人気連載が1年間限定で復活!令和版・解体全書 第1回:西 加奈子

小説・エッセイ

公開日:2023/5/1

 過去本誌で連載をしていた「解体全書」が、創刊30年に際し1年間限定で復活。第一線で活躍する作家の方々がどのように〝作家〞となっていったのか、これまでの人生や、触れてきた作品、書くことと生きることのかかわりあいなどについてひもといていく。記念すべき第1回は、4月18日に自身初のノンフィクション小説を上梓した西 加奈子さんにお話をうかがった。

※本記事は、雑誌『ダ・ヴィンチ』2023年6月号からの転載になります。

取材・文:吉田大助

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どれだけ読んだ本に自分が助けられたかという話でもあるんです

 2004年に『あおい』でデビューし、15年に『サラバ!』で直木賞を受賞した西加奈子がこの春、初のノンフィクション『くもをさがす』を発表した。題材は、自身が患うことになった乳がんだ。小説ではないんだ、きっと闘病記なんだ——本の中では〝闘病〞という言葉への違和感が表明されている——という印象で、読むことを躊躇してしまう人がいるなら誤解を解いておきたい。本作は、21年刊の長編小説『夜が明ける』以来となる、西加奈子文学の〝最新作〞だ。

『くもをさがす』1540円(税込)

 西は家族と長期滞在していたカナダでの治療と手術を終え、体調も安定し日常が戻ってきた2022年の秋、家族や身近な友人以外は誰にも告げずに書き続けていた『くもをさがす』の原稿を、『文藝』編集長の坂上陽子に送った。

「この文章自体は、初めは本にするうんぬんとか全くなく、ただ自分のためだけに書いていたものでした。坂上さんはウソをつかない人だし、同世代の女性だし、彼女が読んでどう思うか知りたかったんですよね。そうしたら、すぐに熱い感想をメールでくださったので、本にしてもいいのかな、と……」

「がんになる前から、坂上さんがものすごい量の本をカナダまで送ってくれたんです。それがことごとく自分のハートを射るものばかりで、本当に救われたんですよね。この本はがんの治療の話ではあるし、カナダの話でもあるけど、どれだけ読んだ本に自分が助けられたかという話でもあるんです」

 その言葉通り、『くもをさがす』には国内外のフィクションやノンフィクションのタイトルが多数登場し、本から引いてきた文章が掲載されている。日本から送られてきた本の他にも、治療中に読んでいた本はことごとく、その瞬間の自分にフィットする感覚があったそうだ。

「小説の読者として培ってきた長年の勘もあると思うし、がんの治療中で自分なりに命のふちを見ていた状況だったので、感性がぎんぎんになっていたんですよね。これは絶対面白いなとか今の自分にとって必要な本だなって、読む前からわかったんです。“あれ? 私のこの状況のことを書いている小説あったよね”と、だいぶ昔に出合っていた本を読み返すこともありました。具体的にどう思ったかという記述はあえて抑えているんですが、自分の状況にどれだけ寄り添う文章があったか、本にどれだけ支えられ、救われたか。目の前に空腹な人がいたら、本はもちろん食べ物にはかなわない。でも、様々な危機にある命の中には、本や芸術が救うものもある。だから、芸術は絶対にこの世界に必要なんです」

 本があって、良かった。

「本当にそう思います。ただ、作者自身に力があるわけではない。私自身、作者として自分の本の読者の方とお会いする時に、“あっ、こういう感想もあるんだ”とびっくりすることがよくあるんですよね。その本の中から何を受け取るかは、圧倒的に読者に委ねられている。自分が求めている言葉と出合えたとしたら、それは作者の力ではなくて、読者の力なんです」

小説って、作家よりもちょっと〝早い〞と思っているんです

 デビュー作『あおい』(併録作「サムのこと」)に始まり、第2作にしてベストセラーとなった『さくら』(05年)、『こうふく みどりの』(08年)、『きりこについて』(09年)、『漁港の肉子ちゃん』(11年)、『i』(16年)など、西加奈子の作品は登場キャラクターの名前をタイトルに付けていることが多い。その他の作品においても西は、自身とは異なる容姿やセクシュアリティ、家庭環境や独特な価値観を持った主人公たちの人生を実直に見つめ続け、その人が暗闇の中に光を、自分の中に美しさを見出すさまを出現させてきた。自身の作品の特徴を、本人は端的にこう表現する。「ハッピーエンド」。

