「男の子が大人になるまでに受ける傷の蓄積は、かなりのもの」――父親になることから男らしさの呪縛まで、白岩玄さんと田房永子さんが語る!

文芸・カルチャー

公開日:2022/12/9

白岩玄さん、田房永子さん

 妻が突然亡くなり、4歳の娘を突然ひとりで育てることになった恭平。シッターとして働きながら、1歳半の息子を育てている章吾。正反対のシングルファーザーが、同居生活を始めたら……?

 白岩玄さんの新刊『プリテンド・ファーザー』(集英社)は、ケアとキャリアの狭間で揺れる男性を描き、これからの父親像を模索する意欲作。白岩さん自身も2児の父親とあって、男性が抱える育児の問題を細やかに描き出している。

 この小説の刊行を記念して、育児やジェンダーについて執筆するマンガ家・エッセイストの田房永子さんとの対談が実現。小説の感想にとどまらず、育児の葛藤、男らしさの呪縛、性教育のあり方など縦横に語り合っていただいた。

(取材・文=野本由起 写真=川口宗道)

田房永子さんに『プリテンド・ファーザー』の見どころ・ご感想を、マンガにしていただきました! こちらも要チェックです。

▶ 田房永子さん 感想マンガを読む

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「『男は泣くもんじゃない』と自分に縛りをかけて育ってきました」(白岩)

白岩玄さん

──おふたりは初対面だそうですが、ネット上ではメッセージをやりとりされていたそうですね。

田房永子さん(以下、田房):『対抗言論』という評論誌に掲載されていた白岩さんのエッセイが、すごく面白かったんです。私の本も読んでもらいたいなと思って『なぜ親はうるさいのか ――子と親は分かりあえる?』(筑摩書房)という本をお送りしました。

白岩玄さん(以下、白岩):他の方は男性学に関する難しい評論を寄稿する中、僕が書いたのは平易な文章で書いた日常的なエッセイ。正直そこだけ浮いている気がして、ちょっと落ち込んでいたんです。それを田房さんが「面白かったです」って言ってくださったのが、めちゃくちゃうれしくて。送っていただいた本もとても面白く、感想を送らせていただきました。

──田房さんが読んだ白岩さんのエッセイは、どんな内容だったのでしょう。

白岩:13年飼っていた愛犬を亡くした時、その死をどうやって受け入れればいいのかわからなかったんです。老犬になって病気の介護をしていた時からずっと溜まっていたものがあったけれど、世代的に「男は泣くもんじゃない」「感情を吐露してはいけない」と自分に縛りをかけて育ってきたので、気持ちを処理できなくて。そこで、意識的に「つらい」と自分で言い続けて、泣く練習をした……というエッセイを書きました。田房さんにあらためて聞きたいのですが、あのエッセイのどこが面白かったのでしょう。

田房:私の場合、感情がバッと出てくるので、白岩さんが何年も悲しみをあらわにせずに過ごしてきたというのがまずすごいなと思いました。しかも1回泣いたらスッキリしたと書いてあったので、燃費がいいなと思って。

白岩:燃費に感心してくださったとは(笑)。

田房:自分とはまったく違うので面白いなと思いました。それに、周りの男性を見ていると、感情を表に出さないどころか、そもそも自分の感情を自覚しないよう頑張っているような気がしていて。白岩さんのエッセイを読んで、「あ、こういうことなのか」と男性心理を解説してもらったような気持ちになりました。私は体験が一番のエビデンスだと思っているので、小説よりもエッセイ、ノンフィクションが好きなんですね。そのエッセイも、白岩さんの体験に基づくものだったのでとても興味深く読みました。

──逆に、白岩さんは田房さんの著書についてどんな印象をお持ちでしたか?

白岩:僕はもともとジェンダー系の本を読むのが好きで、以前から田房さんのご著書を拝読していました。中でも面白かったのが、『「男の子の育て方」を真剣に考えてたら夫とのセックスが週3回になりました』(大和書房)です。

田房:え、うれしいです! 私にとって、思い入れの深い1冊なので。

白岩:僕は、男性から女性への加害はもちろんですが、女性から男性への加害の可能性を自覚することも、男女が手を取り合って社会でうまくやっていくためには必要なことだと思っているんです。この本は、田房さんが息子さんの育て方を考える中で、パートナーとの関係性を見直そうとされるのですが、自分の中に男性に対する偏見があることに気づいたり、葛藤しつつもそれを受け入れようとする様子が描かれていて、そこがすごく良かったです。ひとつひとつの出来事に事実だからこそのリアリティーがあるだけでなく、面白い小説みたいにいい場面がいっぱいある。久しぶりにこんな面白い本を読んだなと。

「ケアをする人たちが抱く、究極の感覚が描かれていると思いました」(田房)

田房永子さん

──『プリテンド・ファーザー』は、ふたりのシングルファーザーが同居しながら、それぞれの父親像を模索する小説です。白岩さんはどのような着想から、この小説を執筆したのでしょうか。

