「美しさは権力。権力がない人の言動を最初に変えようとするのは、違う」話題作『ブスなんて言わないで』著者・とあるアラ子さんに聞く、反ルッキズムをテーマにした理由

マンガ

公開日:2023/1/31

ブスなんて言わないで
ブスなんて言わないで』(とあるアラ子/講談社)

「このマンガがすごい!2023 オンナ編」第7位にランクインした『ブスなんて言わないで』(講談社)。主人公は山井知子・33歳。高校時代に「ブス」と言われていじめにあい、現在は顔を隠して孤独に生きている。そんな彼女が“美人”の同級生・白根梨花と再会するところから物語は始まる。「ルッキズム」「自虐ネタNG」など、容姿に関する社会問題をテーマにした意欲作について、著者のとあるアラ子さんにお話を伺った。

(取材・文=立花もも)

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ブスなんて言わないで p.11

――学生時代からブスと言われてイジメられてきた知子が、いじめの首謀者だった元同級生の“美人”梨花に復讐を誓い、彼女が運営する美容メディアのスタッフとして働くことに……。実は高校で知子を守ろうとしていた、反ルッキズムを掲げる梨花と、そんな彼女を欺瞞だと批判する知子の物語。描くことになったきっかけはなんだったのでしょう。

とあるアラ子さん(以下、アラ子) ルッキズムに関するマンガはずっと描いてみたかったんです。でも、いろんな編集部に持ち込んでも、なかなかうまく進められなくて。そんなとき、社会問題にも興味をもつ女性たちに向けて「&Sofa」というWebマンガサイトが立ち上げられることを聞きました。それまでの私は、ルッキズムという言葉の意味やそれに苦しむ女性たちの現状を説明するところから描こうとしていたんですけど、そうすると前置きばかりが長くなってしまって、お話としておもしろくなくなってしまうんですよね。でも、「&Sofa」でなら、もうすでにルッキズムを社会問題としてとらえている人たちに向けて、その先を問うようなお話を描けるかもしれない。そう思ったら、『ブスなんて言わないで』の原型となるイメージがどんどんわいてきました。でも最初は、主人公はひとりの予定だったんですよ。

――知子だけ?

アラ子 いえ、どちらかというと梨花ですね。美容メディアで働く人を描きたかったので、ルッキズムにとらわれずに生きてきた美人の女性が編集部に入って、天然な意見でみんなをかきまわす、みたいなストーリーを考えていました。でも、ルッキズムにとらわれていない子が美容メディアで働きたいって思うかな? と、またつまずいてしまって。理由を考えるうちに、ブスが復讐する物語のほうがいいんじゃないか、復讐される相手は美人のほうがいいだろう、と当初とは違う方向に話が転んでいきました。あまり深く考えず、設定から決めていったので、両方の視点から描くことの計算を最初からしていたわけじゃなく、どうせならどちらかを一方的にイヤな人として描くよりも、双方の視点から社会が変わっていくほうがいいよね……と流れで決めてしまったんですよね。

ブスなんて言わないで p.63

――『美人が婚活してみたら』(小学館クリエイティブ)でも、主人公のタカコが美人であるがゆえに誤解されやすい苦悩が描かれていました。美人はトクと考えられがちだけど、一概にそうとはいえない、というところも、前々から気になっていたテーマのひとつなんでしょうか。

アラ子 ああ、確かに、そういう部分はあるかもしれませんね。タカコのモデルになった友達からも、外見ばかりを褒められて中身を見てもらえない苦悩は聞いていたので……。ただ、一方で、アプリで知り合った人と初めて会うことになったとき、「がっかりされたらどうしよう」みたいな不安を抱くことはないんだな、というのも、わりと驚いたことではあって。ブスはまず、スタート地点で葛藤を抱くんだよ、というフラストレーションを書きたいって気持ちのほうが、あったかもしれません(笑)。だから実は、『ブスなんて言わないで』で梨花の視点を書くことには、それほどの興味はないんですよね。

――そうだったんですか!

アラ子 美しい人の苦悩をリアルに描く作品は、最近多いので、私がやらなくてもいいんじゃないかなと。ただ、ブス側だけの「つらい」を描きつらねて「きっと社会は変わるはずだ」と言ったところで、読んでいる人も疲れてしまうじゃないですか。両方の視点で描いているのがフェアで新しいと言っていただくことも多いんですけど、どちらかというと、真逆の視点を交互に描いたほうがエンタメとして楽しめる、という構成上の理由のほうが大きいんですよね。

――そうとは思えないほど、梨花の苦悩も真に迫って描かれていますよね。たとえば知子が、梨花をいじめの首謀者だったと誤解していたのも、梨花が突出して美人だったがための、憎しみ補正ですし。

