バレエ界の天才・熊川哲也が自身の20年を本音で語る!「完璧とはどういうものかをお見せしたい」

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更新日:2019/6/6

 バレエを観たことがなくても「熊川哲也」の名前を知っている人は多いだろう。それは、熊川さんが日本のバレエ界を、圧倒的な才能と努力で牽引してきたひとつの結果でもある。熊川さんは21歳で世界三大バレエ団のひとつである英国ロイヤル・バレエ団で東洋人初のプリンシパル(最高位のダンサー)となった。26歳でロイヤル・バレエ団を退団して帰国し、自身が経営者、芸術監督、プリンシパルを務めるKバレエ カンパニーを創立。Kバレエは発展を続け、今年20周年の節目を迎えた。自伝的書籍としては21年ぶりとなる新刊『完璧という領域』(講談社)には、その軌跡と胸の内が、自身の言葉で包み隠さず語られている。

●何度も書き直し、20年の軌跡を凝縮

――『完璧という領域』はKバレエ カンパニーを創立されてから現在までの、熊川さんのバレエダンサー、芸術監督、経営者としての胸の内が細やかに語られる、読み応えのある内容です。21年ぶりの本作りはいかがでしたか。

熊川哲也氏(以下、熊川) 若かりし頃は何冊か出させていただきましたが、長い間ライブ(舞台)以外で露出するのは踊っている映像くらいで、「活字で本を出す」ということを僕の中でまったく考えていませんでした。お話は何度かいただいていたのですが、本を作るのはまだ早いと思っていましたし、そのとき考えていることを膨らませて話すだけでは内容が薄くなってしまいますし。

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 制作は1年ほど前からスタートして、忘れていることも多かったので、思い出しながらの作業でした。何回も書き直させてもらって制作チームには苦労をかけましたが、20年の軌跡を整理して、あらためて自分をほめたくなりました(笑)。

●天才と言われ続けることへのギャップ

――本を作ることになった一番のきっかけはなんだったのでしょう?

熊川 僕のことを16歳の頃から撮影してくださっている、写真家の岡村啓嗣さんというキーパーソンがいらして、その岡村さんとの友好関係から道がひらけた感じです。

 21年前に出した自伝『メイド・イン・ロンドン』以降の蓄積を、Kバレエ カンパニー創立20周年の節目にまとめられたのはよかったと思います。

――「天才・熊川哲也」の内面が、飾らずに語られていますね。

熊川 天才という気はまったくなかったんです。ただ運動神経がよかっただけで(笑)。でもそんな自分が英国ロイヤル・バレエ団のプリンシパルになり、語り継ぐべきバレエ界の偉人たちと交流し、天皇皇后両陛下(現上皇ご夫妻)にご臨席いただくことになる(2014年Kバレエ公演『カルメン』)。そんな崇高な世界と関わっていることに対して、本来の自分との間にギャップが生まれていました。

●「ダンサー熊川哲也」と、個人の「熊川哲也」

――世間がイメージする「天才ダンサー」と生身のご自分に落差があったのですね。

熊川 いつもイメージが先行してしまうので、つねに後追いでした。マーケットの中にいる「ダンサー熊川哲也」という芸術家に、個人の「熊川哲也」が追いつくのは大変で。自分の興味も、若い頃はまったく成熟していませんでしたし、若くして物欲のまま欲しいものも買えていると、ダンサーとして成長しないと思いつつ、ますます芸術論から離れていってしまう傾向がありました。

 そういうことは自然に追いついていくものと実感したのは、最近ですね。古典芸術の偉大さや先人へのリスペクトが胸に刻まれて、その時代に触れるための古書や骨董の蒐集が趣味になって。やっと、追いついたかなと思います。

 組織を立ち上げて会社を経営するようになってからは、グレーゾーンも必要だし、忖度も大事だし、そうして大人になってきた部分もありました。

●アンチがいても、ずっと正直に生きてきた

――本の中で、苦悩されていた時期のことなども隠さず明かされています。

熊川 僕はずっと、意外と正直に生きてきているんです(笑)。20代の頃は、口が災いの元になったことも多くありました。正直者は馬鹿を見る、というのも経験しています。

 Kバレエを立ち上げたときは、派手な活動に見えたり、自分の言動が大きなものだったりすると、出過ぎたものに蓋をするように、少し距離をおくというか、いわゆるアンチといわれる存在もいました。

 当時は見たい人が見るSNSではなく新聞に出て、みんなにさらけ出されてしまう時代でしたが、それでもずっと、自分に正直にやってきた。この本も、バレエのすばらしさだけでなく、苦悩や苦言、厳しかったことも、嘘偽りなく語りました。

●本が完成するまでに、読むこと10回。すべてを出し尽くした

――熊川さんの正直な言葉が、21年ぶりに本にまとまったのは意義深いことだと思います。

熊川 僕が先人たちの本に学んできたように、次の世代に残すつもりで作りましたし、事実と時系列に間違いがないようにして、自分のディクショナリという位置づけの本にもしたいと考えていました。

