「『自己責任』という言葉を他人に言うのは間違っている」『嫌われる勇気』著者に聞いた、“今ここ”を幸せに生きる方法

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更新日:2019/11/28

 2013年に『嫌われる勇気』、2016年に『幸せになる勇気』を出版。「勇気の二部作」として世の中に旋風を巻き起こしたこの2冊は、現在合計部数が日本で262万部、世界では573万部を突破し、今もなお、勢いはとどまることを知らない。なぜ、ここまで世の中に必要とされるロングベストセラーになっているのか。一体どんな勇気が必要なのだろうか。

 そもそも、タイトルのインパクトは強いものの、我儘で自分勝手な人生を推奨している本では決してない。むしろ、元々人の気持ちがわかり過ぎる人、自分の言葉を他人がどう受け止めるか意識できる人に向けて書いた本だと著者のひとり、岸見一郎さんは言う。自分のことは人から指摘されないとわからない。嫌われることが怖い、承認欲求が強い、対人関係に自信がない…など、薄々気づいていたことが、はっきり目の前に突きつけられるような衝撃を受ける本になっている。

 さらに、この本の特徴は、心のモヤモヤがわかった状態で放り出されないこと。こうしたらいいとはっきり助言まで書いてある。本を読み終わったあとにこれまでとは違う人生を生きられそうだと思えるようになる本だ。岸見さんにお話を伺った。

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幸せになるには勇気が必要

――アドラー心理学では、他人からの承認欲求を明確に否定しています。しかし最近では、SNSで承認欲求を満たそうとする人も多いように思います。

岸見一郎さん(以下、岸見):人からよく思われたい、嫌われるのが怖いのでしょうね。SNSで「いいね」がつくとうれしいかもしれない。でも、私たちは他者の期待を満たすために生きているわけではないのです。

 自分がこうしたいと思ったことに、反対する人は絶対います。でも、親の意見に従ったり、友人の考えに流されたり、人の意見に左右されたりしてばかりいると、自分の人生を生きることはできません。

――ご著書のタイトルに『嫌われる勇気』、『幸せになる勇気』と、2冊とも「勇気」という言葉が入っていますね。人との関わり方の勇気でしょうか。

岸見:対人関係に入っていくことには勇気がいります。人との摩擦やトラブルを避けるわけにはいかないからです。人から傷つけられることを恐れて対人関係を避けようとする人は多いです。でも、生きる喜びや幸せも、対人関係の中でしか得ることはできません。だから、幸せになるためには対人関係に入っていく勇気がいるのです。そのためには、自分に価値があると思えなければなりませんが、傷つけられることを恐れる人は対人関係に入らないために自分に価値があると思わないでおこうとします。どちらの本にも、どうすれば自分に価値があると思えるようになるかが書いてあります。

自分への関心を他者への関心に変える

――今は個の時代と言われる一方で、ご著書の中では「他者貢献」や「共同体感覚」と言った他者との関わりが大切だとあります。

岸見:人の目を気にする人、人によく思われたい人は自分にしか関心がありません。

 たとえば上司が間違ったことをしても、部下が上司に嫌われたくないし、余計なことをして周りからも疎まれることを恐れて指摘しないことがあります。そのような人に自分が所属する組織やさらには社会のことを考えてほしい。そのように考えられるようになった人は、自分にしか向けていなかった関心を他者に向けることができます。この「他者への関心」のことをアドラーは「共同体感覚」と言っています。

――他者貢献とは、何か特別なことをしないといけないと思ってしまいそうです。

岸見:まずは、自分がここに生きていることで他者に貢献していると思えることが大切です。今の世の中は、何かできないと駄目だとか、特別なことをしないと貢献していないと思っている人が多いように見えます。でも、人の価値を生産性で測るのは間違っています。

 人の価値を生産性で測るようになったのは、教育に関係があります。親が子どもに特別であれと教え込むのです。子どもが生まれた頃は、ただニコニコしているだけで親は嬉しかったはずです。しかし、次第に親の欲が出てきて、いい成績をとらせようと勉強させたり、場合によっては進学校に行かせようとします。子どもは親の期待に沿うよう頑張りますが、それがうまくいかなかった場合、悪くなって親を困らせようとします。特別よくなくても特別悪くなくても、ありのままの自分を受け入れることが大切です。

 仕事では結果を出さなければなりませんが、まだ仕事も覚えきれずミスが多くても、上司は、部下が出勤してくれたら「ありがとう」と言葉をかける。退社する時も「ありがとう」と声をかける。すると部下は自分の存在に価値があり、それだけで貢献していると思えます。これでは部下は今のままでいいと思うのではという人もいますが、そんなことはありません。そもそも部下が仕事ができないのであれば上司の指導に問題があるのですが、まずは部下ができないのならできない自分を受け入れるところから始めるしかありません。

