「うどんに対するイメージを変えたい」年間500杯食べるうどんライターが、「好き」を仕事にできた理由

食・料理

2019/4/29

『うどん手帖』(井上こん/スタンダーズ)

「好き」を仕事にする。働く人ならば、誰もが一度は夢見ることではないだろうか。しかし、それを実現させるのは容易ではない。ニッチなジャンルであれば、なおさらのこと。好きなだけでは食っていけない、とため息がこぼれてしまう。

 そんななか、「うどん」というジャンルで快進撃を見せるひとりのライターがいる。「うどん女子」の異名を持つ、井上こんさんだ。「年間500杯」ものうどんを食し、それを自身のブログ「うどん手帖」に綴る。記されるのはうどんの味わいに限らず、店主とのやり取りや個人的な出来事まで幅広い。単純なうどんデータベースではなく、日常のなかにうどんが溶け込んでいる様子を伝える彼女のエッセイはファンが多く、ついには書籍化もされた。それが『うどん手帖』(スタンダーズ)である。

 井上さんの活躍はそれに留まらない。テレビ番組やラジオへの出演、筑後うどん大使就任、さらにはオリジナルの「ふくうどん」もプロデュースした。まさに、うどんうどんうどん…と、うどんにまみれている井上さん。彼女がそれを仕事にするに至るまでには、どのような道のりを通ってきたのか。「好き」を仕事にすることについて、井上さんに聞いてみたい。

■「うどんの人」として認知されるためにはじめたブログが転機に

 井上さんがライター業をスタートさせたのは、2013年の頃。当時からうどんについて書いていたのかというと、そうでもない。「体当たりライター」として、ローション運動会に参加してみたり、ドヤ街のホテルに潜入したりと、強烈な仕事も多かった。しかし、根底に「うどん愛」があったことは間違いない。『うどん手帖』の「はじめに」にも記されているように、気付いたときには「うどんが大好きだった」という。

 転機となったのは、やはりブログ「うどん手帖」。それをはじめるうえで、狙いもあったという。

「2016年頃、尊敬するライターの先輩から、『これなら誰にも負けないってものが一個あるといいよ』ってアドバイスされて。自分になにがあるかなぁと考えたときに、子どもの頃からずっと食べているうどんが思い浮かんだんです。そこで一念発起して、翌日にはブログを立ち上げました。そこで決めていたのは、ただの趣味レベルで満足するのではなく、普通の人の2倍3倍はうどんを食べて発信すること。それを続けていれば、そのうち『うどんの人』として認知されるかなって思ったんです」(井上さん、以下同)

 どうやら、井上こんはうどんに詳しそうだぞ――。井上さんはこういったイメージを自らプロデュースしていった。結果、ブログをはじめてわずか1年足らずの2017年1月、テレビ出演のオファーがあったという。

「うどんを紹介する人ということでオファーを受けたんですけど、女性でっていうのも珍しかったみたいで、そこから雪だるま方式にオファーが増えていきました」

 そのなかで井上さんの知名度を爆発的にあげる出来事があった。それが「ふくうどん」のプロデュースだ。

「2018年のスタート当初から出演していた『買えるAbemaTV社』という番組で、そんなに好きならば作ってしまえ、ということになったんです(笑)。でも、まさか自分で商品を作るなんて想像もしていなかったし、これまでなるべくリスクを背負わないような生き方をしていたから、とにかくプレッシャーで。でも、たまにはこういう刺激があってもいいかなって思い直して、懇意にしていただいている製麺会社さんの存在もあったので、協力してプロデュースしたんです」

 発売後の反響も大きかった。うどん好きな一般の人はもちろんのこと、うどん店の店主からも「おいしかった」と声をかけられ、それが井上さんの自信につながっていった。そして、その活動を見逃さなかった筑後うどん振興会からは、なんと「筑後うどん大使」に認定されることに。ブログ開始からここまで、まだ2年半ほど。驚異的なスピードである。

過去に筑後うどんの仕事をした縁もあり、筑後うどん大使に就任

 その後もインドネシア・ジャカルタにて手打ちうどんのイベントの講師を務めたり、「福岡うどんバスツアー」のナビゲートをしたりと、うどんを軸に活躍のフィールドを広げていった。

ジャカルタまで出向き、現地の人たちに手打ちうどんの魅力を伝えた

 そして、念願だった自著『うどん手帖』を出版するに至ったのだ。

「昨年末にやっと夢だった自著を出すことができました。でも、実はそれまでにも何度か出版のお話はいただいていたんです。ただ、グルメ本は売れない、と言われているので、企画が持ち上がっても流れてしまうことが多くて…。だから、決してデータベースのように実用性に特化しているわけではない内容のものを、こうして本にできたことがうれしい。声をかけてくださった編集の方には感謝しきりです」

■うどんを通して見える人の営みや店主の想いを伝えたい

『うどん手帖』は、発売直後のAmazonランキングのグルメ部門で1位を獲得。大きな話題を集めた。その理由のひとつが、うどんとエッセイを掛け合わせた独特の切り口にあるだろう。

 たとえば、本書にはこのような一文が登場する。

“ばかみたいに雨が強い日だった。亀有駅からひいひい言ってずぶ濡れで到着したのは、住宅を改装した「菊屋」。”

