肝っ玉母さんの半自伝的エッセイ集『84歳の母さんがぼくに教えてくれた大事なこと』作家生活30周年・辻仁成インタビュー

小説・エッセイ

公開日:2019/11/21

『84歳の母さんがぼくに教えてくれた大事なこと』(辻仁成/KADOKAWA)

 作家としてはもちろん、ミュージシャンとして、映画監督として、幅広く活躍する辻仁成さん。そんな彼のTwitterアカウントで、大きな反響を呼んだツイートがある。それは、「84歳の母さんが教えてくれた大事なこと。」からはじまる、辻さんのお母様の人生訓。そのツイートをもとにしたエッセイ集『84歳の母さんがぼくに教えてくれた大事なこと』(辻仁成/KADOKAWA)が、2019年10月31日に刊行された。

 本書は、辻さんが誕生から60年の半生を振り返りながら綴るエッセイ集だ。「人間はみんな母親から生まれてきた。ぼくもだ」──誰もが母を思い出して共感せずにはいられない、このエッセイ集の誕生秘話とは? 辻さんが、お母様の姿から学んだこととは? お話をうかがった。

幼いころに聞いた母の言葉を、過去から蘇らせて書いた

──辻さんの半生を読むという意味でも、お母様の「母」としての半生を読むという意味でも、大河ドラマを見たような満足感が残る一冊でした。お母様について書こうと思われたきっかけは?

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辻 仁成(以下、辻) Twitterでなにげなく母さんの言葉をツイートしたら、思った以上に大きな反応があったんですよ。あの時、母さんはあんなことを言っていたな、とか、思い出しながらツイートしたんですけど。それが「84歳の母さんがぼくに教えてくれた大事なこと」という一連のツイートだったんです。どうしてかなと考えてみたんですが、僕がそうであったように、母親が息子に伝える言葉って、多くの人の心をとらえるものがあるんでしょうね。そんなことを思っていたら、KADOKAWAの編集者さんから、本にしたいという打診があったんです。そこから急遽、書きはじめました。

 同じようなツイートに、「息子よ」からはじまる僕から息子への言葉があるのですが、こちらは息子とともに生きていく中から出てくる、日常のツイート。「84歳の母さんが教えてくれた大事なこと」は、僕が小さかったときに聞いた言葉を過去から蘇らせている感じなので、そこは少し違いますね。84歳という人間を極めたような年齢の人から、まだ生きることに苦しんでいる年齢の息子への言葉であるという点も、おもしろいところなのかもしれない。この本を手にしてくれる人って、84歳の母さんよりも年下の人が圧倒的に多いでしょうから(笑)、たとえば自分の母親を思い出したり、もしかしたら誰か大事な人の言葉を重ねながらこの本を読まれるんじゃないかな。

──辻さんは、ご自身が子育てをしてみて、お母様に対する意識が変わるといったことがありましたか?

 自分がシングルファザーとして子育てをするということになったとき、最初の2、3年は、仕事と両立しながら子どもの精神状態まで見なくちゃいけないというのが、本当にキツかった。じゃあ今は楽になったかというと、息子が大学受験のことを考える年齢になったので、またちょっと大変な時期なんですが……。息子がまだ幼いときは、「この先やっていけるのかなぁ」なんて、さすがに憂鬱になりましたね。自分も痛みを抱えて生きているなかで、どうやったら息子を元気に育てられるんだろうと。そんなときに、母さんが自分をどう育ててきたのかということが、頭の中をよぎったんです。

 母さんは、僕に「苦しい時は余計なことは考えず、ガンガン炒めて、ジャンジャン食え」と言いましたが、この言葉には本当に励まされました。そうだよな、落ち込んでいる暇があったら、ガンガン炒めてジャンジャン食ったほうが元気になるじゃんって、素直にそう思えたんです。そういう経験をした僕だから、息子に同じことを言うようになるんですよね。母さんが子どものころの僕に言ったことが、今、親になった僕の支えになっている。同時に、それが僕の言葉になって、息子に受け継がれていくんだなと思います。

