5周年ベストアルバムに詰め込まれた、「物語たち」の軌跡――fhána・佐藤純一インタビュー(前編)

アニメ

公開日:2018/12/28

 fhánaがTVアニメ『有頂天家族』のエンディング主題歌である1stシングル“ケセラセラ”を発表したのは、2013年8月。12月12日に発売されたベストアルバム『STORIES』は、彼らのメジャーデビュー5周年を記念してリリースされたわけだが、まずはfhánaにまつわる数字に着目したい。彼らは、5年間でシングルを13枚(表題曲はすべてアニメのタイアップ楽曲)と、オリジナルアルバム3枚を制作している。かなりハイペースな活動をしてきたと言えると思うのだけど、これはそもそもfhánaにはどのようなアニメ作品に打ち返せるだけの音楽的素養が備わっていること、そして各楽曲を反芻し、総括し、クリエイティブへとフィードバックしながら進化を重ねてきたことを証明する事実でもある。結果、fhánaは今、アニメ音楽以外のフィールドでもその存在感を示しつつある。実際、非常に稀有なバンドだと思う。

 今回は、fhánaの創作面を牽引するリーダーの佐藤純一にロングインタビューを実施した。前編では、ベストアルバム『STORIES』までの過程で、さまざまな「物語」と向き合ってきたfhánaの5年間の歩みを訊きつつ、5つの視点から収録曲を解説してもらった。fhánaの物語は、まだまだ続いていく。これから生み出されるアウトプットにもさらに期待したくなる、そんなテキストになったのではないかと思う。

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物語がfhánaのベストアルバムによって交わる、寄り集まってくるイメージが湧いたことで、全部つながった

――ベストアルバムが完成した今、佐藤さんが感じていることを教えてください。

佐藤:ベストアルバムという体裁をまとった、超豪華シングルです(笑)。書き下ろし曲の“STORIES”を作って、ライブベストCDとライブブルーレイの作業も、それなりに重量級でした。ライブブルーレイも、よくある5~6曲のダイジェストじゃなく完全版で、単体のアイテムとして売っているクオリティのライブブルーレイになってます。

――なぜライブブルーレイの完全版をつけたかったんですか?

佐藤:『World Atlas Tour 2018』のツアーファイナルが、すごく手応えがあって。fhánaのライブの中でも初めてなくらい、満足度を感じたライブだったんですね。今までもいいライブはあったんですけど、それは「偶然この日はよかった」みたいな要素が強くて。でもこのファイナルに関しては、ちゃんとプランがあって、そのプランを遂行して、それがきちんとハマった上にその場の偶然や奇跡も味方につけることができて、全体がうまくいったので、これは形に残しておきたいなっていう。粛々とやって、きちんといいものができたライブでしたね。

――となると、今回のベストアルバムは佐藤さん的にやりたいことを達成できる場でもあった。

佐藤:そうなんです。書き下ろしの新曲も、曲ができたのはわりとギリギリになってからですけど、実は『World Atlas』を作っている段階で、5周年の記念の曲を作ろうっていうプランはあって。で、その歌詞は、towanaにお願いしようかな、と思ってました。

――有り体に言うと、ベストアルバムって誰でも出せるものではないと思うんですけども。

佐藤:まあ、ある程度積み重ねがないと出せないものですよね。でも、積み重ねてきたこと自体にはあまり感慨はないです。だからこそ、新曲を入れました。ベストって過去の寄せ集めみたいなものだと思うので、それだけじゃなくて、未来のことが入っている。ツアーファイナルの映像は、言ってみれば現在のことでもあるし、過去、現在、未来が全部入っているパッケージ、みたいなイメージがありますね。

――積み重ねもありつつ、ただ続けているだけではダメで、求められているから、結果を出しているからこそ出せるものでもある。実際、5年前はどうなるかわからない部分もあったと思うんですけど。

