愛嬌たっぷりの光秀が戦国をゆく 満を持して放った初の歴史小説

新刊著者インタビュー

更新日:2013/12/4

鋳型の中で悩む光秀は現代人とどこか似ている

 物語は、足利政権が終焉に向かう1560年の春から始まる。主家を失い、寄る辺のない光秀は、居候させてもらっている細川藤孝に近侍し、足利家再興に奔走していた。衣食にも事欠く貧窮ぶり、かつては肩を並べていた幕臣たちの手のひらを返したような態度の中でも、一族の再起を図ろうと、生真面目に働く姿が映し出される。

「光秀って非常にモダンな人なんですよ。戦国武者って豪放磊落で、側室を何人も抱えてってイメージがあるけど、彼は生涯、妻ひとりを大切にしたらしいし、良くも悪くも小心者。常に人から見られる目を気にしていて、そのくせ、自意識だけは人一倍ある」

「それをボコンボコンにして、泣く目に合わせてやろうと思って(笑)」という言葉のままに、歯に衣着せぬ物言いと何事にも縛られぬ自由な、それがゆえに芯を突いてくる思考で、光秀の自意識をけちょんけちょんにする愚息と新九郎。思わず、クスッとしてしまう3人のやりとりは、コミカルで、激しく、なおかつあったかい。そして2人によって、情けなさ全開になった光秀の心情は、いつしかこちら側にも寄り添ってくるのだ。

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「後に信長に取り立てられる所以のひとつにもなった室町風の典礼故実にも優れていたことなど、光秀は、戦国の武将にしては非常に教養があった。それがあるということは、人格が加不足なくまとまっていくという方向性を必然的に歩む。それは社会生活に適合するよう、教育で鋳型に嵌められてきた現代人と非常に通じるところがあります」

 いくら立身出世のためとはいえ、秀吉のように、なりふりかまわぬ行動はとれず、細川藤孝のように、良くも悪くもばっさりと人を見切ることもできない。型の中にちんまりと収まって、悶々と何者にもなれぬ自分にため息をつく、その心の内にストーリーが迫っていくとともに、光秀の情けなさは共感に姿を変えていく。愚息にバカ者よばわりされながらも、気持ち良いほどに成長を遂げていく新九郎の姿に感服しつつも、焦りと哀しみを感じるところも。

「新九郎ははじめ、剣の腕が立つだけの愚か者で、愚息からも“考えろ!”って、言われ続けているんだけど、ちゃんと考えることで、だんだんわかっていくんです。“俺は自分のやりたいことを通じてしか賢くなれないんだ”って。そこから彼は変わっていく。そして、その変化を目の当たりにした光秀も変わっていく。そういう意味で、本作は青春小説とも言えますね」

 本作は光秀が見る様々な人々を通し、生き方の定理─行動原理の礎となるものを炙り出していく。そこで光秀が抽出するのが“賢さ”。人の賢さとは何なのか。物語は読み手にもその問いを投げかけてくる。

「それを追求していったのは僕自身の志向です。自分が、たいした頭じゃないな、賢くなりたいなと思うことがけっこうあって。見た目は年齢を重ねればどうしても変わっていくし、社会的な地位だって、その時の状況に左右されるけど、内面はけっして自分を裏切らないから。そういう賢さのようなものが、残るような生き方をしたいなって」

 あふれるごとくの見識、智慧とともに、負の場面になればなるほど、傍目には愛嬌丸出しとなる好人物として、光秀はおろか妻の煕子をも惹きつけてしまう愚息は、垣根さんの語るそんな賢さを体現しているよう。

「彼のキャラクターや言葉は、仏典のある傾向をとりました。仏典通りのことを書くと非常に中庸になってしまうので、極端な解釈の原始仏典の方から持ってきているという感じですね」

 時代の波に押し出されるように、次第に頭角を現し、やがて信長に破格の待遇で召し抱えられる光秀。時に親身に相談に乗り、危険な密命も共にしてくれる愚息の賢さと新九郎の真っ直ぐさを味方に、出世の道を駆けあがっていく。

 が、その間もずっと、愚息から提示されたある謎解きに頭を悩ませている。そして、それは一世一代の舞台で対峙する難問へとつながっていくことになる。

自分が変わらなくても
世の中は変わっていく

 伏せられた四つの椀がある。そのひとつに相手が銭を賭ける。残ったうちの空の二つを開ける。これで伏せたままの椀は二つ。そこで再度、相手に選択肢が与えられる――愚息が辻で行っている博打。回数を重ねるうちに圧倒的に愚息が勝っていく。確率は2つにひとつのはずなのに。冒頭から光秀を悩ませる、そこに存在する理。それは物語の進行とともに、物の考え方、人の生き方にも絡まっていく。

「この謎解きを思いついたのは、『ラスベガスをぶっつぶせ』っていう、ハリウッドの三流映画を観ていた時のこと。数式と理論を武器にカジノで荒稼ぎするというふれこみの話なんだけど、ある賭けの種明かしを、数学の定数変換を使い、主人公が説明しているのを聞いているうちに“これ、数式以前の問題だろう。常識の積み重ねでわかるよ”って腹が立ってきて。自分でいろいろとやってみたんです」

 天下布武の闘いの初手・六角氏攻めに加わり、難敵・長光寺城を落とすことを信長に命じられた光秀が遭遇したのは、山城に至る4つの道。そのうち3つに伏兵は潜む。2つの道はすでに見極めた。残る2つの内の無人の道を選ぶことができれば、城は一気に攻め落とすことができる。いまだ四つの椀の理が解けない光秀がとった選択とは。

「この物語を通して、言いたかったのは、“あなたが変わらなくても、世の中は変わっていくよ”ってこと。そして、自意識ないしは人格の変容が起こり、たえず精神が活性化していれば、人はいくつになっても、青春でいられるってことです」

 みずからの変容の中で得た、ある真実に気付きながらも、あえて前進した光秀の辿っていく人生はもちろん史実どおりだ。だが、ページを閉じた後に訪れるのは、暗さでも哀しみでもない、気持ちよく友を送り出したような充たされた心地。濃密で天晴れな光秀の“青春”への愛しさとともに。

取材・文=河村道子 写真=鈴木慶子

紙『光秀の定理(レンマ)』

垣根涼介 角川書店 1680円

永禄3年、京都の辻で、3人の男たちが出会った。兵法者・新九郎、謎の坊主・愚息、浪人中の明智光秀。3人の出会いは、その後の歴史の大きなうねりとなり、やがて光秀は織田信長に破格の待遇で召し抱えられる。そして迎えた天下布武の戦い。光秀にとって一族の存亡を賭けたその戦で、彼が対峙した選択は──。