たった「一行」から広がる極上の怖さ―いかにして短いセンテンスに恐怖を込めたのか?〈インタビュー後編〉

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公開日:2017/9/6

『一行怪談』(吉田悠軌/PHP研究所)

 たった「一行」で恐怖を綴る『一行怪談』(吉田悠軌/PHP研究所)の著者・吉田悠軌氏へのインタビュー後編。前編では怪談に対する興味や創作の動機、自身の体験談などを聞いた。後編は、本書のテーマや一行怪談の書きかたなどから、その核心に迫る。なお本書冒頭にはその凡例として、以下の5項目が掲げられている。まずはこれを頭に入れてほしい。

・題名は入らない。
・文章に句点は一つ。
・詩ではなく物語である。
・物語の中でも怪談に近い。
・以上を踏まえた一続きの文章。

――『一行怪談』で書かれているテーマはどんなものが多いですか?

「直接霊が出てくるようなものよりは、世界が変わってしまっている恐怖とか、自分が変わってしまっているんじゃないかというような恐怖ですね。日常の、自分の見知った世界になにか裂け目ができて『自分の知らない異世界が侵食してきてるんじゃないか?』っていう予感が恐怖であり、予感でなければダメなんです。すっかり異世界に侵食されたら、それはもうSFやファンタジーになってしまう。ベースは日常でなければダメです」

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――作中でも、直接的な怖さじゃなく、間接的に感じる怖さの話が多いように思うのですが

「怖さっていうとひとつの感情しかないようにみんな思ってしまうんですけど、違います。包丁持った変な男に追っかけられる怖さや、自分の部屋に、いつの間にか女の髪の毛が落ちてるという怖さでは、違うじゃないですか。あとは、さっき言ったように、自分の知らないところでなにか重大なことが進行してる怖さとか。本当に怖さっていろいろ、何百種類もあって強弱や質によっても違ってきますよね。笑いだってバナナで転んでずっこけるのやバカ殿みたいな面白さもあれば、ブラックな面白さもあるじゃないですか」

――「笑いと恐怖は紙一重」といいますが、吉田さんもそう感じているのでしょうか?

「笑いと比較するのが一番解説しやすいです。日常的に触れていますから。怪談とか恐怖って、そういうのが好きな人じゃないと触れる機会が少ないけど、笑いは日常的に触れているものじゃないですか。対極のイメージですが、感情の質というか、形態が凄く似てるんで、笑いと比較すればわかりやすくなります」

――意外なところから恐怖が見つかるというケースはあるのでしょうか?

「例えば商品の説明書や、歴史年表とかに無意識の一行怪談を感じます。個人の年表も、そういう目で見るとグッとくるものがあって。例えばフランスの哲学者ミシェル・フーコーの年表に、細かい年代は忘れたんですけど、大学の講義後に中東出身の学生から“次の満月の日には気を付けるように指示される”という一節があるんですが、それがなんなのか一切わかんないんですよ。もしかしたらちゃんと調べれば、あるいはイラン革命とかの流れとかで、気を付けてくださいみたいなことを言われたのかもしれないですけど」

――予言も読みかたによってどうとも捉えられますが、同じようなことでしょうか?

「予言も説明書も年表も、コンパクトにしなきゃいけないあまりに、変な作家性が出ちゃうっていうのがあって、集めると面白いかなって。不条理な文章なのに、なんかちょっとわかるというのも怖いですしね」

――ところで凡例にもあるように、物語に対しては一切タイトルを付けていませんが、その意図は?

「僕は基本、タイトルは付けたくないんですよ。付けると区分され、ひとつに標本化されてしまう。怪談って本来だったら、誰かから聞いたこういう話があるというところが怖さのキモだから、そこへタイトルを付けちゃうとひとつの作品になってしまうんです。作品にしたくないんですよね。だからなるべくタイトルは付けないようにします」

――読者に対してぜひ伝えておきたいことはありますか?

「俳句や短歌よりもハードルは低いと思うので、これだったら自分でも作れるなと、思ってもらえると良いかな。注意点としては凡例どおり、一文、一行に収めるのが絶対です。そこを崩しちゃうと意味がなくなるので、その枠は第一で」

――最大ワード数に制限はあるのでしょうか?

「別にいいいんじゃないですか、面白いんだったら。なるべく長くしようというのだけ先行して、内容がスカスカだったら意味ないですけどね。もしかしたら、300行になっても良いのかもしれない。一文であるということを崩すのは絶対御法度だけど、逆にそれを遵守しようとして、なにか工夫が生まれるわけで。作ってみると俳句とか短歌の、今まで延々となしてきた文化の厚みが身に染みてわかりますが、それはそれとして、取り掛かりやすさは非常に強みだと思います。僕では思いもよらないような一行怪談を作ってくれれば、それが文化の厚みになっていくと思うんです。そうして一行物語の面白い文化が生まれてくると、やった甲斐があるかなって気はしますね」

――本日はありがとうございました。一行で表現することの、さらなる可能性を感じる次第です。第二弾、第三弾の『一行怪談』を期待しています。

▲著者の吉田悠軌さん

取材・文=犬山しんのすけ