長嶋有ロングインタビュー 2002年4月号

インタビューロングバージョン

更新日:2013/8/19

■デビューまで

「俳句の同人活動をしたりネットでコラムを書いたりしていたので、小説家のイメージは薄かったかもしれませんが、俳句を始める以前から小説を書いていました。本格的に小説を書くきっかけとなったのは、パスカル短編文学新人賞への応募です。この新人賞に応募するようになった頃から、小説家になりたいという思いは強くなっていきました。」
 パスカル短編文学新人賞は、朝日パソコンネット(現、ASAHIネット)主催で93年に創設された会員向けの新人賞である。日本初のネット文学賞ということに加え、すべての選考過程を公開するという前代未聞の試みで注目された。第1回目の受賞者が、長嶋さんの俳句仲間で芥川賞作家の川上弘美さんであることは有名だ。
「パスカル賞にはのんびりした気持ちで、年に一作のペースで応募していました。ASAHIネットで知り合った人たちの間で俳句が流行り始めて、同人を立ち上げる話が出て、僕もそこに参加することになりました。俳句をやりながら年に一度賞に応募する時期が続きました。
 20代後半になって、それまでは一次予選も通らなかったのですが、予選を通過するようになってきて、手ごたえを感じるようになりました。97年に就職と結婚をしたのですが、このまま会社で働き続けて小説に打ち込めないまま年をとっていくことに不安を覚えました。一次予選通過とか佳作とか具体的な結果が出るようになってきたので、このままがんばればやれるんじゃないかという勘違いした気分のまま(笑)、小説に集中するために会社を辞めました。2001年に五つの文芸誌(『すばる』『新潮』『文學界』『群像』『文藝』)の新人賞に同時に応募して、文學界新人賞を受賞したわけです」

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■タイトル決定までのいきさつ

「これまで発表してきた三つの作品のタイトルが決まるまでの経緯はまったく違います。『タンノイのエジンバラ』(『文學界』2002・2)は、最初からこの題名が頭の中にありました。イギリス製のエジンバラというスピーカーを知ったときに、これは小説のタイトルにするしかないと直感的に思いました」
 物語に絶妙にフィットしたタイトリングのセンスに定評がある長嶋さんだが、『サイドカーに犬』(『文學界』2001・6)、『猛スピードで母は』(『文學界』2001・11)のタイトルが決まるまでには紆余曲折があったという。
「『サイドカーに犬』は新人賞に応募する前日まで題名が決まらず、『サイドカー(仮)』と付けていました(笑)。応募原稿として印刷する直前にいくらなんでも「仮」ではまずいだろうと思い、現在のタイトルにしました。『サイドカーの犬』ではなく『サイドカーに犬』としたのは、俳句をやっていたことが関係しているかもしれません。俳句の世界では「の」とか「へ」とか「に」のような格助詞を微妙に使いわけます。「の」だと犬がそこに存在している感じが強調されるのに対して、「に」だと借り物がぽつんと置かれているような微妙な浮遊感があります。
『猛スピードで母は』には、最初は『Leaving』という地味な題を付けていました。『サイドカーに犬』が派手なタイトルなので、最初の作品集にはそのタイトルが付けられると思っていました。『Leaving』というタイトルは気に入っていたんですが、編集の人にこれはすごくいい作品だから両A面になるような目立つタイトルを付けようと提案されて、再考することになりました。

“母”という言葉を入れると甘くなるし、“サイドカー”という言葉は既に出ているから車に関する言葉はやめる、という二つの縛りを決めました。『C棟にて』というタイトルを考えて、それに決まりそうになったんですが、ぎりぎりのところで編集部からストップがかかりました。
 結局、題名が決まらないまま入稿前日の夜を迎え編集者と渋谷の喫茶店で悩んでいたんですが、9時で閉店ですといわれて、喫茶店を追い立てられるようにして出て、カラオケボックスに入って、歌も歌わずにひたすら考え続けました(笑)。母という言葉が入っても甘い感じにならなければいいだろうということで、「猛スピードで母は」というタイトルを考えました。さらに、印刷一時間前に編集部から『追い越し車線』ではどうかという提案があって、最終的にどちらかを選ぶことになりました。『追い越し車線』と『猛スピードで母は』のどちらを選んでも後悔する気がしましたが、自分が思いついた題を選んで後悔するほうがいいと思って、『猛スピードで母は』に決めました。そういえば、漢字2文字で『反芻』という案もありました。牛が出てくるし、会話を反芻する場面が多いからですね(笑)。
 佐野洋子さんに描いていただいた単行本の装画を見て、この題名にしてよかったとやっと思えるようになりました」