佐藤:まったくわからなかったですね。

――でも今、こうして音楽を作り続けることができている。もしかしたら、そうならない未来もあったかもしれないですよね。それこそ「違う世界線」じゃないですけど、積み重ねがいろんな人に波及して、音楽がちゃんと進歩していって、だから今ベストアルバムを出せるのかな、と。

佐藤:fhánaが5年続いて、ベストまでたどり着くルートじゃない未来もあったかもしれないけど、そのときは別の形で音楽は作り続けてたと思います。「自分には音楽しかないんです!」みたいな熱い思いはないですけど、結局のところ音楽を作ってないと寂しい、みたいなところはあるので(笑)。fhána自体も、結成したときから長く続けたいと思ってたけど、けっこううまくいったとは感じてます。

――それに対して今ものすごく満足していて、ここがゴールです、みたいな話ではないのかな、と。ジャケットを見ても、ここから道が続いていくイメージをビジュアルから受け取ることができる。道は続いていくんだ、と表明している感じもあるというか。

佐藤:まさに。だから新曲の歌詞から「続いていくストーリー」っていうキャッチを入れてます。

――fhánaにとっても、受け取る人にとっても、ご褒美感がある1枚でもありますよね。fhánaがちゃんと音楽的に前進をしてきて、それを求める人が途切れなかった5年の歩みがあったことで、内容もビジュアルも充実したベストアルバムになったわけで。

佐藤:ちゃんと作品になってますね。作品であるということは、『STORIES』というタイトルにも込められている、というか。このタイトルもけっこう悩んで、ギリギリに出てきたんですけど。今までのインタビューでも、物語性とかそんな話をたくさんしてきたけど、ひとつひとつの曲も物語だし、fhánaのバンドのストーリーもあるし、タイアップしたアニメの作品も物語だし、聴いてくれるリスナーの人たち、ひとりひとりの物語もある。そういったものが、fhánaのこのベストアルバムによって交わる、寄り集まってくるイメージが湧いたことで、全部つながった感じです。

――物語たちに応えてきた曲たちを振り返ると、今のfhánaが充実してる理由がわかる気がするというか。いち聴き手としてそう思うし、佐藤さんもそこは同じことを感じているのではないか、と。

佐藤:そうですね。こういう機会で曲が集まったりすることで、気づかされることもあります。よく「これを作ってるとき、何を考えてましたか」って聞かれて、「いや、特に何も考えてなかったです」みたいなことを言ってしまうんですけど(笑)。目先のこと、今のことは考えてるけど、俯瞰して5年後のfhánaを考えたりはしない、というか。そこそこ長いこと活動してきた意識が全然なくて、この間デビューしたばかりのような気もしてるんですよ。だけど、ベスト盤を出したり、気がつくとまわりからも新人扱いじゃなくなってきてるんですよね。まわりから気づかされることも多いです。

――佐藤さんはそういうつもりはないかもしれないけど、わりと必死に駆け抜けた5年間だなっていう印象もあります。実はかなりハイペースで活動してきてると思うし。

佐藤:そうですね。けっこうたくさん、曲作ってます。

――fhánaは、音楽的にはスマートだし、常にアップデートもされてるけど、実態はわりとがむしゃらに走ってきたバンドなんじゃないか、と(笑)。

佐藤:確かに(笑)。意外とそうなんですよね。でもそれは自分たちだけの力じゃなくて、タイアップとかいろんなご縁、まわりの方々の協力があっての今だと思います。

――もちろん。実際、レコード会社に所属している以上は、「次、この人タイアップね」っていう差配はありますよね。それにしたって、fhánaが担当する数は多い。それってつまり、「fhánaだったらできる」って思われてることの証だと思います。

佐藤:ある程度期待に応えたからこそ、「じゃあ次も」っていうことはあると思います。だけど、全然大御所感はない(笑)。ただ、最近「メンバーの顔つきが変わったな」と思うんですよ。「アーティストの顔になったな」「いい顔してんじゃん」って。前はもっとこう、ふわふわした感じだったんですけど。

