「照れ」をいかに克服するか!? 岸政彦×又吉直樹対談イベントレポート

文芸・カルチャー

2019/11/10

岸政彦と又吉直樹が語った、表現することの裏側。照れを克服しながら、形式をとりもどしていった過程とは――満員御礼だったイベントをレポート!

 沖縄や生活史が専門の社会学者であり、初の小説『ビニール傘』で芥川賞&三島由紀夫賞の候補にも選ばれた岸政彦さん。芸人として活躍しながら、デビュー小説『火花』で芥川賞を受賞した又吉直樹さん。岸さんの新作『図書室』の刊行と、来年行定勲監督のもと映画化が決まった又吉さんの『劇場』文庫化を記念して、去る9月に神楽坂・AKOMEYA TOKYO in la kaguで開催されたトークイベントは、発売後即チケット完売という人気ぶりをみせた。

 当日、会場いっぱいに詰めかけたファンの前で繰り広げられたトーク、ふり返って主題となっていたのは「表現すること」の裏側。まずは岸さんが、『劇場』の感想とともに又吉さんの執筆手法について斬り込んでいく。

岸政彦さん(以下、岸)「主人公の永田は劇作家なんだけど、恋人の沙希を一回だけ自分の芝居に出した理由がとてもいい。いわく、複雑な感情を複雑なまま出している子だから」

又吉直樹さん(以下、又吉)「僕、発言と表情があまりにシンプルに一致している人を見ると、作為的なものを感じて怖くなるんですよ。それよりも、面白いですねって言いながら笑ってなかったり、なるほどって言いながら全然わかってなさそうだったり、早くこの話終わらせて次にいこって思ってる顔が見えたりするほうが面白いし、見ていて好き。いろんな感情が混ざっている人のほうが、こちらの想いもちゃんと託せる気がするんです」

「一言では言えない状態でいる、ってことですよね。永田の、同い年で評価されている作家・小峰に対する場面もいいんですよ。芝居を見て打ちのめされたあと“ここで諦めたら楽だ”と感じながら“適切に傷ついて帰ろう”と思う。小峰がインタビューされている雑誌をコンビニで見つけて、つい買って帰ってしまうんだけど、読みたくないから最初だけ開いて流し読みする。けっきょくあとから、めちゃくちゃ読み込むんだけど、悔しさが爆発しているのに過剰に明晰にそのインタビューを分析する。わかるなあ、って思いました。認めたくはないけど、ちゃんと悔しがりたいんですよね」

 岸さんは、この「感情に明晰で分析的」な視点は又吉さん自身にも通じるとし、それはつまり創作に没頭できないということではないのか、邪魔にならないのかと問うと「邪魔になることがある」としたうえで又吉さんは「そのうえで、いかに“恥ずかしい”という感覚の外に行けるかが問題」と答えた。

■表現するうえでの「照れ」をいかに克服するか

 表現するうえでの“恥ずかしさ”は、当日の大きなテーマの一つでもあった。舞台上で大声を出し、過剰な演出を自分に施し、芸人らしさという定型に添ってふるまうことに、抵抗を覚えていた若手時代の又吉さん。あるいは、社会学者の自分がいかにも小説らしく書くことに抵抗を覚え、デビュー作ではセリフを「」でくくることができず、人称や時間軸を複数用いていたという岸さん。しかし表現とは、自分が満足するための主義主張ではなく、形式とは、受け手におもしろさを伝えるための手法なのだと、両者ともそれぞれ経験から気づいたという。最初から形式を妄信するのではなく、試行錯誤しながらとりもどしていく。その過程こそが、二人のオリジナリティの源泉なのだとわかる。

又吉「あとは、なにに恥ずかしがってるのか考え詰めていくと、だんだんムカついてくるんですよ。なんでここまで考えなきゃあかんねん、って。ライブでも、腹立つことが起きるとラッキー、って思うんですけど、怒りが勝ると照れを突破できる。全然おもんなくてもいい、書きたいから書く以外に理由なんてないやん、って」

「その開き直りを、いかに自己満足で終わらせないようにするかですよね。又吉さんは、猜疑的な視線や形式を壊したい願望をもちながら、小説の書き方はとてもオーソドックスじゃないですか。その両者が共存している感じが、いいんだと思う」

