往年の名曲と今のリスナーをつなぐ、愛が詰まった「モダナイズ」カバーアルバム――中島 愛インタビュー

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公開日:2019/1/28

 中島 愛が1stシングル『天使になりたい』で自身名義での活動をスタートしたのが、2009年1月28日。それからちょうど10年後となる1月28日、10周年記念カバー・ミニアルバム『ラブリー・タイム・トラベル』がリリースされた。中島 愛が70年代~90年代の歌謡曲、アイドルソング、J-POPを長年愛し続けてきたことは、少しでも彼女を知る人ならご存じのことと思う。実際、『ラブリー・タイム・トラベル』には、リスナーとしての愛情が隙間なく詰まっている。そして、セルフプロデュースを担った中島 愛自身が打ち出した「2010年代の音として届けたい」という制作方針と、実力者たちが顔をそろえたアレンジャー陣が自らの「色」も織り交ぜていったことにより、すべての楽曲が絶妙なさじ加減で「モダナイズ」されている。原曲への深いリスペクト、今のリスナーに素晴らしい音楽を届けたい、という純度の高い熱意が、名曲たちを見事にアップデートした結果、ものすごく聴き応えのある1枚になった。多くのリスナーにとって、『ラブリー・タイム・トラベル』は、新たな音楽との出会いとなるだろう。本作の制作過程を語ってもらうとともに、これまで中島 愛が公言してきた「歌謡曲、アイドルソング、J-POPへの憧憬」のコアにあるものとは何か、話を聞いた。

このカバーアルバムを出した目的のひとつは、「原曲が聴きたくなる」

──『ラブリー・タイム・トラベル』、控えめに言って最高でした。

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中島:よかった! 原曲があるので、曲が素晴らしいのは言うまでもないんですけど、アレンジャーの皆さんからすごくわたしらしいお洋服を曲たちに着せてもらいました。わたし自身も、自分なりに最善を尽くしたので、わたしも控えめに言って最高だなあ、という感想です(笑)。歌を録ってるときは、自分の歌が果たして正解なのか判断がつかないところもあったけど、走りきってからはどの選択も正解だったんじゃないかなって思えたので、自分でもほっとしたし、今このアルバムを作れてよかったなって思います。

──今このアルバムを作ったからこそのよさは、どういうところに表れているんでしょう。

中島:まず、選曲に表れてると思います。今回収録させてもらった7曲は、大人になってから好きになった曲も入っているんですけど、基本的には青春時代からずっと聴き続けてきた曲たちで、たくさんある好きな曲からこの7曲に絞るのは、今じゃないとできなかったな、と思っていて。それは主に歌詞の側面なんですけど、アイドルさんの曲をカバーするとなると、青春の歌や10代の少女の恋の歌が多くなりそうだけど、たとえば松田聖子さんの“Kimono Beat”は少女というよりも女性の歌であったり、年齢を重ねたからこそ共感できる、そういう切り口で曲を選べました。かわいいだけじゃなくて、ちょっと切ない曲だったり、ダークな部分も受け入れられるようになったのは最近だと思うので。「キラキラ!」「かわいい!」「素敵!」だけじゃないよっていう選曲ができたと思います。

──なるほど。今回は初のセルフプロデュースということですけど、これはどういった経緯で?

中島:当初は曲ごとにプロデューサーさんを立てようというところからスタートして、でも「楽曲が決まってないとお願いできないから、愛ちゃん、何か好きな曲あれば」みたいな話があって。そのときは自分のやりたいことが全部通るとは思っていなかったので、「ほんとに参考程度で、この中からいいなと思うものがあれば、実現できればと思うんですけど」ということで、選曲プラス「この曲をやるならこの人にアレンジしてほしい、なぜならこういう理由で」って、プレゼン的にメールを送ったんです。「3割くらい叶ったら嬉しいなあ」と思っていたら、「全部やりましょう」って言っていただいて。「曲を選んだ理由がここまで明確に決まってるなら、本人がセルフプロデュースしたほうがいいだろう」っていう判断になって、結果、わたしが先頭に立つことになりました。今回は、特に趣味全開のアルバムだから、それがいい方向に作用したと思います(笑)。

──(笑)今回のアルバムに収められた70年代から90年代のアイドルソング、J-POP、歌謡曲が好きだと以前から公言しているわけですけど、これらの音楽の魅力ってどういうところだと思いますか?

