かつて秋葉原には水路があった! 電気街を通じて知る“アキバ”今昔物語

アニメ部

2014/6/17


 サブカルチャーの発信地として広く認知されている秋葉原。日本各地から様々な人たちが集うのはもちろん、近年では、海外旅行者なども多く足を運ぶようになった。特に2020年の東京オリンピックを控え、秋葉原は日本における重要な“お・も・て・な・し”の地としても期待されている。

 アニメやマンガ、アイドルなどの文化に傾倒する人ならば誰もが一度は訪れる、もしくは憧れたことのあるこの街だが、いつから秋葉原は“萌え”のメッカとなったのか?
 そんな疑問を解決するために、戦前から戦後、そしてオタクの聖地へと発展を遂げた秋葉原を電気店と共に見守り続けた「秋葉原電気街振興会」の事務局長・荻野高重さんにお話を伺った。

――初めに、秋葉原という地名の由来を教えて下さい。

 諸説ありますが、明治2年の大火事で「火除地」となり、その後、地の名称がそのまま名前に使われたのが有力な説だとされています。当時、相生町から秋葉原一帯までを覆うほどの大規模な火災が発生したようなのですが、被害を受けた東京府が、火が燃え広がるのを食い止めるための空き地として定めたのがきっかけだといわれています。その後、火除けの神様である「秋葉大権現様」を静岡県からお迎えし、秋葉様のある「原(はら)っぱ」が転じて「秋葉原」と呼ばれるようになったようです。秋葉神社は台東区へ移転しているのですが、いまでも秋葉原駅構内のあるところに分祀されています。

――現在のような形となったのはいつだったのでしょうか?

 国鉄(現在のJR)の秋葉原駅が発端とされています。もともとこの地域には、明治23年に開業した貨物駅としての「秋葉原駅」があり、東北方面からの流通の要所となっていました。また、駅と川とを結ぶ名残りとしてあるのが、昭和通り口付近にある秋葉原公園です。当時は、荷物運搬のため、神田川と船溜まり(120×45m)を結ぶ掘割(地面を掘って作った水路)がありました。その後、明治45年、現在のマーチエキュート辺りに旅客駅「万世橋駅」が開業しましたが、大正12年の関東大震災で駅舎が焼失した為、同14年に旅客駅「秋葉原駅」が開業し、現在に至っています。
 

▲1928年頃の秋葉原。当時は地下鉄の「万世橋駅」が存在していた

――戦前や戦後の状況はどうだったのでしょうか?

 戦前は秋葉原に多くの電気店があり、ラジオ等の部品を日本各地に卸す会社が何社もあったようです。しかし、東京大空襲の被害を受けて焼け野原となりましたが、終戦後、続々と店を再開していきました。また、上野や新宿などのように交通の要所だったので、戦後すぐに復員した人たちが露天商として、電気部品を中心に路上で商売をしていたようです。ただ、復興にあたる都市計画の中で露天商たちが立退きを命じられたのですが、地元の有力者がGHQに掛け合って、現在の総武線沿線に屋根付きの場所を提供してもらい、従来の電気店と共に、今なお続く秋葉原の電気街の基礎になったとされています。

――そして、電気街として認知されるようになった理由はどういったものなんでしょうか?

 終戦後、日本の経済がどんどん成長していくにつれて、家電などがより強く求められるようになったのが大きな理由だと思います。戦後から高度経済成長へ進む中で、いわゆる「新・三種の神器」であるカラーテレビやクーラーを持つのがみんなの夢になった時代、より便利なものが求められていきました。その中で、秋葉原は家電製品のアンテナ地域としてメーカーに認知されていきました。多くの家電店が並び、価格や性能の比較がしやすい秋葉原で売れれば全国で売れるといわれ、ある種のテストマーケティングを期待される地域になったのも背景にはあります。
 

▲1991年に撮影された写真。電気街としてすでに盛り上がりを見せている様子が分かる

――その流れで、秋葉原電気街振興会が設立されたんですね?

