椎名林檎も羨んだ才能の持ち主、期待の新人作家・一木けいインタビュー「どんなに苦しい状況下でも、光は射すことを伝えたい」

文芸・カルチャー

公開日:2018/3/4

『1ミリの後悔もない、はずがない』
(新潮社)

「第15回女による女のためのR-18文学賞」で読者賞を受賞し、1月31日(水)に発売された小説『1ミリの後悔もない、はずがない』(新潮社)でデビューした新人作家・一木けい。彼女の才能は、あの椎名林檎をもってして「悔しいです」と言わしめたほどで、単行本の帯には椎名林檎のコメントが寄せられた。そして、発売当日に即重版がかかり、SNSでも大きな話題を集めている。

 そんな気鋭の作家・一木けいとは、いったいどんな人物なのか。そして、本作にはどんな思いがこめられているのか――。

一木けいさん

■自分へのカウンセリングのつもりで生み出した作品

 本作は読者賞を受賞した短編「西国疾走少女」を皮切りに、「ドライブスルーに行きたい」「潮時」「穴底の部屋」「千波万波」と、全5編が収録されている連作短編小説集だ。物語は由井(ゆい)という女性が、中学生の頃を思い出すシーンから幕を開ける。当時好きだった同級生・桐原(きりはら)との淡い恋、ままならない家族との関係、理不尽な教師、同級生からのいじめ……。彼女を取り巻いていた環境は、決して幸せなものとは言えない。けれど、それでもひとりの少女が生き抜くことができたのは、「鮮烈な恋」があったからだ。

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 本作を書き上げた理由として、一木は次のように語る。

「本作は、自分へのカウンセリングのつもりで書いたんです。小学生の頃、実際にいじめに遭っていて。掃除の時間、みんなの机を廊下に運び出す際に、私の机だけが放置されていたり、クラスメイトから罵詈雑言が書かれた手紙をもらったり、トイレで水をかけられたり、当時は本当にひどい状況でした。そんな過去を昇華させるため、突撃するつもりで書きました。そこから目を背けるのではなく、物語にすることで、自分自身を救いたかったんです」(一木、以下同)

 作品の登場人物に自身を投影する。一木は「カウンセリングですから」と笑ってみせるが、自分の過去と向き合うことは相当つらいことだろう。しかし、だからこそ本作を生み出すことができた。

「当時は大変でしたけど、もしもいま、小学6年生の私に声をかけるとするならば、『我慢していれば、この先、きっといいことがあるよ』って言ってあげたいです。実際、こうして小説家になることもできましたし。授賞式の際に、いろんな方から『すごくいい賞からデビューされたと思いますよ』って声をかけていただいたんです。そして、ありがたいことに発売日に重版がかかって。私の作品が誰かの役に立ったんだって実感しました。本当に素敵なことばかりで、人生捨てたもんじゃないなって(笑)」

■どんな状況下でも、一筋の光は射すはず

 本作に登場する人物は、事細かにそのディテールが描写されているわけではない。しかし、その息遣いが聞こえてくるほどやけにリアルだ。他愛もない会話や仕草から人物像が浮き彫りとなり、読者の目の前で生き生きと動き出す。どこか達観し、すべてを受け入れているような由井、寡黙でミステリアスな桐原、明るいクラスメイトや陰湿さを持った女子生徒たち。一木は、彼らを文章で活写する。

 前述の通り、主人公である由井には一木自身が投影されている。それでは、最も愛着のある人物は誰だったのか。それは最後の短編「千波万波」に登場する安伊子(あいこ)という女性だという。彼女は由井を取り巻く複雑な状況を察し、決してでしゃばることなく、それでいてやさしく手を差し伸べようとする人物だ。

「安伊子みたいな人って、滅多に出会えないと思うんです。当時の私も、誰かに助けてもらいたかった。ツラい状況にいることに気付いてもらいたかったんです。でも、大人はなかなか気付いてくれない。だからこそ、安伊子みたいな人がいたらいいのに、私はこんな大人になりたいって思いながら書きました」

 また、もちろん、由井が生きる活力をもらうことになった交際相手、桐原への思い入れも強い。

「桐原には、私のフェティシズムが凝縮されています。書くのが楽しかったくらい、好みのタイプなんです。一番書いていて楽しかったのは、桐原が由井にジャンパーを貸してあげるシーン。それも私の実体験かどうかは内緒ですけどね(笑)」