息子の「試合に勝ったよ」には、仕事では得られないよろこびがある

──お母様の、「今いるところで、なんとかできることをやってみよう」というポジティブな姿勢も素敵です。今、ままならない状況にいるどんな人も励まされますね。

 そうですよね。僕はシングルファザーになったとき、母さんが自分に使ってくれた時間や労力を、同じだけ子どもに返さなきゃいけないと思ったんですよ。それまでの僕は野心のかたまりで、家族を顧みず仕事をしてきた。でも、そのせいで自分を苦しい状況に陥れてしまったのだとすれば、もうこれからは後悔したくないから、今、自分にやれる一番大切なことをしなくちゃいけない。それはなにか、仕事か、お金か、成功かって考えたとき、やっぱり人間として、ちゃんと子どもを育てたいと思ったんです。

 子どもも、突然父親との二人暮らしになって不安定な状態でしたから、僕もいいかげんなことはできないと思い、仕事を減らして、“子どもファースト”でいこうと決めて生活をはじめました。そのおかげで、書けなくなったり、思うように時間が取れなくなったりしましたけど、一方で、それまで自分が目指していたものより、大切なものがあるんじゃないかということにも気づくことができました。子どもが「バレーボールの試合に勝ってきたよ」って言うひとことに、仕事では得られないよろこびを感じました。こういう境遇に身を置かなければ、きっとわからなかったことでしたね。

 でもそれって、よく考えれば、ぜんぶ母さんが僕にしてくれていたこと。たとえばすごい賞をもらったぞっていうとき、もちろん自分の力で獲ったものだと信じていますが、家族の励ましも大きかったのかもしれないと思います。僕は今年、60歳を超えましたが、この先の人生でやらなきゃいけないことは、受け取ったものを返していくことだろうなと。そう考えたとき、僕が母さんにもらったものは、この子に返していきたいと思いました。そういう気持ちが、僕が母さんから学んだことです。

人生の大切な部分こそ、ふだんの生活では忘れがちだから

──本書からは、辻さんが落ち込みから回復するときには、お母様の言葉と相談されているような印象を受けます。

 言葉と相談しているというよりも、なんだか“いる”感じがするんですよね。口数の多い人ではなかったのですが、母さんが僕にかけてくれた言葉は、「死ぬまで生きなさい」といった、ごくごく当たり前の内容。なんということはない言葉ですが、人生、本当に落ち込んだときは、難しい言葉を聞くよりもシンプルなことを思い出すほうが大事なんですね。どんな教訓よりも、「ちゃんと朝ごはん食べたか?」っていう言葉のほうが、実は大切になるんです。

 だから、母さんが言っていることは、よく読めば当たり前のことばかりですが、一読するとみんなびっくりするみたいですね。みんな、人生のそういう基本を飛ばしてしまっているからなんです。ないがしろにしているとまでは言わないけれど、大切な部分こそ、ふだんは忘れがちなんでしょう。

 母さんが教えてくれたことの中でも一番大きいのは、「人生は有限だ」ということ。苦しんだり落ち込んだり、後悔したりしている時間がどれだけ無駄かと、「ひとなり、今だ。なにを後悔している。今だ」という言葉で、常に教えられてきました。今、一生懸命、集中して努力していれば、結果として未来が良くなる。後悔する時間があるのなら、その時間を使って自分の好きなこと、やりたいことをまずやりなさいって、すごくシンプルなことを言うんです。

 僕が母さんから聞いた言葉は、今、僕が言ったようなわかりやすい言葉ではありませんでした。もっと母さん独特の言い方で、方言だって母さんのようには使えないので、僕が息子に同じ内容を伝えたいと思ったときは、僕なりの言葉に直している。この本は、僕の人生を振り返りつつ、その言葉を聞いたのはもともとどんなシチュエーションだったかなと思い出しながら書きました。

家族と生きることの良さ、自由に生きることの良さ

──最近、虐待や過保護、毒親など、家族のあいだにさまざまな問題が発生しています。家族とは、どのようにつき合っていくのが良いのでしょう?