アラ子 知子は私の分身みたいな子なので、苦悩も描きやすいんですけど、梨花が何を考えているかは、やっぱりなかなか思いつかないんですよ。人に「美人だからこその苦悩を教えてください」なんてなかなか聞けませんしね(笑)。読んでいる人も、多かれ少なかれ美に対するコンプレックスを抱いているだろうから、知子に感情移入しやすいはず。どうすれば梨花に寄り添ってもらえるだろう? と考えたとき、人から向けられる好意の気持ち悪さ、は共感しやすいんじゃないかなと思いました。梨花ほどの美人でなくても、恋愛対象ではない人に、好ましくない形で好意を向けられた経験のある女性は少なくないだろうな、と。

――実際、知子も、梨花が執拗にストーキングされていることを知って、少し感情に変化が起きますもんね。

アラ子 それでも、自虐する人の気持ちがわからない、という梨花のセリフに「わからないってすごいよね」と読者の方がおっしゃっていたこともありましたが、共感しづらいキャラクターではあると思うんです。そのセリフについては、梨花ならそうだろうな、とあまり考えずに書いたものではあったんですが……。もう少し、彼女の描き方は工夫していきたいですね。

――あまりにネガティブな感情は、ふだん表に出せないぶん、知子がかわりに吐き出してくれることで、すっきりするみたいなところもあるんですよね。

アラ子 そうですね。ただ、それもまた難しさを感じてはいて。たとえば知子が、〈プラスサイズモデルって太ってるだけでただの美人ですよね!?〉と梨花にぶつけて喧嘩する場面があるんですけど、モデルというのはそもそも美人ばかりなので、プラスサイズだからどうって話ではない気がするんですよ。でも……読者の方々の反応を見ていると、ときどき、現代のポリコレに対するカウンター的な役割を、知子や物語に求められているように感じることがあって。私はプラスサイズモデルを否定したいわけじゃないし、多様性に反旗を翻したいわけでもない。ただ、たとえば「ブス」という言葉や自虐芸みたいなものを表面的に排除したところで、それが何かの解決になるのだろうか、と疑問を投げかけたいだけ。この先、プラスサイズモデル自身の話もしっかり描かなきゃなと思っているんですが、なかなかそこにたどり着けていない、という状況です。

ブスなんて言わないで

ブスなんて言わないで

――そこに、「どんな思いで彼女たちが活動しているか」と怒る梨花のパートが入ることで、ただのカウンター的な作品にはならないすごさがあるように思います。

アラ子 だといいんですけれど、作品のなかに正解を求めてしまう人はけっこう多いんだな、というのも感じているところで。自分の価値観と合致するものを見つけたとき「そうだよね、それが正しいんだよね」と勢い込んでしまう。でも、マンガに限らず、共感を探すためだけのエンターテインメントって、おもしろくないんじゃないかなと私は思うんですよね。だからできるだけ、自分の正解を強化するために読んでいる人たちの心を、どうすれば違う方向に動かすことができるのかを、意識して描いてはいます。

――ご自身で、描けてよかったと思うエピソードはありますか?

アラ子 2話で知子が〈「この世にブスなんて存在しない」ってなんだよ 都合悪いからって勝手に抹消すんなよ〉って叫ぶ場面があるんですけど、ブスという言葉をなくすことって必要なんだろうか、というのは疑問に思っていることなので、そのあたりの描写は気に入っていますね。私だって、今、ブスをネタにした笑いに乗れるかといえば笑えないんですが、ブスは存在しないとか、自虐をしてはいけないとか、差別されている側を変えようとする風潮には、違和感を覚えるんですよね。

――作中でも、容姿の自虐ネタで笑いをとってきた元芸人の女性が、それを奪われたことで生き方を見失ったエピソードがありました。

アラ子 ルッキズムが俎上に載ると、まっさきに女芸人の自虐ネタについて語られがちですが、それじたいがすでに差別構造に従ったもののような気がします。美しさというのは権力だと思うので、権力がない人の言動を最初に変えようとするのは、違うんじゃないかと。お笑いも変わっていかなきゃいけない。ブスを揶揄する風潮もなくなったほうがいい。でも、ブスや自虐を抹消する以外で、やれることはないのか。私たちはどうしなくちゃいけないのか。みんなで考えなきゃいけないと思っています。

――そんな知子と梨花の物語が進むかたわら、小坂さんという男性も重要な役割を担っていきますね。イケメンだけど、低身長ゆえにミソジニーをこじらせている。

アラ子 反ルッキズムを唱えている知子だって、なんだかんだイケメンには惹かれるだろう、というエピソードを描くために登場させたキャラクターなんです。いい人にしちゃうと、知子が中身に惚れたのか外見に惚れたのかわからなくなっちゃうから、ちょっといやな奴に(笑)。で、「この人にも何かコンプレックスがあったほうがいいんじゃないか?」と考えて、低身長という設定にしました。低身長というのは、男性にとって、“ハゲ”とか“デブ”とかとはまた違う、根深いコンプレックスがあるものだな、と感じていたので。

