河瀨直美「1000年先に残る映画って何だろうということを考えるようになりました」

あの人と本の話 and more

公開日:2018/6/6

毎月3人の旬な有名人ゲストがこだわりのある一冊を選んで紹介する、ダ・ヴィンチ本誌の巻頭人気連載『あの人と本の話』。今回登場してくれたのは、長編映画10作目にあたる『Vision』が6月8日に公開になる河瀨直美監督。18歳の時、初めて8ミリカメラを手にしてから約30年。生まれ故郷である奈良を舞台に描く渾身の新境地だ。吉野の森でいま何が起こっているのか。最新作に託した想いとは――。

河瀨直美さん
河瀨直美
かわせ・なおみ●映画作家。生まれ育った奈良を拠点に映画を創り続ける一児の母。一貫した「リアリティ」の追求はドキュメンタリーフィクションの域を越えて、カンヌ国際映画祭をはじめ、世界各国の映画祭での受賞多数。また、今年9月20日に第5回目を迎える「なら国際映画祭」をオーガナイズしながら、次世代の才能発掘と育成にも力を注ぐ。
ヘアメイク:冨沢ノボル 衣装協力:humoresque

 風が山を渡っていくと、杉の木立がしなるように大きく揺れる。スクリーン一面にどこか幻想的な緑の風景が広がる。2015年の『あん』、2017年の『光』に続き、河瀨作品の3作目の主演になる永瀬正敏は「世界が絶賛する『カワセ・グリーン』という緑の世界に、また戻ってこれて、そのグリーンの中に立てるのは幸せです」と語る。最新作『Vision』には、河瀨監督の、奈良の山、吉野の森に寄せる深い想いが詰まっている。

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「試写を観て、デビュー作の『萌の朱雀』を思い起こしたと言ってくれた人もいました。あの森の気配とか、その中の家族の営みとか。私にとって吉野の森というのは、人の気配がする場なんです。あの美しい杉木立は勝手に生えてきたわけじゃなくて、人ありき。500年の植林の歴史がある。句碑みたいなのもいっぱい立っていて、松尾芭蕉がここを通ったとか、そういうことが史実として残っているから、単なる知識としてではなく、今、吹いてくるこの風を彼らもきっと感じていただろうと思うんですよ。だから映画の中で、ぶわーっと樹が揺れると人の声が聴こえてくるような感覚になる。それは私が実際に吉野の山を歩いて、感じていることです

 かつて尾根沿いにあった街道は、トンネルができて、車で山を通過できるようになると、やがてすたれていった。

「便利にはなったけれど、人の流れが変わったことで、山は荒れ始め、村はなくなり、かつてあったものをもう見ることはできない。今回撮影した、あの場所には、かつて村があったんです。村跡って書いてある石碑は、美術スタッフがつくったわけじゃなくて、本当に村の人が置いて出ていった跡。トンネルもそうで、今回撮ったトンネルのあとに新しいトンネルができて、旧トンネルは要らなくなった。人の流れは変わったけれど、それを運命と言っていいんだろうかと。歴史はすべてそこに埋まっていて、私はそこを全部歩いた。そうしたら、人々の息吹が見えてきました

 山深い森を歩く河瀨監督の話をうかがっていると、ひっそりと咲く植物や空を渡る鳥たちと交感する梨木香歩さんの小説の世界を旅しているような気持ちがしてくる。

「梨木さんの小説は、友達に薦められて読んだことがあります。普段は見えないようなものを見たり感じたりする。決して、それがフィクションではないと感じられるようなあの感覚は自分とすごく似ているなと思う」

 生きとし生けるものの中で、人間だけが特別ということがあるだろうか。大きな自然に包まれていると、人もまた森羅万象の中のひとつの命に過ぎないという感覚は『Vision』の中にも息づいている。

「これは震災の頃、『朱花の月』を撮っているあたりからずっと思っていることなんですが、自分たちは何でもできるという人間の慢心があらゆるものを破壊している、このまま行くと滅亡してしまうだろうと。本来、生物はもう少し時間をかけないとちゃんと成熟しないのだけれど、えいっ、ぐいって、いろんな力で無理やり成長させてしまってるから、人間だけじゃなくて、地球も疲弊してるだろうなって。もとに戻ろうと思っても、戻る勇気もないし、突き進むしかない。作家として人間としての危機感が『Vision』をつくる時のはじまりにありました。そして、それは現在生きてる人たちだけではなく、何か大きなものからの願いもあるような気がしてるんです。吉野の山にいると、それをすごく感じるんです