 僕は、高校生のころには実家の倉庫で一人暮らしをしていたので、あまり母さんと一緒には過ごしていないんですよ。それでも、こういう本を書くことになるわけですから。親子って、離れていても気持ちはつながるものなんだなと思います。

 僕が住んでいるフランスでは、亡くなるとき、一人での死を選ぶんですよね。パートナーを亡くしたり離婚したりしたら、そのあとはずっと一人で暮らして、最後も一人で亡くなっていく。僕のフランス人の担当編集者からは、「子どもに迷惑をかけたくないから、最後はスイスで安楽死するつもりだ」と聞いたことがあります。すごく寂しい話ですが、フランス人って、自由に生きているからこそ、家族に迷惑をかけたくないという人が多いんですね。日本のように家族を大切にすることの良さと悪さもあると思いますが、フランスのように一人で生きていくことの良さと悪さも、やっぱりある。

 人間、自分が死ぬときに、子どもに迷惑をかけようなんて思わないじゃないですか。僕も同じ気持ちだから、その編集者の気持ちがよくわかる。でも、そういうことを言うとまわりの人は寂しいだろうから、残った人はどうなるのという話にもなる。そのあたりのことは、次の小説のテーマになると思いますね。作家っていうのは、転んでもなんでも、ぜんぶ拾い上げて立ち上がる仕事ですから(笑)。

──本書の中に、お気に入りの言葉はありますか?

 やっぱり、母さんの「誰の人生ったいね」っていう言葉は好きですね。「人生は誰のものか、とつねに考えることが大事ったい」「誰の人生だよ」というのは、誰にでも通じる言葉で、うじうじしてしまうタイミングでも「なにかの選択を迫られた時、自分に言ったらよか。それは誰の人生だよって。誰の人生だ。それは自分の人生なんだよ」って思い出せば、そうだよねって切り替えるきっかけになるし。「84歳の母さんが教えてくれた大事なこと」をTwitterに書きはじめたとき、友達から、この言葉にすごく救われたと言ってもらえたんです。Twitterに書いた言葉は、数は少なくても、ひとつひとつに重みがあったのが良かったのかなと思いますね。

 今までも、『立ち直る力』(光文社)など、Twitterをもとにした本は何冊か出してきました。こういうタイプの本は、読んでくださる方も、年配の男性だったり、若い女の子だったりとさまざまで、小説がなかなか売れないと言われる今も、幅広く読まれています。待っている人がいるんだなと思いますね。

取材・文=三田ゆき 写真=高嶋佳代

(あらすじ)
今年作家生活30周年の・辻仁成さんが、どんな逆境でも自分を捨てず子育てを諦めず、厳しい人生と向かい合った肝っ玉母さんの豪快な秘話とともに書き下ろした半自伝的泣き笑いエッセイ集。本書は、Twitterで話題となった「84歳の母さんが教えてくれた大事なこと」の、母の愛と人生訓にあふれている。

辻 仁成
つじ・ひとなり●1959年、東京生まれ。作家、詩人、ミュージシャン、映画監督、演出家。81年、ロックバンド「ECHOES」を結成。89年処女小説『ピアニシモ』で、すばる文学賞を受賞し、作家デビュー。97年『海峡の光』で芥川賞、99年『白仏』のフランス語翻訳版「Le Bouddha blanc」で、仏フェミナ賞・外国小説賞を日本人として唯一受賞。著作はフランス、ドイツ、スペイン、イタリア、韓国、中国をはじめ各国で翻訳されている。現在は活動拠点をフランスに置き、創作に取り組んでいる。著書に『サヨナライツカ』『真夜中の子供』『人生の十か条』『愛情漂流』など多数。Twitterでの「84歳の母さんの言葉」が大きな反響を呼んでいる。Webマガジン「Design Stories」主宰。
https://www.designstoriesinc.com/
Twitter:@TsujiHitonari