「30代は一番比べっこしがちなしんどい世代」小島慶子が語る、女たちのしんどさと今どきの「幸せ」

暮らし

公開日:2018/8/29

 このほど、タレント・エッセイストの小島慶子さんの小説『幸せな結婚』(新潮社)が出版された。会社を辞めて夢を追うイクメンの夫・浩介×スタイリストの仕事が絶好調で勢いに乗る妻・美紅、家事と育児ばかりで孤独な妻・恵×チャンスを掴もうと必死のラジオDJの夫・英多。2組の夫婦の虚像と実態を鮮やかに描き「幸せ」とは何かをするどく問う物語だが、実は登場する女たちが「私のほうが幸せ!」と比べっこする心理のリアリティもゾクっとするほど怖い。「40代になって楽になった」と語る小島さんに、そんな女たちのしんどさと今どきの「幸せ」について聞いた。

●比べっこでしか幸せを実感できない時代

――この小説を書こうとしたきっかけを教えてください。

小島慶子さん(以下、小島) 今まで書いた小説は割と女同士のやりとりが中心だったんですが、今回は夫婦という単位にしてみようと。おおまかに同じ町内に住む華やかな妻とイクメンの邪な夫婦と二人ともイケてない夫婦の二組、たとえば前者はイクメンが意外にクソ野郎だったり、妻が稼いでいくことに夫の気持ちがざわついたり、かたや後者は全然家事をしない夫で、二人とも夢だけで才能がなかったり…というイメージはあって。結末までは決めていなくても、そういう人たちが出会っていく中で、「本当に自分は幸せなんだろうか」という思いがそれぞれに変化していく感じを描いていきたいと思ったんですね。どんな夫婦にもそれぞれの幸せの追求の仕方があるわけで、それは清くも美しくもないかもしれないけど、でも幸せってそんなもんなんじゃないのかって。

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――女たちの根底にあるシビアな格付け感もかなり気になりました。

小島 今はSNSなどで人との比較がしやすくなり、比較を通じてしか幸せを実感できないようなところがあるように思います。一方で比較の基準があまりにも多様化しているので、自分の幸せについて確信が持てなかったりもする。だから必死にアピールしたり細かく比べたり、どこか一つでも相手より自分が優るところを探して比べっこしたりする…そんな焦りや不安が強いように思います。物語の女たちもお互いに比べっこして「あんなのは幸せじゃない」と蔑みあっています。

 実は私は小説を書く上で、その元の元にある「共感してしまった部分」をずっとテーマにしているんですが、人を嫌いになるときって、相手の心理にどこか身に覚えがあって、心の動きが見えたりするから「この場面でそういう行動をとるの、なんかヤダ」となるんですよね。つまり「共感」からスタートしないと嫌いにもなれない。

 今回もそうですが、私の小説に出てくる女同士って価値観がばっちり合うことなんてないし、自分自身が彼女たちと友達になれるとも思えない(笑)。ただ「このしんどさには覚えがある」とか「この浅ましさ私にもある」とか、相手の心の底の不安や欲望がわかってしまう部分を「一抹の希望」として描きたいというのはありました。場所を移したり状況が変化したりすれば、それがほのかな友情めいたもの、遠くから共感するみたいなものになることもあるだろうし、それは意外と悪いものじゃないだろうと。

●30代は一番比べっこしがちなしんどい世代

――エッセイで女同士の関係に難しさを感じた経験を書いていらっしゃいますが、そうした経験は女同士の小説を書く上で役立っていますか?

小島 私、40歳を過ぎて、「シスターフッド」というものが段々わかってきたんです。それまでは女の連帯・連携なんて絵空事で、「私たち女は」みたいに性別が女というだけで括られるのもすごく気持ち悪かったんですが、実は思っていたようなネトネトしたものではなく、もっと労わりに満ちたいいものなのかもしれないと思うようになって。

 20代は自分のことで精一杯で、30代は分かれ道がいっぱいあって、ものすごく人と比較する時期。でも40代になると自分の限界も見えて、いろんな人への感謝とか自分への労わりも出て、「わかる~そうだよね」とすごく平和的な関わりができるようになるんですよね。自分の中で一回りして受け入れられるようになったのか、女同士の関係に希望を見出せるようになりました。その心境でかつての自分も含め下の世代を見ると、比べっこしている子のしんどさもわかるし、なんだか女の子たち全員が愛おしいという気持ちになる(笑)。