――何が身についたんでしょうね。

佐藤:それなりに長いこと活動して、ライブも含めて人から見られたりすることで、意識が変わったりする、とか。集合体として、4人集まったときに「あ、バンドじゃん」みたいな感じがしますね。

――実際、1stシングル“ケセラセラ”のMVとはだいぶ印象が違いますね。

佐藤:そうですね。まあ、“ケセラセラ”にはツッコミポイントはたくさんあります(笑)。

――(笑)fhána、特に佐藤さんはそうだと思うんですけど、作った楽曲やアルバムの総括をガッツリやってますよね。曲を出して得たものや感じたことが、毎回次に活かされてる。たとえば、“Hello! My World!!”には「ダサい曲を作ってしまった」という自己認識があって、その反動ではないけれども、次のシングルの“わたため”(『わたしのための物語 ~My Uncompleted Story~』)はだいぶ質感が違っている、とか。

佐藤:そうですね。で、“わたため”の反動が今回の新曲の“STORIES”である、とも言えます。“わたため”はせわしなくて、展開も複雑で、逆に“STORIES“はすごくシンプルな曲になっている。そのフィードバックは、常にあるのかもしれないです。

――では、新曲“STORIES”についてお話を聞いていきましょうか。

佐藤:towanaが書いた《光と影に咲く点と点が繋がる》っていう歌詞があるんですけど、いいフレーズだなあと思っていて。ここまで才能があるとは思ってなかった(笑)。“ユーレカ“の歌詞がよかったので、安心して託すことができました。

――実際、届いた歌詞を見て、どうでした?

佐藤:一発OKでした。パッと見た瞬間に、「これはすごい歌詞だ」って思いました。今までも歌詞のやりとりはたくさんしてきたので、ほんとにいい歌詞はパッと入ってきた印象で、ひと目見た瞬間に「これはいい歌詞だ」ってわかるんですよ。それは歌詞だけじゃなくて、曲を全部聴かなくても、入りとAメロを聴いただけで「これはいい曲だ」ってわかったりする。いい歌詞や曲は、一貫性が最初の時点でバーンと出てくるから、ひと目見た瞬間にいいものだってわかる、そういう歌詞でした。“STORIES”の歌詞には、ぬるい瞬間がひとつもない。全部が必然でつながってる言葉たちだし、研ぎ澄まされた歌詞ですね。

――確かに、《どんな風に嘘をばらまいたって ここにしかない君にしかない魔法続いてる》ってフレーズは、聴きながら読んでいてゾクッときました(笑)。これはすげえ、みたいな。

佐藤:そこは僕も、ゾワッと来ました。レコーディングのときに「このフレーズはゾクゾク来るよね」なんて言ってたら、「ほんとですか~」とか言いながら、わりと機嫌よさそうでした(笑)。大げさな感じじゃなく、軽やかでサラッとした感じがとてもいいですね。この曲は、作曲の時点で、シンプルで研ぎ澄まされた曲にしたくて。やっぱり、シングルの表題曲はアニメの主題歌だから、よくも悪くも情報量が多くて高密度な曲になるんですよ。なので新曲は、シンプルだけど研ぎ澄まされた、無駄が一切ない、刀のような曲にしたいと思ってました。

――それに加えて、fhána史上聴き手に最も近い歌だな、と思いましたね。身近というか。たとえば、fhánaを応援してきたり、好きで聴いてきた人は、自分の歌なんだって感じるんじゃないかな、と。

佐藤:そうですね。自分の歌なんだなっていう感じもするし、同時にtowanaっぽさも感じます。フワフワたゆたっているというか。僕もこの曲を作って、「まだまだfhánaは面白そうだな」って思いました。

『有頂天家族』は、不可思議なる世界への扉を開いてくれた作品

――2013年にリリースした1stシングルの“ケセラセラ”は、fhánaにとってアニメの世界に飛び込んだ大きなきっかけだったと思うんですけど、二度タイアップを担当した『有頂天家族』は。佐藤さんにとってどんな作品なんでしょうか。

