「ヒットの予感 嶽本野ばら」Interview Long Version 2003年12月号

インタビューロングバージョン

更新日:2013/8/19

夭折の天才画家とのコラボレーション

『カルプス・アルピス』という不思議なタイトルを有する本書は、嶽本さんの友人で7年前に33歳の若さで亡くなった画家の田仲容子さんとのコラボレーション作品だ。雑誌連載時のタイトルは『カルピス・アルプス』。田仲さんが1985年に開いた初個展のタイトルから採られている。しかしある事情により、微妙に文字を入れ替えた『カルプス・アルピス』への変更を余儀なくされた。

嶽本 美術家にとって初個展は、その作家の資質が集約した場だと思います。小説家の場合も、その作家の資質は処女作に集約されているというようなことがよくいわれますが、絵の場合もそういうところがあるんです。田仲さんは、現在はありませんが京都の梁画廊というスペースで初個展を開いているんです。当時、僕も美術をやっていて、田仲さんより後になるのですが、初めて個展を開いた場所が梁画廊なんです。そういう個人的な思い出もあって、僕にとって避けては通れないタイトルでした。

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 嶽本さんは、これまでエッセイ等で田仲さんとの関わりについて積極的に書くことはなかった。田仲さんとのコラボレーションは以前からの念願としてあったのか。あるいは画家の絵をもとに物語を構成していくという今回の著作の初期プランを練り込んでいく中で、かつて関わりのあった田仲容子という固有名が浮上したのか。本書成立のプロセスはどのようなものだったのだろうか。

嶽本 田仲さんの作品に連動して何かをやりたいという気持ちをもっていたわけではないんです。「IKKI」で連載を依頼された時期と、田仲さんにまつわる僕が知らなかった摩訶不思議なエピソードを知人から聞かされた時期が偶然重なったんです。神の見えざる手によって動かされているような感覚がありました。
 ライター時代、田仲さんが亡くなった頃「SPA!」で連載をもっていて、田仲さんの記事を書いたんです。僕の記事を読んだ「知ってるつもり?!」というTV番組のプロデューサーから、田仲容子を取り上げたいというオファーがありました。多くの人にテレビ番組を通して田仲さんの作品を知ってもらいたい気持ちはありましたが、田仲さんはほとんど知られていない人ということもあり、番組が成立しないんじゃないかと思いました。でもそれは僕が考えることではないので、遺族の方に連絡をとってもらいました。結局、番組にはならなかったようです。
その時思ったのは、自分にもう少しネームバリューがあれば、田仲さんの作品をいろいろなメディアで取り上げてもらうことができたのではないかということです。今回、コラボレーションの形で田仲さんの絵を紹介する機会を得たわけで、あの頃、胸にくすぶっていた思いを解消できた思いがします。

私小説の要素が排除された作品

『カルプス・アルピス』では、絵画のイメージにインスパイアされた小説を執筆するという、野ばらさんにとって新しいアプローチが採用されている。ブルーを基調にした田仲さんの絵は、人間の深層心理にダイブしたかのようなシュールでモダンな、喚起力のある世界を構成している。6つの短編に付された6枚の絵はどのように選択されていったのだろうか。

嶽本 ほとんどアトランダムですね。まず田仲さんの画集『Perfect Romantic Vision』の中から、気に入った作品を10数枚選びました。短編を書き始める前に、1枚ずつ作品をチョイスしていきました。田仲さんの作品を撮影した写真はポジで残っているので、作品の発表時にはそれを使用させてもらいました。

 失恋の痛手から立ち直るべく、室内プールで監視員の仕事をする小説家希望の「僕」。いっぽう、プールに毎日やってきては規則正しく泳ぎ続ける彼女。「僕」は彼女の泳ぎの中に「奇妙な悲しみ」を見いだす。彼女に興味を抱く「僕」だが、彼女が記憶喪失の状態にあり、リハビリのためにプールに通っているという事実を聞かされる。かくして、ふたりの出会いは、壮絶な魂をめぐる物語を現出させていく。短編第1作の「Pool」を始め、タイトルは田仲さんの作品名から付けられている。中には「青い動物のための安全枕」や「Unknown」のような、抽象度の高い作品も含まれる。

