32歳の若さで夫に先立たれ、自分も死ぬ準備を…涙があふれる『エンディングドレス』

文芸・カルチャー

2018/6/30

 約1年前、夫を病気で亡くした32歳の麻緒(あさお)。未来に希望を見いだせず、みずからも死ぬ準備をはじめた彼女の目に飛び込んできたのは“終末の洋裁教室”のチラシ。それは死に装束を縫うための教室だった――。エンディングノートならぬエンディングドレスを繕うことで、ふたたび生きる力を取り戻してく女性を描いた小説『エンディングドレス』(ポプラ社)。著者の蛭田亜紗子さんにお話をうかがった。

■誰でもやればやるほど上達していく、洋裁の魅力

――「終活」や「エンディングノート」という言葉は世間にもかなり浸透していると思うのですが、「エンディングドレス」という言葉は今回はじめて知りました。

蛭田亜紗子(以下、蛭田) 実際に使われている言葉で、専門店もあるんですよ。だけど死に装束なので当然ながら高齢の方を意識したデザインが中心で、30代の私にはぴんとこなくて。私も洋裁をはじめてから知ったんですけど。

――Twitterでもときどき、ご自身で作ったお洋服をアップされてますよね。

蛭田 実は、今日着ているブラウスとスカートも自分で作ったんです。

――え! 見えない!

蛭田 よく見るとところどころ失敗してるんですけど(笑)

――自分でそんなかわいいお洋服が作れるようになるんですね……。どれくらい続けていらっしゃるんですか?

蛭田 まだ3年くらいで歴は浅いんですが、『ザ・ワンピース 篠原ともえのソーイングBOOK』(文化出版局)という本がきっかけで。なんとなく作ってみたいなと思ったくらいだったのですが、実際に読んでみたら、初心者向けに写真も多めに手順を紹介していて、すごくわかりやすかった。最初は、背中にファスナーがあってウェストがシェイプされているという、わりと難易度の高いワンピースを選んでしまったんですけど、説明が細かくわかりやすかったおかげでなんとか完成させることができた。そこからハマっていくうちに、小説のモチーフに使えないかなと思うようになって。

――麻緒が作中ではじめて作るのもワンピースでした。洋裁の、どんなところが魅力だったんですか。

蛭田 洋裁はどんなに難しくても手順どおりに縫っていけば必ず完成するんですよ。ただ形はできあがっても、たとえば私が作った最初のワンピースは、着てみるとウェストがきつかったり着心地が悪かったりして、すぐお蔵入りになってしまった。次は皺のつきにくい布地にしようとか考えながら経験を重ねていくと、そのつど以前よりいいものが作れるようになっていく。やればやるほど達成感が得られるのが、いいなあって。でも、普通の洋裁教室に通うだけでは物語が広がっていかないので、なにか異質なものを作れないかなと調べていたら、エンディングドレスにたどりつきました。

――毎週日曜日に開催されるから「終末の洋裁教室」。教室の名前も素敵です。

蛭田 なんとなく思いついたんですけどね。最初はそれをタイトルにしようと思ったんですが、より多くの人に手にとっていただきやすいよう『エンディングドレス』に決めました。

■過去も未来もすべて、自分の手で縫い合わせていく

――夫を亡くして1年以上が経ったある日、麻緒は会社を辞め、周囲に黙って死ぬ準備をはじめます。ロープを買いに行ったホームセンターで、死に装束を作る「終末の洋裁教室」のチラシに出会うわけですが。

蛭田 亡くなって1年以上というのは、日常が戻ってきてしまうぶん、直後よりもより喪失感がこみあげてくるんじゃないかと思います。いまだ夫と2人だけの世界に閉じこもったままの彼女が、そこから抜け出していく物語にしよう、と。

――教室で課せられる毎月のお題が印象的でした。エンディングドレスにだどりつく前に、まずテーマに沿って普通の洋服を作るんですよね。その最初が「はたちのときにいちばん気に入っていた服はなんですか?」。

蛭田 麻緒が夫の弦一郎と出会ったのが、20歳のとき。まず、その過去から向き合うところから物語をはじめたかったんです。

――外部との接触をできるかぎり絶っていた麻緒が、中学の同窓会に参加することを決めたのは、〈十五歳のころに憧れていた服を思い出してみましょう〉というお題が与えられたからでした。〈弦一郎と出会ってからは、彼がわたしの暮らしのまんなかにいた。だけど、それ以前の人生も確かにあったのだ〉という独白は印象的でした。