プリテンド・ファーザー
プリテンド・ファーザー』(白岩玄/集英社)

白岩:この作品を書く前にいろいろと試し書きをする中で、「いい父親のふりをしている」というセリフがたまたま出てきたんです。僕自身、それを読んでドキッとしました。というのも、僕は2児の父親として当たり前に育児をしているつもりだったのですが、どこかで「周りから好感を得るために父親業をやっているんじゃないか」「母親である妻と比べて、父親として本当に自立しているんだろうか」という思いがあったんですね。

 そこで今回は、女性を抜きにして育児をしている男性ふたりを通して、父親の自立について模索したいと思いました。作中には恭平と章吾というふたりの父親が登場しますが、僕の中にも「いい父親をやってるな」と思う自分と「全然ダメじゃん」と思う自分のふたりがいます。そのふたりを自分の中で対話させながら書くことで、父親の本音が出てくるのではないかと思いました。

──田房さんは「小説よりもエッセイ、ノンフィクションが好き」とお話しされていましたが、この小説はいかがでしたか?

田房:『プリテンド・ファーザー』は体験記のように、ふたりの生活をたどることができてグイグイ読んじゃいました。

白岩:よかった! 小説はあまり読む機会がないとおっしゃっていたので、ドキドキしました(笑)。

田房:恭平が感情を殺している描写が、すごく面白くて。「あ、こういう感じなんだな」という発見がありました。

──恭平は妻を突然亡くし、ひとりで娘を育てることになります。その悲しみを消化できず、娘にも母親の死をきちんと告げることができません。妻が生きている頃は営業マンとしてバリバリ働き、家事・育児は妻に任せきりだったため、自分が主体となって娘を育てることに戸惑いを感じています。

田房:恭平は近距離から自分を俯瞰して、「自分は今みっともなくないか」「間違ってないか」と考える人です。その「間違ってないか」の基準が、男らしさや彼がこれまで生きてきた中で習ったことでしかないんですよね。女の私からするとそこはまったく問題じゃないのに、彼にとってはそれが一番重要なんだなという男性心理がわかって面白かったです。私の周囲の男性の態度とも一致しましたね。別にこちらに敵意があるわけではなく、自分の中で守らなきゃいけないことを守ってるだけなんだなって。

白岩:男性の大らかさって、圧倒的な無関心さと表裏一体なところがありますよね。僕自身もそういうところがあるので、妻と喧嘩になるのですが、大雑把で何も気にしない人って楽天的なように見えて、単に細かいところが見えていないから気にしていないだけなんですよね。それでも生きてしまえるという良くも悪くも大らかな感じは、恭平のリアリティを表現するために意識したところです。

田房:その大らかさにイライラする時もあれば、すごく助けられる時もあるんですよね。動かない山のように全然変わらないので。

白岩:気配りができすぎると、それはそれでお互いに気を遣いすぎて、間を読み合ってしまいますしね。章吾はそういうタイプで、恭平は大らか。ふたりのバランスも大事にしました。

田房:私はいろいろな本で、世の中には社会的な面と生理的な面があると書いてきました。恭平が社会的な面=キャリアを担う人だとしたら、章吾は生理的な面=ケアの人。キャリアの人たちはケアの人たちに支えられてるという意識があまりなくて、むしろケアの人たちを自分たちが守ってあげていると感じていますよね。で、「お前がやりたくてやっているんだろ」「こっちは、お前が好きなことをやらせてやってるんだ」と勝手に変換してきます。章吾のお兄さんはまさにそのタイプ。この小説でもっとも社会的な人物ですが、私はこのイヤ~な兄の描写、すごく好きです(笑)。

白岩:両親の世話をするためにちょくちょく実家に帰っている章吾に対しても、「おまえが望んでやったことなんじゃないの?」って言いますしね。

田房:私、『大黒柱妻の日常 共働きワンオペ妻が、夫と役割交替してみたら?』(エムディエヌコーポレーション)という本で、夫より稼ぎがいい女の人たちについて書いたんです。彼女たちはすごく“男性っぽく”なっていき、人は性別ではなく立場によって変わるものなんだと思いました。

 章吾は章吾で、自己犠牲が当たり前というタイプ。ちょっと卑屈すぎるほどで、「自分の犠牲があってこそ周りの人が輝く」「他人のケアをしない自分には価値がない」と考えています。でも、最終的に「肩書きや血のつながりではなく、行為によって親になる」、子どもの記憶に残らなくても「行為の中に愛があるのなら、それでいい」と気づきます。あのシーンがすごく好きなんです。

白岩:そう言っていただけて、すごくうれしいです。その場面を書けた時、僕も手応えを感じたので。

田房:ケアをする人たちが抱く、究極の感覚ですよね。「自分の価値を社会的に換算するとどれくらいだろう」という考えからいったん離れ、他人をケアするという目に見えない行為をとことん突き詰めたからこそ出てきた思いだなと感じました。

