生活保護のあるべき姿とは? うつ病、生活保護、自殺未遂…“地獄”からの「再生」

社会

更新日:2018/3/19

『この地獄を生きるのだ うつ病、生活保護。死ねなかった私が「再生」するまで。』(小林エリコ/イースト・プレス)

 うつ病に生活保護、そして自殺未遂と、まさに「地獄」を見た小林エリコさんによる『この地獄を生きるのだ うつ病、生活保護。死ねなかった私が「再生」するまで。』(イースト・プレス)は、苦しみから再生するまでの道のりが描かれている。

■統合失調症にされたのは、製薬会社の利益のため

 うつ病を抱え生活保護を受けていたものの、働きたいと強く願う小林さんに、社会は冷淡だった。面接をいくつも落ち、デイケアに通っていたクリニックが始めたお菓子屋のスタッフになったが、月給は1万円程度。打ちひしがれていた彼女に対し、クリニックはありえない行動に出る。それはクリニックが懇意にしていた製薬会社MR(営業担当)が勧めた、統合失調症の薬を処方することだった。小林さんはうつ病で、幻覚や妄想はない。しかし突然、統合失調症と診断されるようになったそうだ。

「私は主治医が絶対だと思っていたので、医者が統合失調症だと言ったらそう思うしかなかったんです。でも幻覚や妄想もなかったし、その『デポ剤』を使っても症状が全然改善されなかった。効かないってことはその病気ではないはずだけど、さすがに私からは『先生、誤診では?』とは言えませんでした。そのせいでめちゃくちゃ痛い筋肉注射を2週間に1度打つ羽目になったので、本当に辛かったです」

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「薬の説明が一番うまかった」小林さんは製薬会社の勉強会に招かれるようになり、豪華なホテルや食事が与えられるようになった。それによりデイケアのメンバーから「クリニックの犬」と疎まれ、もう嫌だという感情が爆発する。再びの自殺未遂を経てやり直しを模索していた中、1冊の雑誌に出合ったことで転機が訪れる。

「あるNPOが出しているメンタルヘルス系の雑誌がクリニックに置いてあって、『こういうのを作っているところだったら、自分も働かせてもらえるのではないか』と思い、電話したんです。最初はボランティアとしての採用でしたが、今もそこで事務として働いています」

 小林さんはNPOによって仕事を得たものの、依然障がい者の労働環境は厳しく、それが就労を阻み生活保護が増える理由になっていると言う。

「障がい者が働く作業所は時給80円みたいなところもあって、病気を考慮した責任のない仕事だからかもしれないけれど、果たして本人の満足度に繋がるかを福祉の現場の人は考えてほしいんです。ヤマト運輸が創設に関わったスワンベーカリー(障がい者を雇用するパン屋)のような、福祉就労でもお金が回るビジネスって他でもできると思うんです。だって障がいを持っていても、働きたい人はたくさんいるから。それに障がい者に歩調を合わせられる会社って、絶対に良い社会だと思うんです。物事がうまくできない人とか、能力が足りない人に対応できる余裕があるということだから」

■生活保護はもっと、安心して活用できるものになれば

 確かに障がい者を雇用する企業はいくつもあるものの、身体にハンディキャップを抱えている人の割合が多い。精神障がい者や知的障がい者が働ける場は、まだまだ少ないのが現実だ。

「あってはならないことだけど、障がい者の中にもヒエラルキーのようなものが存在するのは事実です。過去に障がい者の集団合同面接会に行ったのですが、ある会社に『精神障がい者を採用したことはありますか?』と聞いたら、『一人もいません』と言われてショックを受けて。『障がい者雇用枠で働くのは無理なのかな』と、転職を諦めました。でも障がいを持っていても、働くことで症状が良くなるのは私が経験しているので、どうか色々な障がいを持つ人にも、働く場を作ってほしいですね」

 小林さんは抜け出したくて仕方がなかった生活保護だが、制度自体は決して悪いものではなく、むしろ良いもの。もっと誰にとっても安心して活用できるようになればと願っている。

「なぜなら結婚していても未来はわからないし、夫婦そろって病気で働けなくなることだってあるかもしれない。そうなったら路頭に迷うしかないと絶望するよりは、役所に行けば助けてもらえるのは良いことだと思うんです。だから『受給者は何しているんだ』とバッシングするのではなく、困ったら一時的に利用して、苦境を抜けて納税者になったらやめることができるという認識が広まれば……。そして障がい者も納税者になれれば生きる自信がわくと思うので、同時に就労支援も進めてもらえることを願います」

 小林さんは「次に本を出すなら生き辛さを抱えた10代のために、もう少し読みやすいものにしたい」と言う。

「40過ぎて恥ずかしいんですけど、子供の頃を思い出すと泣いてしまうんですよ(苦笑)。私も登校拒否ではなかったけれど病気がちだったり、いじめられてまともに学校に行けてなかったりしたので、苦しんでいる子たちに『今はすれすれのところにいても大人になれるから、死ぬことは考えないで』って言いたくて。だって死んだら、そこですべて終わってしまうじゃないですか。それに日本の医療技術ってすごくて、なかなか死ねないんです。最初の自殺未遂の時に向精神薬を300錠以上飲んで、三日間意識不明だったので家族は『障害が残ったり死んでも病院を訴えません』みたいな念書を書かされたんです。でも私は、何の障害も残りませんでした。だから今は助けてくれた先生方のためにも、生きていかなきゃって思ってるんですよね」

著者、小林エリコさん

取材・文=今井順梨