伊坂幸太郎の新たな挑戦! 新刊『クジラアタマの王様』で挑む、小説の可能性とは?(ネタバラシもあり!?)

小説・エッセイ

2019/8/8

 東京を舞台にしたリアルな会社員小説の合間に、異世界を舞台にしたファンタジーコミックが現れる。ジャンルも異なる2つの物語の関係とは? 新境地突入の興奮と伊坂幸太郎イズム全開の高揚感が合体した、最新長編『クジラアタマの王様』について、小説家が(ネタバラシもあり! で)語った。おもしろい小説を書くための「秘訣」も大公開!

『クジラアタマの王様』書影

『クジラアタマの王様』
伊坂幸太郎 NHK出版 1500円(税別)
1本のクレーム電話をきっかけに、老舗お菓子メーカーの広報部に勤務する会社員・岸は崖っぷちに立たされる。SNSで会社は大炎上し、謝罪会見は最悪の事態を引き寄せる。そんな岸の不遇な日々の合間に、異世界でクリーチャーたちと戦う人々を描いたサイレントコミックが入り込む。小説とコミックはどう絡み合っていくのか。その先で現れる未来とは――。
 

いさか・こうたろう●1971年、千葉県生まれ。2000年に『オーデュボンの祈り』で新潮ミステリー倶楽部賞を受賞してデビュー。04年『アヒルと鴨のコインロッカー』で吉川英治文学新人賞、短編「死神の精度」で日本推理作家協会賞、08年『ゴールデンスランバー』で本屋大賞および山本周五郎賞を受賞する。近刊に『シーソーモンスター』など。

 

 今回の『クジラアタマの王様』は長年の夢がようやく叶ったものです。(「あとがき」より)

 本を開くとまず現れるのは、コマ割りされた3ページのコミックだ。象のような、蛇のような、猿のような……でも何かが違う巨大なクリーチャーたちが、剣を持った戦士数名と戦っている。黒塗りされた町の俯瞰図。道端で列をなす人々が手に持った紙を広げる様子。西洋風ののどかな一軒家のベッドで寝ていた青年が、起き上がり、紙を確認して、戦いの装備を身につけて外へと飛び出していく。

 そして次のページから、「第一章 マシュマロとハリネズミ」と題した小説本編が開幕する。描かれるのは、東京の製菓会社で働く会社員・岸の日常の物語。とてもリアルだ。じゃあ、あのコミックはいったい何だったんだ!?

 伊坂幸太郎の最新刊『クジラアタマの王様』は、その後も要所要所でコマ回りされた異世界RPG調のコミックが入り込み、小説本編とはまったく異なる物語・人物像・世界観の描写が積み重ねられていく。「絵本における絵」とも「挿絵」とも違う、小説とコミックの唯一無二のコラボレーションが実現している。

「こういう作品を書いてみたいと思ったきっかけは『モダンタイムス』(2008年刊)の頃まで遡ります。あの小説は『週刊モーニング』に連載されたものなんですが、せっかく漫画雑誌で連載するので“いっそのこと漫画を組み込んでもらっちゃえばいいんじゃないの?”と思ったんですよ。小説の物語の一部を絵にするんじゃなくて、例えば小説の終わりの言葉から連想される絵で漫画が始まって、漫画の最後のコマと繋がる言葉からまた小説が始まる……みたいな、文章と絵がつなぎ目なく絡み合う構成にするのはどうなのかなぁと。でも、編集さん的には、普通に小説を書いたほうが良かったらしく、そのままになったんですよね。その後、何人かの編集さんにそのアイデアを話しても、あまりいい反応は返ってこなくて。企画モノと思われちゃったんですかね」

 それは、新しい小説のかたち、エンターテインメントの可能性の提案だったのだ。その可能性に、NHK出版の編集者が大きく反応した。今回、初めて一緒に仕事をする版元だ。

「最初に依頼の手紙をもらった時は一度断っているんですけど、その後、“何年先でもいいからうちで書いてほしいです”と言ってくださって。結局、12年近くお待たせしてしまいました(苦笑)」

コミックにアクションをアウトソーシングする

 最初に決めたのは、小説本編と、その内側に入り込むコミックを具体的にどうリンクさせるかだった。小説という表現ジャンルの特性を見つめることから、発想をスタートさせていった。

