙となり一時執筆をやめるも、高校入学を機に執筆を再開する。『檸檬先生』で第15回小説現代長編新人賞を史上最年少で受賞し、デビュー。

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