 秋葉原では電気屋さんたちがそれぞれ売り出しなどをやっていたのですが、街全体を盛り上げるためにも、それぞれの店舗が繋がろうという声が上がったのがきっかけです。設立は1979年で、現在は、家電の小売店をはじめ100店舗以上が加盟しています。それぞれのお店が共同で行う「秋葉原電気街まつり」をはじめ、歩行者天国の協力や合同パトロールの参加などを通じて、行政や地域の人たちとの連携を図りつつ「安全・安心な街作り」のために活動しています。

――そして、現代の「オタクの聖地」と変化していった理由をどう捉えていますか?

 これまでの秋葉原を振り返ると、常に世の中の流れを取り込んできたように思います。家電量販店の台頭により、家電製品を買えるお店が全国で増えていくと共に、オーディオブームが来て、次にマイコン、PCが登場しました。それこそ先程も述べた、メーカーのテストマーケティングの一貫として、パソコン黎明期から最新式のものを並べて、お客さんに実際触れて頂けるようなお店が出てきたことがきっかけだったと思います。また、老舗のお店も多いため、向こう三軒両隣のように互いが他店の動向を探りあい、切磋琢磨し合っているんですね。だから、誰かが新しいもの(アニメやゲームなどのオタクグッズ等)を並べ、それが売れはじめたら、隣り合うお店も続く。それは、秋葉原という地域が持つ「時代のトレンドに敏感で、流行を作る発信源的なエネルギー」が原因となっていると思います。
 
 
▲今でこそ「オタクの聖地」となったが、家電からパソコンへの変化など、その根底には秋葉原という地域の持つ力があったようだ

――歴史的な移り変わりを辿ってきましたが、今後の秋葉原に見据えるものはありますか?

 まず、海外旅行者への配慮をよりいっそう充実させていきたいと思います。じつは現在、海外の旅行者向け(日本国以外のパスポート保持者)に「フリーWi-Fiカード」を提供しています。秋葉原の一部店舗で利用希望者へ案内しているのですが、まだまだ認知されていないのが現状なので、もっと広く知れ渡るよう努めていきたいです。そして、振興会ホームページ(下記参照)の充実もさせていきたいですね。また、秋葉原へお越し頂くみなさんがより快適に過ごしていただけるよう、休憩ができるベンチの設置やゴミ箱の拡充など、行政への働きかけを通じて、より楽しくて快適な街作りを実現していきたいと考えています。

――最後に、荻野さんにとっての「秋葉原」とは?

 「トレジャー・アイランド(宝島)」ですね。人びとを惹きつける求心力がこの街にはあると思います。いろいろなお店が集まり、いろいろな人が集まる。今後も街は変化していくと思いますが、時代に合わせてみなさんに楽しんでもらえるものを残せるよう、街全体を上げて盛り上げていきたいと考えています。

――貴重なお時間を頂きまして、ありがとうございました。

 古くは大火事で焼け野原となったものの、戦前や戦後を経て、電気街からオタクの聖地へと変貌していった秋葉原。インタビュー中、荻野さんは「上を見上げれば楽しい街」と語っていたが、その背景には、常に時代の変化へ対応してきたという地域の柔軟な対応力と、売れるものなら何でも並べるという露天商時代から脈々と受け継がれた商売人たちの魂が、結果的に最新の魅力ある製品やサービス、情報が集う街となったことが興味深い。

 今後も時代やトレンドは移り変わっていくが、この商売人たちのサービス精神が消えない限り、秋葉原からまた、新たなブームが巻き起こるだろう。

 尚、秋葉原では街をキレイにするための清掃活動「AkibaSmileプロジェクト」を行っている。清掃用具も貸し出されるため、秋葉原を愛してやまない人たちは下記サイトをチェックの上、ぜひとも参加してみよう!

・Akiba-i〜秋葉原のポータルサイト
https://www.akiba-information.jp

<取材協力>
・秋葉原電気街振興会
http://akiba.or.jp/

※6月27日からは「2014 夏の秋葉原電気街まつり」が開催される。詳細は上記「秋葉原電気街振興会」のホームページからチェックしよう!

取材・文=カネコシュウヘイ、撮影=橋本商店