又吉「もともと自分で読むのも見るのも、王道が好きなんですよ。変わった表現も好きだけど、自分のポジションを考えて狙ったのではなく、その人がこれしかないと強く信じているものにぐっとくる。潔さがありますからね。みっともなさも、バランスの悪さも、全部出ちゃってるけどそうするよりほかにない、っていう」

「だから表現って恥ずかしいんですよね(笑)。僕も王道がとても好き。好きな画家はピカソと言うと、アートに詳しそうに見えるせいか『えっ』という顔をされて、その顔がおもしろいから余計に言っちゃうところがあるんだけど、形式のもつ強さ、王道のもつ力というのは確実にあるし、書き手がポジションどりを忘れて表現に没入すると、純粋におもしろいと思える作品ができる。『劇場』はまさにそういう作品でした」

■言葉のやりとりは好きだけど、言葉を信じすぎてはいない

「僕は一個一個の発言がおもしろいわけじゃなく、量でねじふせていくタイプなんです」と語っていた岸さん。『劇場』の感想を語りながら聞き役にまわっていたが、「そろそろ『図書室』の話をしていいですか」という又吉さんの発言によって、立ち位置が交代。

又吉「『図書室』は、図書室で出会った少年と少女が、他愛ない会話を通じて世界を共有している感じがとても好きでした。高校時代、サッカー部の仲間と好きなプロ選手になったつもりでプレーすることがあったんですが、いつのまにか“つもり”を超えて、プロ同士での戦いに変わっている。その場にいる人たちにしか共有できない幻想の心地よさが、あの会話の中にはありました」

「脳と脳が直接つながるようなコミュニケーションを書きたかったんですよね。それって、大人になるとほとんどできなくなるから。子供同士の、どこに突き進んでいくのかわからない会話と、ラストで大人になった少女が河川敷をどこまでも歩いていくような描写は、僕の中でちょっと重なっていて。本当は、あの歩いて行った先で、本当に世界が滅亡していることにしたかったんです。いつのまにか時空を超えて、理由もわからないままに。でも、それだとちょっとやりすぎかなあと思ってやめました」

又吉「いつか太陽が爆発してみんな死ぬ、そのとき二人でどう生き抜くかの想像を語りあっていくんですけど、仮定の架空の話で起きた出来事について、二人は泣くじゃないですか。本当に滅んだわけじゃないし、仮定をやりなおせばいいだけなのに、二人のルールでは元に戻れないから。あれはめちゃくちゃかわいかった」

「相手をもう一人の自分と思う、という感覚は実は僕にもあって、ほとんど同じ時に生まれた従姉妹の女の子と、10歳くらいまで毎日のように一緒に過ごしていたんですが、大人になるにつれてだんだんイメージを共有できなくなっていく。道が分かれていってしまうんです。僕は基本的にさみしいということばかり小説に書いているんだけど、いつか別れがくるとわかっているからこそ、関係の終わりが訪れるのがとても怖いんです。だからああいう、理想的なコミュニケーションを、ありえないとわかっていても書きたくなる」

又吉「別れも同時に描かれるからこそ、二人が語りあう世界の終わりの、純度の高さが際立っていました」

 そして、純粋な言葉のやりとりを理想、としたうえで話題は「フィジカルの強さ」にも転じていく。

「僕は、Twitterを見ているだけで人を好きになることがあるくらい、言葉がとても好きなんだけど、反面、無意味に身体を肯定される瞬間もとても大事だと思っているんですよ。僕の小説は、言葉以前のものが描かれていると評されることが多いんだけど、言葉を扱う仕事をしていながら、実は言葉を全然信頼していないんです」

又吉「僕も似たところがありますね。どれだけ言葉を尽くして表現しても、シンプルに“大好き!”っていうだけのことが圧倒的に強い、みたいな瞬間がありますから」

 猜疑的で、批評的でありながら、王道ど真ん中をまっとうする。言葉を強く信じていながら、同時に疑い続けるまなざしをもつ。相反する二つをいききすることが、表現することには不可欠なのかもしれない。そんなことを思わされたトークイベントだった。

 なお、イベントの詳細は対談形式で雑誌『波』に掲載されている(発売中の2019年10月号に前編、後編は11月号に掲載)。

取材・文:立花もも

写真提供:新潮社写真部