喪失感や心の傷にそっと寄り添う それが怪談なのだと思います―辻村深月インタビュー

新刊著者インタビュー

2015/10/7

 世間的な認識としては、辻村深月イコール「ミステリー作家」だろう。だが、実は大のホラー・怪談好きなのは知る人ぞ知る事実だ。 「私がホラーに出会ったのは小学生の時です。小野不由美さんがティーンズノベルのレーベルで書いていらっしゃった「悪霊」シリーズを読んで、すごい衝撃を受けました」 「悪霊」シリーズとは、1989年から92年の間に出版されたホラー小説のシリーズで、今なお読み継がれている傑作だ。

辻村深月

つじむら・みづき●1980年、山梨県生まれ。2004年「冷たい校舎の時は止まる」で第31回メフィスト賞を受賞し、デビュー。11年に『ツナグ』で第32回吉川英治文学新人賞、12年に『鍵のない夢を見る』で第147回直木賞を受賞。『ふちなしのかがみ』『本日は大安なり』『ハケンアニメ!』『朝が来る』など著作多数。

 世間的な認識としては、辻村深月イコール「ミステリー作家」だろう。だが、実は大のホラー・怪談好きなのは知る人ぞ知る事実だ。

「私がホラーに出会ったのは小学生の時です。小野不由美さんがティーンズノベルのレーベルで書いていらっしゃった「悪霊」シリーズを読んで、すごい衝撃を受けました」

「悪霊」シリーズとは、1989年から92年の間に出版されたホラー小説のシリーズで、今なお読み継がれている傑作だ。

「それまで私が読んでいたティーンズノベルは恋愛話が中心。それはそれで好きだけど、自分のための物語ではないとの気持ちがどこかにありました。ところが、この作品を読んだ瞬間、『ここだ! これが私が読みたい小説なんだ!』と思えたんです。扱われている恋愛に対しても静かに前向きな結論を出すもので、怪異に対するフェアな姿勢も、その後の私がどう“怖いもの”に接するかの姿勢を形作ってくれたと思っています」

 それは、作家・辻村深月を育んだ最初の種となった。

 ミステリーが仕事5割、趣味5割だとしたら、ホラーや怪談は趣味が8割という辻村さんにとって、怖い話を書くのは何よりの楽しみだという。

「ただ、ホラー系作品集としては前作にあたる『ふちなしのかがみ』に収録した諸作品は、やはり『ミステリー作家として怖さを書く』という意識が抜けなかったので、謎解きのおもしろさは捨てられないと思っていました。そうした枠を外して、今作の結末は読者の想像にお任せします、というタイプの作品が多くなっています」

 理由は、本作に収められた13作品のほとんどが「怪談」を意識して描かれたものだから。

「編集者から『怪談を書いてください』と言われた時には、心の中でガッツポーズをしました(笑)。以前から書いてみたかったんです。怪談って、ミステリーのように、ストーリーの全てをがんじ絡めにする必要はありません。ほんの少し余韻を残して、読み手に作品を委ねるという手法が許されます。だから、そこを思いきり楽しんで書かせてもらおうと思いました」

 それだけに作品としての切れ味にはこだわった。

「書く際に心がけたのは、とにかく好きなことをやろうということ。すると、勢い短編ばかりになりました。私自身、読み手として怪談やホラーは短いものが好きなんです。何かよくわからないけれども、切れ味が鋭くて、すごく怖いものを見たという思いを抱くその感じが大好きなので。そこさえ保証されていれば、時として曖昧に終わる怪談的結末に慣れていない方にも楽しく読んでもらえるだろうと思ったんです」

怪談を書く難しさと楽しさ

 お話を聞けば聞くほど伝わってくる怪談への愛の深さ。だが、愛だけでは優れた作品を生み出すことはできないのも事実だ。

「正直言って、ミステリー以上に気を使って書いたような気がします(笑)。同時に、自分が読者として怪談にどういう怖さを求めていたのか、言語化できていなかった部分がどんどん明確になっていくようなところがありました。

 ミステリーの場合、キメの一行をビシッと出す必要があります。それこそ“キメ顔”みたいな感じで。でも、怪談の場合は間合いが大切です。スピード、緩急など、どのように読んでもらったら私が見せたいものを見てもらえるか、計算が必要でした。ある意味、決めとなる一行が一つの話の中にたくさんある感じです。読み比べるとわかるかもしれませんが、今回は私の他の作品と比べて、改行や一行に一文だけだったりする箇所がとても多くなっています。やっぱり恐怖というのは、たとえ媒体が小説であっても、視覚的な効果がものをいうのだなと、今回あらためて気づきました」

 ページを進めるごとに募る背筋の冷たさは、計算しつくされた文章が生んでいたのだ。強引な印象を一切与えず、いつの間にか物語に絡め取っていく感じは、一流の技巧あってこそ。怪談とは、作家の腕が如実に表れるジャンルであるということだろう。