加藤シゲアキ『チュベローズで待ってる』2年半ぶりの新作は、なんと上下巻の大長編

文芸・カルチャー

更新日:2017/12/6

就活に惨敗した22歳の光太は、歌舞伎町のホストクラブ「チュベローズ」のエース・雫に誘われ、ホストとして働き始める。2度目の就活は順調で、全てうまくいくはずだった(AGE22)。10年後の2025年、光太はゲーム会社で働いていた。チュベローズの面々と再会したことから明らかになっていく、10年前の真実とは?(AGE32)

 

〈2015年秋。僕はホストにスカウトされた〉〈2025年夏。ゲームの主人公は僕じゃなかった〉(上下巻のオビ文より)。

ジャニーズ事務所の4人組アイドルグループ・NEWSのメンバーとして活動する加藤シゲアキが、『ピンクとグレー』で作家デビューを果たしたのは2012年。同作から始まる「渋谷サーガ3部作」を年1冊ペースで発表ののち、2015年刊行の初短編集『傘をもたない蟻たちは』で作風の幅を一気に拡大させた。この作家は次にいったい、何を書くのか? 前著から2年半のインターバルを経てついに、第5作にして初の上下巻『チュベローズで待ってる』が届けられた。

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「前の本から2年半も経っていたんだってことが驚きです。だって、前の本を出してすぐプロット作りを始めていたんですよ。同時に原稿も書き進めていたし、第1部は雑誌で半年間連載して……。そうか、そこからが意外と長かったんですね」

『週刊SPA!』で連載した原稿をまとめた前編が、上巻(AGE22)に当たる。

「きっかけとしては、『SPA!』さんから“うちの主要読者であるサラリーマンの話を長編連載でお願いします”って、サラリーマン経験のない自分には大変難しいテーマをいただいたんです(笑)。いろいろ考えた結果、就活を入口にして“サラリーマンになるまで”と“サラリーマンになってから”の2部構成にするのはどうかな、と。かつ、せっかくなら『SPA!』の読者が毎週楽しんでくれるような、スピーディな展開のエンタメにしたいと思いました。文章もなるべく描写を減らして、テンポを上げる。今までの僕の本を読んできてくれた人ならきっと、“めっちゃエンタメしてるじゃん!”と驚いてもらえるものになったんじゃないかな」

後編に当たる下巻(AGE32)は全編、書き下ろしだ。上巻は200ページ強だが、下巻はなんと320ページ超。その理由とは?

「当初は同じぐらいの枚数をイメージしていたんです。でも書いていくうちに、あれよあれよと連載分のボリュームを越えていった。下巻は10年後の未来の話を書くからSFの要素は入ってくるだろうとは思ったけど、こんなにスケールの大きな話になるとは思っていなかったし、ここまでがっつりミステリーを書くつもりもなかったんですよ。ここまでページ数の差がある上下巻って、なかなかいびつですよね(笑)」
 

ホストの経験を通してサラリーマンになる成長譚

「僕にとって『SPA!』は夜のイメージがある雑誌なんです。就活に失敗してサラリーマンになりたくてもなれない主人公を、じゃあ何にならせようかなと考えていった時に、夜ならばホストかな、と」

第1部の始まりは、2015年。大学4年生の光太(「僕」)は、就職試験を30社以上受けたものの全敗が確定し、新宿の路上で酔いつぶれていた。すると、同年代だと思われる男がやって来て、光太が足下に吐いていた吐瀉物をじっと見つめた。「ぎょうさん紅生姜使うタイプなんやな」。そして、吐瀉物の中から紅生姜をつまみ上げた——。

雫と名乗る関西弁の男は、歌舞伎町で有名なホストだった。〈「にいちゃん、俺の話聞いとったか?」「何が」「だからな。ホスト。やるやんな?」/二十二歳の秋、僕が就活浪人を決めた日のことだった〉。これまで書き継いできた“ボーイ・ミーツ・ボーイ”のシチュエーションを、これまでとはあまりにも異なる角度から描き出す、強烈なファーストシーン、完璧な第一章だ。

「この作品に限らず、小説って書き出しが一番大事だと思っているんです。今回であれば主人公が就活浪人になると決まった日、将来は真っ暗でもう誰とも喋りたくないと思っているシチュエーションで、ホストにスカウトされるというのは面白いんじゃないかな、と。しかも平気で他人の吐瀉物を触る人って、怖いじゃないですか。でも怖いからこそ、興味が拭えないんじゃないか。雫という人間に対する得体の知れない興味は、光太が初めて夜の街へ入っていくきっかけになるんじゃないかと思ったんです」

