憎まずポジティブでいること―それが「おかげさま」と思えるご縁を生み出す秘訣【インタビュー】

暮らし

2017/9/29

『憎まない 「おかげさま」と「憎まない」たった2つの日本語で幸運を呼び込んだペルシャ人のお話』(マスウド・ソバハニ/ブックマン社)

 日本では外国籍者が、法人の代表になるのは高いハードルがある。今年1月、兵庫県弁護士会の2017年度代表に韓国籍の弁護士が選ばれた際は、ニュースで取り上げられたほどだった。全国で初だったからだ。

 しかし2013年にすでに、外国人初のロータリークラブ(高松南)会長になった人がいた。『憎まない 「おかげさま」と「憎まない」たった2つの日本語で幸運を呼び込んだペルシャ人のお話』(ブックマン社)著者でイラン出身の、マスウド・ソバハニさんだ。30年前に来日した当初は、“怪しい外国人扱い”だった。しかし今ではペルシャじゅうたんやオリーブオイルを販売する会社の代表で、日本中に友人がいると胸を張る。どうして成功することができたのか。「おかげさま」と「憎まない」がどう縁をつないでいったのか、ソバハニさんに伺った。

■日本はちょんまげの国だと思っていた

 ソバハニさんは1955年、イランの首都テヘランで6人兄弟の4番目として生まれている。当時のイランはアメリカと親密だったため、ソバハニさん兄弟は長男以外、10代でアメリカに渡り勉強していた。しかし1979年に起きたイラン革命により国に戻れなくなり、両親と死別したのを機にハワイで生活するようになる。そんな彼が日本に来たのは、結婚がきっかけだったそうだ。

「ハワイで出会いひと目でピンときた妻のナヒードは、18歳から日本に住んでいました。ハワイは日系人が多いので日本製品にはなじみがありましたが、フィラデルフィアのクリームチーズもジョンソン&ジョンソンのシャンプーもない、ちょんまげの人が暮らす国だと思っていて(笑)。そうしたらナヒードが『誰もちょんまげなんかしてないし、どっちもあるから!』と言ったので、結婚して日本に移り住むことにしたのです」

 2人がイランから離れていたのは、ともに「バハイ」という少数派の宗教を信仰していたこともあった。バハイは和合を掲げ、すべての人の平等を唱えている。しかし99%がイスラム信仰を持つイランでは、迫害の対象でもあったのだ。とはいえいきなり日本に来て、戸惑うことも多かったのではないだろうか。

「確かに最初は経営投資ビザ(当時)が下りず観光ビザしかなかったし、来日時はプラザ合意の直後で、それまで1ドル250~260円レートだったのが150円に急落しました。一生懸命貯めたお金が日本円換算で半分に減ったので、ナヒードにあたったり、『ビザも下りないし、これでハワイに帰れる』と内心思ったりすることもありました。でも滞在するうちにどんどんご縁がつながり、日本を好きになっていったのです」

 ナヒードさんの身元保証人は、奈良県大和郡山市長だった吉田泰一郎氏(当時)だった。来日後、吉田氏に「海の見える場所に住みたい」と相談したところ、香川県高松市に住む少林寺拳法の師範を紹介された。瀬戸内の景色が、生まれ育ったカスピ海沿岸に似ていたことから、高松に住むことに決めた。そこで脇信夫高松市長(当時)と出会ったことで、人生が広がったそうだ。

「外国人登録証を作るために市役所へ行き、アポなしでしたが『市長にお会いしたい』と言ったら、時間をくださったんです。当時ほとんど外国人が住んでいなかった高松を国際都市にしたいと考えていた脇さんは、温かく迎えてくれました。そしてビザが下りなかった私たちの保証人になり、ペルシャじゅうたんの輸入販売ができる手立てを整えてくださいました。こうして脇さんをはじめ、さまざまな方が手を差し伸べてくれたことで、今の私がいます」

■良縁のコツは、自分からオープンになること

 いざ住んでみたら「ちゃらんぽらん」が全く同じ意味で同じ発音だったり、お年玉やこたつがあったりと、意外な共通点もあった。しかしいくら似ている点があっても、外国には変わりがない。どうやって日本暮らしの中で縁をつなぎ、人生をポジティブにしていったのだろうか?

「それは相手から酷い目に遭わされても、憎まなかったことです。子供時代、異教徒だからといじめられたことがありましたが、母は常に『相手を憎まず愛しなさい』と言いました。そうすることでいつしか嫌いな人、憎い人はいなくなったんです。また異文化を知り、偏見をなくすために言葉を学び、自分をオープンにすることも心掛けました。今日ここに来るまでに私は、15人に話しかけたんですよ。『ハロー!』って。避ける人もいましたが、喜んでくれる人もいて。そのうちの1人に『オリーブオイルを売る仕事をしています』と言ったら『私、大好きです!』と答えてくれました。こうして自分から開くことで、相手と心が結ばれます。いいエネルギーを感じ、憎まずポジティブでいること。それが『おかげさま』と思えるご縁を生み出す秘訣です」

 常にオープンでいることで、高松では知らない人はいないほどの有名人となった。神戸に仕事の拠点を移した今でも、月の3割は高松で過ごしている。自分を受け入れてくれた高松には「おかげさま」の思いがあるからだ。

 そんなソバハニさんでも、日本に対して残念に思うことがある。それは銀行や信用金庫に1053兆円ものお金が貯蓄されている一方で、学びたくてもお金がなかったり、学校での生活を苦に自殺したりする子供がいることだ。

「日本には徴兵制もなく、教育も素晴らしいのにお金がなくて学べなかったり、自殺をしたりする子供がいるなんて。たくさんの貯蓄が銀行にあるのだから、そのお金で子供たちを育てて学ぶ機会を与えてほしい。イランの若者には自由がないし、街中で反政権的なことを叫んだら投獄される危険もあります。せっかく自由な国に生まれたのだから壁を作らずなんでもチャレンジして受け入れて、世界を良くしていく。これが日本人の使命ではないかと思っています」

▲ソバハニさん。写真/国見祐治

取材・文=今井順梨