――小説の女性たちは30代。たしかに一番しんどい時期かもしれません。

小島 30代は結婚するしない、子どもを産む産まない、仕事をやめるやめないなど、たくさん選択肢がある世代。選択次第では仲良しの友達と疎遠にもなるし、「この選択で正しかったの?」との不安から細かい比べっこも一番してしまう。「今ならこの子を名門私立に入れることもできる」と子どもすら自分の格上げの勲章というか、自分の選択の正しさを証明するためのアイテムに使ってしまったりする。仕事にしてもまだ達成感を得るところまでもきていないし、女は厄年もいっぱいあるし、ほんとにしんどい時期ですよね。この歳になったから、そういう女の人が特に陥りがちな比べっこの痛々しさも書けるのかもしれません。

――たしかに経験者として、見守る視線みたいなものはありそうです。

小島 私にも恵みたいに根拠もないのに「才能はあるはずだ!」って思っていた時期もあるし、美紅のように「子どもが邪魔だと思うなんてダメな女だ。でも私はそういう女だから仕方ない」みたいな気持ちになった時期もあります。読者の方もそうやって自分を見つけてもらえたらうれしいですよね。恵100%でも、美紅100%でもないけれど、彼女たちの気持ちがわかってしまう自分がいるかもしれない。

●相手を否定する気持ちの元にある「共感」を希望に

――タイトルですが、なぜ『幸せな結婚』なんでしょう。

小島「幸せな結婚がしたいと思ってしたつもりなのに、こんなはずじゃなかった」ということから、「幸せな結婚」がキーワードとして出たんです。で、同じタイトルがあるといけないのでネット検索したら、出てきたのがみんな婚活サイトみたいなものばっかりだったんですよ。つまり相手とか価値観とか自分の結婚のイメージが湧いていないにもかかわらず、「するんだったら“幸せな結婚”じゃなきゃいけない」と、「検索すればそれにたどり着けるんじゃないか」と考えているということですよね。「幸せな」の部分は本来自分が決めることなのに、そこにあるのは他者の目であり、自分の結婚が「成功した」というのを見せたいという欲望。その闇が怖すぎて、このタイトルになりました(笑)。

――こうやって小説で提示されると、なんだかそうした幸せの小競り合いがバカみたいにも見えてきます。

小島 そうですね。ただ、バカみたいって思ったときに、じゃあ自分の幸せはバカみたいじゃないのかって考えてほしい。たぶんバカみたいですよ。私のがそうであるように。でも、バカみたいでいいと思うんです。バカみたいと思ったときは、相手の気持ちに共感してるからそう感じるわけで。だったらその共感している気持ちを大事にしてもいいんじゃないかと思います。

 今、多様性のある世の中はすばらしいといわれますが、それは自分と価値観の違う人が増えていくということでもあります。違うから理解できないという考えも出てくるでしょうし、無理に理解しなくてもいいと思います。でも「幸せになりたい」とか「安全を確保したい」とかいう必死の欲望に遠くで共感する気持ちがあれば、それが一抹の希望になって、大きな天井のように人と人を遠くから繋いでいくみたいなことがあるんじゃないかと。

――「幸せ」ってなんでしょうね。宙に浮いている感じがします。

小島「幸せ」ってほんとに、人類共通の価値で誰もが欲しがるもの、みたいに言われているけれども、よくわからない。自分が「あー幸せ」って思うのにしても、これで100%なんて純度の高い幸せを感じるなんてめったにないし、持続しないし、そうじゃなかったら幸せじゃないのかっていう。

 とはいえ私もずっと純度100%でないと幸せではないと思っていたんです。実は30代のときに夫に不信感がめばえるようなことがあったんですが、それでも「こんなにいい男が夫で子どもも仕事もある、私は幸せなんだ!」って思い込むことにして、その不信感をおばけ扱いして古井戸に閉じ込めたことがありました。でも彼が仕事をやめて収入がなくなったとき、その井戸の蓋がまた開き始めて、それで「私の幸せはお金が重石となって機能し維持されていたのか」と気がついてしまった。その後オーストラリアに移住したんですが、そのままでは完全に蓋が開いておばけが出てきてしまうのがわかったからです。今度はお金の代わりに移住という非常事態を重石にして、再びおばけを閉じ込めたわけです。ところが最近、またそのおばけが出てきてしまって…。そろそろこのおばけ込みの状態も「幸せ」と呼ぶことにしようかな、呼んでもいいよねって思い始めているところなんです。

 たとえばお酒にしても純度100%だけがアルコールではないですし、4%、10%、30%といろいろありますよね。幸せも同じようなもので、いろんな不純物がまじっていても、それなりにそれが幸せとして存在していいんじゃないかと。この本を読んで、「こんな夫婦、バカみたい」って思ったら、じゃあ自分たちがここに3組目の夫婦として登場したらどう思われるか想像してみてほしい。たぶん「この3組目もバカみたい」って他人からは言われるんでしょう。でも、そんな夫婦なりに幸せだと言ってもいいのかも、と思ってもらえたら嬉しいです。

取材・文=荒井理恵 写真=中 惠美子