ASKA「できれば、この詩を“散文歌”と呼んでほしい」35年ぶりに散文詩集『ASKA 書きおろし詩集』を刊行!【インタビュー前編】

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2019/3/29

 耳に馴染んだそのフレーズが、唇からこぼれたとき、メロディを奏でる言葉が、自分のなかを巡り、小さな宇宙を形づくるようにどんどん膨らんでいく。ASKAさんの紡ぐ歌詞はそんな力を持っている。

 詞に描かれた情景が自身の記憶や想いを映し出し、立ち止まっていた感情が動きだしたり、哲学的な思考をも生み出したり。「はじまりはいつも雨」「心に花の咲く方へ」「同じ時代を」「晴天を誉めるなら夕暮れを待て」「君が愛を語れ」……数々の名曲のなかに息づくASKAさんの“言葉”。

 アルバムのブックレットには歌詞とともにいつも、もうひとつの形の言葉=散文詩が収められている。それは「自分の言葉が自由でいられる表現形態」だという。

 2016年から書き始めた散文詩のなかから55編を収めた『ASKA 書きおろし詩集』は、『オンリー・ロンリー 飛鳥涼詩集』以来、実に35年ぶりとなる作品集だ。

言葉のつなぎ目には見知らぬ行間が生まれ
命を宿した胎児のようになって意外な景色を作り出す
(「詩人」)より

――収められた55編の散文詩からは、音や色、風、温度、風景など、様々なものが文字の間から立ちのぼってきました。そしてどこかASKAさんの開放感のようなものも強く感じました。

 散文詩を書いているとき、僕はすごくリラックスできるんです。使いたい言葉を自由に使えるので。歌詞の場合は、どうしても文字数の制限が出てくるし、メロディに合う言葉、なおかつ力があり、聴いてくださる方と共鳴する言葉を生み出さなければ、ということを考えてしまいますから。

――言葉といえば歌詞を書いてきたASKAさんが、散文詩を手掛けられるようになったのはなぜだったのでしょうか?

 僕はデビュー当時、歌詞が書けなくて。自分にそういう才はないんじゃないかと思いながら、やっていたのですが、当時のプロデューサーに、“やっぱりダメだ”と言われて。そうなると納得させたくなるじゃないですか、“ダメだ”と言った人を。

 そこから僕は、ライブで地方に赴いてもまず本屋さんへ、というくらい、本屋さんを巡り、あらゆる詩集を買ってきてむさぼり読んだんです。散文詩とはそこで出会いました。歌詞と散文詩は、“詞”と“詩”、文字も違うし、スタイルも異なるけど、読んでいくうち、影響を受けていったんですね。

 たとえば僕の書く詞は、僕の歌を聴いてくださる方や周りのミュージシャンたちから、哲学的だとよく言われます。もし皆さんがそう感じられるとしたら、それは散文詩から受け取ってきたものなのかなと。哲学的かどうなのかは、自分でもあまりよくわからないのですが、今の僕の音楽の歌詞が、散文詩によって出来上がってきたのは間違いのないことです。

――そして、みずからも散文詩を書くようになったのですね。1984年には『オンリー・ロンリー 飛鳥涼詩集』が上梓されました。その詩の世界は大きな反響を呼びましたね。

『オンリー・ロンリー』は、僕の歌の詞の変わり目をつくってくれた作品でした。それまでの音楽業界は歌謡曲が主流だったので、歌というのは、こういう言葉を使い、こうしたものを歌うものなんだ、という世間的な認知というか、決まりごとみたいなものがあったんですね。僕も多分にもれず、そういう詞を書いていました。女性言葉を使ってみたり、女性の想いを書いてみたり。けれど、『オンリー・ロンリー』を書いたとき、初めて普通の言葉で、実生活の中で言葉を連ねるという経験をしたんです。

 すると、それまで僕の書く歌を好きだと言ってくださっていた方々が、まったく種類の違うそれを、予想もできなかったほどに喜んでくれて。そこで気付いたんです。もしかしたら、今までの僕の音楽って、ある種、自分が思う殻のなかでやっていたんじゃないかと。自分が歌うべきなのは、絵空事ではなく、“今の自分”なのではないかと。それ以来すべて、自分の生活、出会い、別れ、恋……と、今の自分を、自分の言葉で歌う、現在にまで続くスタイルになっていきました。

総じて確信めいたことを答えとするのなら
すべては「出会い」「別れ」の繰り返しであるということだ

これを10章ごとに分けるとするならば
今、私は60章目をめくっている
(「本」より)

――『オンリー・ロンリー』はASKAさんの人生、“25章目”のときの作品でした。60章目、35年ぶりの詩集に収められた散文詩はどのようにして生まれてきたのですか?

