舞台は江ノ島の写真館! 「ビブリア」シリーズ・三上延氏「生活の営みの場としての江ノ島を描きたかった」

新刊著者インタビュー

公開日:2016/1/6

 累計600万部突破。文字で書くとわずか数文字だが、出版、それも活字本が大きな苦境に立たされている現在に、それがどれほど成しがたいことであるか。そして、それを叶えたそのあとは、今後はなにをどのようにモチベーションとしてゆくか。
 ブームを超えた社会現象を呼び起こした『ビブリア古書堂の事件手帖』シリーズ。作家にとってなにより難しいことは、大ヒット作のその次だとはよくいわれている。三上延の完全新作となる『江ノ島西浦写真館』は、その題名が示すとおり、江ノ島の、写真館で繰り広げられる物語だ。

三上 延

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みかみ・えん●1971年、神奈川県横浜市生まれ。10歳で藤沢市に転居。大学卒業後、藤沢市の中古レコード店、古書店でアルバイト勤務の傍ら小説を書き続け、2002年、電撃文庫『ダーク・バイオレッツ』で作家デビュー。11年より開始した『ビブリア古書堂の事件手帖』シリーズは記録的ベストセラーとなり、テレビドラマ化も話題を呼んだ。
 

「観光地としてではなく、住む場所としての、江ノ島を書いてみたいと思っていました。江ノ島を舞台とした小説はいくつかありますが、その多くは旅で訪れた場所として描かれています。また、僕は藤沢に長いこと住んでいたのですが、江ノ島にはほとんど行ったことがなかったのです。行こうと思えば行けるのだけど、それだけに、なかなか足を運ばない。そんな微妙な距離感を踏まえたうえで、生活の営みの場としての江ノ島を書いてみようと考えました」

 大きな舞台は江ノ島。そして小さな舞台は写真館だ。かつてこの地には写真館がたくさんあったという。

「江ノ島のとある写真館へ取材でうかがったのですが、カメラが今よりはるかに高価で、所有している人が少なかった時代、観光地の写真館は非常に活気があったそうです。海辺や観光スポットへ“出張”して、旅行者に声をかけて、写真を撮って、後日、ご自宅へ郵送するというシステムだったとか。島内で分店をかまえるお店まであって、写真という商売そのものがにぎわっていたのですね」

 けれども、時代の推移とともにカメラ、そして写真のかたちも変化して、否応なく写真館の数は減ってゆく。本作においてもそれは然り。百年間もの歴史を持つ江ノ島西浦写真館は、間もなく閉店されるという状況から第1話の幕が開く。

 写真館の主だった祖母の遺品を整理するため、久々に江ノ島を訪れた孫娘の繭。かつてはプロの写真家を目指していたけれど、その夢を諦めて就職し、静かに、あらゆるものから距離を置いて生きている。写真館のスタジオで繭が見つけた四角い缶。その中には、なんらかの事情で客に引き渡すことのできなかった「未渡し写真」の束が入っていた。そこに刻まれているかすかなヒントや手がかりをもとに、各写真にまつわる謎を、因縁を、繭は読み解いていく。

「世界観としては『ビブリア』に近いというか、その延長のような感じかもしれません。どこの家にも古い本が一冊はあるように、古い写真が一枚くらいはあるはず。過去と現在をつなげる“なにか”を使った設定─それを『ビブリア』では活字によって試みました。しかし、考えてみたら写真やアルバムの方がより身近で、家族の歴史や物語を象徴するものとしてはポピュラーなのではないか……それに、映像での謎解きもまた活字とは対照的でいいかもしれない、と」

 主人公の繭は、小説家になる以前の、若い頃の自分を思い出させるという。

「繭にはこれといった武器がありません。“武器”という言葉は“才能”と言い換えてもいいかもしれない。探偵役ではあるけれど、その能力を活かして生きているわけでもなく、夢に挫折して、その痛みに今も苦しんでいる状態です」

 その苦しみが彼女に陰影を与えている。それは、だれにとっても共感できる、普遍的な苦しみだ。

 なにかに挫折した人は、その後どうなるのか。そういう話をずっと書きたかった、と語る。

「小説家の仕事をしてきて、うまくいかなかった人をたくさん見てきました。才能があり、実力もあるのに、デビューできなかったり、続けられなくなったり……といった人たちを。僕自身なかなか芽が出なくて、もう小説を諦めようかと思った時期がありました。もしもあのとき諦めていたら、どうなっていただろう。いや、そもそも夢が叶わなくとも、それで人生が終わるわけではない。叶おうが、叶うまいが、生き続けなくてはいけない。そんなことを考えながら繭を創っていきました」

