生き別れの息子との突然の共同生活が、引きこもり作家の想像力を変えていく!『傑作はまだ』瀬尾まいこインタビュー

小説・エッセイ

2019/3/16

 生き別れの親子の再会、と聞いて思い浮かべるのはどんな場面だろう。「憎しみや愛情や後悔、いろんな思いがあふれ盛り上がるはず」だと引きこもり作家の加賀野は思う。だが突然押しかけてきた25歳の息子・智を前に彼は困惑するしかできず、智は驚くほどてらいなく「しばらく住ませて」と言う。そんな、いわゆる〝感動〟とはほど遠い軽妙な始まりを見せるのが小説『傑作はまだ』だ。

著者 瀬尾まいこさん

瀬尾まいこ
せお・まいこ●1974年、大阪府生れ。2001年、『卵の緒』で坊っちゃん文学賞大賞を受賞し翌年デビュー。05年『幸福な食卓』で吉川英治文学新人賞、08年『戸村飯店 青春100連発』で坪田譲治文学賞を受賞。ほか作品に『図書館の神様』『優しい音楽』『おしまいのデート』『あと少し、もう少し』など多数。

 

「同時期に書いていた『そして、バトンは渡された』がわりとシリアスな物語だったので、もう少し軽い気持ちでおもしろおかしく読めるものにしたかったんです。基本的に読者には笑ってもらいたくて。私の作品にはいい人ばかり出てくる、なんてよく言われますが、ニュースで報道されるような悪い人に出会う機会はそうそうない。ドラマティックな展開を想像しても妄想に終わることがほとんどで、心を溶かしてくれるのは日常会話に潜んだ何気ないユーモアだったりする。現実ってそういうものなんじゃないかと思うんです」

 加賀野も決して〝悪い人〟ではない。だが、合コンで出会った美月と一夜限りの関係で子供ができたと知ると「好きでもない女と結婚なんて人生が終わったも同然」と嘆く(しかもそれを美月に見抜かれる)。双方合意とはいえ、養育費と毎月送られてくる写真でしか息子に関わらない。20歳になって写真が送られてこなくなっても、様子を気にすることもない。

「悪い人じゃないけど、優しくはないですよね。私の思う優しい人というのは、誰かを喜ばせようとか気持ちよく過ごせるようにしてあげようとか、自然に思える人で。その点、笹野さん(智のバイト先の店長)にも言われていたけど、想像力がない。私の夫にもその傾向があって(笑)、たとえばコンビニで自分のぶんだけお菓子を買って帰ってきたりする。家に妻と娘が待っているとわかっているのになぜ、優しい人のはずなのに、と最初は不思議だったんですが、単純に想像が及ばないんだと気がついた。誰かを害することがなくても、その悪意のなさは必ずしも優しさに直結するわけじゃないんだ、と。特に加賀野のようにひとりで生きてきた人は、誰かに指摘されることもなかったでしょうし、想像力は育たなかっただろうなと思いました。むりやり智に自治会に参加させられるまで、老人は耳が遠いかもしれないということさえ、気づかなかったくらいですから(笑)」

血が繋がっているから優しいわけじゃない

人間の本質たる闇、を描くことで定評のある人嫌いの加賀野に対し、智はどこまでも健やかだ。優しさに繋がる想像力に長け、加賀野が避けていた地域づきあいにもあっというまに溶け込んでしまう。

「これは私の勝手な印象ですが、母子家庭で育った男の子は優しい子が多いな、というのは教師時代の体感としてあります。『先生、なにか困ってる?』とか『荷物もとうか?』とか自然と声をかけてくれるんですよ。私を含め、女の子の場合はたくましさを身につけていくことが多いんですけどね(笑)。家庭を運営する一員として、みずから行動する機会が多いのかな。ただ智を通じて書きたかったのはそういうことではなく、教師時代にもよく言われていた『今どきの若い子は』という論調がどうも腑に落ちない、ということのほうが強くて。それって具体的に誰のこと? 誰を見て『今の代表』だと思っているの? と。一クラスを見るだけでもいろんな環境の生徒がいて、誰もが共有できる普通なんてどこにもない。先ほど私が、『母子家庭の男の子は』と言ってしまったように、類似点を見つけて括ることはできるかもしれないけど、それもけっきょくは思い込みに過ぎない。どんな生い立ちか、肩書をもっているかを情報としてとらえておくのはある程度必要だけど、それによって相手の今を判断したくない……少なくとも悪い方向に目を曇らせたくはないんですよね」