「小説の良さって心情が読める、書き込めることじゃないですか。でも、僕が思うにアクションは苦手なんですよね。たとえば、漫画や映画って殴り合うシーンが延々と続いていても普通におもしろいんです。カーチェイスのシーンも、漫画や映画ならばおもしろく表現できる。躍動感やスピード感が伴う動きの表現は、小説だと、成立はするけれども相当厳しいんです。別に読んでもそれほど楽しくない」

 しかし、伊坂はこれまでも様々なアクションシーンを書いてきている。そこに確実に宿っていたおもしろさや興奮は、いったいどのように実現していたのだろうか。

「小説のアクションシーンで必要なのは、動きの表現ではなく、アイデアなんです。これ、小説をおもしろくするための、僕の秘訣の1つです(笑)。『マリアビートル』(2010年刊)の時に気づいたんです。ただアクションの描写を重ねても、読者には喜びは与えられない。要するに、どうやって勝つかとか、どうやって相手をノックアウトできるかとか、そういったアイデアを練り上げないと、小説におけるアクションは意味がないんですよ」

 本作では小説におけるアクションを、コミックに託すというのが「アイデア」なのだ。

「でも自分では描けないから、いわばアウトソーシング、外部委託です(笑)。小説のパートでは、普通のサラリーマンの日常を僕が書く。コミックパートは、めっちゃアクティブに登場人物たちが動いて、殴ったり飛んだりする世界の話をどなたかに描いていただく。二つを組み合わせることによって、これまでにない新しい小説のかたちを提示することができるんじゃないかと思ったんです。そこまで考えたところで、小説は現実で、コミックは夢の世界の話にするのはどうかな、と。主人公が昼の世界で感じている退屈や鬱屈を、夢の中で晴らすという構造が思い浮かびました」

 夢の世界のイメージは、ハンティングアクションゲーム『モンスターハンター』だったそう。

「当時、僕がハマっていたというだけなんですけど(笑)。あのゲームのグッとくるポイントって、仲間がそれぞれの武器を持ち寄って、力を合わせてモンスターを倒すことじゃないですか。その感じを、コミックパートではかたちを変えて表現できたらな、と」

 小説のどの位置に、どんな内容のコミックを配置するかは、編集者と相談しながら伊坂自身がディレクションした。まず、セリフは排除しようと決めた。アクションを際立たせるためだ。そして、登場人物たちの動きや構図をコマごとに指定する「ネーム」を作った。コミックを委ねたパートナーは川口澄子。普段は漫画家ではなくイラストレーターとして活動している彼女の絵に、作家は強く惹かれるものがあったのだ。

「和でも洋でもないし、日本的な漫画でもない、独特のタッチをお持ちなんです。この人なら、ファンタジーだけれど『ドラクエ』でも『ファイナルファンタジー』でも『モンハン』でもない世界を描けるんじゃないかと思った。正直、川口さんがどんな絵を描くか見たいがために、小説を頑張って先へ進めた気持ちは強いですね」

 川口から提案されたアイデアを取り入れたことで、作品全体の膨らみが増した部分もあったと言う。小説とコミック、現実と夢の関係性は単純なものではない。二転三転、逆転(!)を遂げるのだ。

「今回のコミックパートがいわゆる挿絵と違うのは、小説には出てこない部分を描いているんですよね。そこで描かれたことが、のちのち小説にもつながってくる。もちろん、それだけでは終わらなくて。これはさっき言った秘訣の2つ目なんですが(笑)、読者に先にいかれたら終わりなんですよ。ストーリーは読者の半歩、一歩先を進んでいないと。たとえば、誰かが大きい荷物を持っている。“爆発するんだろうな、やっぱり爆発した”って、読者に思われるのが一番良くない。読者にとってはただの確認作業になっちゃいますから。今回の小説とコミックの関係も、そうならないように、いかに読者の少し先にいけるものを提示できるかで腐心したんです」

クジラアタマの王様 コミック

 

クジラアタマの王様 コミック

 

クジラアタマの王様 コミック
夢の世界はコミックパートで描かれる。戦士となって、戦う登場人物たち。
(c)川口澄子(水登舎)

