生まれてくることの取り返しのつかなさ『乳と卵』の先に誕生した川上未映子の集大成『夏物語』【インタビュー】

小説・エッセイ

2019/7/14

 なぜ自分の子どもが欲しいのか。この問いに一片の迷いもなしに答えられる人はどれくらいいるだろう。川上さんの新刊『夏物語』は、芥川賞受賞作『乳と卵』の登場人物が新たに織りなす物語だ。過去作をリブートした理由はどこにあったのだろう。

著者 川上未映子さん

川上未映子
かわかみ・みえこ●1976年、大阪府生まれ。2008年に『乳と卵』で芥川賞、09年詩集『先端で、さすわ さされるわ そらええわ』で中原中也賞、10年『ヘヴン』で芸術選奨文部科学大臣新人賞、13年詩集『水瓶』で高見順賞、『愛の夢とか』で谷崎潤一郎賞を受賞。17年には『早稲田文学増刊 女性号』で責任編集を務めた。

 

「『乳と卵』は女性の身体や、産むことと生まれることという、生殖にまつわることについて書いた最初の短編でした。ただ、10年以上前の当時は時間的にも技術的にも書ききれなかった部分があって。今回また長編に取り組もうと思ったときに、生殖倫理というものをもう一度ちゃんとやりたいな、と思ったんですね。この世に生まれてくることは、死と同じくらいに取り返しがつかないことだと私は思っていて。生まれてくることの取り返しのつかなさ。そのテーマについて考えていく中で、自然な流れで『乳と卵』で書いた3人の女性が結びつきました」

 東京の狭いアパートで一人暮らしをする30歳の夏子は、アルバイトをしながら発表のあてもない文章を書き続けている。そこへ大阪でホステスとして働いている姉の巻子が、12歳になる娘の緑子を連れて上京してくる。

「彼女たち3人の身体と意識、それから背景をもう一度ちゃんと書くことで、生殖倫理の問題まで一気に語り直したかった」

 豊胸手術を受けようとしている巻子。自分の体について考えることをやめた夏子。そんな大人たちと世界を鋭い眼差しで見つめる緑子。緑子のノートには、性と生にまつわる疑問や怖さがむき出しの言葉で綴られている。

「緑子はかつての小さな私。彼女は直感的な反出生主義なんですよね。自分の実感に基づいて、卵子と精子を合わせることはやめたほうがいいと思っている」

 登場人物の名前にも意味がある。

「主人公の夏目夏子は、漱石と樋口一葉の本名である奈津(通称・夏子)に由来しています。男性でエリートで中央の言葉を使っていた夏目漱石に対して、女性でオルタナティブでストリートだった一葉はカウンター的存在だったともいえますよね。対立するふたつの背景を持つ女性を、この物語の語り手に据えることがすごく大事だった」

 ユーモラスで勢いのある大阪弁の語りと、心理と情景を繊細に映し出す標準語の地の文。両者が絡まり合うように入り組んだ文体も印象的だ。

「標準語の地の文に侵食してくるように、身体的なストリートとしての大阪弁がバッと入ってくる。その構造自体が、夏目夏子という名前には託されている。ベタで申し訳ないんだけど、でも名前ってやっぱりそういうものですよね。大阪弁のリズムにはいつも助けられています。それから、前半にあたる第一部を書き直して思ったのは、そのキャラクターがどういう人間なのかを物語の中で立ち上らせるためには、何をどれぐらい書けばいいのかという判断が短編と長編ではまったく違うということ。そういった技術的な気づきも今回はたくさんありました」

 ちなみに、『夏物語』は執筆開始前から世界十数カ国での翻訳が決定していた。

「そうなんです。私も読んでないうちから、次の長編の版権がたくさん売れたんです。存在しない本なのに、怖いよね(笑)。でも欧米ではわりと普通のことなんだそうです。書かれるべき本の版権を買う、ということは」

