真珠湾攻撃から75年… 生存率20%! 世界最強の「零戦」を操縦した”容姿端麗”エリート青年たち。元フライデーカメラマンが追った、戦場を生き抜いた彼らの素顔とは?【前編】

社会

2016/12/8

 太平洋戦争当時、世界最強の戦闘機として敵国を震撼させた零戦(零式艦上戦闘機)。連合軍から「ゼロ・ファイター」と呼ばれ畏怖されたその戦闘機を操縦したのは、10代後半で海軍に入隊したばかりの20歳前後の若者たちだった。

 少年時代から空に憧れ、ただ飛行機に乗ることだけを夢見たエリート青年たちは、否応なく過酷な戦場に送り込まれて何を思い、どう戦ったのか? 一度、命を捨てながらも生存率2割の戦場を生き抜いた者たちは、戦後の世の中をどう生きて、何を考えてきたのだろうか?

 長年、沈黙してきた零戦パイロットたちに21年前から取材を続けてきたノンフィクション作家・神立尚紀さんの新刊『証言 零戦 生存率二割の戦場を生き抜いた男たち』(講談社)には、今こそ読むべきメッセージが詰まっている。なお、今日12月8日は日本軍による真珠湾攻撃が行われた日にあたる。

神立尚紀さん

フライデーのカメラマンが零戦搭乗員の取材をはじめた理由とは?

――ハワイの真珠湾攻撃から75年目の今年、その戦いに参加した零戦搭乗員の最後の生存者だった原田要さんが99歳で逝去されたと序章にあります。21年前、神立さんがはじめて取材した零戦搭乗員も原田さんだったわけですが、その頃はまだフライデーのカメラマンをされていたんですね。

神立尚紀さん(以下、神立):フライデーのカメラマンは天職だと思うほどすごく楽しかったんですが、20代後半の頃からイトマン事件、雲仙普賢岳、阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件……と大きな事件が重なって家に帰れない日が続いたんです。何年も24時間体制で仕事をしていたら、身体の無理が効かなくなってしまった。ちょうどその頃、作家の森村桂さんと一緒にニューカレドニアに行くことになって、「天国に一番近い島」と言われるウベア島の砂浜に横になったら動けなくなってしまって。「もうここで天国に行ってもいいや」と思ったんですが(笑)、帰国して医者に診てもらったら急性肝炎でした。

 体を壊してハードな現場仕事が難しくなったのがちょうど戦後50周年の年で、零戦の飛行イベントがあるというので何か企画になればと思い取材に行ったんです。すると海軍の帽子をかぶった人や、孫の手を引いて感慨深げに見ている年配の男性が何人か見に来ているんですよね。思い切って「零戦に乗っていた方ですか?」と声をかけたら、「そうなんですよ、懐かしくてね」と言う人もいれば「申し訳ありません。死に損ないですから」と言う人もいて、胸を衝かれました。この人たちは戦前の価値観がひっくり返った戦後の世の中を50年間生きてきたんだと。今まで読んできた戦記物は昭和20年8月15日の終戦で終わってしまうけれど、その後も彼らの人生は続いている。その思いと歩みに興味を持って取材をはじめました。

昭和16年、大分海軍航空隊時代の原田要さん。幼児教育に後半生を捧げたゼロファイター

 原田さんは柳田邦男さんの『零戦燃ゆ』にも出てくる人で、神田の古本屋で見かけた海軍志願兵名簿でお名前を見つけて手紙を出したらすぐにお返事がきたんです。「戦争のことは思い出すのも嫌で50年誰にも話をしてこなかった。しかし戦後50年の節目に湾岸戦争が起きて、そこでミサイルが飛び交う光景を見た若者が『花火みたいできれい』『まるでゲームみたい』と言っているのを聞いて、冗談じゃない、あのミサイルの先には人間がいるんだ。このままでは感覚が麻痺してまた悲劇を繰り返すのではないかと危機感をもった」と。そういうこともあって、「やはり自分の経験談を残さないといけないと思った矢先にあなたから手紙がきたから、タイミングが良かったね」と言われました。



「主人は、戦争を語った夜寝ているときうなされていました」

――原田さんは真珠湾やミッドウェーの激戦をくぐり抜け、ガダルカナル島上空の空戦で被弾、重傷を負ってジャングルをさまようなど凄まじい死線を超えてきた人ですね。

神立:戦後は幼稚園を経営して幼児教育に後半生を捧げました。「この子たちに戦争の悲惨さは二度と味わわせたくない」とよくおっしゃっていましたね。「自分が殺した相手のことは一生背負って行かなきゃいけない。戦争なんて心底もうこりごりですよ。空しさだけが残る」と。ただ15年前に出した『零戦 最後の証言』という本に原田さんのことを書いたことがきっかけで取材が殺到して、奥様から「主人はああやって戦時中のことをいろいろ話していますが、夜寝ているときよくうなされていて見ているのが辛いから、紹介してほしいという話は断ってもらえると助かります」と言われてハッとしたこともありました。

