これぞ小説! 篠田節子の文業25周年を記念するにふさわしい堂々たる大傑作

新刊著者インタビュー

更新日:2015/3/27

神秘の国の幻想譚のはずが現実を見据える物語に

 あらゆる方面への取材を重ねるうち、小説の構想は思わぬ方向に変化していった。

「当初は、インドの一地域に年端もいかない少女を生き神として崇める宗教があり、たまたまそこに関わることになった日本人男性が、不思議な力を持つその少女に翻弄され、数奇な体験をする、伝奇小説的な色合いを帯びた幻想小説を書こうと思っていました。それは、私自身が、インドに対して貧困と差別のイメージとともに、アーユルヴェーダやサイババに代表される神秘の国への興味も抱いていたがゆえのことでした。ですが、一旦ストーリーの大枠ができた後に細部のリアリティを出すための取材を始めたところ、おいおい、これは神秘の国どころじゃないぞ、と思うようになりまして」

 白亜のタージ・マハルや神々の力を宿すヨガの行者など、私たちがテンプレート的に持っている美しく神秘的なイメージの向こうに見えてきたもの、それは大きな社会矛盾だった。

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「発展の裏の貧困、根深い男尊女卑やカーストによる人権侵害、少数民族への差別、弱者への暴力など、あらゆる問題がインド一国に詰まっていて、それを無視したお伽話は無意味。最初は本を読むところから始め、人への取材をし、最後には実際に出かけて現地の姿をこの目で見てきましたが、知ってしまった以上はもう当初の構想には戻れませんでした」

 篠田さんの矜持が、現実を無視する物語を編むことを許さなかったのだ。

「小説家の一人として、ものを書くにあたっての使命感というのはどうしてもあります。インドが抱えるあらゆる問題は、実は私たちの中にもある。逆に言えば、現代の国際社会が普遍的に抱える問題を総合的に捉えるにはいい題材なのではないかと思うようになりまして。また、決断力や常識のある日本の成人男性を矛盾だらけの社会に投入し、対立軸をくっきりさせることで、2000年代の現代日本人が世界の中でどういう立ち位置にいるのかを炙り出せば、現代小説を書く意味があるのではないかとも思いました」

“インド”を小説で書く意味。
 この言葉は想像以上に重い。
 世界第7位の面積に世界第2位の人口を抱え、主要な言語だけでも10超、方言ともなれば2000以上ある国を、一人の視点で網羅することはほぼ不可能だ。どれほど優れたドキュメンタリーでも、インド全体を映し出すことは不可能だろう。
 しかし、小説ならば、それができる。藤岡と、彼が出会った少女ロサを巡る様々な階層の人間たちが、それぞれの立場から語るインド社会の現実。
 篠田さんの筆力は、魅力であると同時に問題の根源ともなっている「インド社会の多様性」を余すことなく書ききった。

「確かに、こうしたことができるのは小説だけだというのは常々感じています。特に、学問がタコツボ化してしまった現状では。学問がこれだけ細分化すると、それぞれの最先端はすごく進んでいるけれども、全体像を把握できる人はなかなか生まれない。そこを補うのが、現代小説の役割かもしれません」
 

天才少女ロサに託した篠田節子の“思い”

 藤岡が、ビジネス交渉の相手から一夜の伽の相手として差し出された少女ロサ。
 健全な倫理観を持つ藤岡は彼女を拒むが、拒否すれば彼女が窮地に立つと知り、ひとまず部屋に招き入れる。
 その優しさが、藤岡とロサの運命を大きく変えるのだ。

「最初は神秘的な能力を持つ美少女にするつもりが、ずいぶんと変わりました。元生き神、というのは同じだけれど、そうした習俗が少女に与える影響、また先住民を取り巻く厳しい現実をしっかり反映させた人物に、自然となっていったという感じです」

 貧しい家に生まれたロサは、神のお告げにより、生き神になることが決められていた。
 2歳半で両親と引き離され、神として尊敬は受けるが、人間的な愛は一切注がれないまま育つ。特異な育ち方をした少女は、親元に戻っても周囲に馴染めず、やがて次なる悲劇が、彼女を過酷な状況に追いやっていく。

「ロサは周囲の人間から『邪の種』『得体の知れない女』などと警戒されるようになります。でも、彼女をそうした目で見るのは、先進国の人間や社会のトップにいる人間、そして男性など、マイノリティではない人々。彼らにしてみれば、確かにロサは気味が悪いでしょうね。でも、女性なら、ロサが何を求めているかは理解できると思います」

 複雑かつエキサイティングな物語の中で流れる十数年の時を経て、藤岡、そしてロサが選ぶ道とは。

「ロサに関しては、小さな幸せで満足するような終わり方には絶対したくありませんでした。物語を男性視点のフィルターを通して書いていた分、最後ぐらいは女である私の願望を入れたかったので」

 ロサの行末=篠田さんの願望とはなにか。そこはぜひ本書を読んで確かめてほしいが、一つだけはっきり言えることがある。
 最後の一行を読んだ瞬間、あなたの目にはきっと熱いものが込み上げてくることだろう。
 たった17文字の文章に宿る、限りない希望に胸を打たれて。

取材・文=門賀美央子 写真=首藤幹夫

 

紙『インドクリスタル』

篠田節子 KADOKAWA 角川書店 1900円(税別)

良質の水晶を求めて訪印した藤岡の前に現れた、驚異的な記憶力を持つ天才少女ロサ。その才を惜しみ、劣悪な労働環境からロサを解放しようとする藤岡に、彼女の雇い主は不吉な予言をする。一方、目当ての水晶鉱脈を見つけたものの、日本とはまったく異なるインド・ルールに翻弄される藤岡。さらに、採掘する村人たちの体に異変が起こり始め……。