嶽本 絵のイメージを元に作品を書いていくことを今回やってみたわけですが、困難さはまったくなかったですね。物語の展開に関して、今回は無責任な立場をとってみました。特にプロットを設定しなくても、物語が勝手に創られていく感じがあって、毎回、自分でも意図しない方向にストーリーが転がっていきました。

 当初は、完結した短編を6つ書こうと考えていたんですが、2回目の連載原稿を書き始めたときに、1話の続きを書きたくなったんです。今まで、純文学っぽいものから、ホラーやコメディにも、揚げ句の果てに時代物まで手がけたわけですが、主人公のすべてが僕自身に還元されるという指摘をされてきました。登場人物が自分の分身みたいな存在になってしまうんですね。何をどう書いても主人公は野ばらちゃんだね、と友人からよくいわれます(笑)。確かにそういう部分もありますが、今回に限っては「僕」も彼女も僕じゃないんですね。私小説的な作家とずっと言われ続けてきて、実際にそういう部分も確かにあったと思いますが、『カルプス・アルピス』は珍しく私小説の要素がない作品になりました。こういうものも書けるのかと、自分でもびっくりしています。

「魂って何なんだろう?」という疑問への答え

 田仲さんの絵を解釈していく中で、嶽本さんがたどり着いたのが“魂”の問題だ。片割れの双子となった主人公がこの世で再会を果たし、共鳴する魂を通わせる。そうした、野ばら作品に通底する魂のテーマが、痛苦を経ながら魂の実在性そのものの確信へと導かれていく主人公の認識論的成長のプロセスとしてこの作品では物語化されていく。

嶽本 6つの作品を書き上げて初めて、僕が書きたかったことが魂の普遍性の問題であったことに気づきました。デビュー作の『ミシン』を上梓した頃から言い続けてきたことのひとつに、“魂の双子”というテーマがありました。インタビューであなたの小説のテーマは何ですかというような質問をよく受けるのですが、魂の双子を探す行程を描くことが僕のテーマです、と言い続けてきました。今回の作品では、これまで僕が自分自身に問いかけてきた「魂って何なんだろう?」という疑問への答えを、ダイレクトに表現できたという思いがあります。

 3歳で死のうが、戦争で死のうが、天寿を全うしようが、人間というのは生まれたからにはどういう形であれ死を迎えるのであって、そういう意味であらゆる死は平等に事故である、というのが僕の死生観の根本にあります。田仲さんは33歳で夭折されたわけですが、彼女が33という若さで亡くなったということに関して、僕にはセンチメンタルな感情はないんです。
 死は必然で、死によって肉体は滅び感情も変化してしまいます。ただ、魂というものが別個に存在して、肉体や心が消滅しようが、ずっと同じものとしてあり続けることが可能なんだということが、自分の中で確信としてあるんです。誰に習ったわけでもニューエイジにかぶれたわけでもないです(笑)。そういう確信をずっともっていて、それゆえに魂という言葉に拘泥してきたんだと思うんですね。

 彼女は記憶を喪失する以前に書いた日記を発見し、自分が父親を殺したという思いにとらわれる。ショックを受けマンションから飛び降り自殺を図る彼女だが、信じがたい偶然によって一命をとりとめる。運び込まれた病室で彼女は記憶を取り戻すが、彼女の異変に「僕」はパニックに陥り、今度は「僕」が記憶を失ってしまう。しかし「僕」は夢の中で蒼い存在から魂の実在の根拠を教え示されることで、魂を喪失した彼女を救うための思いを新たにする。輪郭が曖昧な人間と動物の姿を描いた「Unknown」と題された田仲さんの作品のイメージにモチベートされたストーリーが、魂それ自体の存在の不滅性のテーマを明らかにしていく。
 ブルーを基調とした田仲さんの絵画世界は、魂の奥底に降りていったような静謐さをたたえたシュールレアリスティックな空間造形と、物語が発動する劇的な瞬間をロマンティックなヴィジョンに集約したかのような原風景的筆致を特徴とする。田仲さんの世界がはらむ臨床的なテーマが、片割れの魂同士がこの世で再会するという、嶽本さんがこれまで追求してきたテーマにより深い次元でシンクロしたというふうにも考えられる。