父を亡くしている光太は、自分の稼ぎで母と妹の生活をサポートする必要もあった。出会いの翌日、歌舞伎町の外れにあるホストクラブ「チュベローズ」の扉をくぐると、出迎えてくれたのは白い花・チュベローズの香りと夜を生きる男たち。

スーツ姿で店を訪れた光太に対して、雫が「就職試験」をおこなうエピソードは重要だ。「十万や。これで今から一時間以内に服買ってこい」。買ってきた服がダサかったら、体験入店させず帰らせる——。

「いきなり体験入店させても話としては全く問題なかったんだけど、光太がただの凡人ではないというか、ちょっと面白いところもある人間なんだなっていう興味を持ってもらいたかったんです。どんな服であれば雫にゴーサインをもらえるかは決めていなかったので、このシーンを書きながら僕も頭の中で、光太と一緒に新宿のデパートを駆け回りましたね。“僕”の一人称を選んで良かったなと思ったのは、自分が本当に光太になった気持ちで物語を進められたことなんですよ」

その後も小さなミッションが積み重ねられ、ホストとしての光太は少しずつ売れ出していく。そうしたステップアップのプロセスや、チュベローズの客や他のホストたちとのコミュニケーションの様子は、リアリティ満点だ。

「ホストのことは結構調べたんですかってよく聞かれるんですけど、月収とかデータとして必要なもの以外は、ほぼ調べていないです。ただ、アイドルとしての僕がやっていることは、ファンの皆さまに楽しんでほしいという意味でホストとそんなに遠くないと思うんです。それに、ジャニーズ事務所って男だらけの、それでいて魑魅魍魎の集団じゃないですか。いろんな伝説は耳に入ってくるし、僕自身も年上の先輩に憧れた部分もたくさんあった。そういった経験が、チュベローズの男たちの描写に入り込んできているのかなと思います。例えば、雫が“まつげが落ちてるよ”ってウソをついて女の人の体を触る、とか。自分はやらないけど、ジャニーズの誰かが女性を口説く時にやりそうだな、と(笑)」

夜はホストとして働く一方で、昼間の光太は就職活動に励む。こちらのストーリーラインも、驚きの密度とリアリティが実現している。

「僕は就活をしたことがないけど、近くに話してくれる人がいたので結構聞き込みましたね。マネージャーに“なんでジャニーズに入ったの?”って訊いたら、意外な答えが返ってきた(笑)。

僕はもう久しくオーディションとか受けてないけれど、就職の面接と通ずる部分ってあるじゃないですか。ホストもそうだし就活に関しても、直接は関係ないような自分の経験を、小説の中に活かしていけるチャンスが意外と多かったんですよね。この仕事をしていてありがたいのは、いろんな経験ができること。情報番組のリポーターをする時は行ったことのない場所だとか、普段会うことのない職種の人たちと話すこともできるし、俳優をしている時にはそれこそ会社員の日常とかを疑似体験もできる。結局、取材していないようですでに取材ができているってことかもしれないですね」

その言葉を聞いて、直木賞作家・桜木紫乃が今秋刊行した『砂上』の文章を思い出した。文芸編集者が、小説家に放つアドバイスだ。〈経験が書かせる経験なき一行を待っています〉。虚構とは、作り手が経験した現実を再現するものではない。でも、作り手が経験した現実は、虚構を生み出すためのネタになりエサとなり、絵の具やスコップやルーペになり得るのだ。

「その一行自体が、めちゃくちゃいい一行ですね(笑)。第1部で描きたかったのは“ホストの経験を通して、サラリーマンになる主人公の成長譚”だったんですけど、それって僕自身の実感も入っているんですよ。僕は本を書くという経験を通して、ジャニーズのタレントとしての意識が変わったし、自分を成長させることができた。つまり、一見すると目的とはまったく関係ないようなジャンルを経験することで、本来の目的が達成できるようになった。その実感を主人公の成長に重ね合わせて書いていったのが、前編の物語だったんです」

やがて、前編のラストシーンへと辿り着くのだか……。

「連載の最終回でもあったので、それまで読んでくれていた人が“マジかよ!”ってなる、衝撃的な幕引きにしたかったんです。本で初めて読んでくれた人にとっては、上巻だけ買ってなんとなく下巻は買わずにいたなら、書店に走らざるを得なくなるのが理想です(笑)」
 

止まっていた時間が巻き戻って動き出す

下巻はがらっと世界が変わる。上巻の物語から「10年後」の2025年に時空が飛び、光太は大手ゲーム会社に勤める気鋭クリエーターとして再登場を果たす。「未来のゲーム」を通して未来社会を描写する、その際に作家がイメージしていたのは、ゼロ年代SFのベストと称される伊藤計劃のデビュー長編『虐殺器官』だったと教えてくれた。

