変わりゆく本の「存在意義」。たったふたりで立ち上げた小さな出版社「遊泳舎」が見つめる、出版の未来

文芸・カルチャー

公開日:2019/2/5

 歴史ある雑誌の休刊や、書籍の発行部数の低迷などのニュースを見るたび、脳裏によぎる「出版不況」の文字。もう紙の本は読まれないのか。このまま出版業界はどうなってしまうのか……。

 しかしながら、そんな時代の流れを変えようと、日々奮闘している人たちがいる。それが「個人出版社」だ。これは「インディーズ出版社」とも呼ばれていて、個人(あるいは少人数)で立ち上げた出版社のこと。ここ数年、その数は少しずつ増えていて、それぞれが「本当に面白い本」を出版している印象が強い。

 昨年、武蔵野市で産声をあげた遊泳舎も、そんな個人出版社のひとつ。年末には初めての書籍となる『悪魔の辞典』『ロマンスの辞典』を2冊同時に刊行し、出版社としてのスタートを切ったばかりだ。

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 この『悪魔の辞典』は1911年にアメリカの作家、アンブローズ・ビアスが手掛けたものを原案とする作品。「アイデア:盗むもの。または盗まれるもの」「思い出:『あの頃は良かった』など、過去を美化して現在から目を背けるための回想録」など、紙面ではさまざまな単語が「皮肉」をこめて解説されている。

 一方で『ロマンスの辞典』では、「一途:僕から君へ線を引いた、分かれ道のないあみだくじ」や「一年:(一)三百六十五回のときめきからなる一期間。(二)君と出会うまでの永遠。君と出会ってからの一瞬」というように、日常に溢れている単語をロマンティックな目線で紹介している。

 非常にユーモラスな辞典を発売した遊泳舎とは、どのような出版社なのか。そして、なぜ、「個人」なのか。出版社設立の経緯から「本」に込めた想いまで、遊泳舎の代表である中村徹さん、望月竜馬さんにお話を伺った。

■「ワクワクする未来」のために個人出版社を立ち上げた

左から、遊泳舎代表の中村徹さん、望月竜馬さん

――遊泳舎を立ち上げるまでは、なにをされていたんですか?

中村徹さん(以下、中村):小さな出版社で編集者として働いていたんです。元々、大学を卒業してから特にやりたいことが見つからなくて、やっと出合ったのが編集という仕事でした。社員数も少なかったので、編集業務だけでなく、営業もするし在庫管理もするし、取次とのやりとりや請求書の起こしなど、とにかく業務内容は多岐にわたりました。そこで7年働いた後に退職をして、遊泳舎を立ち上げたんです。ちなみに、僕の4、5年後輩として入ってきたのが望月。彼とは以前の職場で出会ったんです。

望月竜馬さん(以下、望月):そうなんです。元々は先輩後輩の関係だったんですよ。

――そこから一緒に会社を立ち上げるというのは、非常に素敵な出会いですね! ちなみに、望月さんはどうして編集の道に進まれたんですか?

望月:僕は中学生の頃から本を読んだり小説を書いたりすることが好きで。でも、作家になれるのはほんの一握りだけということも理解していて、その代わりではないですけど、WEBデザインを学びたくて工業高校に進学したんです。でも、想像していたよりも工業系の授業が多くて(笑)。毎日電子回路とばかりにらめっこしてました。卒業後は地元の企業に就職したんですが、そこではプロパンガス器具の修理などを担当していました。

――だいぶ編集業界からは遠いですね。

望月:「このままだとやりたいことができない」と焦りました。そこで、思い切って仕事を辞めて、上京して。文章に携わる仕事を探していくなかでどうにか採用してもらえたのが、中村もいた小さな出版社でした。中村はその当時の教育担当だったんです。

中村:望月は未経験者でしたけど、仕事自体はコツコツ一生懸命やるタイプだったんです。わからないことも自分で勉強してくるし、仕事に対して真摯に向き合っている人という印象でした。

――逆に望月さんから見た中村さんの印象はどうでしたか?

望月:ほかの先輩たちがフランクに話しかけてくるなか、中村はあまり話しかけてくることもなくて、ちょっと謎でしたね(笑)。でも、一緒に仕事をするようになって、真面目で責任感が強い部分が見えてきて。編集者のなかには「自分の作りたい本」を優先するクリエイター気質の人もいると思うんですが、中村は「会社の利益」をきちんと考えられる人でした。

――遊泳舎を立ち上げようと思ったきっかけはなんだったんですか?

中村:編集者として7年働いてきて、「そろそろなにかにチャレンジしたい」と思ったんです。そんななかで、望月と「ふたりで出版社を作るのも楽しそうだね」と話すこともあって、それを現実のものとしてみようかな、と。もちろん悩みました。でも、迷ったときには「楽じゃなさそうな道を選ぶ」というのを指針にしていて。個人で出版社を立ち上げるなんてリスクが大きいこともわかってはいるんですけど、「迷っている」ということは、そっちの道に進んだ方がいいんじゃないかと思うんです。その方が後悔もないでしょうし。

 そして、もうひとつ指針にしているのが、「どちらが楽しそうか、ワクワクするか」ということ。それでいうと、会社に残るよりも独立することの方が断然ワクワクしますよね。

 そうやって道を定めていったときに、望月にも相談したら、「僕もやってみたい」と乗ってくれたんです。

望月:僕は自分で一からやる仕事が好きなんです。この先、大手の会社に転職して決められたことを黙々とこなすよりも、自分たちで仕事を作り出せるということにとても魅力を感じました。だから、中村の提案にも乗ってみようかなって。

普段の業務は遊泳舎が生まれたアパートの一室で行う

――その決断をしてから退職するまでの間に起業の準備を進めたんですか?

