ベストセラー『困ってるひと』の続編は、いとしきシャバをサバイバル【大野更紗インタビュー】

新刊著者インタビュー

公開日:2014/8/6

 大学院生としてミャンマー(ビルマ)難民の研究支援に奔走していた2008年、突然原因不明の難病を発病。過酷な闘病生活を命がけのユーモアをもって綴ったエッセイ『困ってるひと』が大きな反響を呼び、ベストセラーに。『シャバはつらいよ』は病院を出て自立して生きようと格闘する日々を綴った続編。タイトルはもちろんあの映画から。

大野更紗

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おおの・さらさ●1984年、福島県生まれ。上智大学外国語学部フランス語学科卒。在学中にビルマ難民に出会い、NGO活動に没頭。大学院に進学した2008年、自己免疫疾患系の難病を発病。1年間の検査期間、9カ月間の入院治療を経て退院するまでを綴った『困ってるひと』で作家デビュー。12年「(池田晶子記念)わたくし、つまりNobody賞」受賞。
 

「『男はつらいよ』、すごく好きなんです。通しで3周観て、最近もう1周するかと考えてるんですけど、たぶんやり始めると止まらなくなるので修士論文を書き終えてからにしようと(笑)」

 知性とユーモアは、困難にあって困難に飲み込まれないためのこの人の武器だ。崖っぷちの苦境を時に笑いに変えながら、わかりづらい社会制度の仕組みに的確な言葉でダメ出しする、大野さんもやっぱり“寅さん”なのかもしれない。

「あれって、出てくる人がみんな、それなりに“困ってるひと”なわけですよね。結構、みんな困ってて、寅さん自身も“困ってるひと”なんですけど、地方でまた“困ってるひと”と出会う。その人は非常な閉塞状況に置かれているんだけど、よくわからない寅さんがその共同体の壁をガシャーンと壊しちゃう。本人に自覚があるかはともかく、寅さんが突撃していくことで、その共同体のルールみたいなのが一旦フラットになっちゃうわけですよね。その結果、うまい解決とまではいかないんだけど、少なくとも閉塞感に打ちひしがれていた人が“言っていいのかな”と思うぐらいのことまではしてしまう。結構トリックスターなんですよ、寅さんって」

普通のことなのに、いちいち感動して泣けてくる

 退院して4年。

「日本の医療システムは長く入院させてくれないから、いずれにせよ退院させられちゃうわけですが、重い病気、しかも治らない病気を抱えて、シャバで生きるって結構大変で、今日も朝からやるべきことがみっちり詰まっている。健康な時って、だらだらしたり、頑張ったり、無理したりできたけど、今はそれができないので。ある意味、何が起きても安全安心みたいなところから、何が起こるかまったくわからないみたいな空間にいきなり切り替わるわけで、すごく負荷もかかる。だから『つらいよ』なんですけど、でもそれって、つらさであると同時に自由でもあるんですよね」

 シャバに出るっていうのは、たとえばセブン‐イレブンでキシリトールガムを買うことができるということだ。あるいは新宿のアイリッシュパブ・ベルクでギネスを飲んで、レバーパテを食べるということだ。病気をする前はやすやすとできたこともままならない生活の中で、やりたかったことを、ひとつひとつ取り戻していく。

「社会サービスを使ったり、ヘルパーさんの助けを借りながら生活を始めると、何をしてほしいかと聞かれる、何をするかを自分で選ぶ。そういうことは入院中はなかった。決められたスケジュールがあって、基本的にはそれに従って療養するというのが病院の中での生活のあり方なので、自分でしたいことを考えていいのか、これが人間の自由の始まりか、みたいなことをその時に思って。まあ、身体的にはあんまり変わっていないのでつらいんですけど、それってやっぱり回復していくプロセスでもあるわけですよね」

 レバーパテもギネスも「摂取してはいけないもの」リストを作ったら上位にあがってきそうな食べ物だという。そっと口にして「あ……。死なない」と思う。そこまでしてすることかと思うなかれ。きっとものすご~~くシャバの味がしたに違いない。

「うちは母親が福島で教員やってるんですけど、一家の大黒柱みたいな人で、限界集落みたいなところで毎日現実と直面しながら生きてるから、とにかくわからないことはわからないって正直にいうし、わからないから自分で調べてみたいな感じなので、まあ、シンプルといえば、シンプル。それがどういう結果になっても、娘の判断を信じてるところはあるのかもしれない」

 生きるって何だろう。読みながら、何度もそう思って立ち止まってしまうのは、この人が安全圏に引きこもるのではなく、やりたいこと、できることを、体を張ってやろうとするからだ。

「なんていうのかな、私、病気になる前と結構変わって、たとえば、退院してから国立新美術館にゴッホ展とか観に行ったんですね。そうするとフランス語学科時代は印象派とか見てもあんまり感動しなかったのに、うわあって滝のように涙が出て。理由はよくわからないんですけど、すごいなあって。人間が表現しようとして、しかもそれを数百年の単位で遺そうとした人がいて、しかもそれが遺って、こうやって観ることができるなんてスゲー!!って。そういう当たり前のことにむやみに感動するようになって。普段は電動車いすで生活していて、そうすると日本の舗道って狭いし、凹凸もあるしで、かなり不便なんですけど、駅員さんが健常者の人が使わない駅の裏通路みたいなところに案内してくれて“ここはこういう構造になっていて”って世間話とかしながら板を渡してくれたりすると、突然自分の感性が振れたりとか、シャバにいちいち感動するわけですよ。わああっ、ドトールだー、コンビニだ、セブン‐イレブンだよって。こういうリアリティがあるんだって。世の中の少なからずの人がこういう思いをずーっと抱えてきたんだって思うと、いろんなことを考えましたよね」