■なぜ80年代の物語を描くか

 ムギチョコに始まり、パックマン、サイドカー付きのバイク、ワーゲンのビートルなど、作中へのキーアイテムの絶妙な配置も、長嶋作品の魅力の一つだ。

「僕の場合、まずアイテムが先行します。アイテムを元に物語の設計図を組み立てていきます。たとえば、プルリングをめくると“ちりり”と音がしたとか。最初に書きたいことはそれだけなんです。登場人物にどうプルリングをめくらせるか考えていく中で、一つの場面ができ上がっていくわけです」
『サイドカーに犬』には、パックマンや五百円札やガンプラなど、80年代初頭を象徴するアイテムが頻出する。これらも作者によって周到に選ばれたアイテムだという。
「『サイドカーに犬』の時代設定は1981年です。80年代初頭のムードを表現することを最初から意識していました。あらかじめ、時代を反映するアイテムをてんこ盛りにして作品を書く計画を立てていました。山口百恵もそうですね。あのシーンは、実際に山口百恵の家を見た体験が反映しています(笑)。自分が好きなアイテムについて書いた場面をつなぎながら物語を広げていきました」
 それほどまでにこだわる80年代とは、長嶋さんにとってどのような時代だったのだろう。
「すてきな時代とは思えないけど、自分がいちばんリアルに過ごした時代ですね。人生の中でみずみずしく思いだせるのは80年代です。僕にとって80年代はデフォルトの時代です」
 いっぽうで『サイドカーに犬』には、白黒テレビや雑居の風景など、70年代の余韻が残存している。

「それはたぶん、僕が感じた80年代が70年代を引きずっていたということなんだと思います。よく再放送世代といわれますが、当時は70年代のアニメなどが再放送されていて、本放送のアニメと夕方5時から再放送される70年代のアニメの両方を、僕らの世代は知っているわけです。70年代の空気をテレビによって刷り込まれているのが僕らの世代の特徴といえるかもしれません」

■自立的な女性をポジティブに描く

『サイドカーに犬』は、大人になった主人公の女性が小学校4年生の夏休みに体験した印象的な出来事を回顧する物語である。当時、子供だった主人公と大人たち、さらに子供時代の記憶と主人公の現在が対照されることで、子供と大人の視点の偏差が浮かび上がる構造になっている。
「『サイドカーに犬』を大人の回想として書いた理由は、父親が自宅前から車を急発進させたシーンで実際に何が起こっていたのかを、読者に事後的に知らせた方が効果的だと思ったからです。大人になった姉弟が久しぶりに会って話すシーンでそれが明らかになるわけですが、そのシーンを効果的に書くために一人称の語りを採用したわけです。
 初稿は40枚くらいだったんですが、その時は純粋に子供の視点だけで書いていました。でも父親があのとき車の中でどういう行動をとったのか、それから父親はどうなったのか、後で明らかになった方が面白いし、時間的、物語的な奥行きが出るのではないかと考えたわけです」

 父と喧嘩をし家出をした母と入れ替わるようにして、主人公薫(「私」)の前に父の愛人である洋子さんが現れる。最初のうちはとまどいながらも、薫は母親にはない洋子さんの魅力に徐々に惹かれていく。洋子さんという存在感のある女性をポジティブに描くことが執筆動機の一つであったと長嶋さんは語る。
「僕の知り合いの女性はみんな自分が洋子さんのモデルだと思っていて、僕はそれを否定して回っているわけですが(笑)、洋子さんはこれまで僕が出会った複数の女性のカッコいい部分が合成されて出てきたキャラクターですね。
 以前、シヤチハタに勤めていたときに、自転車のライトをいつも持ち歩いている同僚の女の子がいたんです。当時、僕は会社の人たちとなじめなかったんですが、その女の子はもっと浮いていました。いつも会社の人間をばかにしたような自意識に満ちた顔をしていました。飲み会があってカラオケなどに行くと、僕は途中でいやになってトイレに立つふりをして外に出てしまうんですが、彼女は僕よりはるか前に嫌気が差して外に出て煙草を吸ってるんです(笑)。
 その子がいつも懐中電灯を持ち歩いていて、なぜ持っているのか聞いたところ、自転車のライトでこれ高いんだというんです。取り外してないと盗まれるというから、そんなの盗むやつがいるのと聞いたら、この間サドルを盗られたというんです。サドルを盗られてどうしたのと聞くと、隣の自転車のサドルを付けて帰ったと平気な顔で答えました(笑)。一瞬引きましたが、その子はいざとなったら僕の自転車のサドルも盗むな、その子と僕の間にはいかんともしがたい断絶があるなと、そのとき実感しました。でも、そういう女の子がいたことに感動したんです。
 懐中電灯の女の子は一つの例ですが、これまで自分が出会った魅力的な女性のイメージが混ざり合って、一つの女性像に結実したということなんだと思います」

