30年間現役、女子プロレスの最前線で活躍するアジャ・コングの原動力とは(後編)【プロレス特集番外編】

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更新日:2018/8/21

 ヒールレスラーとして、いまも第一線で活躍し続けるアジャ・コングのロングインタビュー。後編では、先輩・ブル中野への思い、全日本女子プロレス退団以降の軌跡、現在の女子プロレス界について感じることなどを訊いた。

※写真は【OZアカデミー】7月8日新宿大会「アジャ・コングvs米山香織」より

金網を見上げて、「あの人は降ってくるな」とわかった

――アジャさんとブル中野さんと言えば、90年11月の壮絶な「金網デスマッチ」(※リングの周りに金網が張られ、その中で試合をする。先に脱出した者が勝利となる)が記憶に残っている方が多いと思います。

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アジャ リングに倒れたまま、中野さんが金網のてっぺんまで登って行くのが見えて……そのままエスケープしたら中野さんの勝ちだったんですが、「あの人は降ってくるな」ってわかったんですよ。「ちくしょう、これで負けるんだな」と思った。ただ、負けるにしても逃げるのだけはやめよう、死んでもいいからきっちり受けてやろうと思いました。

――金網のてっぺん、4メートルから中野さんがアジャさんにギロチンドロップを放ち、アジャさんは避けることなく、それを受けました。

アジャ 受けた瞬間「死んだ」と思いました(笑)。でもあれで生きていたことで、まだいけるぞ、とも思いましたね。

――その後、2回目の挑戦で「赤いベルト」を中野さんから奪取されますが、そのあと燃え尽きてしまわれたそうですね。

アジャ はい。やったぞっていう気持ちよりも先に「明日からどうしよう」という気持ちになってしまった。ベルトをとった瞬間にとったことを後悔しましたね。赤いベルトをとること、ブル中野を倒すこと、その2つを目標にしてきたのに、2つとも達成してしまった。そうしたら、もうやることがなかったんです。

――そこから団体対抗戦が始まっていくわけですが……。

アジャ 一切興味がなかったです。私からすると、女子プロレスラーの頂点は、全女の赤いベルトを巻いている人で、その歴代1位はブル中野なんですよ。ほかの団体にどんな選手がいようが関係なかった。そのブル中野を倒した私に、かなう奴なんかいるわけがないと思っていましたから。全女には北斗晶、堀田祐美子、豊田真奈美、井上京子という猛者もいて、それでも倒せなかった中野さんを私が倒したんだから、と。そんなふうに思いながら対抗戦を続けていくうちに、ダイナマイト・関西(JWP)に出会って、自分は井の中の蛙だったんだ、と気づきましたね。試合には私が勝ちましたけど、全女じゃなくてもすげえことできるやつがいるんだと。

――やっぱり相手がいてこそ、プロレスは続けたいと思うものなのですね。

アジャ 相手がいて、初めて成り立つものなのでね。

ベルトを失っても「横綱」でいることが嫌だった

――対抗戦の後、全女を退団されたのはなぜですか?

アジャ ブル中野から受け継いだ赤いベルトは絶対渡すもんか、と思っていたのに、他団体に流出させるという歴史に残る汚点を残してしまって。赤いベルトを持っている人が名実ともにトップ、「横綱」のはずが、ベルトをなくしても私の「番付」は横綱のままだったんですよ。別格だと言われてしまった。本当はベルトを取り返してくれた豊田や井上が横綱にならなければいけないのに……。「居心地はいいんだけど居心地が悪い」という状況になってしまって、このままじゃだめだと思うようになりました。

――そのままいれば安泰ですが、それはお嫌だったのですね。

アジャ それで、じゃあ何がやりたいのかと考えた時に、この世界に入るきっかけになった長与千種さんと対戦したいなと。長与さんが引退されてしまったので、シングルマッチはやったことがなかったんですよ。でも対抗戦時代に復活されていて。会社にそう言ったんですが、長与さんの会社とうまく調整ができなかったようなので、じゃあ私が会社をやめてフリーランスになればいいのかなと思いました。自分のなかでプロレスは一通りやり尽くしたと思ってもいたので、長与戦が叶ったらそこでやめよう、と。