 小説のような一文ではじまる、亀有にある讃岐うどんの店「菊屋」を紹介するページ。ここでは、井上さんと女将との温かいやり取りが大半を占める。そこで味わったうどんについて言及しているのは、本文の4分の1程度。一般的なグルメ紹介記事としては考えられない内容かもしれないが、不思議とそれが魅力になっている。井上さんが見たもの、聞いたもの、五感をフル活用して得たものがそこかしこに込められているため、まるでそれを追体験しているかのような気分になるのだ。ひとつ読み終えるごとに、「あぁ、おいしかった」と思わず口にしてしまいそうになる。

「私が伝えたいのは、まさにそういう人の営みや店主さんの想いなんです。店主さんはうどんという食べ物をただ湯がいているだけではなくて、小麦粉選びからはじまって、うどんを子どものように育てている。それを少しでも知ってもらうために、おいしいとかまずいとかではなく、私がそのお店に足を踏み入れて見たものや感じたものを表現しているんです。そもそも、おいしいの基準って、好みでしかないんですよ。それを私が判断するのもおかしな話だし、訪れたお客さんが一人ひとり判断すればいい。私がやるべきことは、ひとりでも多くの店主さんのストーリーを伝えることだって思っているんです」

 井上さんのこの想いは、うどんの味わいを表現するための文章にも表れている。驚くことに、本書には「おいしい」という言い回しが登場することはなく、一つひとつのうどんの魅力を、井上さんならではの表現で綴っている。

 細マッチョな麺、半透明でイカ刺しみたい、すっと背筋が伸びた若人のような印象…。ときに擬人化したり、ときに別の食べ物に例えてみたり。なかには面食らうような表現もあるが、次の瞬間には「どんなうどんなのか、食べてみたい」と食欲をそそられてしまう。

 オリジナリティあふれる、うどんの表現。これには井上さん自身もうどんを打つことが関係しているだろう。自らも自宅でうどんを打つことで、ひとつとして同じうどんはないことを知った。ゆえに、そのうどんを表現するために相応しい語彙を探す。

「うどんには食べる楽しみのほかに、打つ楽しみもあって、はじめは趣味だったんです。でも、うどんライターとしての仕事が増えていくなかで、『うどんって、どうしてお店ごとにこんなにも違うんだろう』と思うようになって。それから本格的に打つようになっていったんです。その結果、取材に行ったお店の店主さんとも少し入り込んだ話ができるようになりましたし、自分自身でもうどんのおいしさを因数分解して表現できないか模索するようになりました」

井上さんの手打ちうどんはプロ並みの仕上がり

■うどんに対する世間のイメージを変えていきたい

 ただただ、うどんが好き。その情熱を持って、活躍の場を広げてきた井上さんには、夢がある。

「うどんに対する世間の人たちの意識を変えたいんです。うどん屋さんで提供されるうどんというのは、『店主さんが作りたいもの』というのが大前提。だから、人によって違うのは当然で。それなのに、『ここは香川うどんよりもコシがある』とか『柔らかすぎる』とかってコメントするのはお門違いなんです。そうじゃなくって、『これがここの店主さんの作りたいうどんなのね』って感じてもらいたい。それ以上でもそれ以下でもないんです。その1杯にはいろんなストーリーがある。背景にはどんな食文化があったのか、店主さんはどんな人に師事したのか。いろんな要素が立体的に交差して、目の前の1杯になっているんだってことを広く知ってもらいたいんです。

 口コミサイトを見ていても、憤りを感じることが多いんです。田舎の小さなうどん屋さんに対して、ふらっと寄った人が辛辣なことをアレコレ書いていて、それを読んだ女将さんがショックを受けちゃうようなことが結構あるんですよ。そのお店は地域に根ざしてのんびりやっているだけなのに、そこに土足で踏み込んで文句つけるのは違うよなって。そういうことを、文章を通して知ってもらうのが、直近の目標かもしれないですね。一方で、うどんって押し付けたり決めつけたりする食べ物ではないとも思うので、基本的には、“私はこう感じたけど、あなたが行ったらまた違う魅力に気付けるかもしれませんね”くらいのスタンスも心がけています」

 井上さんの話を聞いていると、随所にうどんへの「愛情」が感じられる。「好き」を仕事にするために必要なのは、「好き」を通り越した「愛」なのかもしれない。

うどん取材中も、ついつい笑顔がこぼれてしまう

 最後に、あらためて「好き」を仕事にしたことについて聞いてみると――。

「最初は、うどんっていうニッチなジャンルで仕事をすることに対して、多少の不安もあったんですけど、いまはもうそれもないんです。この先、いまみたいにうどんにかんする仕事の依頼がなくなったとしても、自分で作っていけばいいと思っていて。いま考えているのは、『うどんロス』について。伸びてしまってお客さんに出せなくなってしまった廃棄うどんの行方について、取材をしたり、レシピを考案してみたりできたらおもしろいだろうなって思うんです。捨てられるうどんを世のなかから減らしていけたら、ひとりのうどんラバーとしても最高じゃないですか。そんな風に、現状の仕事に満足するのではなく、自らうどんの仕事を増やしていきたいと思っています」

取材・文=五十嵐 大 写真提供=井上こん

【プロフィール】
井上こんさん
ライター/うどん研究家。福岡県生まれ。「作り手の数だけうどんがある」を信条に、文化や風土の考察、科学的な理解を心がけた取材を行う。これまでの執筆媒体は『週刊SPA!』『散歩の達人』『Hanako』『SKYWARD』など。テレビ、ラジオなどではトレンド/ニュース解説も。筑後うどん大使。