「私たちが若い頃はハッピーなこと、美しいことを言うやつはウソつきだ、偽善者だ、みたいな価値観があったと思うんです。露悪的、残酷なことを言うと、それが真実だ、その人は正直だ、というような。でも、世界が美しいと感じてそれを表明することも、正直な気持ちからだったんです。私は性善説を信じたいし、希望を書きたい、光を見つけたいと思いながら書いてきたつもりです」

 ただ、信念が揺らぐこともあったという。現実の社会そのものがあまりにもディストピアになっている。そんな中で、ハッピーエンドって意味を持つのか。その状態から回復するきっかけとなったのは、『くもをさがす』を執筆したことだった。

「今まで私は小説の中で〝生きていることは奇跡〞ということを書いてきたつもりですが、がんの治療をしながら本当にそう思ったんですよね。生きてるだけですごい。生まれてきたことを一旦は祝福したいし、生きている全ての生を尊重すべきだと思いました。その時に自分が小説で書いてきたことの、答え合わせが出来たような気がしました。これからも自分が信じるものを思いっきり書いていけばいいんだって、勇気をもらえたんですよね」

 そこからドミノ倒しのように、自分が書いてきた作品についての理解が深まっていった。

「例えば乳房がない、乳首がない、卵巣がない、子宮がない。じゃあ、おまえは女性じゃないって誰かに言われる筋合いは全くない。自分の体のことをどんなふうに思うかなんて人に相談する必要はないし、ましてや人から承認をもらう必要なんてない。自分がどうありたいかは自分で決めるんだってことを今まで小説で書いてきたつもりだったけど、実際に自分の身にそういう問いを突き付けられるような状況が起こった時に改めて確信しました」

 西は自分を救うような思考や言葉を、すでに十分に、自分の小説の中で書いてきたのだ。

「小説って、作家よりもちょっと〝早い〞と思っているんです。自分がその時考えたことが反映されているはずなんだけど、そこですでに書いていたことに、後から自分が追いついていくような感覚があるんですよね」

『夜が明ける』2035円(税込)

その言葉を聞きながら、『くもをさがす』の1冊前の作品である、長編『夜が明ける』(21年)のことを思い出した。この小説は、かつてないほど闇を深くしたからこそ、主人公の人生に差すほのかな明かりが強烈なものとして感じられるラストシーンになっていた。闇夜を抜けるために、主人公がしたことは何だったか。「助けて」と周囲に言うことだった。『くもをさがす』の中でも、周囲に「助けて」と言う、言えることの大切さが綴られていた。まるで小説を書くことで、のちの人生の予行練習をしていたかのようだ。

「それ、私も思いました。自分では結構言っているほうだなって感覚があったんですけど、それでもやっぱりどこかに自負があって、突っ張っていた。でも、そんなものが全く成り立たない状況になった時に、自分ってこんなに弱いんだ、何者でもないんだって……あんなみじめさと清々しさはなかった。あの時期に『助けて』って人にいっぱい言えたことは、これからの人生を過ごしていくうえでとても大切な経験でした」

 作家として、自己自身としてのイニシエーションを経た西加奈子が、これからどんな小説を書いていくことになるのか——

 誌面では1万字ロングインタビューに加え、本人が選んだ「初心者向けの1冊」と「自身が思う代表作」、そして好きなもののリストで半生を振り返る「好きの履歴書」など、ミニコーナーも充実。作家生活19年目を迎えた西加奈子の全体像を、本誌にてぜひ確認してほしい。

にし・かなこ●1977年、イランのテヘラン生まれ。エジプトのカイロ、大阪で育つ。2004年に『あおい』でデビューし、翌年発表した『さくら』がベストセラーに。07年『通天閣』で織田作之助賞、13年『ふくわらい』で河合隼雄物語賞、15年『サラバ!』で第152回直木三十五賞を受賞。その他の作品に『きいろいゾウ』『うつくしい人』『きりこについて』『漁港の肉子ちゃん』『ふる』など多数。

写真:種子貴之