 そして前作『光』の公開からわずか3カ月。監督いわく「神秘的な森の磁場に引き寄せられるように」ベストなキャスティングが集結した。河瀨作品の大ファンであり「日本の奥深い森に行ってみたかった」とジュリエット・ビノシュは出演を快諾。

 河瀨メソッド初体験の夏木マリは「スマホも取り上げられて、クランクインの2週間前から吉野の山に住み始めました。ここで生きて暮らしてると、そこにドキュメントのカメラが入ってくる感じ。ちらっと草もちが映るシーンがあるんですが、そのために、私、よもぎを摘んで、水に浸して、蒸すところからやりましたから(笑)」と語る。

「僕としては、まず永瀬さんにご挨拶をしたかったんですが、役として初めて会うまでは、話すどころか目もあわせないでほしいと監督から言われて、これが河瀨監督の現場なんだなと感じました」と緊張気味に話したのは岩田剛典。

 河瀨監督は言う。
「今回、私はプロデューサーもやってるんですが、プロデューサー的な観点からいうと、河瀨直美とエグザイルの岩ちゃんって全然つながらないじゃないですか。その意外性も私自身の刺激になるし、そこで何ができるかっていう挑戦にもなる。スタッフも半分くらいは私の現場が初めてだし、出演者も永瀬君以外は私の現場が初めて。しかも、そこにジュリエット・ビノシュが入っている。すごくいろんなチャレンジがあちこちにあるんですが、だからこそ、みんなでアイデアを出しながらつくっていこうとする。何かちゃんとしたレールがあって、そこを進んでいくんじゃなくて、みんなで草をかき分けながらやっていこうみたいな感じがありました」

 ここからまた新しく始まる。原点回帰であり、これからの10年への胎動の予感も、そこにあったのかもしれない。

「今でこそ河瀨メソッドなんて言われますけど、最初は誰もそんなことはやってくれないし、みんな、山から逃げちゃいましたから。國村隼さんも1回逃げはりましたからね(笑)。おかげさまで『殯の森』以降は、みなさんファミリー、チームみたいな感じで、離れがたい関係になりましたけど

 河瀨監督の映画を観ると、街の暮らしの中では忘れがちな大きな時間の流れを思う。私たちが本当はどんな時間を生きているのか。そこに気づくことができれば、もしかしたら、ものの考え方や落としどころもきっと変わってくるのではないか。

「10作品つくってきて、1000年先に残る映画って何だろうということを考えるようになりました。誰かが表現したものを、もっと時間をかけて、じっくり咀嚼することができればと思うのに、今って何でも使い捨てみたいな時代だから、映画だろうと本だろうとタッチパネルを次から次にスワイプするみたいに通り過ぎてしまって、残らないんですよね。『Vision』も、もっとわかりやすくすることもできるけど、そういうことではなく、もう少し時間をかけて咀嚼してもらいたい気持ちがありました。人類が危機感を持った時、また観てもらったら、あの時、これを言ってたんだなとわかってもらえるかもしれないって。自分も森の中にいて、風を感じるみたいに表現物と出会っていきたいし、そういうふうに出会ってもらえるものをつくっていきたいなと思っています」

(取材・文:瀧 晴巳 写真:干川 修)

 

映画『Vision』

映画『Vision』

監督:河瀨直美 出演:ジュリエット・ビノシュ、永瀬正敏、岩田剛典、美波、森山未來、田中 泯(特別出演)/夏木マリほか 配給:LDH PICTURES 6月8日(金)全国ロードショー 
●人類のあらゆる精神的苦痛を取り去る薬草・ビジョンを探し求めて、吉野の森を訪れたジャンヌ(ジュリエット・ビノシュ)は山守の智(永瀬正敏)と出会う。河瀨監督が生まれ故郷である奈良を舞台に描く渾身の新境地。
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