村上龍 Interview Long Version 2004年1月号

インタビューロングバージョン

更新日:2013/8/19

■まったく新しい職業ガイダンスブック

『13歳のハローワーク』は、500以上の仕事の内容や仕事の現状を解説する子供のための職業紹介絵本だ。本書を手に取ると、まず膨大な情報量に驚かされる。平易で正確な叙述も強く印象に残る。この本の構想の出発点には、作家村上龍のどのような思いがあったのだろうか。

「たとえば“フリーターの問題”というと、200万とか300万とかいわれるフリーター全体をマスとして考えるわけですね。そのこと自体にずっと疑問がありました。
 フリーターが働く動機は一人ひとり違うはずです。フリーター300万人を、フリーターと括ってそこでソリューションを考える方法が果たして有効なのか?ということですね。『希望の国のエクソダス』を書いた後、教育問題を討論する番組に出演したのですが、中学生をどうするかとか、これからの教育をどうするかとか、子供をマスでとらえて議論する仕方に違和感を覚えました。日本の子供をどうするのかというようなマクロな視点での議論を、トップダウンで現場に下ろすというような方法には限界があると思います。なぜならフリーターであろうが13歳の中学生であろうが、格差を伴って多様化しているからです。そうしたことは、日本のあらゆる局面にいえることです。この本はマスに語りかけるものではなく、本を買った個人に向かって書かれたものなんです。
 これまで刊行された職業紹介本とはパラダイムが違うので、この本について説明するのは難しいんです。指示とか命令とか勧誘はいっさいしていません。ここにある数百の職業の中から選びなさい、という言い方もしていません。いまこの分野のこの職業はこうなっているという現実を示しただけです。現状はこうなっているから、これを読んだ人が自己決定してくださいというアプローチです」

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 本書の職業ガイダンスブックとしての新しさは、情報を提示する方法論の斬新さに尽きる。まだほとんど知られていない職業を含め、既存の職業ガイドには掲載されていないような職業まで網羅されている。取材やリサーチはスタッフの手によってなされたが、作業は困難を極めた。

「職業を紹介するのがこんなに大変なことだとは思いませんでした。理由はたくさんありますが、最初に突き当たったのは資格と職業が混同されている現状です。社会には無数に資格があります。いま資格はビジネスになっています。資格の多くは国や自治体や法人や職業団体が管理していますが、乱発されていてコントロールが利かない状態です。特に新しくできた職業に多いのですが、資格なのか職業なのか、どの程度職業として認められているのかわからないものが多い。この職業で生活している人はいるのかという情報を掴むのが大変だったですね」

 仕事内容、特徴、必要な技術や資質、資格の必要性の有無、競争率など、職種・職業別にさまざまなデータが数十行に圧縮して提示されている。

「ひとつひとつの職業は違いますから、同じフォーマットで書けないんですね。たとえば長距離トラックの運転手の場合、どんな仕事かはだいたいイメージできます。そういう職業の場合には、仕事の内容は最低限に止め、どうやったらなれるかとか、どういう人が向いているかという記述に情報の重きを置くやり方をしました。アパレルのマーチャンダイザーというような仕事は、まず内容がわからないわけです。仕事内容が一般的でない職業については、どんな仕事か説明する部分にファーストプライオリティがあるわけです。一つひとつの仕事の伝えるべき情報のプライオリティは異なるので、そうしたことも考慮に入れています。
 職業として仕事を見ていくと、たとえば実際に農業をやりたいと思った人が農業を見る場合、働く場所によって農業の形態が異なってくるというがあります。効率的な農業経営を行い、オーガニックに近い生産物を作って付加価値を付け、ネットを通して高い値段で売って利益を上げている場所もあるし、いっぽうで瀕死の状態の農村もあるわけです。農業を職業として考えたら、どちらに進めばいいか明白だと思います。農業という職種の中にすでに格差があるんです」

■「自分の好きなこと」から入って、それを生かせる職業を紹介する

 入り口は職業ではなく、好奇心。読者は自分が好きなものから、どのような職業があるのかを確認する構成になっている。たとえば、「乗り物が好き」ならば、パイロットや自動車整備工などといった選択肢が提示されている。また職業だけではなく、「働く」ということ自体に関する考察やバイオやITなどの新しいビジネスの将来を探る文章もある。

「去年の今ごろからスタートした企画なんですが、子供のための職業紹介本にふさわしいアクセス方法を考えました。子供はいきなりどの職業が自分に向いているかわからないですよね。子供たちが日常で触れていることを入り口にして、その向こうにツリー状に職業が広がっているという目次のアイデアは、最初からありました」