中島:ちょうど最近、わたしも「なんであの時代の曲は魅力的なのかな」って考えていて。ひとつ自分の中で出た答えは、「人同士が交流してる時代の音楽だな」でした。今はパソコンやスマホがあれば音楽を作れるし、アレンジャーさんやミュージシャンの方と会わなくても完結できちゃうところがあるじゃないですか。でも、人と人が顔を合わせながら作られている時代の音楽って、やっぱり時代の空気を含んでると思うし、わたしはそれがうらやましくて。ちょっとずつ時代がデジタルに傾いていく中で、幼少期から大人になる時期を過ごしてきた世代なので、携帯のない時代の音楽がうらやましいんだと思います。

 月並みになっちゃうけど、ひと言で言うとあたたかみがあるんですよね。人が見える、ドラマがある、というか。たとえコードがドラマチックに動かなくても、どこかに単調じゃない何かが、必ずある。当然、歌も直せない時代だったりもするし、そういう意味での人間っぽさ、生々しさが好きなんだと思います。だから今、当時の歌謡曲っぽく音楽を作ろうとしても、無理だと思うんですよね。あの時代に生み出されたものだけがまとっている空気があるなあって感じます。

──70年代や80年代にも音楽の流行はあったと思うんですけど、その中で、音楽的にアイドルソングや歌謡曲が心に響くのはなぜでしょう。

中島:どの音楽もですけど、手間、じゃないかなあ。当時は今のようにボタンひとつではできない時代だったから。タンスみたいな大きさの楽器で音を出していたり、「人がやってるんだな」ってわかるもの、人力感が好きなんですよね。あとは、歌詞に時代の状況が反映されてること。「歌謡曲とは何か」って考えていくと、難しいですけど(笑)。

──(笑)難しいけど、とても興味深いので、あえて聞きます。歌謡曲って何だと思いますか?

中島:わたしにとっては、土の匂いがするかしないか(笑)。どんなに曲が洗練されていても、どこか泥臭さが入ってると、歌謡曲だなって思います。 “雨にキッスの花束を”は、歌謡曲というよりはいわゆるJ-POPだと思うんですけど、歌詞に《スクランブル》って入ってる時点で、渋谷を思い浮かべるんですよ。結果的に、歌詞に引き出されて日本の情景を思い浮かべているので、やっぱりこの曲にも歌謡曲の血が入っていると思います。あとは、雨ですね。外国で降る雨と日本で降る雨は、きっと匂いが違うはずで。そういう日本の匂いって、どんな曲にも1ミリくらいは入ってるのかなって思います。

──このアルバムに入ってる曲って、ある世代以上のリスナーを除けば知らない人のほうが多いですよね。だから、原曲を完コピするだけだと、たぶん2019年の今のリスナーには届かないものになってしまう。だけど『ラブリー・タイム・トラベル』はまったくそうなっていない。そこが素晴らしいんです。さっき話してもらった通り、選曲も、誰にアレンジをお願いするかも、しっかりイメージがあったわけですよね。そのイメージって、それこそプロデューサー的な目線で「いろいろな人に届く作品であること」を意識していたからじゃないかな、と。

中島:それはありました。このアルバムは、「自分だけが満足するものになってはいけない」というところが、一番難しいところで。たぶん、このアルバムが出て一番喜んでいるのは、わたしなんですよ。で、曲を聴いて、うっとりしているナンバーワンもわたし(笑)。

──ははは。そうでしょうね。

中島:でも、中島 愛の名前で世に出してもらう以上は、80年代の音楽が好きであろうと、まったく知らなかろうと、気になる作品にならなければいけないから。しかも、アルバム曲やB面曲も含んだ選曲をしているので、なぜその楽曲を選んだのか、リスナーを説得しなくちゃいけない。ファンにはすごく有名だけど、「初めて聴きました」ってけっこう言われる曲もあったりするんですよ。わたしからすると「なんで!?」っていう感じなんですけど(笑)。楽曲の素晴らしさでリスナーを振り向かせたいと思ったときに、「どう届けよう?」ってすごく考えました。

──結果、めちゃくちゃ届くアルバムになってますよ。聴く人にとっても、ただ懐かしむ感覚ではなくて、新しい音楽との出会いを提供してくれる1枚だと思います。

中島:あっ、それは嬉しいです。そこはわたしの中でも目標だったので。

──このアルバムを聴いたら、絶対に原曲を探したくなるでしょうね。

中島:そう、このカバーアルバムを出した目的のひとつは「原曲が聴きたくなる」だったんです。わたし自身、カバーアルバムを出したいとは思いつつ、原曲が最高なのはわかりきってるから、自分がカバーすることの意味を考えちゃって。でも、スタッフさんに「カバーを通して原曲を知ることもあるよ」と言われて、その言葉が背中を押してくれました。わたしが歌ったカバーを通して、「こんなに素晴らしい曲がこの時代にあったんだ?」って知ってもらって──「お前は誰だ?」っていう感じですけど(笑)。小さな提示だったとしても、音楽ファンや、自分と同世代かそれよりも若いファンに知ってもらうきっかけになれるなら、カバーアルバムを出したい!って思いました。