 本屋大賞にノミネートされた瀬尾さんの前作『そして、バトンは渡された』は、血の繋がらない父と娘を中心に描かれる、揺るぎない家族の物語だった。対して今作の親子は血が繋がっているというだけで、智も加賀野を「おっさん」と呼び続けるなど、家族としての実感は薄い。

「血の繋がりのあるなしって全然関係ないと私は思っていて。教師時代、生徒もかわいいけど我が子はもっとかわいいよ、なんて言われていたけど、実際娘が生まれてみたらどちらもやっぱり同じくらいかわいかった。夫だってそもそもは他人ですし、血の繋がりは誰かと一緒にいる、大切に想う理由にはならないと思うんですよね。加賀野だって、智の写真を見て『俺の息子かあ』なんて感慨にふけっていたのは最初だけで、そのうち慣れて無関心になっていきますし。そんなものだろうと思います。だけど、たとえば同じ釜の飯を食うなんて言葉があるように、親子や夫婦でなくても食卓を囲むことで家族のような関係になっていくこともありますよね。カロリーメイトしか食べなかった加賀野が、風邪をひいた智のために鍋をつくろうとしたり、お皿を選んで見栄えを気にしたり。誰かと食べるのが楽しいのは、そこにも優しい想像力が働くから。その空気感を含め、食卓の会話を書くのが私はいちばん好きですね」

世界は意外と善意で支えられている

 思い込みに近い加賀野の想像を、智は端から切り捨てていく。そしてげらげら笑いながら言うのだ。「こんな当たり前のこともわからなくなってるなんてやばいよ」。軽やかにあっけらかんと壊されていく加賀野の世界。だがようやく智に興味をもちはじめたとき、やはりあっけらかんと、別れの日はやってくる。

「智が誰に対してもフラットなのは、見返りを求めていないからなんですよね。相手の反応に苛立ったり気にしたりしちゃうのはたぶん期待しているから。智の世界には最初から加賀野は存在していなかったし、父としてどうしてほしいということもない。それに最後、加賀野も気づいてショックを受けるわけですが、だからといってそこでおしまいじゃなく、人として相手を尊重し、気にかけていくことはできる。今後、家族になっていけるかどうかはわからないけれど、関係を育てていくことはできるんじゃないかと。我が子は生まれてきただけで人生の傑作だ、なんて言い方をされることがありますが、智の誕生にほとんど関わっていない加賀野は、何も生み出せていないも同然。智との生活を通じて、書く小説が想像力に満ちたものに変わっていったように、彼にとって傑作といえる作品も、智との関わりで得られるものも、まだまだこれからだよ……という意味でタイトルはつけました。自分でも気に入っています」

 現実の世界は小説よりもずっと善意に満ちている、と智が言う場面がある。善意を疑うほうが簡単だ。自分がどう思われているか気にしなくて済むし、期待が裏切られることもない。だがそれでも、誰かと優しさで交歓することの喜びと強さを、瀬尾さんの作品は教えてくれる。

「優しい小説を書こうと思っているわけじゃないけど、どんなに一人で生きていこうとしても、自分の気づかないところで誰かの善意に支えられているもの。世の中に悪意がないわけじゃないけど、だからこそ人は誰かとの関係に光を見つけずにいられないんじゃないかと私は思います。加賀野もとことんダメ人間ですが、智や地域の人との出会いをきっかけに少しずつ変わっている。その過程を笑いながら読んでいただけると嬉しいです」

取材・文:立花もも 撮影:迫田真実