佐藤:不可思議なる世界への扉を開いてくれた作品、みたいな感じですかね。やっぱり『有頂天家族』がきっかけで、その後アニメの主題歌をたくさん担当できたわけで。実際、アニメの主題歌を作ることって、音楽活動とは関係ない生活から想像すると、だいぶおかしな世界に迷い込んじゃった感じはあって(笑)。だけど、実はそれが本質的だったりするのかも、みたいな話でもあり、そういう本当の世界への扉を開いた作品が『有頂天家族』だと思います。

 本当の世界というのは……それぞれ、僕も、みんなも、多くの人たちも、目の前の現実を一生懸命生きてると思うんですけど、今まで暮らしてきた世界だけでは気づきえない本質も、どこかにあると思っていて。僕にとっては、何か作品と呼ばれるものを作ったり、作った作品が人に何か影響を与えたり、逆に僕も他の作品に影響を受けてものを作って、それを世の中にアウトプットしたりする。このやり取りの中で感じる世界に対する手触りが、僕にとっての本当の世界、という感じがしていて。それは常につかまえておけるものじゃなくて、瞬間瞬間に、「今、触れられたような気がした」くらいのものなんですけど。そういう本当の世界への誘い(いざない)が『有頂天家族』だったのかな、という感じはします。

――なるほど。

佐藤:で、それは『有頂天家族』の矢三郎や弁天にとっても、そうなんじゃないかな、と。表面的には、彼らは狸の社会、天狗の社会にある程度合わせつつ暮らしてるけど、本質的にアウトサイダーな部分を持っていて、弁天に至ってはもともと人間だった。居場所がないと感じているけど、自分の居場所を作っていって、自分の本当の世界をまわりに作り出せるようにしていく物語である、という感じもするんですね。そことリンクするというか、自分自身ともかぶる感じはします。関わったアニメは全部いい作品ですけど、『有頂天家族』は特にそういう側面が強いです。本当の世界、不思議な世界は、実はこの世界の本質でもあるし、自分を反映している世界でもある。その扉を開いた作品、という感じです。

――ではここで、5つのポイントに沿って、佐藤さんの中で思い浮かぶベストアルバムの収録曲とその理由を挙げてもらいたいと思います。まず①、「改めて、これはやっぱり自信作だなって思う曲」。

佐藤:うーん……悩んだのは、“いつかの、いくつかのきみとのせかい”と“青空のラプソディ”です。“いつかの、いくつかのきみとのせかい”は、一番普遍的でスタンダードな、いい曲だと思うんですよ。それでいて、fhánaというアーティストの雰囲気やtowanaのボーカルとも合っている。わりとマスターピース的によくできた曲だな、と感じてます。“青空のラプソディ”は一番バズった、ということだけじゃなく、『小林さんちのメイドラゴン』という作品との親和性、fhánaが持ってるひとつの側面である4人がわちゃわちゃしてる感じがあって。さらに、fhánaの楽曲や、僕個人が世界に対して抱いてる認識も、色濃く反映されてます。“青空のラプソディ”はイロモノみたいに見られがちだけど、けっこう本質的な曲だと思っていて。うまく合致した、混ざり合ったことで、大勢の人に聴いてもらえた――って話してると、やっぱり“青空のラプソディ”のほうが自信作、ということになりますね(笑)。

――(笑)。

佐藤:“青空のラプソディ”はただの楽しい曲ではなくて、根底には切なさや「いつかこの時間は終わってしまう」「いつか別れが来る」「いつか心が離れても、そのときは笑っていて」っていうメッセージに象徴されるように、いずれは全部終わってしまう、だからこそ今が輝いてる、という曲で。影の部分、悲しい部分があるから光の部分が楽しかったり、喜びの部分があったりする。そういうテーマも詰め込まれてるし、音楽的にも、僕が昔から好きだった小沢健二だったり、自分のルーツを色濃く反映できている。それらがうまくハマって、楽曲単体としても、アニメの主題歌という役割としても成功した曲だと思います。

