目立つ外国人力士ほどバッシングの対象に? ファン視点で見た「相撲」の現場【作家・星野智幸さんインタビュー 前編】

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公開日:2017/12/20

『のこった もう、相撲ファンを引退しない』(星野智幸/ころから)

 大相撲をテーマにしたエッセイ『のこった もう、相撲ファンを引退しない』(ころから)を11月に上梓した、作家の星野智幸さんは怒っていた。ここ最近、相撲の現場で起こったことに対してだ。しかしその怒りは、事件を起こした力士に向けられてはいない。彼らを取り巻く、ジャパンファーストの空気に怒っているのだ。

 連日ワイドショーなどであれこれ報道されているものの、事件の背景までは見渡せないままの相撲界に今、何が起こっているのか。これまで、何が起こっていたのか。星野さんにインタビューした。

■相撲は「日本スゴイ」が蔓延する場所に

 星野さんは作家を目指していた1990年代、「貴乃花が優勝すれば、自分も受賞に近づく」をジンクスにしていた。そして貴乃花が相撲を引退した2003年、自身も相撲ファンを引退している。しかし11年後の2014年、白鵬の存在に後押しされて再度相撲を見るようになった。するとそこに広がっていたのは、かつて見ていたのとは違う世界だったという。

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「モンゴル人力士に対する、ヤジが本当にひどかったんです。白鵬が33回目の優勝を迎えるタイミングでしたが、稀勢の里対白鵬戦を国技館で見ていたら、僕の後ろのほうから『稀勢の里がんばれ』ではなく、『日本人力士がんばれ!』という声が聞こえてきて。それがちょっと考え難くて、思わず僕は『白鵬! 白鵬!』と叫んでしまった。その後何度国技館に行っても、必ずどこかから『お前は日本人力士の誇りだ』とか『日本人力士としての魂を見せろ』とか、日本人力士を強調する声援を耳にしました。国別競技ではないはずなのに、相撲までもが国威発揚の場になってしまったのかと、ビックリしました。しかしそういった差別的な応援に対して相撲協会は、注意を示したりルールを設けたりするなどは一切していません。むしろ2016年から2017年初場所まで稀勢の里の優勝へ向けて、『19年ぶりの日本出身横綱誕生!』というブームをNHKと一緒にあおっていたんです」

 相撲にもいわゆる「日本スゴイ」ブームが到来していたということだが、2017年3月には、モンゴル出身の照ノ富士に対して「モンゴルに帰れ」というヤジが飛んでいる。「○○へ帰れ」は法務省が示した、ヘイトスピーチに該当するが、このようなヤジが飛ぶこと自体、真っ当な空間とは言い難い気がする。

「2014年頃は僕自身、路上のヘイトスピーチを目にしていらだち、傷ついていた時期でした。だからそういうものとは無縁の場所に逃避したい思いもあって相撲を再び見るようになったのに、そこにもヘイトの空気が蔓延していました。そして路上では抗議する人がいるけれど、国技館にはいません。異議を唱える声もないし、相撲協会も何もしていません。完全に排外主義が野放しの状態になっているので、『ここから色々なものが突破されて、ゼノフォビア(外国人嫌悪)が社会に広がっていくのではないか』という危機感がありますね」

■目立つ外国人力士ほど、バッシングの対象に

 外国人力士と言えば、かつて「二倍二倍!」のCMで人気を博した高見山をはじめ、ハワイ勢が活躍していた時期もある。この頃は今と比べて、差別意識は薄かったのだろうか?

「高見山は愛嬌で愛されたけれど、小錦は『相撲はケンカだ』と言って物議をかもしたこともあるぐらい勝ち気だったので、差別ともとれる言われ方をされていました。なかなか大関や横綱になれなかった理由のひとつに、相撲協会の外国人への偏見があったのではないかと僕は思っています。そういう意味で小錦は、外国人力士が浴びる差別の先駆者だったかもしれません。現在はモンゴル人力士たちが差別的言動を受けていますが、どこの国かは後からついてくる話だと思います。なぜなら朝青龍と白鵬以外は、そこまでバッシングされていないから。結局活躍して、はっきりモノをいうところが気にくわないのではないか。おとなしく従順に相撲を取っていれば『健気なカワイイ奴』になるけれど、はっきり異議を唱えたり、カリスマ性やリーダーシップが強力な外国人横綱は、目障りで仕方がなくなる。そういう心理が働いているのだと思いますね」

 この本が出た直後、日馬富士による暴行事件が報道され、その場に横綱の白鵬もいたことがわかった。被害者の貴ノ岩もモンゴル出身力士だったため、モンゴル人力士について、色々な意見が沸き上がっている。しかし星野さんはこの事件を、ある意味起こるべくして起こった事件だとみている。

「事件が明るみに出てから『これだからモンゴル人力士は』という空気になるのではないかと懸念していたのですが、本当にそういう空気に包まれてしまいました。しかし先ほども言ったように、彼らはずっとひどいヤジを浴びせられています。そういった状況で戦うことが、どれだけしんどいか。

 相撲は子どもも見るものだから、教育的な側面も考えて力士がふるまいや言動に気を付けるのは、必要なことだと思います。そこに対しての意識が足りなかったと言われたら、それはもっともです。しかし親方絶対の強烈な家父長制のもとにある、疑似家族中心主義で成り立っている相撲部屋に放り込まれると、部屋が世界のすべてになってしまいます。社会常識を学べるかは部屋次第だし、日本語学校にも行けないまま稽古に駆り出され、それでも日本語を覚えないとやってられない状況は、よく考えるとおかしい。だから外国人力士にはまず、日本語と日本のことを学ばせるべきです。相撲協会はそういった教育を怠ってきたのだから、トラブルは起こるべくして起こったのではないかと思うんです」

 星野さんによると、「相撲は国技」には実態がなく、明治以降にできた発想なのだという。それはどういうことなのか。後編に続く。

▲作家の星野智幸さん

取材・文=碓井連太郎