中村:そうです。決意してから辞めるまでは半年くらい。その間に、さまざまな準備を進めていきました。まずは今回出版した『悪魔の辞典』『ロマンスの辞典』の制作。それと、会社の登記や流通とのやりとりなどの事務的な作業。わからないことだらけだったので、実際に個人で出版業を営んでいる人たちに相談しに行ったりもして。

――仕事もあるなかで起業の準備をするのは大変だと思いますが、それでも頑張れたのは目標があったからですか?

中村:ワクワクしていたのが一番大きいと思います。ふたりで『悪魔の辞典』『ロマンスの辞典』の原稿を書きながら、「全然アイデアが湧いてこない」と頭を抱えたこともありましたけど、結局はそういう苦労も楽しめてしまうというか。

■「本にはさまざまな楽しみ方がある」ことを知ってもらいたい

――「個人出版社」を立ち上げるという未来に期待感を抱きつつも、その反面、不安はありませんでしたか?

中村:出版業界全体でいうと、やはり本が売れなくなってきているので、そういう部分での不安を感じることはあります。ただ、本の役割が変化してきていると思っていて。

「情報を得る」という役割を担うのであれば、紙の本よりもWEBの記事の方が時代にマッチしていると思うんです。もちろん、フェイクニュースもたくさんありますが、それも徐々に是正されていくだろうな、と。じゃあ、紙の本はいらなくなるのかというと、そうではなくて。これからの時代、「物としての価値がある本」が残っていくんじゃないかと思っているんです。たとえば、インテリアとして本棚に置いておきたいとか、手で触ってみて感動するとか。情報以外の「価値」を高めていくことで、本は残るでしょうし、そういった本を出し続けていければ、出版社としても生き残れるのではないかと思います。

望月:中村が話した通りなんですけど、やはり「所有したい」と思ってもらえる本を作っていけば、この出版不況も生き残れると思います。それと、僕の場合は後がない状況で出版業界に飛び込んでいるので、とにかく行けるところまで行ってやろうという攻めの姿勢なんです(笑)。

遊泳舎発の辞典シリーズ

――なるほど(笑)。「物としての価値がある本」という点で見ると、『悪魔の辞典』『ロマンスの辞典』は、まさに手元に置いておきたい本ですよね。想定やデザインも凝っているし、何度も読み返したくなる面白さに満ちているし。この2冊を最初の本として出そうと思った理由はなんだったんですか?

中村:『悪魔の辞典』も『ロマンスの辞典』も、いまの時代に合っていると思ったんです。どちらも辞典形式なので、ひとつのセンテンスがとても短い。まさにTwitterに慣れていて、長文を苦手とするような若い子たちでも楽しめるんじゃないか、と。

 そこで、元々物事を斜めから見る性格である僕が『悪魔の辞典』を担当して、ロマンティックなことばかり考えている望月に『ロマンスの辞典』を担当してもらいました(笑)。

――望月さんは普段から、「一年とは、君と出会うまでの永遠。君と出会ってからの一瞬である」みたいなことを考えているんですか……?

望月:そんな風に言われると恥ずかしいんですけど、実際に飲み会とかでもふざけてそういう話をしたりしますね(笑)。なにかを独自に表現することが好きなので、すべての物事をロマンティックな目線で解説する作業自体はとても楽しかったです。

望月さんはデザイン業務を担うことも

中村:その点、『悪魔の辞典』には世の中を鋭くツッコむような目線が必要だったので、なかなか大変でした。でも、みんなが思っているけど口にできないことを代弁するつもりで書きました。たとえば、サッカーという単語を、「足でボールを蹴りながら、手で相手のユニフォームを引っ張り合う、紳士の国発祥のスポーツ」という風に解説しているんですが、これは実際にサッカーの試合を見ていて感じたことです。ゴール前の引っ張り合いとか、結構ひどいじゃないですか(苦笑)。

――シニカルな中村さんとロマンティストな望月さん、ふたりは対照的な性格なんですか?

中村:そこまで正反対ではないと思いますが、作りたいものの傾向は違うかもしれません。でも、それって大事なことだと思っていて。同じような考え方、価値観の持ち主同士だと、どうしても同じ方向に走ってしまって、互いのミスに気づけなかったりする。その点、僕らは似ていないので、補完し合える関係性だと思います。

――補完し合って、これからの出版業界を走り抜けるわけですね! では最後に、今後の展望を教えてください。

中村:出版業界を変えたい! ……とか大きなことを言ってみたいんですが、正直、そこまでの覚悟を背負ってはじめたわけでもないんです。だから、まずは遊泳舎を軌道に乗せていくのが一番の目標。その先で、本というものの存在意義がどのように変化していくのかを見極めて、それに応えられるような本を作っていきたいと思っています。

望月:そして、普段本を読まない人でも手に取れるような一冊を作れたらいいですね。遊泳舎の本が、読書をはじめるきっかけになってくれたら嬉しいです。

中村:そうだね。本にはいろんな楽しみ方がある、ということを知ってもらえたら最高ですね。

取材・文=五十嵐 大