 由井にとっての救いになった桐原や安伊子の存在。そこには一木のこんな願いがこめられているのだろう。

「本作を書きながら、いま苦しい状況にいる人たちに寄り添いたいなって思ったんです。苦しみの先には一筋の光がある。それを伝えたかった」

 絶望的な状況下にいた由井がそれでも生きられたように、諦めなければ、きっと光が射す瞬間は訪れる。それが誰の手によってもたらされるのかはわからないけれど、諦めなければ、きっと。本作には、そんな一木のメッセージが強く滲んでいるのだ。


■随所に凝らされたギミックが読み手を誘導する

 ひとりの少女の切なく痛い青春を追った本作。それが評価されているのはストーリーの素晴らしさはもちろん、随所に凝らされたギミックの妙もあるだろう。

 たとえば、本作はこんな描写からはじまる。

イカの胴体に手を突っ込んで軟骨をひっぱり出そうとした。粘着質な音が響いたわりに水分は流れてこない。(中略)ざらりと手に吸い付いてくる感触。軟骨は取り除いたはずなのに、そこにもうひとつ硬い何かがある。強くつかんで、一瞬ためらった。(中略)ずるりと引きずり出したものには、目玉がついていた。(中略)丸々と太った魚だった。

 長々と描写されるのは、イカをさばいているワンシーンだ。なんの変哲もないイカから突如出てきた、消化されていない魚の死骸。それは、「消化された恋の思い出」との対比表現だ。

「イカをさばいているときに、実際に魚が出てきたことがあったんです。でも、そのときはそのエピソードを小説に書こうなんて思ってもいなくて。自分の過去のことを思い出して、それを書いてみようと思ったとき、どうすればより伝わるのかなって悩んだ末に、イカから消化されていない魚が出てきたことをメタファーとして使ってみようと思ったんです」

 また、本作に収録されている短編には、随所に「ドライブ」という単語が印象的に登場する。ドライブすることを約束するふたり、実際にドライブできたふたり、できなかったふたり。リフレインのように使われるドライブという単語には、どのような思いがこめられているのか。

「幼い頃の私は、ドライブすることが憧れだったんです。なんだか幸せの象徴みたいで。ドライブって、うまくいっているカップルや仲のいい家族がするもの、というイメージが強くて。だからこそ、それを効果的に使いたいなと思いました」

 イカをさばくシーンや、ドライブという単語に意味を含ませる。そんなギミックが、本作の奥行きを広げることにつながっているのだ。

■タイトルにこめられた本当の意味とは

 一木が小説をはじめて小説を書こうと思ったのは、大学生の頃。当時のアルバイト中に出会った魅力的な外国人女性を文章で描写したいと思ったこと、そして、所属していたゼミの教授から「きみならきっとおもしろいものが書けるよ」と言われたこと、これらが契機となり、一木は小説の世界へと足を踏み入れた。しかし、それでも当時は書けなかった。ようやく書けるようになったのは、大人になってからだったという。

 それから一木は本格的にコンクールに応募するようになり、見事、期待を寄せられる作家になった。しかし、本人はあまり気負っている様子がない。今後もこれまで通り、「情熱と勢いで書いていくだけ」と笑ってみせる。

「プロットを立てるのが本当に苦手なので、あくまでも熱量を大事にして書いていくだけです。今後、書きたいなと考えているお話はたくさんあります。アルコール依存症のこと、いま住んでいるタイを舞台にした物語、少年少女のストーリーも書きたいですね。ただ、いずれにしても“家族”というものがテーマになると思います。まだまだえぐり足りないので、自分の痛みに向かって突撃していきたいです」

 由井と桐原の恋模様を描いた「西国疾走少女」からはじまる本作は、短編ごとに主人公が変わるとともに時間が経過し、それぞれの状況が描写されていく。由井だけではなく、周囲にいた人物たちがなにを思っていたのか。大人になり、当時をどう振り返るのか。少しずつ重なり合うそれぞれの人物の姿から、物語の世界は大きく広がっていく。

 そして、最後の短編「千波万波」では、娘の目線から、あらためて大人になった由井の様子が描かれる。その最後のページを目にしたとき、読者はタイトル「1ミリの後悔もない、はずがない」にこめられた、本当の意味を理解するだろう。詳細は省くが、これは決して後ろ向きな言葉ではない。現在の幸せと過去の幸せ、そのどちらも認めようとする、とても切なく、やさしい言葉なのだ。

取材・文=五十嵐 大