■母にフォーカスする理由

『猛スピードで母は』は、長嶋さんが少年期を過ごした北海道を舞台に(作品では北海道南外沿いの小都市M市=室蘭市が舞台となっている)、母子家庭の親子の日常を小学校高学年の男の子の視点で描いた作品である。
「『サイドカーに犬』の舞台となった国立と同様に、北海道というのはこれまで僕が通過したリアルな場所の一つです。両親が離婚して、父は国立で母は北海道でそれぞれ暮らすことになって、夏休みや冬休みは父親のところに行っていました。休みの解放感が出たのが『サイドカーに犬』で、平日の日常性が出たのが『猛スピードで母は』といえると思います」
『サイドカーに犬』は母親不在の束の間、代理母を務める洋子さんと薫の親密な関係を描いた“母をめぐる物語”として読むことができるが、『猛スピードで母は』においても、“母”の存在は重要なポジションを占める。
「なぜ母という存在にフォーカスするのかということですが、それは僕の人生で父が不在だったということが影響しているのかもしれません。厳密に言うと不在ではないのですが、夏に会いに行く父親は夏休み用の父親で、遊んでばかりいるわけです。バケーションの中の父親像であって、父は日常生活には結びついていません。日常を描こうとすると、どうしても母親との関係が表面に出てきてしまうわけです」

■母のモデル

「モデルはお母さんですかという質問をよく受けます。感動の物語として読まれてしまう恐れがあるのでモデルは母ではありませんというふうに答えるんですが、そんなはずはないわけです。長年、一緒に暮らしてきた母親を見ずしてこういう作品は書けるはずがありません。それでもモデルではないと言い張っていますが(笑)」
 芥川賞選評で村上龍は、この作品を「状況をサバイバルしようと無自覚に努力する母と子」を描いた「社会に必要とされる小説」だと評価した。好きなもの嫌いなものをはっきりと示し、クールに力強く生きる母の姿に、勇気づけられる読者も多いはずだ。
 この作品においても、親子(大人と子供)間の微妙な距離感を表現するための配慮がなされている。母と子の日常的な風景を描くにあたって、長嶋さんは大人の内面にはいっさい立ち入らず、主人公慎の視線に寄り添った三人称体を意識的に採用した。
「『猛スピードで母は』は最初から三人称で書きました。母親と子供の物語ですから、子供のダイレクトな視点で書くと感傷が入ると思ったんです。それを避けるために三人称体にしました。母親や祖父や祖母が何を考えているか、慎にはあまりわかっていないわけです。その部分をはっきり示したいということも理由の一つです。
 たとえばラストシーンで、母が車を飛ばしてワーゲンを追い抜く理由が読者には何となく伝わりますが、慎にはわからないわけです。読者は母親の行動に肯定的なものを見ることができるけれども、慎だけは読者からもおいてきぼりを喰うわけです。実は慎には、お母さんがカッコいいということもあまりわかっていない(笑)。そのように書きたいと思いました。母親の内面は特に書かなくても、読者に伝わると思いましたから」

■隙間産業としての文学

「暴力的な家族関係とか、癒しの場としての家族とか、家族の再生とか、最近の家族をめぐる物語の流れとは最初から違うものを書こうと思っていました。これまで僕が書いてきた作品がたまたま家族についての物語だったということです。もちろん次作も家族かもしれませんが(笑)。
 基本的には自分と自分以外の者の関わりを書きたいという気持ちが強くて、それがたまたま家族という形になったということなんだと思います。友人とか恋人とか会社の人間とか、家族以外の関係が書かれることはありうると思います」
 その意味で、失職中の男と隣家の女の子との奇妙な交感を描いた『タンノイのエジンバラ』は、長嶋さんの今後を指し示す作品と位置づけられるかもしれない。
 隙間産業としての文学に可能性を感じるという長嶋さん。その真意はどういうところにあるのだろうか。
「さまざまな小説のジャンルの中で、純文学というさらに狭い“隙間”を選択したわけです。“隙間産業”をもう少しかっこいい言葉で言い換えると、それはオルタナティブということだと思うんです。新しい可能性としての文学ということですね。

 SFやミステリはいろいろな筋肉を使い分ける必要がありますが、純文学はそういった手練手管がいちばん要らないジャンルといえるかもしれません。純文学だけが勝手なときに始められて、自分の中にある実感を信じて書き始められる。純文学以外のジャンルで書くことは、今の僕には考えられません」