会社員小説の真髄はひっくり返しの快感

「編集さんと打ち合わせした日が、たまたまハシビロコウをテレビで見た翌日だったんです。夢の世界の案内人となる存在が必要だねって話になった時に、ふと“ハシビロコウって良くないですか?”と。鳥なのに全然動かないしフォルムも異様だから、夢の中の存在っぽい。調べてみたら、ハシビロコウって、ラテン語で“クジラアタマの王様”という意味だったんですよ。すごくいいと思って、小説のタイトルにもしてしまいました」

 そんなエピソードが象徴するように、物語はその時々の興味の赴くまま、即興的に組み上げられていった。冒頭から順に、先を決めずに書き進めていくやり方だ。

「オープニングのエピソードだけは決まっていました。コミックパートは最初から結構動きがあるから、小説パートは暗い始まりにしたかった……謝罪会見とかがいいかなと」

 妊娠中の妻と都内で暮らす主人公の岸は、老舗お菓子メーカーの広報部で働いている。ある日、新商品のマシュマロ菓子に、画鋲が入っていたという電話が会社にかかってきた。担当したお客様サポートの社員は対応を誤り、さらには逆ギレ。激怒した顧客がことの顛末をSNSに書き込み、話題が拡散され「炎上」状態に突入する。びびった上層部は、以前お客様サポートの部署におり顧客対応力に秀でた岸を呼び戻す。せっかくクレームの嵐から逃れられる部署に異動したのに……。岸の不運は終わらない。ポンコツ上司が岸のレクチャーを無視して、謝罪会見で大失態を犯すのだ。

「謝罪会見で絶対に言っちゃダメなことを言っちゃう上司がいたらおもしろいかなあ、と。周りの人たちにとっては、全然笑えないんですけど」

 しかもその上司は失敗の尻拭いを部下たちに押し付けてきた。岸の身に降りかかる、理不尽に次ぐ理不尽。グッと拳を握りたくなる展開が目白押しだ。

「世の中には本当にイヤな人っているんだというのは、サラリーマンを7年くらい経験して学んだことですね。経験していなかったら、漫画に出てくるような、仕事をさぼる人とか、誰かに押し付ける人なんて、いるわけないじゃんと思って書けなかったかもしれない(笑)。“正直者が馬鹿を見る”“有能な人ばかりが苦労する”という言葉もよく聞くけど、本当にそうだよねっていうのは実感としてありました」

 そうした会社(員)のリアルをめいっぱい小説に盛り込んだうえで、物語として何を付け加えるか。実は、いわゆる会社員小説を、作家はこれまでほぼ書いたことがなかった。

「会社員は出てくるんですけど、そこをメインに書くことってあまりなくて、会社員の小説って、どの部分にグッとくるのか勉強しようと、池井戸潤さんの本を読んだりして」

 会社員ならではの理不尽な抑圧を主人公にかけまくった後で「倍返し」的な快感を作る!

「あと、自分たちの新商品が売れたら嬉しいなあ、という感覚もあって、それを序盤の十数ページでやっちゃおうと。それができたら贅沢じゃないかなって」

 しかも、ひっくり返しの快感が起こるのは一度きりじゃない。第一章だけでも複数回起こるのだから、まさしく「贅沢」だ。

「この小説を謝罪会見で始めたかった理由は、正義の味方的に“お前が悪い! 謝れ!”と責め立てる人への怖さ。“悪くなかったらどうするの?”という疑問もあって。もし事実がひっくり返ったら、バツが悪いじゃないですか」

クジラアタマの王様 コミック
巨大なハシビロコウは、夢の世界の案内役的な存在。

首尾一貫して現実的でまっとうなエンタメに

 ところで……岸の日常と、夢の世界はどう関わってくるのか? 数度にわたるコミックパートのインサートを経て、第二章で少しずつ関係が明らかになってくる。都議会議員の池野内征爾と、人気ダンスグループのメンバー・小沢ヒジリ。普通に生活していればすれ違うことすらなかった二人と、夢の記憶をきっかけに出会い、夢の「謎」を巡って協力するようになるのだ。

 その「謎」を解く鍵のひとつは、8年前に、岸、池野内、小沢が偶然滞在していた金沢の古いホテルで起きた火災だ。この火災を巡るサブストーリーが、ミステリー作家としての伊坂幸太郎の技芸全開となっている。

