20年間『夫のちんぽが入らない』生活を送った――こだまさんの覚悟、2作目に綴る〈インタビュー〉

文芸・カルチャー

公開日:2018/2/6

『ここは、おしまいの地』(こだま/太田出版)

スーパーで売られる80 円の蟹を見て、「虫より安い」と冷やかす父。娘たちを容赦なく張り倒す苛烈な母。家族のこと、学生時代のこと、臭すぎる新居で暮らした日々のこと、そして「書く」ということ―。生まれ育った「おしまいの地」での出来事を中心に、半生をつづった自伝的エッセイ。恥も弱さも苦難もすべて作品に昇華させる、こだまさんの覚悟を感じる一冊。

『夫のちんぽが入らない』。強烈すぎるタイトルで困惑と動揺を誘ったデビュー作から約1年、こだまさん2冊目の著書が発売された。『ここは、おしまいの地』は、彼女のちょっと変わった半生をつづったエッセイ集。デビュー作の刊行以前、2015年から続く『Quick Japan』誌の連載をまとめた一冊だ。最初に読み切りエッセイが掲載されたのは、15年6月のこと。当時こだまさんは、頸椎に生じたズレを治すため、大手術を終えて退院したばかりだった。

「病気で退職するのは3度目でした。『体もどんどん弱くなっているし、職場に迷惑をかけてまで働くな』と家族に念を押されていました。これからどうやって生きていこうかと悩んでいた矢先に原稿を依頼され、まさに一筋の光が差したような気持ちになりました。当時は連載や書籍化など想像もしていなかったです」

 描かれるのは、家族のこと、故郷のこと、入院中のこと。半径数メートルで起きた出来事を、おかしみと諦観の混ざった筆致でつづっている。

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「『女は〜』とか『妻は〜』『教師は〜』という大きな視点からはとても書けそうにありません。私はどの立場においても脱落しており、何かを語る資格がないように感じてしまい、『私は』で始まる個人の話を書いています。集落、家族、教室、病室……と狭い人間関係で生きてきたことも関係するのかもしれません。私が書けるのは、そんな日常の些細な出来事だと思っています」

 とはいえ実はこだまさん、いまも親族には隠れて執筆活動をしている。私的なことを書けば、周囲にバレるリスクも高まりそうだが……。

「自分からは一切話していませんが、もう周囲はとっくに気付いていて、あえて黙ってくれているのかもしれません。最近そんな気がしています。故郷の集落には書店がありませんが、ネットにも記事が掲載されているので誰かの目に触れているはず。『これが最後かも』と、毎回どこか観念しながら書いています。綱渡りです。だからこそ後悔のないように心を込めて書きたい。『身内の恥をさらすのはもうよしなさい』と親族の誰かに肩を叩かれる日まで書いていきたいです」

自分の弱さを書くことで過去に決着を付けていく

 収録された20編の中で、こだまさんが強い思い入れを抱くのが「川本、またおまえか」。容姿にまつわるコンプレックスについて、同級生の川本君との10年以上におよぶ思い出を交えながら語っていく。

「私には生まれつき顔面に茶色い痣、耳の後ろにはカブトムシくらいの肉厚で大きなほくろがありました。私はそれを恥ずかしく思い、いつも髪の毛で隠していたのですが、小1のとき同級生の川本君に『うんこみたい』と指摘され、クラスのみんなにもからかわれるようになります。赤面症にもなってしまい、一時期『真っ赤なうんこ』という最高に強そうなあだ名も付けられました。そんな周囲に対して萎縮したままの私と、自分の居場所を見つけて手の届かないところまで成長していく川本君との十数年におよぶ話です。顔面のコンプレックスにとらわれていた年月は無駄だったとは思っていません。クラスの笑われ者になった人、卑屈になってしまった人にしか見えない世界があり、それを体験として書けたことは結果的によかった」

「真っ赤なうんこ」も相当なパワーワードだが、入院中の担当看護師による巡回を「偽エグザイルのディナーショー」と例えたり、父が買ったピンクの墓石(「やすらぎ」という文字入り)を桃屋の穂先メンマ「やわらぎ」になぞらえたりと、思わず吹き出すような表現も。手術などの深刻な体験についても、置かれた状況を面白がるように描写している。