──とても贅沢な音楽体験だと思います。さっき、「人が作ってるかどうか」的な話がありましたけど、このアルバムってまさにそれで。中島 愛という人が、この曲たちを愛してきました、みんなに聴いてほしいと願ってこのアルバムを作りました、そのことが原曲とリスナーをつなげている。そこが最高なんです。だからこそ「カバー」であることが大事で、「コピー」だと自分が満足、で終わっちゃう。

中島:「カラオケかな?」みたいな(笑)。ひとりカラオケに行った感じになっちゃまずいですよね。

──そうですね。だけど、このアルバムを聴いていると――適当な言葉かわからないですけど、ちゃんとモダナイズされているんですよね。原曲の風合いをリスペクトしている感じが伝わってくるし、それを楽曲に残しながら、同時にアップデートもされている。そこにはアレンジャーさんの力も大きく関わっていると思うんですけど、何よりそうやって曲を届ける意識はあったんじゃないですか。

中島:めちゃくちゃありました! 制作していた2018年の音にするのは、わたしの中で大前提でしたね。これはアレンジャーの皆さんにもお伝えしていたんですけど、それこそ「歌謡曲の色はもう現代では出せない」っていう感覚は、自分の中にもすごくあったので、原曲へのリスペクトは当然ありつつ、アレンジ自体を昭和にする必要はない、と考えていて。「これはあくまで2010年代の音楽である」って錯覚してしまうようなアレンジでいい、むしろそれがいいっていうスタンスでした。

──自ら、その方針を打ち出したわけですね。

中島:打ち出しました。わたしがリスナーだったら、やっぱりそういうアルバムを聴きたいですし。その感覚が特に色濃く出たのは“透明なオレンジ”だったんですけど、船山基紀さんが当時最先端だったフェアライト(フェアライトCMI。1980年に発売されたシンセサイザー)を使ってアレンジされている頃の曲で。フェアライトの空気感って独特で、わたしもすごく好きなんですけど、その音をそのまま持ってこなくていいと思いました。この曲のアレンジを金澤ダイスケさんにお願いしたのは、シンセを現代の音楽として最高に操れるのは彼しかいないと思ったからで。「2010年代版の音でやってほしいです」と伝えたら、早々に金澤さんからアレンジされたデモと一言メモが送られてきたんです。「船山さんが当時最先端のものを使っていらしたということで、僕も最先端の機材を購入して臨んでいます」って。

──いい話ですね。実際、どの曲にもちゃんとアレンジャーさんの「節」も残っていて、それが曲をよりよいものにしてくれてる感じがあります。それこそ、“雨にキッスの花束を”は「ラスマス・フェイバー感」がバキバキ出ているし。

中島:「ラスマスさんだな」っていう感じ、いいですよね。その色を出すこと自体がすごく大事だなって思います。皆さん、プロフェッショナルとしての楽曲への踏み込みが、すごくいい匙加減ですよね。“雨にキッスの花束を”は、「雨の雰囲気を残してほしいです」「BPMとキーは変えたくないです」ってお伝えして、アレンジしてもらって。

──まさにラスマスさんの「節」が、楽曲をいい意味でアップデートしてくれてますね。感覚的ですけど、ラスマスさんの曲って、歌が前面にあって、サウンドが後ろにあって、その間にある余白というか空間が、ものすごく気持ちいいじゃないですか。

中島:そう! ボーカルから曲まで、ちょっと空間としての距離があるんですよ。原曲はもう少しポップで、どちらかというと地に足を着けて歩いているテンポ感が伝わる感じですけど、それをラスマスさんが数ミリ、ちょっとだけ浮かせているというか――「飛んでる! 絶対これ飛んでる!」っていう(笑)。間違いなく飛んでるんだけど、現実離れしていないところが、なんか不思議ですよね。

──tofubeatsさんも、空間の広がりをイメージさせる音を作る方で、曲を聴くと目の前にビジュアルが立ち上がってくる感じがあるじゃないですか。このアルバムでも、その感じが活きてますね。

