今のAV撮影現場は女優をパーツ扱いしている―AV監督・安達かおるが語る「AV出演強要問題」【『遺作』インタビュー前編】

社会

公開日:2017/7/7

『遺作―V&R破天荒AV監督のクソ人生』(安達かおる/三交社)

「きれいは汚い 汚いはきれい」

 かの有名なシェイクスピアの一節だが、確かにこの世にはきれいなもの、美しいものだけではなく汚いもの、醜いものも同時に存在している。

 そのいい例が、ズバリ“うんこ”だろう。どんな美男美女でも、それをしないでは生きていけない。なのにこの社会に、まるで存在しないかのような扱いをうけている。『うんこかん字ドリル』(文響社)は子供たちに大人気だが、それはコミカルにデフォルメされているからで、うんこそのものは常に忌避される存在だ。

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 そんな『うんこ』を撮り続けて約30年。AV監督の安達かおるさんはSMやスカトロなど、「ヌケないAV」ばかり手がけてきた。だから安達さんの半生を追った『遺作―V&R破天荒AV監督のクソ人生』(三交社)は、彼の作品を知らないで手に取ると「うんこ」だらけの文字列にギョッとしてしまうことだろう。

 最近ではAV出演強要問題のシンポジウムにも積極的に参加する安達さんに、長きにわたり関わってきたAVや、それを取り巻く状況への思いについて語っていただいた。

今のAV撮影現場は、女優をパーツ扱いしている

「この本を出したきっかけは出版社の方に声をかけられたからなんですけど、ずっと固辞していました。でもAV出演強要問題が大きく取り上げられたのもあり、それを契機に語ってみようと思いました」

 約400ページもある本を出した理由を問うと、安達さんはこう答えた。

 外務官僚の父親を持ち、イランで育ったのちに学生運動に片足を突っ込んだ青春話や、独立独歩の生活に憧れて、代表をつとめるAV制作会社のV&Rプランニングを設立した経緯など、その生い立ちを詳しく書いている。とくにV&Rプランニングの初期作品を紹介するくだりでは、文化財の建物内で無断SMしたり山中湖のボート上でSMしたりと、あまりのムチャぶりに読みながら笑ってしまいそうになる。だがその時代の現場は、出演者と制作者が一緒に作品を作る楽しさがあったそうだ。

「昔のAVは撮影現場で色恋沙汰が起き、最初はそのつもりもなかったけれど出演者が現場で欲情したり、嫉妬したりすることもありました。ドラマであってドラマでないような、純粋なドキュメンタリーとも違う虚実ないまぜとなった、不思議な映像が撮影できたんです。撮影でのNG事項は当時から確認していましたが、それでも『今まではNGにしてたけど、私もこういうプレイをしてみたい』と女優さんが言い出して、台本をその場で書き換えることもありました。出演者と制作者が仲間となって、作品を作ることができていたんです。

 しかし今はプロダクション側が『フェラ1回で○円』と、風俗店のオプションのような出演料を提示することも多くなりました。事前に撮影内容をすり合わせ、出演確認書にもサインしてもらっています。これはトラブル回避には有効な手段かもしれませんが、女優さんに対して『あなたの顔やおっぱいやお尻は必要だけど、心は不要』と言っているのと同じではないか。自分をパーツとしてしか扱わない現場では、『作品に参加している』という意識が芽生えにくい。女性を軽視した撮影現場では、出演強要問題が出てくるのも仕方がないと思います」

 2013年にキャンプ場でのAV撮影に関わった52人が、2016年に逮捕されている(のちに不起訴)。また2016年、本人の意思に反してAVに出演させたとして、労働者派遣法違反でAVプロダクションの社長らが逮捕されている。AV撮影を取り巻く状況は日に日に厳しくなってきている中、それでも安達さんはギリギリまで忖度せず、好きなものを撮り続けると決めている。

「出演強要問題が取り沙汰されたこともあり、撮影現場が自主規制というか、忖度を始めています。でもAVというのは僕はある意味、他のメディアでは映しきれない人間の裏側を描ける、貴重な表現手段だと思っています。4月にAV業界改革有識者委員会ができて『適正AV』という言葉も生まれましたが、AVが社会に迎合してしまったら存在意義はなくなるのではないか。もちろん、出演強要被害を無くすことはとても大事だから、委員会の取り組みには賛同しています。しかし適正と不適正にAVを分断することに対しては、僕はふざけるなと言いたい」

 ならばかつて社会問題になった、バクシーシ山下監督の『女犯』をリリースした会社の代表として、安達さんは表現についてどう考えているのか? 続きは後編にて。

AV監督の安達かおるさん

取材・文=霧隠彩子