――知子との関係が思わぬ方向に進展していったので、ドキドキしながら読んでいます。

アラ子 それも流れで結果的に、ではあるんですけど、前々から、少女マンガに出てくる男性が天然でいい人ばかりなのが気になっていたんです。ブスだったり太っていたり、外見に難がある主人公がつきあえるのは、そんなことをはなから気にしていないという男性ばかり、ということにちょっとがっかりしていたんですよね。だから、普通にミソジニーを抱えてはいるし、知子のことをブスだと認識はしているけれど、恋愛に発展していく男性というのも描いてみたいなと今は思っています。

ブスなんて言わないで

――小坂さんが〈どんなに自分で自分のこと好きになっても他人から好かれなきゃ意味ねーよな〉というセリフもずしんときました。

アラ子 そのセリフは誰かに言わせたいと思っていたんですよ。「ボディポジティブ」とか「自分モテ」みたいな考え方ももちろん大事だとは思うけど、自分に自信はあるのに世の中に評価されなくて苦しんでいる人もいるよな、と思うので。たとえば私、自分の顔が大好きなんですよ。世間的に評価されないからブスだという認識をもつし、なんでだよって怒りを抱えたりするだけで、私自身が変わりたいわけではない。小坂も同じだと思うんです。彼は自分のことが好きだし、他人からジャッジされて貶められない限り、日常生活で、自分の背が低いことを気にする瞬間は、ほとんどないんじゃないかな。そういう人に「誰に評価されなくても自分に自信をもちましょう」と言っても、何も解決しないということをどこかで描きたかったんです。

――さきほどおっしゃってた「なぜ差別される側が変わらなきゃいけないんだ」に通じる話でもありますね。一方で、どんなに容姿が恵まれていても評価されずに自信をもてない人もいますし……。

アラ子 明らかにブスじゃない人が、ブスの当事者として語ることってあるじゃないですか。それは問題だなと思います。そこそこの容姿の人が口をそろえて「自分はブスだから」って言い始めると、本当につらい思いをしている知子みたいな人が声を上げられなくなってしまう可能性がある。さきほども言ったとおり、美しさは権力だと思っているので、権力をもつ人間が、ない人間を装って発言することほど、最悪なことはありませんから。私も、どうしてもブスサイドで語りたくなってしまうんですが、知子ほど追い詰められているかといえばそうではないし、気を付けるようにしています。そういう意味で、やっぱり自虐はよくないんですよね。安易に、当事者の顔をしてはいけない。ただ、そこそこの容姿なのに「自分は知子並みのブスだ」と思い込んでいる女性もいるので、難しいです。

――一言でルッキズムと言っても、さまざまな問題が内包されているということを、本作では丁寧に描かれていますが、今後、描きたいエピソードはありますか?

アラ子 美容メディアを舞台にしているので、美の裏側には巨大な資本があるということは描いていきたいですね。タイアップ広告の是非、みたいなものもちらりと描き始めてはいますが、一時期ステマが問題視されていたように、美容業界と広告業界は密に結びついていて、その間には大きなお金が流れている。つまり、誰かが利益を得るための動きに、私たちは踊らされているという側面もあるんです。だから化粧をするなということではないですが、資本主義とルッキズムという切っても切れない関係についてはいずれ、と思っています。あと、雇用とルッキズムの関係も。

――知子が非正規なのもリアル、と読者コメントも寄せられていましたね。

アラ子 容姿が優れているほうが年収も高い、という調査結果は実際に出ていますし、知子ほどブスで、突出した才能があるわけでもない女性が正社員になるのは、実際、なかなか難しいんじゃないかと思うんですよね。この作品を描くまで、ルッキズムやジェンダーの問題については知らないことのほうが多かったんですけど、最近はいろいろ本を読むようにしていて。井上章一さんの『美人論』という本がおもしろかったのですが、読むと、90年代から、基本的に人の価値観は変わっていないのがわかるんです。「自分に自信をもちましょう」とか、今と同じことを言っているし(笑)。「モテ」や「愛され」の他人軸は消えつつあるかわりに、「自分モテ」や「推しに会うために」みたいな文句で、けっきょく、きれいにさせようとしている。そういう違和感を、なるべくおそれずに描いていきたいですね。「これは言っちゃいけないんじゃないか」という雰囲気を壊していくのが、私の役目かなとも思うので。

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