――②「自分の創作のあり方を変えた、あるいはあり方を再確認した曲」。

佐藤:変えたという意味で、“divine intervention”ですかね。僕個人としても、バンドとしても、いわゆるアニソン的なバトルっぽい熱い曲って、作ったことがなかったんですよ。“ケセラセラ”や“tiny lamp”は、僕がfhána以前にやっていたFLEETの音楽性ともわりと地続きで、fhána以前の僕が作りそうな曲なんですね。でも“divine intervention”は、『ウィッチクラフトワークス』っていうアニメがあって、魔法が出てくるバトルものだったので、「いわゆるバトルっぽい曲を書いてくれ」っていうオーダーがあったからこそ、初めて書けた曲です。アニメのタイアップは、もともとの自分の引き出しや好きな世界観だけじゃなくて、作品側からの要請と掛け合わされることによって、自分でも思ってもみないものが生まれてくるんですけど、それを初めて体験したのが“divine intervention”でした。

――面白いですね。③「メンバーの成長を実感した曲」。

佐藤:なんかあるかな(笑)…………(長考)…………やっぱり“STORIES”ですね。towanaの歌詞、ボーカルという意味でも「やるな」って思ったし、ギターもけっこうスムーズにいい音で録れたし。「……あれ? kevinは?」みたいな(笑)。kevinは、ライブにおいて“青空のラプソディ”で踊ったり、盛り上げたり、雰囲気作りという役割において、“青空のラプソディ”で急成長しましたよね。それも含めて、さっき話した佇まいになってるんだと思います。

――④「これは絶対にfhánaにしかできないでしょって思う曲」。

佐藤:“星屑のインターリュード”ですかね。ザ・fhánaっていう感じがします。透明感があって瑞々しくも、ちょっとデジタルな無機質さもあったりする音像で。4つ打ちのアッパーな曲と見せかけて、実はリズムがかなりグルーブしていて、跳ねたリズムのブラックミュージックのベースラインだったりするんですよね。だけど、印象としては全然そんな感じがしない。サウンドも、80年代後半、90年代前半のような昔のデジタルな肌触りがあって、だけどすごく切ない。なおかつプログレッシブな構成にもなっていて、「fhánaじゃなきゃできないバランスの曲だな」って思います。それをまとめてるのがtowanaのボーカルであり、僕もコーラスをけっこう重ねていて、そのハーモニー感というか厚みのある音の質感も含めて、「fhána印」みたいな曲です。

――⑤「初めてfhánaを聴く人に、まずはこれを聴いてほしいと思う曲」。

佐藤:う~ん、難しいですね……浮上してくるのは、“虹を編めたら”ですかね。“星屑のインターリュード”って、けっこうfhánaのディープな部分だと思うんですよね。“青空のラプソディ”も、すごくキャッチーで踊ったりしているようでいて、またディープなんですよ。“星屑のインターリュード”はディープであるがゆえに、はじめましてだとつかみきれない部分があるかもしれなくて、“青空のラプソディ”はパッと見がキャッチーなので、ある種誤解もされやすい。「楽しいバンドなのかなー?」みたいな(笑)。もちろん楽しいバンドなんですけど、それはあくまで一面なわけですよね。で、“いつかの、いくつかのきみとのせかい”は、曲としてスタンダードないい曲だと思ってるけど、普遍的であるということは同時に、fhánaじゃなくても普遍的である。そういう意味では、“虹を編めたら”はバランス的にもうまくいった、よくできた曲だと思うし、歌詞のテーマも、わりとずっと言ってきた多様性とか自意識をめぐる戦い、「わかり合えなかったとしても、ともに虹を編むように共存していこう」みたいなメッセージが込められていて。実は、初めて聴く曲としては、「fhánaとは」みたいな要素がバランスよく配分されてる曲だなって思います。

後編へ続く

取材・文=清水大輔