――なるほど、そういうことだったのですね。

アジャ 「全女」のアジャ・コングじゃなくなった時に、自分がどれくらい通用するのかに挑戦してみたいという思いもありました。1年期限を切って、どれくらいの団体が自分に商品価値を認めてくれるのか試してみようと思いました。でもフリー宣言をしたらすぐに長与さんとのシングルが組めたんですよ(笑)。叶っちゃったらやめなければいけないのかな?と思ったんですが……長与さんとのシングルを終えても満足はできなかった。憧れは憧れのままにしておいたほうがよかったかなと思ってしまって。むしろ、もっとやりたいという欲求が出てしまった。そこからオファーが途切れることもなかったので、いつの間にかここまで来ました(笑)。

初めて来た人を満足させられる、若い選手がたくさんいます

――30年のキャリアがある選手で、スポット参戦とかではなく、アジャさんのように試合に出続けている選手はほかにいないですよね。

アジャ そうだと思います。月に2~3試合はずっと出ていますね。コンスタントに動いてないと逆にしんどいんだろうなと思います。

――しかもベルトに挑戦して、激しい戦いを経て奪取したりもされていて……本当にすごいことだと思います。

アジャ 30年間、泥水すすってやってきたんだ!っていう気持ちはありますね。だから今の自分がある。よくプロレスって、スポーツなの? エンタメなの?って聞かれることがありますが、私は「究極のエンターテインメントスポーツ」だと思っていて。肉体を極限まで鍛え抜いているから、技を「受けて」、見せることができるんです。そりゃ殴られたら痛いですよ。蹴られたら痛いです。プロレスは「究極の我慢比べ」なんですよ。それを30年間やってるので、そこに関してだけは、どんなすごい経歴のある人にでも……たとえ吉田沙保里さんにでも負けないと思います。我慢はできないだろうと思うので(笑)。

――今の女子プロレス界をどう見ていますか?

アジャ 対抗戦が終わって「冬の時代」に入ったとか言われましたが、やる人がいる限り、夏も冬も関係ないよって思います。今、男子のほうも盛り上がってきていますが、プロレスはもう、当たり前にあるものとして受け入れられたのかなと。昔は「プロレスに市民権を!」みたいなことが言われていましたけど、その必要もなくなった。テレビ放送をしなくなったので、確かにファン以外は女子プロレスに接する機会は少なくなっているんですが、この前も平塚の七夕まつりとか、プロレス会場以外のところでもプロレスをさせていただいて。そういう時って、「今からプロレスやりますよ」っていうと5000人とか1万人とかの人が集まってくれるんですよ。だから、やっていれば、みんなプロレスを観るんです。やっているってことをどう知らせるかを考えていかなきゃいけないですね。アジャ・コング目当てで観に来てくれた方も、帰る頃にはほかにお気に入りの選手を見つけて「次はあの人を観に行こう」と思って帰っていく。初めて来た人を満足させられる若い選手が、いまたくさんいます。

――これまでも節目節目でいたように、アジャ選手に並び立てるような強い選手が必要なように思うのですが……今ですと里村明衣子選手(センダイガールズ)がそうでしょうか?

アジャ そうですね。先輩の中野さんに生かしてもらって、同期のダイナマイト・関西に生かしてもらって……今度は里村明衣子という後輩に出会った。最初は「このクソガキが!」って思いましたね(笑)。私が中野さんの立場で里村を引き上げたところもあったかもしれないんですが、やつはどんどん先に行って大きくなった。今は私がひっぱられています。里村のセンダイガールズには、橋本千紘っていうアマレス出身のいい選手も出てきましたし。今、各団体合わせて、毎年10~15人くらい新人が入ってきているんですよ。これからどんなふうに化けていくのか……本当に楽しみですね。

(前編)30年間現役、女子プロレスの最前線で活躍するアジャ・コングの原動力とは【プロレス特集番外編】

取材・文=門倉紫麻 写真=江森康之