 言葉の境界線を越えた先でも、物語の力は必ず伝わる。それは出版エージェントとその背後で待っている海外の読者が、川上未映子という作家を信頼していることの表れだろう。

「だからといって、海外で読まれることを意識して執筆したということはまったくなくて。会話は大阪弁だしね。翻訳者ともディスカッションしたんですが、この大阪弁のリズムと勢いがある感じは、訳が難しいらしいのですが何とかなるでしょう」

子どもを生むことは正しくないかもしれない

 彼女たちの8年後を描いた第二部では、夏子の心境に変化が起きる。「自分の子どもに会いたい」という願いが芽生えてきたのだ。しかし相手はいない。パートナーなしの出産の可能性について調べ、行動していく夏子。その過程で、彼女は精子提供で生まれた逢沢潤と知り合うが……。

 子を持つことを迷い続ける夏子、夏子の才能を信じる独身の編集者、子どもを産むまで愛を知らなかったと言う女友達、血の繋がった父を探す逢沢と、彼の恋人で「出産は身勝手な賭け」と言い切る善百合子。すべての登場人物に血肉の通った葛藤と、絶対に譲れないものがある。

「これは生む体を持った女たちだけの物語では決してないんです。人が生まれて生きて死んでいくことの全部を書きたかった。小説を書くときはいつもどこかにその動機がある。だから、女性たちの連帯、シスターフッドだと思える部分も確かにあるのですが、それだけの物語ではなくて。性別に関係なく生きていくことがどんだけ痛いかっていう、痛みの物語だともいえるかもしれません」

 この世界に産むこと/生まれてくることは、本当に善い正しいことなのか? 産むことへの迷い、産んだからこそ知った幸福、生まれてきたからこその苦悩、産まない選択。『夏物語』はこの世に生まれてきた私たちの誰もが無関係ではいられない問いに真っ向から向き合い、培ってきた技法と思索のすべてを注ぎ込んだ川上未映子の集大成だ。

前例のないことを選び取る勇気を

 だが、「書かされた」という実感のほうが大きいと本人は振り返る。

「物語って自分で自在に書けるものではなくて、もう決まっているものなんです。ミケランジェロが『すべての大理石の塊の中に、像が内包されている。彫刻家の仕事はそれを発見するだけ』という言葉を残しているじゃないですか。作家もそれと同じだと私は思っていて、イデアのようなものが司令を出してくるんです。これを最高の状態で物語として取り出せよ、って。だから、こっちに誘導して、ここで感動させてというような意図的なアウトラインを引くようなことは一切せずに、ただただ夏子という人を、彼女の声を再現することにすべてを注力して書き進めていきました。そうするしかなかったし、そうすることで、意味のある物語になると信じていたので」

 夏子が最後に選ぶ生き方は、「普通」とは違うものだろう。そこに絶対的な正しさはない。小さな観覧車に乗っていた少女は、窓から世界を眺め、扉を開け、自分の意思で外の世界へと踏み出していった。

「これまでは有効だった常識やシステムが、今はもう疲弊していますよね。そうなると人って、つい次のロールモデルを探したくなるんだけど、でも本当は前例がないことをやってもいいはずなんですよ。出産ひとつを例にとってもそう。産む年齢とか誰と一緒に育てるとか、誰かの顔色を見て決めなくてもいい。外部の基準を一回全部取り外して、怖がらずに全部を自分で決めていい。私たちは本当は、名付けようのないものを生きているんだから。世間が思う“女”なんかどうでもいいんです。自分と、自分の中の“女”の部分を、誰にもジャッジさせちゃいけない。そんな風に読んでくれた人をエンパワメントできる物語になっていたら、作者としては大きな喜びですね」

 誰も排除しない物語を読み終えたとき、見えない腕を伸ばして抱きしめたくなるはずだ。過去の自分を、これから会えるかもしれない誰かを、もしかしたら会えたかもしれない誰かを、そして今のあなた自身を。

取材・文:阿部花恵 写真:冨永智子