嶽本 そう思いますね。僕は魂のあり方を抽象的に、あくまで形而上学的にとらえてきたわけですが、田仲さんが亡くなられて彼女をめぐる物語を聞かされたときに、魂の存在をマテリアルなものとして実感することができたんです。田仲さんに導かれるようにして、魂を形而上的なものではなく、物質的なものとしてとらえることが可能になったわけです。

何とか折り合いをつけた“絵”と“お洋服”のバランス

 嶽本作中には、作中人物の設定にリンクする形で魅力的なメゾンが登場する。今回は田仲さんの作品のイメージを出発点にしているということもあり、特定のメゾンに関する描写は極力抑えられている。

嶽本 女の子のお洋服はCOMME des GARCONS robe de chambreで、「僕」の愛用するメゾンとして、田仲さんの絵の中に出てくる男性が着ているボーダーシャツに合わせるために、SAINT
JAMESを選びました。今回、メゾンのイメージを先行させて登場人物を設定してしまうと、絵と喧嘩してしまうような気がしたんです。通常はお洋服の描写をばしばし書き込んでいきますが、メゾンの名前をさらっと出すぐらいにとどめています。
 そういう事情もあって登場人物にはブランド・イメージが強烈でないニュートラルなメゾンを着せたかったんですが、robe de chambreは普通の人にはデザイン性が高すぎて着れない服かもしれません(笑)。COMME
des GARCONSの中ではカジュアル・ラインなので、何とか折り合いをつけたつもりだったのですが。

『カルプス・アルピス』には、作品発表の経緯や画家・田仲容子の人生をノンフィクションとしてまとめた、異例ともいえる長文のあとがきが付けられている。

嶽本 雑誌連載時から、単行本にする際に田仲さんに関するドキュメントを付け加えて、初めて作品が完成する形にしたいと考えていました。
 あとがきに関しては、書いていてかなりつらかったです。友達だった人間の死をどうとらえればいいのかということに加え、田仲さんに関わった人たちの中に友人や知り合いが多くいるので、どのように書けばベストなのか方法論的な部分で悩みました。

 あとがきは、画家・田仲容子の人生や人間的魅力がリアルに描かれた評伝として読むことができる。『カルプス・アルピス』はフィクションとノンフィクションの微妙な均衡の上に成り立った作品でもある。

嶽本 そこが難しかった部分でもあって、正当な評価をされないまま夭折してしまった友人の画家を紹介します、というような書き方をしてしまうと、単なる美談になってしまうと思ったんです。そういう形にはしたくなかったし、安直な受けとめられ方をされることを避けたかった。
 田仲さんは画家で僕は小説家ですが、クリエーターとしての田仲さんに対する敬意の払い方として、ベタな美談にしないことが重要だったんです。その一方で、先ほど田仲さんの死に対してセンチメンタルな気持ちはもっていないとはいいましたが、そうはいっても書いているとどうしても昔のことを思い出して感傷的な心持ちになります。感情をあえてコントロールして、感情に溺れた文章にならないようにきちんと伝えるべきを伝え、伝えなくてもいい情報は削ぎ落として表現することが、田仲さんに対する僕なりの礼節の尽くし方だというふうに考えました。

 本書は、田仲さんの七回目の命日に当たる10月3日に刊行された。

嶽本 当初は考えてなかったんですが、偶然が重なって10月3日のリリースになりました。

 お互いにライブで生きている人間がディスカッションをしながらつくっていくのがコラボレーションですが、今回はコラボレーションといいながらも田仲さんは彼岸の人でいっさい口を出せないわけで、特殊な作業といえるでしょう。いろんなことを総合的に考え合わせると、先ほどの魂の話とは異なるもっと空想的、感情的な意味においてですが、田仲さんにやらされている感じがあるんですね。

 田仲容子さんの唯一の画集である『Perfect Romantic Vision』(光琳社、97・10)は、現在版元の倒産により絶版状態だ。『カルプス・アルピス』の刊行を契機に画家・田仲容子の再評価の気運が高まることを嶽本さんは望んでいる。

嶽本 自費出版に近い形で画集を作ったものですから、それほど多く流通していません。出版社もその後、倒産してしまったので再販のめどは立っていません。いまフィルムの在り所を調べてもらっています。フィルムが保管されているのであれば、復刻も可能です。いずれ機会があれば再販したいですね。