お連れしましょう、長篠の地に! “今”とも重なる激動の転換点に

新刊著者インタビュー

公開日:2014/5/7

 空気を切り裂くギターの旋律。イントロはドラムとベースの一撃で加速し、うねるような躍動感のままにラストまで疾走していく。レッド・ツェッペリンの名曲「アキレス最後の戦い」。執筆はそのサウンドのなかで進められていったという。“剛腕作家”の最新作『天地雷動』は、まさにそのグルーブ感と一体化したハードロックな一作である。

伊東 潤

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いとう・じゅん●1960年、神奈川県生まれ。『国を蹴った男』で第34回吉川英治文学新人賞、『巨鯨の海』で第4回山田風太郎賞など受賞作多数。本作と3部作を成す『武田家滅亡』『北天蒼星 上杉三郎景虎血戦録』をはじめ、『峠越え』『戦国鬼譚 惨』ほか、近著に『戦史ドキュメント 実録 戦国北条記』がある。
 

「ツェッペリンは、メジャーデビュー作『武田家滅亡』を書いた時も聴いていたんです。7年を経て、その前段にあたる長篠合戦への過程を書くにあたり、あの頃の感覚を蘇らせることが自身に課したミッションでした。『巨鯨の海』、『峠越え』など、あれから様々なテイストの作品を書いてきたけれど、作家というものは進化ではなく、変化するもの、つまり元の状態にも戻れるべきものでなくてはならないと。それを開けるキーとなったのがツェッペリンでした」

 信玄死す──そのイントロから奏でられる物語は、戦国のターニングポイント・長篠合戦に向かって、ただ、ただ走っていく。そこには恋愛も、勧善懲悪の図式もない。敵に勝つ─それだけに集中する男たちのシンプルな姿があるのみだ。

「研究書はあるけど、小説として長篠合戦だけに絞って書かれたものはこれまでなかったと思うんです。そこにチャレンジするには、決戦の地に集まってくる者たちの切迫感、スリルを最大限にひき出していかなければ。歴史小説自体の根源的な弱点は、結末がわかっていること。それを克服するために必要なのは新解釈なり、演出。いかにページを繰る手を止めさせないかということを考えた時、本作では一切の余剰物を取り去ろうと。たとえば武田勝頼は戦場から心温まる書状を側室に出していたりもするんです。普通なら使いたい話だけど、そういう抒情的なものも徹底的に排除しました」

 長篠合戦での惨敗から坂道を転げ落ちるように滅んでいった戦国最強軍団・武田家。合戦の2年後から終焉までを描いた『武田家滅亡』を刊行した時、「いつかこの物語を書かなければと心に決めていた」と、伊東さん。その核にあったのは、長篠合戦勃発に至るまでの幾つもの“謎”だったという。

「鉄砲の三段打ちなどテクニカルな部分に注目が行くけれど、長篠合戦最大のポイントは、“なぜ勝頼はあれだけ不利な状況で戦闘に突入したか”というところにあると思うんです。それを自分なりの歴史解釈で解き明かしてみたかった」

 伝わっている兵の数は、織田・徳川連合軍3万8千に対し、武田軍1万5千。圧倒的な数的不利に加え、騎馬軍団を阻む馬防柵が張り巡らされた平原へと軍を進めていった勝頼。

「しかも川を渡り、退路を断ち、進攻していった。一方、必然的に勝ったと思われる織田サイドにも謎がある。当時の普及率からいうと、3千張の鉄砲を揃えるというのは非常に難しく、輸入物に頼っていたら用意できなかったと思うんです。その裏では何かが行われていたはずで」

 年月をかけて史実と向き合い、降るごとく蓄積した知識から繰り出される歴史解釈に高度な精度で融合した物語。合戦前、たやすく落とせる長篠城を攻め落とそうとしなかった勝頼、彼の側近・長坂釣閑の執拗とも言える出陣への進言、武田軍の進攻にあえぐ家康に援軍ではなく、大量の硝石(玉薬)を贈った信長、長篠合戦を境になぜか急激な出世を遂げていく秀吉─史実から落ちてくる違和感が、物語のなかでかちり、かちりと音を立てはまっていく。複数のリアルタイムが同時進行する、ハリウッドドラマ『24』のようなライブ感溢れる群像劇のなかで。

勝頼、家康、秀吉
各々の苦悩と人間ドラマ

「宗教的なまでの人格的主従関係を築いていったところが信玄の魅力」と伊東さんは言う。群像劇は、そんな父の臨終に立ち会う勝頼の視点から始まる。側室腹の彼がやっと手にした主の座。背負わされた重荷に憎悪を感じながらも父の意志を継ぎ、天下を取ろうと決意する。だが宿老たちは勝頼を認めようとしない。

「武田家は信玄でしか運転できないコックピット。そこに勝頼を座らせても運転できない。その状況を今回は強く描きました。しかも一代限りで天下を取るためのシステムで次代のことは考えていない。そこがあれだけ賢かった信玄の落とし穴だった」

 それは甲軍の副将と謳われた内藤昌秀を筆頭とする宿老たちと、彼らから“座敷武者”と蔑まれる長坂釣閑が傅役を務める勝頼側という家中の分裂にも発展していく。自身の地位を確立させるため、まずは小競り合いの続く家康を叩き潰したい勝頼だが、宿老たちは首を縦に振らない。怒り、焦り、不甲斐なさ……勝頼の苦悩を映しながら、群像劇のスポットは、信長の配下で同様の想いを抱える徳川家康にも当てられていく。

「武田と織田が睨みあう狭間にいた家康は、ある意味、敵と味方の板挟みに遭っていた。どちらからも押されて身動きがとれない。その立場にある苦しみを描きたいと思いました」

 信長から“駒”として使われる自分が生き残っていくことはできるのか。みずからの凡庸さを痛感しながら翻弄される家康の一方で、もうひとつ、光がとらえるのが、信長の手となり、足となって働く秀吉だ。信長から突き付けられたのは、武田家打倒のために3千張の新式鉄砲を調達せよ、との無理難題。

「秀吉が鉄砲を用意したことは残念ながら記録には残っていません。けれど長篠合戦のバックヤードで動いていたことなど、断片的な史実はいろいろある。秀吉のパートでは、同じ仕様の鉄砲を大量に揃える生産管理の試行錯誤と固定観念にとらわれ、あきらめてしまう思考停止の壁をなんとか切り開いていこうとする姿を描きたかった」

 次々切り替わっていく視点のなかで、秀吉の段になると、緊迫感あるストーリーに一陣の風が吹き込む。「普段はダークなイメージで書くことが多いけど、今回は、弟・秀長と一緒にほっとするようなキャラクターでとらえました」という秀吉のみならず、彼の周りに集まる堺商人・今井宗久、信長の鉄砲の師匠・橋本一巴らの、飄々と現状に風穴を穿つ痛快な姿も描かれる。

 群像劇を形成する勝頼、家康、秀吉それぞれの苦悩、駆け引き─それらが一点に集まってくる高揚感とともに、時間軸はデイリーからタイムリーに変わっていく。そして物語は「徹底的に長く描こうと思った」という長篠合戦のシーンに突入する。