 ここに収めた詩は、2016年の夏前から書き始めました。ちょうどそのとき、アルバムを制作していたのですが、自分のなかに、“真っ赤に燃えるようなアルバムをつくりたい”という想いがあったんですね。けれど赤を“赤”に見せるためには白が必要なんです。白があってこそ赤が引き立つ。どうしても赤一色から抜け出せなかったとき、レコーディングを一度中断したんです。そこで、散文詩を書いてみた。2ヵ月ほどで130編くらい書いたかな。毎日1、2編、多い時には5編くらい書いていました。本作には、最近の書いたものも入っていますけれど、ほぼその時期の作品が収められていますね。

――そのとき、歌詞が赤で、散文詩が白のイメージだったのですね。

 でも僕は、散文詩の世界が、僕の歌詞の特徴であると思っているので、区別とか、境目は意識していないんです。だからこの詩集を出すにあたり、僕は散文詩と言わないで、できれば“散文歌”と呼んでほしいなと。そうすることで、自分の恥ずかしさが救われるというか。詩人のなかに入っていくのは恐れ多いところがあるんです。けれど、散文歌という“歌”になるのであれば、自分のテリトリーも持てるかなと。

――“散文歌”と呼ぶ、独自の領域のなかで、詩というものの自由度を広げられていっている気がします。幼い頃に見た風景、家族のことを描いたエッセイのようなものもあれば、紀行文のような形態のものもあります。そして「やるせない疑問」のように、確固とした散文詩の形を取りつつも、ひとつのスタイルを生み出していっているものも。

 これは独特の散文歌ですね。“美しい炎のようになった花が散るとき 花は寂しそうな煙を残すのだろうか それとも燃える夕焼け色の実を結ぶのだろうか”と、入り口と出口のフレーズが同じで、かっこで括ってみたという。これは歌の手法から来ていますね。

夢とロマンは似ているが
空の遠くで少し似ていない

夢が見せるのは遥かな未来
ロマンが見せるのは愛おしい哀愁
(「やるせない疑問」より)

――この一編が生まれてきたのは、どんな瞬間だったのでしょう。

 この一編に限らず、詩が生まれた瞬間というものを僕は覚えていないんです。けれど、言葉は言葉を呼ぶから。言葉が言葉を呼んだとき、それがつながったときには景色になっていく、景色が見えたときには自分の心が反映されてくる。そして心が反映されたら、それを景色として映し出したいと思う。それが行間にも収められ、形となっていっただけだと思うんです。作品というものには、テーマがすごく大切になると思うのですが、そこに重点を置くより、言葉が言葉を呼んでいく、その文字が連なったもの、というのが、僕の作品じゃないかなと思っているんです。

取材・文=河村道子 撮影=三宅英文
スタイリング=東野邦子(NEUTRAL) ヘアメイク=咲川倫子

ASKA
あすか●1958年、福岡県生まれ。1979年、音楽ユニット・CHAGE and ASKAとして、シングル「ひとり咲き」でデビュー。ソロ活動も並行し、1991年「はじまりはいつも雨」はミリオン・セールスを記録。同年のアルバム『SCENE II』もベストセラーに。2009年よりソロ活動に専念。2017年自主レーベルを立ち上げ2枚のオリジナルアルバムをリリース。2018年末、ベストアルバム『Made in ASKA』『We are the Fellows』、ソロ活動初期に出した2枚のアルバムのリミックス盤『SCENE-Remix ver.-』『SCENE II-Remix ver.-』をリリース。2019年2月からスタートした全国ツアー「ASKA CONCERT TOUR 2019 Made in ASKA-40年のありったけ-」開催中。大好評により追加公演決定。

■特設サイト
https://www.futabasha.co.jp/introduction/2019/aska/