蛭田 彼女にとっての弦一郎はあまりに特別で、出会ってからは2人だけの世界にどっぷり浸かっていた。それはとても幸せで穏やかな日々だったけれど、どこか視野が狭くなってもいたんだと思います。麻緒は弦一郎を失ったことで、自分のすべてが失われたような気がしていたけれど、それだけじゃなかったはずだということを、洋裁を通じて取り戻していけたら、と思いました。

――過去にどんな服を着ていたかを思い出そうとすると、付随して自分がそのころ大事にしていたものや、なにを考えて生きていたかが蘇ってきますよね。ときに黒歴史である可能性もありますけど(笑)。

蛭田 そのときの生活によって、身にまとうものって変わりますからね。内面にも環境にも、ものすごく影響される。若いときはなにが似合うかよりも、ファッションに対しては憧れのほうが強い気がします。それがだんだん、日常と洋服がなじんでいって、自分らしくなっていくというか。

――「人は生まれることも死ぬことも自分では選べないけれど、何を纏って生きるかは選択することができる」と山本文緒さんも推薦コメントを寄せています。

蛭田 麻緒は死ぬ準備の一環として、着るものも最低限を残してすべて捨ててしまった。だけど期せずして、洋裁教室でエンディングドレス以外にも、自分のために服を作るようになった。その作業は、自分を大切にすることにもつながると思うんです。最初はろくに食事もとらずに自分を粗末に扱っていた彼女が、一針ずつ布地を縫い合わせながら、時間をかけて再生していけたらいいな、と。

――服を完成させていくことは、自分自身のパーツを縫い合わせていくこと。作中のこの表現がとても胸に響きました。麻緒は洋裁を習うことで、これまでの自分の人生を縫い合わせていったんですね。

蛭田 人生はすべてつながっていますから。洋裁教室の人たちと触れ合って、最初は拒絶していた彼女も、思いがけず自分を見ていてくれる人がいる、夫以外の誰かにも大切に想われていたのだと思います。

――ちなみに蛭田さんの、お題に対する答えは?

蛭田 20歳の頃は、『CUTiE』とか『Zipper』とか原宿系ファッションがはやっていて。私もバンドの追っかけをしていたので、そのときの勝負服が気に入ってたかな。もう、そのブランドはなくなってしまったけど。15歳のときは……あまり洋服に興味がなかったかな(笑)。

■洋服は、自分らしく生きていくための武器

――洋裁教室で一緒に習う3人のおばあちゃんたちも、とても魅力的でした。

蛭田 死に装束を習うから、というだけでなく、実際に布地を見に行っても、洋裁をするのは年配の方のほうが多い印象なんですよね。せっかくなら、まるでタイプの違う3人のおばあちゃんを描こうと思いまして。千代子さんは大正生まれ。若い頃に戦争を経験していて、いわゆる皆さんが想像しやすい“おばあちゃん”。リュウさんは、元ストリッパー。これは私自身が、ストリップを見に行くのが趣味なので。

――どんなところが魅力なんですか?

蛭田 自分が演者でありプロデューサーでもある、っていうところですかね。流れは決まっているんですけど、決められた枠のなかでいかに自分を表現できるかという創造性を試されるところがあって。ダンスが抜群にうまい人もいれば、ストーリー性で魅せる人もいる。ひたすら愛嬌をふりまく人がいたり、それぞれおもしろいんですよ。

――リュウさんの、誇りをもって生きている姿はとてもかっこよかったです。しのぶさんは、こうあるべきという世間の目と、自分らしく生きたいという想いの狭間で揺れてきた方でしたね。

蛭田 いまはわりと、女性らしく、男性らしく、という枠組みからファッションも生き方も自由にはなってきていますが、それでもまだまだですよね。私も20歳くらいまでピンク色の洋服って着られなくて、色のイメージとかで、自分には合わないと思い込んでいることは誰しもあるよなあと思います。

――自分で自分を縛ってしまうんですよね。その意味では、麻緒が死ぬ準備としてすべての服を処分していたことが、再生の第一歩だったのかなあと思います。

蛭田 麻緒は決して清い人ではなく、どちらかというと彼女の夫に対して抱え続けている後悔は、人によっては許せないことだと思います。だけどその過去も含めて、彼女は自分の人生を縫い合わせていく。誰にも肩代わりできないその後悔を、残された人は自分で昇華していくしかできないのだから……と思いながら書いていました。縫い物の小説だからどうせほっこり系だろ、とか、おしゃれなやつだろ、とか思われるかもしれないんですけど(笑)、そういう方にこそぜひ読んでほしいなと思いますね。

取材・文=立花もも 撮影=内海裕之