「火災現場から3人はどうやって脱出したのかという謎ですね。この出来事自体は現実世界の話だけれども、編集さんや川口さんとの話し合いの中で、解決編はコミックパートで描いてもらおうと思ったんです。リアリティ重視で書くんだったら、いくらでも方法がある。でも、絵で説明するならば、絵で見た時におもしろい解決がいいなあ、とかなり悩みました。その結果、思い付いたのがサイコロ展。非現実的な方法だけど、おもしろいものになったと思うんですよ」

 一方で、岸の身に降りかかる不運は物語が先へと進むにつれスケールアップしていく。不運がもたらすトラブルの中身には、他の伊坂作品にはあまり見られない特徴があった。

「書き終わってから気づいたんですけど、岸くんのパートでは泥棒も出てこないし、強盗や殺し屋も出てこなければ、超能力もない。首尾一貫して現実的で、僕の好きな非現実的な要素で引っ張るようなことを一切していないんです。非現実的な世界はコミックパートがやってくれているから、小説のほうはオーソドックスなんですよね。僕らしくないと言っていいぐらいまっとうなエンターテインメントになっていて(笑)。コミックパートがあったおかげでこうなったのかもしれません」

クジラアタマの王様 コミック

 

クジラアタマの王様 コミック
深夜のホテル火災、非常階段は壊れていて、ここからは脱出できない。向かいで開催されていたサイコロ展のサイコロを使った救助作戦が展開されて……。

小説の中ではまじめな人を勝たせたい

 小説とコミックが絡み合い、情報を補完し合っていった先でいったい何が起こるのか? それはぜひ本作で楽しんでほしいが、ひとつだけ言えるとしたら、小説パートがクレーム処理と謝罪会見のエピソードから始まっていたのは、必然すぎるほど必然だったということ。

 ニュースや話題になるのは、物事の実際の重要性や危険性よりも、多くの人たちの感情が優先される。(中略)情報操作や誘導にかかわらず多くの人は、感情に正直なだけなのだ。(「本文」より)

本作は、ファクトや理屈よりも感情を選ぶ、人間という生き物についての物語なのだ。

「戦争も最終的には、感情で起こるような気がするんですよね。論理的に考えれば、経済的にも起こさないほうがいいってことも多そうなのに、それでも起きちゃうのは感情が原因なのかなあ、と。同じ罪を犯した人に対しても、感情によってまったく違う罰を平気で与えるのが人間ですよね。人間はそういうふうにできているんだってことを理解するのって大事な気がして。そうすれば感情だけで動いちゃいそうになった瞬間に、“あっ”と立ち止まることができるようになるかもしれない。そのことは、自戒を込めて、書きたいな、といつも思っちゃうんですよね」

 人々の負の感情が暴走した「集団ヒステリーによる不幸」を、誰がどうやったら解決できるのか。もしかしたら本作こそが一縷の望みとなり得るのかもしれない。読めば、純粋なおもしろさを味わえるとともに、感情というものに対する客観的な視点を手に入れることができるからだ。

「結局、小説って、たとえ話なんです。“現実にもこういうことってあるよね”と学んでほしいわけじゃないけど、何かしら残るものがあれば嬉しいです」

 大事なことをもう一点。感情の機能は、ネガティブなだけではない。ポジティブにも機能する。

「未来というものは人間の感情でできていると思うんです。人間の感情によって、明日の天気は変わらないけど、未来は変わるというか。まあ、明るい気持ちでいれば未来が良くなるわけでもないですけど、ただ、“もう絶望だ!”って思う人ばっかりになったら、どう考えても未来は良くならない気がするんです。“明日もどうせダメなんでしょ”って思う人たちばっかりだったら、もうダメじゃないですか。だから、小説を書く時は何となく、『どうせ』みたいなものにはしたくないんですよね」

 だから伊坂は本作のラストで、「こういう世の中であってほしい、という願望」を込めた。その願望にまつわるラストの展開こそが、もしかしたら最大のサプライズだ。

「まじめな人が報われないことも多いじゃないですか、現実は。ただ自分の書く小説の中では、最終的にはまじめな人が勝ってもいいかなあ、とよく思います。“あの人”が“ああなる”なんてことは、僕自身ですら予想してなかったですから。でも、まあ、良かったなあ、と思いますよね(笑)」

こうして新しい小説のかたちやエンターテインメントの可能性を追求しながら、伊坂幸太郎イズム全開の傑作が完成した。

取材・文=吉田大助 

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