 この本を読んでまず感じるのは、社会にこれほど多くの職業があったのかという事実だ。職業の多様性は、同時に世界そのものの多様性と複雑性を指し示している。職業=世界の多様性に触れることで、読者は世界の広さを実感し、そのことによって自由になれる。リラックスして将来について考えることができる。本書を通して、そのような解放感を得る読者は多いはずだ。

「いろいろな人に見せると、こういう本にもっと早く出会いたかったという感想を多くもらいます。
 大人が情報をもっていれば子供はそれを受け継いでいくわけですが、これまでこの本に書かれているような情報は必要なかったんです。いい会社に入ればいいわけだから、世の中にどんな仕事があるか知る必要はなかったわけです。それは怠慢ということではなくて、単に必要なかったんです。
 先ほどのNHKの教育番組に話が戻りますが、スタジオには教師と親と識者と呼ばれる人たちが集まっていて、その中でみんなで日本の教育をどうすればいいかという話をしているわけですね。いじめに遭った子をもつ親や自分の受けもつクラスが陥っている状況に困惑する学校の先生が、何とかしてほしいと訴えるわけです。その時スタジオで彼らの話を聞いていて、親だったらなぜ自分の子を守らないのだろう、教師だったらなぜ自分のクラスの子供たち何とかしないんだろうと思ったんです。そして、僕は何でこんな場所にいるんだろうと思いました。自分の子供が自立して生きることができ、自分の受けもちのクラスが崩壊しない状態になればいいわけで、何でこの人たちは日本の教育というようなマスの問題について話しているんだろうと疑問に思いました。結局、自分の子供をどうするかとか、自分のクラスをどうするかわからないんですよ。個別に対処することができないんです。

 それで個別に対処することとはどういうことだろうかと考えた。この本は僕にとっての答えの一つです」

 年功序列と終身雇用のシステムが崩壊し、いい学校に行っていい会社や官庁に入れば安心という時代は終わった。ではそうした価値観の次に来るべきものとは。村上さんは「はじめに」の中で、自分の好きな仕事、自分に本当に向いている仕事で糧を得ることの重要性を強調する。

「いまの社会が変化していることは、子供も何となくわかっているんですよ。有名な会社でリストラがあったという話を聞くと、子供はNECやSONYに入ってもリストラされるかもしれないと思うわけです。でも親や教師は、いい学校に行っていい会社に就職しなさいと言い続けるわけです。子供たちは大人たちの言葉に混乱すると思います。子供たちの疑問に対するアナウンスメントはまったくないわけですから。一流といわれている企業や金融機関に入っても、合併するかもしれない、外資系に買われるかもしれない、国有化されてなくなってしまうかもしれない。それらは現実に起こっていることです。それなのに大人は相変わらず、いい学校に行っていい会社に入りなさいといい続けているんです。
 そういう事実を誰も伝えない。いい学校に行っていい会社に入ることがパラダイムになっていて社会の隅々までフラクタルに浸透しているから、それ以外の生き方がわからないんです」

 つまりはパラダイムに縛られ、それ以外の指針が見いだせず、伝えるべき言葉をもっていない大人たちに問題があるのだろうか。

「もちろん言葉もないんですけれど、どうすればいいかというヴィジョンを誰ももっていないわけです。

 たとえば資格について考えるときに、ほとんどのメディアはこれからはどんな資格が有利かという文脈の建て方をします。会社に勤めながら専門学校や夜間の大学院に通って資格をとった人を成功事例として紹介して、これからはどんな資格が有利になるのか将来的な見通しを元に誌面を組んでいくわけです。どこにでもありそうな企画だけれど、このアプローチは最初から間違っています。これから有利な資格なんてないんです。医師免許をもっていても、公認会計士の免許をもっていても、競争に晒されるわけですから。
 これからどういう資格が有利かということではなく、あなたは何がしたいのかということが大事なんです。その人がやりたいことの延長に、必要な資格は存在するんです。どんな資格が有利かという考え方は、どの会社に入ったら有利なのかという考え方と構造的にまったく変わりません。そのくらい、終身雇用によって培われてきた、いい学校、いい会社のパラダイムは強固なんです。そこを取り払って現実を見るのは大変な作業です」

■ 多様化する日本社会の職業を提示することで見えてくるもの

 本書のタイトルには「13歳」という言葉が象徴的に使われているが、大人が読んでも多くの情報を得ることができる本だ。職業を通して見た近・現代史とも、社会システム論とも、産業構造論とも、ビジネス論とも読める。職業や社会に対する考え方のパラダイムを提唱する思想書としても優れている。定義の不可能性こそに、本書のコンテンツの独自性と可能性は胚胎している。

