“永遠の33歳”が34歳になった時、探偵生命をかけた謎の扉が開き出す【内田康夫インタビュー】

新刊著者インタビュー

公開日:2014/8/6

破滅の道を歩んでいった2国の史実が集まってきた

「カラヤンの一世代前にベルリンフィルハーモニーを指揮し、世界最高峰の指揮者と言われたフルトヴェングラーが僕は好きで。その名前がまず浮かんできたんです」

 本沢千恵子に伴われ、浅見のもとに現れたのは、ドイツからやって来た美貌のバイオリニスト・アリシア。“丹波篠山へ行き、フルトヴェングラーの楽譜を受け取ってきて”という祖母・ニーナの依頼をともに叶えてほしい──彼女は浅見にそう頼んできた。第二次世界大戦開戦前夜、ドイツのナチス党内で生まれた青少年組織・ヒトラーユーゲントの随行で来日したニーナが歓迎パーティで日本側に託したという楽譜。“約束の70年”が経ったから、それを返還してほしいというのだ。その楽譜は誰のもとに? それが持つ意味とは──浅見はアリシア、千恵子とともに丹波篠山へと向かう。

「構想を立てていた当時、タクトを振って僕を操っていた編集者がドイツに縁のある人で、ヒトラーユーゲントの少年たちが軽井沢に来ていたことを語ってくれたんです。そこから話し合っていくうちに、同盟国として、ともに破滅の道を進んでいったドイツと日本の関係など、次々興味深い話題が出てきた。すぐにヨーロッパへと出掛けました」

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 たまたまその編集者の知人が住んでいたというニュルンベルクにも足を運んだ。

「そこはナチス党大会の開催地で、戦犯の裁判が行われた街でもあったんです。ストーリーの材料は向こうから次々とやってきた。本作にも登場するオーストリアの湖には、ナチスによって偽札が隠されていたという話があると聞き、取材に向かったんだけど、ホテルのダブルブッキングが起きてしまって……」

 その対応をしてくれた人が、なんと偽札の絡んだ事件発生時に警察署長をしていた人の姪!“なんだ、そんなことなら”と、突然、詳しい話を聞けることに。「取材旅行中には、いつも何か驚くべき偶然と遭遇する」という内田さんの不思議な引力はここでも発揮された。

「そうして集まってきた材料を撹拌していくうちに、ストーリーはどんどん複雑になっていった。呼応するように、今度は日本側の秘密工作の話などが集まってきたんです」

 丹波篠山でフルトヴェングラーの楽譜を持つ人物との接触を試みる浅見だが、そこで不可解な殺人事件に遭遇する。さらに取材で神戸を訪れていた『平城山を越えた女』のヒロイン、弥勒菩薩に似た編集女子・阿部美果が行方不明に。翌朝、神戸港には女性の死体が……畳み掛けるように起きる事件、関係性の見えない事件の垂らした糸を掴んでいく浅見。そして舞台はドイツへ――そこで遺譜に隠された秘密が全貌を現してくる。

ナンバー“70”と“34”に秘められた謎と想い

 ナチスとの関係性が謎に包まれている大指揮者フルトヴェングラーなど歴史のなかの闇や、日本の某所で行われていた秘密工作をはじめ、本作ではドイツ、日本という“敗戦国”に生きた人々の姿が描き出される。2国間の時空を超えたミステリーには、あまり知られてこなかった史実とともに、敗戦国の視点が浮かびあがることも興味深い。そこに横たわるのが、本作を貫く“70”という数字の謎だ。遺譜の存在が隠されていた70年というスパンにはどんな意味と仕掛けがあるのか──。

「1938年から2008年が舞台となっていますが、その70年というのは、僕が物心ついてから生きてきた年月とほぼ重なるんですね。戦争から連なるその時代に生きた者としての実感と共感──70年という数字の意味は、そのなかから出てきたものなんです。別の時代に生まれた作家さんなら、違う捉え方をするかもしれない」

“70”という数字に秘められた意味──それはいつしか、なぜ浅見光彦が本書で“34”歳になったのか、ということにも繋がっていく。そして第二次世界大戦当時から現代へ綿々と続く、ある“盟約”が、二つの数字を包括していく。

「その盟約を守る老人たちが、みんな同じことを言っているんですよね。それは浅見にとっていい薬になったかもしれない」と、笑う内田さんだが、それは、読む者にとっても、現代を生きる“いい薬”となる。

「そんなに立派な思想を持っているわけじゃないけど、本作はこれまでになくメッセージ性を持ったものになったと思います。“最後の事件”というタイトルを決めた時、覚悟のようなものが出てきたのかもしれませんね。単なる推理小説ではないと思っていただければうれしい」

 そしてクライマックス─浅見は探偵生命にかかわる、難局を迎えることになる。彼にとっては厳しい岐路。だが読者にとっては、無数に巡らされた糸が美しく絡まり、まるで塔を築いていくような収束を見ることになる。ため息をつくようなカタルシスがそこにはある。

「浅見は苦悩します。変わりたくないんでしょうね。変わるってことは恐ろしい。別の世界に入っていくことだから。浅見も怖いけど、実は書いている僕も怖いんですよ(笑)。次はどう描いたらいいのかなって」

 いつもながらプロットを立てず、結末も見えないままに執筆したという本作は、浅見の系譜も含め、これまでの作品すべてが見えないひとつの線で繋がってきているような作品となった。

「自分が“最後の事件”と銘打ったのは、そういうことだったのか、と書き終えた時、腑に落ちました。読者の皆さんには、本作から繋がる浅見の今後を想像し、期待してほしい。作中で軽井沢のセンセも言っていますけど“旅”をしてほしいって思うんです。彼にはずっとね」

取材・文=河村道子 写真=細川葉子

 

紙『遺譜 浅見光彦最後の事件』(上・下)

内田康夫 KADOKAWA 角川書店 各1700円(税別)

第二次世界大戦開戦前夜、ドイツから日本に託された“遺譜”を求め、丹波篠山へ赴く浅見。不可解な殺人事件に遭遇するなか、そこで出会ったある人物に導かれるようにドイツ、東京近郊のある地に向かう彼が次々対峙していく新事実。戦争中から現代へと続く「盟約」を守る者と狙う者──そこには浅見家代々の謎も……。