都会の地下が怖くなる禁忌のモダンホラー『骨灰(こっぱい)』冲方丁インタビュー

文芸・カルチャー

公開日:2023/1/10

 ※本記事は、雑誌『ダ・ヴィンチ』2023年2月号からの転載になります。

冲方丁さん

 日々姿を変える東京。中でも渋谷駅周辺は100年に1度という再開発事業が進められており、変化が著しい。この活気に満ちた街の地下深くに、恐ろしい秘密が隠されているとしたら……。冲方丁さんの『骨灰』は、そんな暗い想像を刺激する都市型ホラー長編だ。

(取材・文=朝宮運河 写真=干川 修)

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「ホラーといえば“地方の異常な村”が描かれることが多いですが、そればかりじゃないだろうと。むしろ大都会の真下にヤバいものが埋まっていたという話の方が、自分にとって書く意味があると思えました。以前、渋谷の街を歩いていたら渋谷川の暗渠の蓋を開けているところに遭遇して、暗い穴が地下に広がっている光景にぞっとしたことがあります」

 主人公は渋谷駅の再開発事業を請け負う大手デベロッパーで、投資家向けの広報を担当している松永光弘。彼の部署はこのところ正体不明のツイッターアカウントに悩まされていた。47階建ての高層ビルが建てられている通称東棟の地下工事現場から、何者かが悪意ある投稿をくり返しているのだ。「いるだけで病気になる」「火が出た」「人骨が出た」――。真偽を確かめるため、光弘は迷宮のような地下の現場に向かう。

「主人公をデベロッパーの広報担当者にしたのは成功だったと思います。当初は建築現場について調べていたんですが、どうしても話が専門的になりすぎてしまうんですね。ブラックボックスになっている現場の出来事を、一般向けに説明してくれる視点人物を置いたことで、物語に広がりが生まれました。執筆にあたって、某大規模建築プロジェクトの関係者にリモート取材しました。何も情報が下りてこない状況で、投資家向けの会見を強いられるとか(笑)、苦労話がたくさん出てきたのが印象的でした」

 人けのない早朝の工事現場。地下深くまで延びる階段を下りきった光弘は、金属製のドアを発見。その向こうに広がっていたのは、異常な光景だった。うっすらと積もった白い灰。壁際に作られた神棚と壁に書かれた「鎭」の文字。中央に開いた縦穴と、その底から聞こえる鎖の音。光弘が想定外の事態に直面する、この冒頭数十ページがとにかく怖い。

「それは嬉しい(笑)。この小説はまさに冒頭のシーンが最初に浮かんだんですよ。編集者と打ち合わせをしていて、『地下深くに鎖に繋がれた人がいたら怖いんじゃないか』と盛り上がった。そのイメージから物語を発展させていきました。ちなみに私はかなり怖がりで、世の中は怖いものだらけ。暗いところも、狭いところも怖いですし、夜のインターホンや電話も苦手。だから怖いことを想像するのは得意なんです」

東京の地下には無数の人骨が眠っている

 地底で鎖に繋がれていた男を解放した光弘は、小火に遭遇しながらもなんとか地上に生還。上司への報告を終え、産休中の妻と娘が待つ自宅マンションに帰ってきた。その夜、インターホンの呼び出しボタンが何度も押され、一家を不安に陥れる。そして廊下には白い足跡がひとつ。以来、松永家は奇妙な出来事に悩まされるようになる。

「人助けをしたつもりが逆にひどい目に遭ってしまうという理不尽さは、アジアの怪談らしい怖さがあると思います。ホラーなので光弘の家族構成も、あえていやな感じにしました。身重で心身ともに不安定な妻と、まだ一人では留守番ができない娘。住宅ローンのために光弘は早朝から働かなければいけない。裕福そうに見えて、ひとつ歯車が狂うと破綻しかねないぎりぎりの生活。そこにいくつものトラブルが重なってきます」