白岩:この小説を書き進めていく中で、「行為によって親になる」と気づいた時に、ひとつの答えが出た気がしたんです。いい父親のふりをしているように思うことに引け目を感じていたけれど、日々自分が子どもに対してやっていることを突き詰めると、結局は些細な行為の積み重ねでしかない。父親という役割に馴染めなかろうが、そこに行為があって、子どもがつつがなく日々を過ごしていけるのであれば、自分がいる意味はあるんだなと。そう思うことで、僕自身も楽になりました。

田房:私の母親は過干渉で、小さい時から理不尽なことが多くてつらかったんですね。でも、周りの大人たちは「お母さんの言うことを聞かないとね」って言うんです。でも今になって記憶をさかのぼると、近所のおばさんや親戚が見せるしぐさの中に「あなたも大変だね」というニュアンスを感じることがあったような気がします。もしかしたら、母親の行き過ぎた行動を見て、私を憐れんでいたのかもしれない。私が「母親との関係がつらい」と思ったことは、間違いではなかったのかもしれない。そう思うと、癒されるような気がするんですよね。何もしてくれなくても、「この子に幸せになってほしい」と思って接してくれる大人がいるだけで、大きな意味があると思います。

白岩:そこに血のつながりは関係ないですよね。今の社会は、何でも親に責任を集中させようとしますが、もっと社会全体で子どもを育てられるはず。ちょっとした行為でも子どもにとっては、糧になりますから。僕の場合、小中高とひとりずつ自分のことを認めてくれる先生がいて、それが自分にとってすごく大きいことでした。そういうことも思い出しながら、この小説を書きました。

「世の中が変わるには、恭平みたいな男性がたくさんいないと難しい」(田房)

田房永子さん

──作中では、子どもたちが「大人から歓迎されないような社会にはしたくない」という一文もありました。これから生まれてくる子どもたちを歓迎するために、子どもを育てやすい社会を作るために、大人はどうすればいいと思いますか?

白岩:難しいですね……。僕は最近、すべての人が弱い者いじめをしているんじゃないかと思うんです。よく「誰でもよかった」と言って誰かを襲った犯罪者に対し、ネットでは「誰でもいいわけない。自分より弱い女性や子どもを狙っただろう」と批判が起きますよね。あれと同じことを全員がやっているような気がします。

 人って、自分が攻撃できる対象をすごく狡猾に選びます。子育てにおいては、どうしても親のほうが子どもより力関係が上。そこを自覚するのは大事だなと、日々子育てをする中で感じています。例えば、義両親には絶対にしないのに、子どもに対してはやってしまうことってあるじゃないですか。無意識にイライラを発散する相手を選んでいないかと顧みて、自分は全然いい人間じゃないと自覚したうえで行動するのが大事なのかなと思います。

田房: そうですね。親になった時点で、子どもに対して「自分はこの人より、強い立場にいる人間だ」と強く意識してないと、子どもにいろいろなものをぶつけずに過ごすのは難しいと思います。でも、「親とか上司とか、誰かにとって強い立場になった時にこういう風に気をつけましょう」と教育では教えてくれない。「ハラスメント講習」みたいな、あくまで“部下に訴えられないためにこの行動は慎む”という視点になってしまう。でも本当は、強い立場のほうが、どうして自分はそういう行動をしてしまうのかという自分の感情に目を向けることが大事なんですよね。

白岩:必要な教育を受けてこなかったから、自分の感情に気づかないまま大人にさせられてしまう。その部分に関しては、今回の小説で描き切れなかったところなんですよね。恭平はどんな教育を受けてきたのか、とか。

田房:すごく気になりますね。この小説では、そんな恭平がどんどん変わっていくのも面白かったです。世の中が変わるには、恭平みたいな変わっていける男性がたくさんいないと無理なんですよね。女性がどれだけ声を上げようとも、恭平がたくさんいないとダメで。

白岩:章吾だけではちょっと難しい(笑)。

田房:章吾がいてくれると、日々の生活は相当助かりますけど。

白岩:男性のケアをめぐる問題も、まだまだ山積みですよね。ケア労働に従事する人も増えましたし、男性の保育士さんも多いですが、やっぱり「娘のおむつを男性に替えられるのは抵抗がある」と保護者の母親から言われてしまうこともあるようなので。

田房:そこは女性も習っていない部分なんですよね。男性が何を考えているのかわからないまま、性加害のニュースにばかり触れてしまうと、自分の子どもを守るために「うちの子に触らないで」となるのも仕方なくて。でも、個人間の「仕方ない」に任せているだけでは、前に進まないですよね。

白岩:その溝を埋めるには、ここ数十年の教育のあり方から見直す必要がありそうです。みんな今起きている問題に目を向けて、目の前の火消しだけすればいいやという感じで、おおもとの問題からは目をそらしているような気がします。怖いのは、それがずっと続いていること。今の30代、40代はこうした問題に自覚的な人も増えてきたので、この世代が自分の子どもに何をどう教えるかが大事だなと思います。

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