 第2話では、繭が写真に挫折するきっかけとなった出来事が明かされる。姉弟のように、親友のように仲の良かった幼なじみの男の子にしてしまった、取り返しのつかない行為。それによって彼の人生を破壊し、繭自身をも打ち砕き、全4話中もっともヘヴィで、読んでいて、だんだん苦しくなってくる。

「僕も書いていて苦しかったです。どの作品でもそうなのですが、第1話はまだ確信のない状態で書きはじめます。いけるかどうか手ごたえを掴めるのは、たいてい2話目です。繭の過去とトラウマをここで説明しなければ先に進めない、ということも分かっていたので、この話がいちばん大変でした」

 この回には、繭の大学時代の先輩として意外な人物が登場する。「ビブリア」シリーズの第2巻に出てきた、主人公・五浦大輔のかつての恋人、高坂晶穂だ。

「晶穂はそれまでに書いたことのない女性キャラだったので、自分のなかでも印象深いですね。まったく善良というわけではない。したたかなところもあって、そのぶん努力家でもあり、作者と同じく自営業者なので、そういう点でも応援したい気持ちがあるのかもしれません」

 そう、本作での晶穂はカメラマンとして独り立ちしており、「ビブリア」よりも少し先の時間設定をとりながら、2つの作品は地続き上にあるらしいことが、読むうちに判明してくる。

「その距離感に注意しました。共通するキャラクターが出てくるからといって、本作と『ビブリア』の両方を読まなければ理解できない、ということだけは避けたかった。それは読者の方に、なにかを強いることになりますので。あくまでも各自で独立しているけれど、世界自体はつながっていて、それぞれの場所で、それぞれの物語を展開している。そういうふうに、物語世界をどんどん広げていきたいなあ……と思うようになっていって」

 共通点はもう一つある。古書店、写真館といった、ノスタルジックな場所への憧憬にも似た愛着が、どちらの作品からも、切実なほどにじんでくる。

「ある程度生きてくると、昔あったけれど今はもうない場所、というのが増えてきますよね。有名な場所ならば記録が残されたりしますが、そうでない場所は、ただ消えていくだけで、覚えている人がいなくなったら本当になくなってしまう。そういうものに、なぜか惹かれます。夜中にふと『昔、あんなところにあんな店があったなあ……』と思い出したり。もちろん、あらゆるものが変わっていくのは仕方がないし、その結果、消えていくものもある。それでも、僕はなるべく覚えておきたいですね」

 本作の着想自体が、高校時代の後輩の実家から得たそうだ。

「そこは大正時代から営業している写真館で、当時は普通に遊びにいってましたが、大人になってから振り返ると、百年近くも続いているなんてすごいことだなあと、改めて気がついて。昔の写真館は徒弟制度だったこと、従業員は住み込みで働きながら技術を学んで、独立していったことなど教えていただきました」

 かつて写真館は、そこで働く者たちを教え、育てる場所でもあった。であるのと同時に、繭をはじめ登場人物の多くはここへ、逃げ込んできたかのように引き寄せられてやってくる。過去に傷ついたり、行き場を失ったり、追い詰められたりした者たちを受け入れ、引き受ける─次第にこの写真館は、そんなふしぎな様相を帯びてくる。

「ある種のアジールみたいな場所としようと、書くうちに方向性が定まっていきました。避難所とか、世俗的な権力でも不可侵な聖域といった駆け込み寺のようなものですね。取材先の江ノ島の写真館で、お客さんの人生相談に乗ったりもするというお話を聞いて参考にしました」

 そんな場所で、さまざまな出会いや出来事を経験したのちの繭の心境を表す、こんな一節がある。「そう簡単に人間は変わらない。でも、ずっと変わらない人間もいないはずだ」。

 それは、大ヒット作を生み出して、それから先をどうやっていくかを模索する自分自身にも重なる実感なのだろうか。

「人間は変わっていくなあ……ということを考えながら、この小説を書きました。言葉にするとネガティブですが、持てる手札は限られているわけで、増えていくカードもあれば、減っていくカードもある。そのなかで、だれもが精いっぱい、やっていくしかないのですね。最近ようやくそういうふうに思えるようになりました。物語を書きながら、書くことで、自分も変わっていく。そんな気づきを本作から得たような気がします」

取材・文=皆川ちか 写真=臼田尚史

 

紙『江ノ島西浦写真館』

三上 延 光文社 1200円(税別)

百年間の歴史を持つ江ノ島西浦写真館は、最後の館主である西浦富士子の死によって幕を閉じる。祖母の遺品整理のために写真館を訪れた桂木繭は、「未渡し写真」の束を見つける。写真館にやって来たミステリアスな美青年・秋孝と共に、繭は写真の謎を解き、注文主に返していく。やがて彼らは、写真を通して自らの過去に対峙するのだった……。