「定義できないですし、どういう本なのか説明するのは難しい。なぜ難しいかというと、メディアとか社会とか一人ひとりの考え方の中に、終身雇用が崩壊した後どんな資格が有利だろうという考え方があるからです。社会がそういう考え方に規定されているから、この本を説明できないんです。個人が自分に向いた仕事に就くのがあたりまえだというコンセンサスがある社会だったら、簡単に説明できるんです。
 職業の選択に失敗したなと感じている50歳の人が、この本を読むとつらいはずです。50になると残された時間は少ない。13歳には時間がたくさんあります。そういった意味で、残酷な本ではあるんです。20歳でも遅いかもしれない。30歳だともっとつらくなっていくわけです」

 本文はB5版の大きさに横組みで組まれ、全体として450ページを超える大部の本だ。関心系に即した商業紹介のほかに、起業やNPOの現状、ITや環境やバイオなど新しく生まれたビジネスに関しては業界の現況が簡潔かつ明快にまとめられ、さらにはエッセイやインタビューなど多様なコンテンツが組まれている。エッセイ部分だけで350枚。それだけで一冊の本にまとまってしまう分量だ。
 そうした膨大な情報の束から見えてくるのは、日本が社会的、経済的、文化的、政治的に大きな過渡期にあるということだ。

「過渡期という言葉がよく使われます。たとえばいまの日本の農業は過渡期にあるというような言い方をされますが、その場合、過渡期を過ぎると全体がよくなるとか悪くなるというようなイメージしかもたれないんです。それは景気という言葉にいちばんよく表されていると思います。これから景気がよくなりますというと、全体がよくなるイメージでとらえられることが多い。外資系のトップのファンドマネージャーからタクシーの運転手を含むすべての職種、地方も都市部もすべて同時にハッピーになるというふうに理解されますが、どう考えてもそういうことはありえないわけです。
 いま景気が上向いているというのも、リストラにリストラを重ねた製造業の業績が上がってきて、輸出が好調で、株が上がっている状態を指していっているにすぎません。本当に景気が良くなるためにはだめな企業はつぶれなければならないわけだから、全体がハッピーということはありえないんです。過渡期という言葉には、そういったパラダイムが変わるという意味が含まれています。過渡期が過ぎて事態が好転したといっても、そこにあるのは格差のある多様化した社会です。だから何とかしなさいとはこの本ではいっていません。こういうことになっているんですよ、という事実のみを書いたわけです」

■「好きなこと」を探すのも、実は難しい

 興味や関心のある分野を発見し、自分の適性に適ったジャンルを具体的な仕事に結びつけていく作業はたやすくはない、と村上さんはいう。しかしそれゆえに、個人が仕事の充実感とそれに伴う報酬を得るために、「好きなこと」を仕事に結びつけていく作業は重要であるといえる。

「引きこもりの青年を主人公にした『共生虫』という作品を書きましたが、あの作品は主人公が近代化を終えた日本の中で自分を見失い引きこもりになって、何らかの象徴である山の中に入っていき、過去の負の遺産であるイペリットを見つけて、社会に復讐を果たすという文脈で読まれたわけですが、『13歳のハローワーク』の視点から分析すると、主人公は好きなことがなく何もすることがなかったいうことだけなのかもしれません。することがない人は、ろくなことを考えないんですよ。
 少年犯罪が多発していますが、少年たちが精神的に駄目になったのではなくて、彼らは何をしていいのかわからなくなっているということなのだと思います。犯罪に走る少年の中にはエネルギーのある子もいるから、好きな分野さえ見つけられれば、そこに集中するかもしれません。僕だって小説を書いてなければ、何をしているかわからないですよ。
 時間だけはある、エネルギーもある、何をしていいかわからない。これがいちばんの問題だと思います。若い人だけじゃなくて、政府も官僚も政治家も大人も、目の前の事態をどうしていいかわからないわけです。何をすべきか把握している人は、どこに行っても成功するんです。そういう人は少数だけど増えています。
 その意味で終身雇用の崩壊は、日本人の精神性に関わる大問題だと考えています。それが崩壊したということは、何をしていいかわからない人が大量に増えるということですから。
 本当に好きなことって面倒くさかったりするんです。いまの僕の頭の中は、次の書き下ろし小説のことでいっぱいです。僕にとって小説を書くことはすごく面倒くさいことで、できればやらずに済ませたい仕事です。なぜかというと100パーセント集中しなければならないし、始終そのことについて考えていなければならないからです。自分に向いていることは間違いありませんが、小説を書くのが好きなのかと聞かれると、好きというふうにいわれてもなあ、という部分はあります。そういう人は多いと思います。好きの中にも、ないよりもましなものから、それを取られると死んでしまうというようなものまでいろいろあるわけです。だから好きなことを探しなさいというのは、すごく難しいことなんです」