中島:視覚的ですね。不思議とリピートしたくなる音像を作られる方だと思います。耳が疲れないというか、ずっと気持ちよく聴いていられるというか。ラスマスさんやtofubeatsさんにお願いできたことで、自己満足ではないアルバムになったと思います。「自分だけが気持ちいい、自分だけが楽しい」から絶対に脱却したいと思ったときに、おふたりが持ってる客観性に引っ張り上げてもらえました。アルバムの軸になるサウンドを作っていただけたと思います。

──ここまで名前が挙がった方や、ライブでずっと一緒にやってきた西脇辰弥さんもそうですけど、参加しているアレンジャーさんは非常に豪華で、同時に今までご縁があった方々ばかりでもあって。その意味では、10年間の積み重ねを感じたり、報われた感覚もあったんじゃないですか。

中島:はい。10周年に出せるんだから、「中島 愛に協力してくださる方がこんなにいます!」って見せたかったところはあります(笑)。実は、オファーした方は全員OKだったんですよ。わたしはクレジットマニアなので、「パッと並んだときにこのくらい豪華だったら最高!」という思いでお願いして、それが全部実現してるわけだから、「ほら、見て見て!」みたいな(笑)。これだけ協力してもらえて、わたしは普段自分のことを高く評価したり、自信を持ったりできないタイプではありますけど、皆さんのお名前が並んでいるのを見て、「この10年、誇っていいんだなあ」って思っちゃいました。

スタジオにいる時間が、日常生活を含めて一番楽しいんだなって、すごく実感できた

──さて、過去のインタビューでも何度か出しているキーワードをここで出します。

中島:おっ! 出た!

──(笑)表現者・中島 愛は頑固で、その頑固さは漬け物石のようである、と。このアルバムの制作において、頑固さはどのように発揮されたんでしょうか。

中島:頑固さって、ニアリーイコールでエゴだと思うんですけど、今回は「エゴを出してね」っていう制作だったので、むしろよかったかもしれないですね。歌のレコーディングでは、石を自分にぐりぐり押しつけながら、「お前そんなもんかぁ? もっとやれんだろ?」みたいな感じはありました。「いいアレンジにしてもらっただろ?」って。そのときだけ石を重く感じたけど、制作全体で見ると、むしろ漬け物石が「本日の主役」っていうたすきをかけて座ってるようなアルバムなので(笑)。

──ははは。

中島:「お前がいないと、事が進まないんだぜ?」みたいな頑固さとか、「こうしたい!」っていうエゴが、いきいきしていたんじゃないかな、と(笑)。自分の頑固さをここまで出せる仕事もなかろうと思いながら制作してました。

──頑固さって、エゴでもあるんですか?

中島:わたしは、いい意味でエゴだと思います。結果的に――プロデューサーっていう立場の方をほんとに尊敬するなあって思ったんですけど、譲っていると話が進まないんですよね。わたし自身は「なぜ?・なに?・どうして?」が好きなタイプだけど、それがなくともGOを出さなきゃいけない場面があるわけで。ある意味わがままに映るときもあるけど、そうでないといけない瞬間もある。そこは、目からウロコでした。だからいい意味で、わたしが持ってる漬け物石はエゴなんだなって思ったし、今まではたぶん「エゴを通しちゃいけないのに、エゴが出ちゃう!」ということで悩んでんだな、と(笑)。

 でも、それを捨てちゃうとCDは作れないし、ステージにも立てなくなっちゃう。純粋に自分が素材になるのも楽しいし、いろんな色に染まれるのもいいことだと思うんですけど、たぶんわたしはその時期を過ぎてると思うので、これからはある程度エゴも持っていないとダメだろうなって思いました。となると、漬け物石はずっと友達なのかな、みたいな(笑)。

──(笑)昨年夏のシングル『知らない気持ち』を聴いたときも「今、すごく充実しているんだろうな」って思ったんですけど、今回はそれ以上に充実感がありますよね。音楽と向き合うことが、より楽しくなっているんじゃないですか。

中島:楽しいです。ふと、「最近一番楽しかったこと何かな」って、制作の時期に考えたことがあって。そのとき素直に、「スタジオにいる時間が一番楽しいな」って思ったんです。音楽を作ったり、スタジオにいる時間が、日常生活を含めて一番楽しいんだなって、すごく実感できました。今までもそう思ってはいたけど、このタイミングでカバーアルバムを作ったことでその想いが明確になったし、「音楽が楽しいと思っている自分」を自覚できるチャンスだったなあ、と思います。

取材・文=清水大輔 撮影=森山将人
ヘアメイク=及川美紀(NICOLASHKA)