――他者貢献や共同体感覚を持つには、どうしたらいいでしょう。

岸見:主語を「私」ではなく「私たち」にする。私よりも先に相手のことを考えるということです。そうすれば、他者への関心が持てるようになります。私は息子に「今の言い方どうだった?」とよく聞いていました。するとイマイチと言われたこともありましたが。「では、どう言えば良かった?」とたずねることで、独り善がりに陥らなくてすみます。

あらゆる対人関係のトラブルは、相手の課題に踏み込むこと

――自分の課題なのか、相手の課題なのか、どう見分ければ良いでしょう。

岸見:その結末が最終的に誰に降りかかるか、誰が最終的な責任を引き受けなければならないかを考えるとわかります。子どもが勉強するかしないかは、一体誰の課題でしょう。勉強しなくて成績が上がらずに困るのは子どもです。親が受験するわけではありません。

――子どもがそこまで判断ができるだろうか、と思う親が多いのでは?

岸見:それは子どもを信頼していないからです。そんなことを子どもがわからないはずはありません。勉強しなくていいと思ってる子どもはいません。

 勉強に限らず、自分の課題について口出しされたくない。あらゆる対人関係のトラブルは、人の課題に土足で踏み込むこと、あるいは踏み込まれることから起こります。結婚してすぐに子どもが生まれなかったら、「子どもまだ?」とか、「そろそろ子どもつくったら?」という人がいます。でもそれは夫婦の課題です。そんなことを他の人から言われたくないでしょう。

 子どもたちも同じです。自分の課題に土足で踏み込まれることを嫌がります。子どもが全く宿題をする気配がなく、時間だけが過ぎたとしても「夜眠れなくなるよ」とは言わなくていいのです。勉強するのもしないのも子どもの課題であり、自分で決めるしかないからです。

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 ただし、協力をもちかけることができないわけではありません。「最近のあなたを見ていると、勉強しているように見えませんが、そのことについて一度話し合いをしてもいいでしょうか」と。子どもは嫌だと言うでしょうが、ひるまずに「あなたが思っているほど楽観できる状況だとは思わないけれど、またいつでも力になれると思うのでその時は言ってくださいね」と伝えることはできます。子どもが何もいってこなかったら、何もしなくていいのです。親が子どもの課題に口出しをすると、自分の人生に責任を取ろうとしない子どもになります。子どもから援助を求めてくれば親は協力できますが、協力するためには誰の課題かをはっきりさせることが必要です。

今ここを生きているか?

――ご著書の中で、過去でも未来でもなく“今ここ”に意識を向けようとあります。一方、世間では今までの積み重ねが今の自分をつくっているとか、自己責任論という言葉が飛び交っています。どうしたら“今ここ”に意識を向けられるのでしょうか?

岸見:過去は後悔の集大成です。あのときああしていたらと今、後悔してもどうにもなりません。

 多くのカウンセラーは過去に話を遡ります。ただ、遡って不登校の原因がわかったところで過去には戻れませんし、もしも過去に今の問題の原因があるのならタイムマシンで過去に戻らない限り、決して今の問題は解決しないことになります。カウンセリングに来られた人が、カウンセリングを終えて帰るときに、これから何かできることがありそうだと思って帰ってほしいのです。

 そのためには過去も未来も手放すこと。過去を思って後悔するのではなく、また、未来を思って不安になるのでもなく、今日という日を今日のために生きたい。

――自己責任論という言葉も飛び交っていますね。

岸見:自分が自分の人生に責任を持つという意味であって、他の人に言ってはいけませんし、言えないのです。他の人は自分の人生を代わりに生きることはできません。たとえば勉強をしなくて志望校の選択肢が狭くなったら、自分で勉強するしかないでしょう。どれだけ勉強しても自分が願う人生を送れないことはありますが、自分ができることはしていかなければなりません。

――自分を変えるのに年齢は関係ありますか?

岸見:年齢は関係ありません。アドラーは自分を変えるのにいつまでなら遅すぎることはないかと聞かれて、「死ぬ1日か2日前」と答えましたが、年齢は関係なく、今変わることができます。

――この本を通して一番伝えたかったことをお願いします。

岸見:自分の人生を生きてほしいし、幸福な人生を生きてほしい。働いていても少しも幸福ではないという人がいます。それは仕事が間違っているか、働き方が間違っているからです。両方のこともあります。どう変われるのか、どう変わればいいのか、これまでの生き方を全面的に変えるために、『嫌われる勇気』と『幸せになる勇気』をぜひ読んでほしいです。

プロフィール
岸見一郎
哲学者。1956年京都生まれ。高校生のころから哲学を志す。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学。専門の哲学(西洋古代哲学、特にプラトン哲学)と並行して、1989年からアドラー心理学を研究。精力的にアドラー心理学や古代哲学の執筆・講演活動、そして精神科医院などで多くの青年のカウンセリングを行う。日本アドラー心理学会認定カウンセラー・顧問。訳書にアルフレッド・アドラーの『個人心理学講義』『人はなぜ神経症になるのか』、著者に『アドラー心理学入門』など多数。

文・写真=松永怜