ヤービは、私の中にずっとあった生命力そのものなんです。―『岸辺のヤービ』梨木香歩インタビュー

新刊著者インタビュー

更新日:2015/9/11

細部をリアルに描くために、私たちが川辺でしたこと。

「これ、お見せしていいのかな。ちょっと待っててくださいね」

 しばらくして大きなダンボール箱を抱えて戻ってきた梨木さんが見せてくれたのは、たくさんのヤービのスケッチだった。

「ヤービの姿がどんどん変わっていってますでしょう。原稿の方もヤービの創作期間は長くて、途中で『海うそ』刊行を挟んでいるんですが、その前後でガラリと雰囲気が変わるんです。これで児童書が書ける、と私自身自分にゴーサインが出せたんです。ファンタジーが成功するかしないかはどれだけリアルに細部が描けるかだという話もよくしました。担当編集者の提案で、小沢さんには私が信頼している琵琶湖カヌーセンターへも行ってもらって、カヤック体験して頂いたこともあります」

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 この時、画家の小沢さんが、カヤックに乗って、水面に近い目線で見た水辺の風景は、まさにヤービたちが目にしている世界そのものだった。

「以前は月に一回ほどのペースで集っていたんですが、最近会えていないので、私自身の感想が直に言えていない。ヤービが彼女の中である時、劇的な生まれ方をしたのがよくわかります。そこまで描き抜いたことに、同じ創作者として敬意を表したい。そしてまた編集者の“物語が生まれる場”を積極的につくろう、守ろうとする姿勢にも心密かに感銘を受けたものです。ヤービはこの絶妙のチームワークで生まれてきたのだと思います」

 フリースクールの教師をしている〈わたし〉はマッドガイド・ウォーターに浮かべたボートの上でヤービと出会う。

「〈わたし〉は多くを語らないけれど、人生でつらい経験もしてきた。そういう存在として〈わたし〉を描いたのは、その方が子どもの読者に対してもフェアだと思ったから。この物語の舞台となるマッドガイド・ウォーターは日本でいうと琵琶湖近郊、あるいは英国のチョークストリームと呼ばれるような緩やかな流れのある、土地そのものが物語を孕んでいる場所をイメージしました。それを三人で共有するために水辺の図鑑や写真を見てもらったり、川辺をずーっとドライヴしたことも。野外昼食会はよくやりましたね。作り手である私たちが楽しまないと、この物語は成功しないと思っていました」
 

自分の中の子どもをもう一度、育む力を。

「みんながちっちゃい頃から絶えざる心の灯みたいにして、ずっと持ってる生命力みたいなものがあると思うんですよ。大人になればなるほど、本当は必要なんだけれどもそのことを忘れてしまう。たとえば全身全霊で遊ぶ喜び。ああ、生きることってこんなに嬉しいんだということがどこかに行ってしまう」

 岸辺は、梨木さんにそれを思い出させてくれる場所でもあるのだろう。

「東京に来て十年くらいになりますが、その前は本当にいつでもカヤックができる状況だったんです。こちらに来て水辺から遠ざかっていたというのもありましたけれども、ようやくそこに行かなくても自分の中にマッドガイド・ウォーターがあると思えるようになりましたね」

 どんな時も自分の中に絶えざる水の音がする。そんないのちの奏でる水音に耳を傾けるようにして、この物語は生まれた。

「尊敬する神沢利子さんの『銀のほのおの国』には、生きているものは生きているものを食わなければ生きていけないのかという永遠のテーマが描かれている。『岸辺のヤービ』はそれに対する私なりのひとつの答えでもある。食べるために殺したり殺されたりすることをまったく否定してしまったら、それはこの世界ではなくなってしまう。殺したり殺されたりするこの世界の中で私たちはユートピアを見つけなければならない」

 食物連鎖だけではない、生態系や自然に今、起こっていることも織り込まれている。いや、だからこそ鳥や虫たちの営みに目を見張り、胸躍らせるヤービたちの物語がこんなにも眩しい。

「岩波書店が発行している戦後すぐの『図書』を読ませてもらう機会があったんですが、子どもたちに本当にいい本を読んでもらいたいという情熱に溢れていて胸打たれました。70年前にあったこの育む力は一体どこに行ってしまったのかと。育む力というのは子どもだけに向けたものではなくて、自分自身の内なる子どもをもう一度育むということでもあるんだと思います」

 今を生きる私たちに、この物語はもう一度、みずみずしいエールを送る。生まれたからには生きることは喜びなのだ、と。

取材・文=瀧 晴巳

 

紙『岸辺のヤービ』

梨木香歩/作 小沢さかえ/画 福音館書店 1600円(税別)
9月9日発売

緑豊かな湖沼地帯で寄宿学校の教師をしている「わたし」はふしぎな生き物と出会う。一粒のミルクキャンディをあげたことからクーイ族の小さな男の子「ヤービ」との交流が始まる。ヤービが語る水辺の生き物たちの胸躍る物語の数々。梨木香歩が愛する児童文学と自然への想いが詰まったマッドガイド・ウォーターシリーズ第一弾。