 言い回しなどは制作チームにも多少助言をもらいましたが、すべて自分の言葉です。完成までに、10回くらい読みました。普通ここまで読むだろうか?と思いながらも、最終的に(笑)。

――10回……! それはすごいですね。

熊川 出し尽くしました(笑)。

●熊川哲也の登場で、男性ダンサーが増えたわけ

――近年、特に日本の男性バレエダンサーの層が厚くなったのは、確実に熊川さんの存在がありますよね。

熊川 男性は親やお姉さんの影響でバレエを始める人が多いので、まずお母さま世代が僕のファンになってくれたことが大きいと思います。男の子が生まれて、DVDを何度も見せて……きっかけはそういう感じではないでしょうか。もうKバレエにも、ご両親が僕と同い年というダンサーがいます。

 2003年に若手ダンサーの育成を目的にKバレエスクールを設立して、生徒ともいろいろ関わっていますが、バレエをやっている子供たちは純粋で、悪い子はいません。接していると心が洗われる気がします。ただ、人間の育成は簡単ではないので、スクールの経営からは、僕も多くのことを学んでいます。

●日本のバレエ環境に変化をもたらしたKバレエ

――ダンサー、芸術監督、経営者の3つを並行して成功させ続けている例は、世界的に見ても熊川さんしかいないのではないでしょうか。『完璧という領域』ではすべての要素について、真摯に語られていますね。

熊川 ダンサーとしてのキャリア、芸術監督として完璧を目指す姿勢、そして、経営者としてのビジネスの話も、その厳しさや駆け引きも含めて、詳しく書いています。

 Kバレエ カンパニーはバレエ団として日本で唯一の株式会社で、芸術を追求しながら、ビジネスとしても運営を成立させているんです。

 国からの助成金を受けずに、クオリティを保った内容の公演を年間50回以上コンスタントに続けるビジネスモデルを確立し、ダンサーやスタッフの生活を保証し、ダンサーがプロとして場数を経験できる環境を実現してきたことは、この20年で日本のバレエ界の旧態依然の環境が大きく変化するきっかけになっていると思います。

 Kバレエを立ち上げたとき、「プロのダンサーを育てたい」と語っていたのですが、ほかのバレエ団との切磋琢磨もあり、「生徒」ばかりだった日本に、「プロ」意識を持ったダンサーが増えたことは最大の変化だと感じています。

●『完璧という領域』という言葉が響く人に読んでほしい

――本のタイトルがまさに熊川さんを表していますね。

熊川 タイトル選びは悩みました。僕が話した内容からピックアップして候補を出してもらい、これしかないとパシン! と来たのが『完璧という領域』でした。

 もともとは、2017年に世界初演した完全オリジナル新作『クレオパトラ』の記者会見で語った言葉です。「完璧とはどういうものかを皆さんにお見せしたい」というのが『クレオパトラ』への僕の意気込みだった。完璧なんてものはないとみんな言うけれど、いや自分の中にはあるんだと。

 いくら言葉で宣伝しても、買っていただくことは簡単なことではありません。だから、興味がない人は興味がなくてもいい。ただ、このタイトルが響く人には、ぜひ中身を読んでほしいと思います。

●これからは、すべてにおいて完璧を目指す人生に(笑)

――「完璧という領域」は、すべてに通じるものの考え方ですよね。響く人には、しっかりと響くと思います。

熊川 この本を出したことで、それは僕にとって非常にハードルが高い、今後の生活のテーマにもなりました。ポリシーとしてその思いはずっとあったけれど、言葉としては『クレオパトラ』の制作から出てきたものが、人生や熊川哲也の新しいテーマになってしまった。これからはもうすべてにおいて完璧を目指さなくてはいけなくなりました(笑)。でも楽しみです。うん、非常に楽しみですね。

――今は秋に控えているKバレエの2つの新作公演の準備中ですよね。若手ながら世界的指揮者であるバッティストーニと共演する『カルミナ・ブラーナ』と、プッチーニの名作オペラ『蝶々夫人』を原案とした『マダム・バタフライ』。どちらも大作です。オリジナルの全幕新作バレエを作り続けていらっしゃることも、日本ではめずらしいことです。

熊川 新作を作り、レパートリーを蓄えていくことは、バレエ団の財産です。そして、なにもないところから作品の創造をすることは100%自分の愛する世界を作り上げることでもあります。大がかりな作品が2本並行していますが、完成まで死力を尽くすだけです。

取材・文=波多野公美 撮影=かくたみほ

<プロフィール>
熊川哲也(くまかわ・てつや)●北海道生まれ。10歳よりバレエを始める。1989年、ローザンヌ国際バレエ・コンクールで日本人初のゴールドメダルを受賞。同年に東洋人として初めて英国ロイヤル・バレエ団に入団。93年、プリンシパルに任命される。98年、英国ロイヤル・バレエ団を退団。99年、Kバレエ カンパニーを創立。2012年、Bunkamuraオーチャードホール芸術監督に就任。2013年、紫綬褒章受章、ほか受賞歴多数。
Kバレエ カンパニーオフィシャルサイト