――『零戦 最後の証言』以降、新たに取材した人や今まで取材した人が語った新事実も今回の『証言 零戦 生存率二割の戦場を生き抜いた男たち』には盛り込まれています。戦争体験者のほとんどが90代になり取材自体が困難になってきているなか、これが本当の最後の証言になるのではないかと。

神立:本書が完結編のシリーズその1というつもりで書きました。『零戦 最後の証言』を書いた頃、まだお元気な零戦搭乗員は700人ほどいたんですよ。ですからこのタイトルはものすごく評判が悪くて搭乗員の方々にかなり怒られました。「最後にするな。まだまだ死なないぞ」と(笑)。その後、追加取材を続けていると、なんであのとき話してくれなかったんだと思うこともたくさん出てきました。しかし80歳の頃でしたら朝から晩までぶっ続けで取材することもめずらしくなかったんですが、90歳を過ぎると記憶もあいまいになりますし、健康面も含めて取材するのが難しくなります。僕が出会った零戦搭乗員で鬼籍に入られた方もたくさんいますので、今まで取材した話をもう一度体系立てて再構築して、亡くなった方については最期の様子まで描きたかったというのもあります。「人事は棺を蓋いて事定まる」というように、亡くなるまでの一生を書くことが大事だと思いますので。


零戦搭乗員は、ただ空に憧れ飛行機に乗ることを夢見ていた少年たち

――この本には8人の零戦搭乗員が出てきますが、子どもの頃、空に憧れてただ飛行機に乗る夢を叶えるために軍隊に入った人もいますね。戦争が起きるなんて想像もせずに。

「日本海軍一」と言われた田中國義さん(下中央)

神立:戦争がまだない平和な時代の子どもたちは、空を飛びたい、飛行機に乗ってみたいという夢があってパイロットに憧れていた男の子が多かったんですね。まだ電車も車もいまほど一般的ではない時代で、地方には自転車も見たことがないような少年もいた。当時は民間の航空会社はほとんどないですし、パイロットになるには莫大なお金がかかるので、陸海軍に入るしかなかった。でも全国で年間何万人もの志願者がいて、一高(東大)と並ぶ超難関の海軍兵学校、陸軍士官学校に入るのはそれぞれ数100人程度。成績と身体能力の高さのほか、特に海軍は外交する上で見た目も大切で、“容姿端麗”という条件もあり受験の倍率は数百倍になることもありました。



――写真を見ると、本当にみなさんイケメンでびっくりしました。それほど選りすぐられて鍛え抜かれたエリート青年の多くが、戦地に送り込まれてわずか数カ月で命を落としてしまった。どんなに無念だっただろうと切なくなりました。

神立:単に空に憧れて飛行機に乗りたいと思っていた少年たちが、海軍で訓練を受けて戦闘機の操縦ができるようになった頃、中国との戦争がはじまったんですよね。その後、経験を積んでベテラン搭乗員になった頃にアメリカとの戦争がはじまった。それだけ短期間で育て上げた優秀な搭乗員が戦地に行って戦死するまでの平均余命は、ある調査によると3カ月。平均出撃回数は8回だそうです。大戦末期になると、隊長クラスでも24~5歳ですから。

――青春時代真っ只中で恋人がいる人も多かったのでは?

神立:みなさん、戦争の話はすごく口が重いんですけど、遊びの話になると饒舌でしたね。例えば銀座に「マーチャン」という喫茶店があってそこが溜まり場だったとか、銀座に新富寿司というお店があって、そこの主人が海軍贔屓で行く度にサービスしてくれたとか、料亭で芸者にモテたとか。そういう話はいろいろ出てきましたね。ただ海軍は、素人には手を出すなという掟があって、遊ぶなら玄人女というのはかなり徹底されていたようです。ですからモテた話もプロの女性に対してなんですけど、そういう話になると饒舌になる人は多かったですね。
面白いと思ったのは、何人かの話に出てくる共通の女性がいて、結構、名だたる戦闘機乗りを手玉にとっていたようなんですね。みんなその人のことを「俺の彼女だよ」と言っていました(笑)。あとはラバウルに海中温泉があって、飛行場の滑走路端の崖下に温泉が湧いているんですよ。僕も入ったことがあるんですが、当時そこへ毎日決まった時間に海軍病院の看護婦さんたちがトラックに乗って入りにきたんですね。でも崖の下だから見えないんです。それでも零戦搭乗員たちがなんとかして見たいと考えていたら、超ベテランの搭乗員が「よし、俺が見てきてやる」と。そして、整備のできた零戦のテスト飛行中にその崖の真上の超低空で機体を90度傾けて、急いで機体を立て直し、主翼が地面につきそうになりながら着陸してきたんです。そのあとみんなが駆け寄ってきて「見えましたか?」と聞いたら「おう、見えたぞ。ただしお前ら真似するなよ」と答えたそうです(笑)。そこまでして見たかったんですね。僕も実際にその温泉に入ったとき想像してみたんですが、ものすごい神業だなと思いましたね。【後編へつづく】無謀であるとわかっていながら戦わなければならないジレンマ――「戦死は名誉じゃない。」戦争を美化するドラマや映画の”印象操作”にだまされないために…

取材・文=樺山美夏