「医者に『完治することはない。ずっと向き合っていかなければいけない病』と言われた日から、嘆いても意味がないと悟りました。落ち込んでもキリがないから、落ち込むことをあきらめました。明朗な性格ではないので、カラッと明るい文章は書けないけれど、現実を見つつ淡々と、自虐を込めて書いてます。明るい人だけがポジティブなわけではない。ひねくれた前向きさもあると信じています」

 断片的なエッセイでありながら、自己肯定感の低かったこだまさんが自分の人生を獲得していく過程を描いた私小説のようでもある。

「どの作品も中心にあるのは自分の弱さです。育った集落や家族への不満を並べて終わりにはしたくなかった。自己肯定感が低いまま、変わろうとしなかった自分について書くことで過去に決着を付けていく。そんな作業のように思えました。一冊の本にできるくらいの失敗があったんだから、それはもう成功と言っていい、私の人生はうまくいっている、と自分に言い聞かせたい。無理やりにでも自己肯定感を上げていこうと思います」

『夫のちんぽが入らない』は、夫との20年にわたる「ちんぽが入らない」生活の末、こだまさんが〝普通〞でない生き方を肯定するまでが描かれる。本書でも「『普通』を手に入れるのはとても難しい。そんな基準があるのかさえ疑わしい」など、〝普通〞への違和感をつづっている。

「自分の〝普通〞じゃない顔面や、それを苦しく思う気持ちは、家を引っ越すように簡単に解決できませんでした。いまもトラウマがあり、人に会うのはとても緊張します。でも、それは自分が勝手に判定していること。自ら〝普通〞じゃないという枠を作り、苦しんでいる。『夫のちんぽが入らない』も〝入らない〞ことに一番こだわっていたのは自分自身でした。本を出して声を上げたら、同じように〝入らない〞カップルや性的少数者の方から『その気持ちが痛いほどわかる』と言われました。私だけじゃないし、そもそも〝普通〞がどうこうなんて馬鹿らしいよ、と過去の自分に教えたいです」

 作中からは、「書く」ことへの強い思いも溢れ出ている。肝心なひと言が言えないけれど、パソコンに向かえば堂々と書ける。膿を出すように、情けない胸中を吐き出せる。「こだまさんは書かずにいられない人なんだ」とあらためて痛感させられる。

「人と顔を突き合わせることに苦痛を感じる私にとって、書くことは救いでした。話すことは苦しいけれど、文字ならば心の内を伝えられる。子どもの頃は日記帳だったものが、いまではブログや同人誌、そして商業誌や書籍に変わりました。書くことによってたくさんの人と繋がることもできた。言いたいことを思う存分言える性格だったら、書く世界に足を踏み入れてなかったと思う。口下手でよかったと思えるようになりました」

 店もない、文化も娯楽もない。そんな「おしまいの地」も、赤裸々にさらけ出すことで「おもしろの地」に思えてきた。過去を肯定する感情も芽生えてきたそうだ。

「人の顔色を窺ってビクビクし、失敗ばかり繰り返す。仕事も続かない。病気にもなる。私の過去は惨めなことばかりだと思っていました。でも失敗と一括りにしていたものを紐解いてみると、愉快な出来事もたくさんあった。地味ながらも意外と楽しんでいたんじゃないかと過去をようやく肯定できるようになりました」

「書く」という救いを得て、作家としての道を順調に歩き始めたこだまさん。次はどこへ向かうのだろうか。

「エッセイのほか、小説を書く予定です。身の回りの出来事から少し離れ、新たな挑戦になりますが、言葉や体裁を飾らずに書いていきたい。少数派の気持ちをわかりやすい文章で、読んだ人の心に届くように。一作目が『夫のちんぽが入らない』だったので、何を書いても『前ほど怒られないだろう』と思えるようになったのは得です」

構成・文:野本由起 写真:首藤幹夫

こだま●主婦。2014年、同人誌『なし水』に投稿した短編「夫のちんぽが入らない」が話題に。17年1月、同作を大幅に加筆修正した同名の私小説でデビュー。同年12月時点で13万部に到達し、18年には映像作品とマンガで展開予定。現在『Quick Japan』『週刊SPA!』で連載中。