 地下の祭祀場を管理していたのは、「玉井工務店」という専門の業者だった。事情を聞くためその事務所を訪ねた光弘は、彼らが代々東京の土地の祟りを鎮めてきたこと、以前は「人柱」を使った祭祀が行われていたことを知り、愕然とする。高層ビルが建ち並ぶ都会の地下深くでは、今も古めかしい宗教的・呪術的な世界が生き残っている、とでもいうのだろうか。

「東京のど真ん中に平将門の首塚が残っていることからも分かるとおり、現代人が見えない何かを恐れていることは間違いない。その背景にあるのは我々が長い歴史の中で形成してきた日本独自の宗教観ですよね。もしそれが現代人の価値観と相容れないものだとしたら映画『ミッドサマー』のような怖さがあるし、といって簡単に切り捨てることもできない。玉井工務店は、そうした不条理を受け入れることを仕事にしている人たちです」

 タイトルの「骨灰」とは、辞書においては焼けた骨によって生まれる灰を意味するが、玉井工務店の社長・玉井芳夫によれば「個人の怨みが無数に蓄積されたもの」だという。くり返し起こった大火と震災、空襲によって大勢の人が命を落とした東京の土壌には、死者の骨と灰が染みこんで、祟りをなしているらしいのだ。

「個が失われた巨大な怨念みたいなものを表現するうえで、東京の土はふさわしいモチーフでした。実際、これほど人が焼け死んでいる都市は、世界でもロンドンと東京くらいだそうですね。しかも関東ローム層の赤土が、カルシウムを溶かしてしまう。つまり東京の土地は、死体でできているといってもいいんです。そう考えると公園の土を見ていても、ぞっとしてきませんか?」

形を与えられた怖さが不安を消してくれる

 地下の穴から消えた男・原義一の足取りを追って、光弘は支援団体などを訪ねる。それと並行して巻き起こる、数々の異常事態。死者の姿を見るようになった光弘は、じわじわと精神のバランスを失っていく。

「主人公がおかしくなっていることに気づかない、という展開は現代的なんじゃないかと思います。コロナ時代の怖さは情報が遮断されて、個がたこつぼ化してしまうこと。正しい情報にアクセスできないので、がんばればがんばるほど空回りしてしまう。あるいはフェイクニュースを信じて、いっそう悪い方へ流されてしまう。光弘のような人たちは、今世界中に存在しているはずです」

 大手企業に勤め、都内にマンションを所有する光弘は、比較的恵まれたクラスに属していたといえる。しかし骨灰の祟りに触れ、それまで関わることのなかった人々と知り合うことになった。過酷な光弘の物語を通して浮かび上がるのは、光と影が入り交じる渋谷という街の複雑さだ。

「街を活気づけるために再開発が行われますが、それによって立ち退きを迫られる人、不便を強いられる人もいます。とりわけ渋谷の再開発は、路上生活者の問題と切り離して考えることができません。そうした問題に目を向けてもらえればと思います。コロナ禍によって人との繋がりが失われましたが、大昔から人類は力を合わせることで、恐怖に対処してきたんですから」

 祟りによってぼろぼろになっていく光弘と家族の運命は? 大地に染みついた祟りをどうやって鎮めることができるのか? 荘厳でおぞましいクライマックスを目撃した読者は、都会の地下深くに埋められた禁忌の存在に触れ、戦慄するに違いない。その恐怖感こそ、不安定な現代を生きる鍵になると冲方さんは話す。

「今回ホラー小説を書いたのは、コロナ禍の影響が大きいんです。学生時代、私もスティーヴン・キングのホラー小説を読むことで、9・11などに揺れる不安な時代を乗り切ることができた。ホラーには漠然とした不安に形を与え、直視させる働きがある。不安なものから目を背けるのではなく、思いっきり怖がることで免疫をつけてもらえたら嬉しいですね」

 

冲方 丁
うぶかた・とう●1977年、岐阜県生まれ。96年『黒い季節』でスニーカー大賞金賞を受賞してデビュー。2003年『マルドゥック・スクランブル』で日本SF大賞受賞。09年刊行の『天地明察』で吉川英治文学新人賞、本屋大賞などを受賞。12年『光圀伝』で山田風太郎賞を受賞。他の作品に『戦の国』『破蕾』『麒麟児』『アクティベイター』など。

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