「あの小説には未来っぽいガジェット(発明的な小物)がたくさん出てくるんです。それを読んだ時に、未来っぽいガジェットが未来で本当に実現しているかどうかはさほど問題じゃなくて、自分で勝手に未来のシステムを想定して、思うままに作っちゃえばいいんだって勇気をもらえたんですよね。『チュベローズで待ってる』の中にオマージュがあるとしたら、作品名が出てくる『命売ります』や『罪と罰』や、物語の重要なキーになる『君主論』よりも、よっぽど伊藤計劃ですね」

未来の会社員生活がくっきりした解像度で描き出されると同時に、光太は意外なかたちでチュベローズの面々と再会を果たすことになる。2025年の未来においても、ホストという職業は健在すぎるほど健在——そうした描写にもまた、作家の未来観が宿っていた。

「僕はアイドルとして音楽業界にも関わっているけど、CDを出すことがいつしかクラシカルになってデジタル化がもっと進んでいったら逆に、ライブってものの価値が上がっていくかなって思う。それって、ホストも同じですよね」

未来社会を追体験する楽しさを、軽快なテンポで味わっていったその先で、下巻の真の物語が開幕する。上巻を読んだ時の「めっちゃエンタメしてるじゃん!」という驚きと興奮は、「これぞ加藤シゲアキ」という深い納得に変わる。

「前編の最後に残していた謎と、ちょっとした伏線を回収するだけのつもりだったんです。ただ、前編の要素で何か使えるものはないかなと探していって、点と点を線で繋げていくうちに、当初の予定とはまったく違う厚みとか深みが出てきてしまったんですよ。“これを読者として読んだら泣けるだろうな”って……。そんな気は一切なかったし、むしろ、そこから離れたかったはずなのに、『ピンクとグレー』(デビュー作)に近い話になっちゃったなと自分でも思っていますね。誰かの裏側がどんどん分かっていく、止まっていた時間が巻き戻って動き出すような感じは、『ピンクとグレー』からの僕の唯一の作家性と言っていいんじゃないか。言い訳するとしたら、それしかない(笑)」

しかし、もちろん、デビュー作の頃よりも、作家は大きく成長している。大量のアイデアを投下した物語も、軽快さと密度を両立させた文章も、「人間」の有り様を書き尽くすテーマ性も。最後に一言、読者を代表して大声で叫ばせてもらいたい。2年半、待った甲斐がありました!

「そう言ってもらえるのが一番嬉しいですね。書き終わってから本が出るまでの期間って、一番怖いんですよ。今が一番、褒められたい期間なんです(笑)。でも、エンタメ作品を剛速球で投げられたのはよかったし、かといって読み終えて何も残らないものにはなってないんじゃないか。上下巻の、この“長さ”だからこそ出せる感動が表現できたんじゃないかな、と。とにかく、上巻を手にとってめくってみてほしいですね。たぶん、そのまま最後までいっちゃえると思うので」

加藤シゲアキ
かとう・しげあき●1987年7月11日生まれ、大阪府出身。ジャニーズの4人組アイドルグループ「NEWS」のメンバーとして幅広く活動。2012年『ピンクとグレー』で作家デビュー。13年に第2作『閃光スクランブル』、14年に第3作『Burn.—バーン—』を発表(以上「渋谷サーガ」3部作)。15年には初短編集『傘をもたない蟻たちは』を刊行。

 

取材・文:吉田大助

 

登場人物紹介

光太
大学4年生の時に就活に失敗し、ホストに(源氏名は「光也」)。ホストクラブで生活費を稼ぎながら培ったコミュニケーション力を武器に、翌年の就職試験に挑む。感情より行動が先走る、衝動的な性格の持ち主でもある。


光太をホストクラブにスカウトした「チュベローズ」のエース。童顔で小柄、チャラい雰囲気を醸し出してはいるものの、従業員や客から熱い支持を集める、人並外れた魅力を放つ。

亜夢
光太(光也)とほぼ同時期にチュベローズに入った、新米ホスト。幼さの残る顔つきと首元まである髪はフェミニンな印象あり。「同期」の気安さも手伝い、光太と友情を交わす。


同い年の光太の恋人。大手旅行代理店に就職内定。就活に失敗した恋人をねぎらい支えようとする。が、ホストクラブで働いていることを隠す光太と、徐々に距離が開き始めていく。

水谷
チュベローズの老オーナー。従業員に自分のことを「パパ」と呼ばせている。

ミサキ
歌舞伎町のクラブで働く売れっ子ホステス。チュベローズで光太を指名した初めての客となる。雫とただならぬ関係にある?

美津子
売り上げが伸びない光太(光也)を指名した、アラフォーの会社員。店のホームページで光太の顔を見かけ気に入ったというが……。