勝敗を分けるのは何力? 東洋大・酒井監督の指導法は「チームマネジメント」に応用できる!

スポーツ・科学

2019/12/3

 箱根駅伝の強豪、東洋大学の監督に32歳という若さで就任。翌年にはチームを優勝に導き、以降、3回の優勝を含む10年連続3位以内という安定した成績を残してきた酒井俊幸監督が、新著『怯まず前へ』(ポプラ社)を刊行した。箱根駅伝のみならず男子マラソンで服部勇馬が東京五輪代表に内定するなど多くのOBが実業団でも活躍。競歩でも50kmで東京五輪代表に内定した川野将虎をはじめとする有力選手を生むといった育成手腕も評価されている。『怯まず前へ』には、その指導やチームマネジメントの方針やポイントが事細かにまとめられている。

『怯まず前へ』(酒井俊幸/ポプラ社)

「以前に著書を出してから5年が経ち、指導方針の根本はそれほど変わっていませんが、具体的な練習の取り組みへの考え方、内容は変化した部分もあります。ちょうど就任して10年という区切りの年。今までやってきたことをまとめる意味で本を出すのもいいかな、と思いました。選手が毎年入れ替わる中で常に優勝を目指さなければならない学生スポーツは育成やチームマネジメントが難しい。この本が陸上の指導者の方はもちろん、ビジネスや経営の参考になってもらえたらうれしいですね」

 言葉通り、能力も意識も高いトップ選手が集い、選手がチームを去るまでの時間的制限もない実業団と学生スポーツは違う。純粋に競技能力の高さを争い、結果を出し続けるのとは、別種の難しさがある。年齢だけ見ても18歳から22歳ほどの選手たち、まだ体も精神も子どものような人間と十分大人扱いしてもかまわない人間が混在する。それをまとめ上げるには、技術だけ指導していればいいわけではない。『怯まず前へ』でも実業団と同じような指導、練習では上手くいかない点に触れている。そんな環境の中、酒井監督が指導で最も大切にしているのが「選手との信頼関係を作ること」だ。では、その信頼関係は、いかに築き上げるのか?

「まずはビジョンを示してあげることです。つまりチームや選手の目標、道しるべを作る。それがブレると選手は指導者を信頼して練習に打ち込むことができません。チームにしても目標をどこに据えるかで雰囲気が変わり、骨格ができてきます。指導者がビジョンを示してあげないと選手は何をすればいいのかわからない。がんばる、一生懸命やるといっても、どこまでやればいいのか見えないわけです」

 とはいえ、それが言うほど簡単ではないことは酒井監督自身もわかっている。いまや意識の高い選手が集うようになった東洋大ならまだしも、世の中の様々な「チーム」には、ビジョンを示してもなかなか人間が動かない、といったケースもあるはずだ。酒井監督も、それを監督就任以前に指導していた出身高校である学法石川高校での指導で経験した。

「就任した頃はちょうどチームが不振だった時期。朝練を導入するのにも3年かかったほどでした。自信を失っている選手は、高い目標を言っても『自分には関係ないよ』と思ってしまう。だからまずは『しっかりとした自信』をつけさせることから始めましたね。幸い、陸上の場合はタイムというはっきりと結果が出る数字があります。まずは達成しやすいタイムを設定してクリアする経験を積ませる。そうやって少しずつ自信がついてきたら、インターハイや高校駅伝の全国大会に出るためのタイムを示す。すると、そのタイムをクリアするために必要な練習は何か……となっていきます」

 きっかけを与え、褒めて、伸ばす。それを丁寧に繰り返した経験は、東洋大の監督になってからも生きた。

 こうした指導の中で、酒井監督が大切にしているのが言葉の力だ。

『怯まず前へ』でも触れているが、東洋大のキャッチフレーズでもある「その1秒をけずりだせ」も、あえて「その」をつけたり、「けずる」という表現を用いたりと、一言一句にこだわっている。

「選手への話は『簡単な言葉で通じるように』という点を気にしていますね。あまりに長い言葉にすると、聞く方の選手は『監督、なんか言ってたな』みたいな印象で終わることもありますから。話自体は長くてもいいのですが、なるべく短い言葉を多く発するように心がけています」

 言葉をかけるタイミングやフォローにも心を配る。

「言葉の内容にもよりますが、自分だけ声を発しても『監督が1人だけ言っている』となりがち。ふだんの練習の中で伝えたいことに賛同・共感する者が増えたタイミングで、チームへ向けてはっきりと言葉で示すこともあります。ときには厳しい言葉で叱る必要もありますが、その場合は、フォローも準備する。褒めるときは褒めるべきですしね。いずれにせよ、言葉のコミュニケーションは、自分の人間性も豊かにさらけ出さないと、信頼関係には結びつきません」

 また、酒井監督の指導する東洋大は、定期的に血液検査を行っている。選手のフィジカルやコンディションを細かくチェック、確認したうえで、選手個々の状態や目標に合わせて必要な練習を決めていくためだ。非常に合理的な練習風景ともいえよう。ただ、その視点から『怯まず前へ』で印象的だったのは、「三大駅伝のレース中はサングラスを着用しない」という決まり。サングラスは強い紫外線による目の痛みをやわらげる。練習では着用OKでもレースでは原則禁止。理由は「見ている人たちに表情や目で伝わるメッセージがある」という酒井監督の思いがあるから。狙いは理解できる一方、合理的な練習シーンとは対照的で、少し意外だった。

「科学的見地と合理性に基づいた効率的な練習は大切ですが、ときには精神論も必要です。選手の理解を得ないまま一方的に課すことはできませんが、一見して理不尽な練習に取り組むことも、全てがダメだとは思いません。効率が悪かったり無駄に思えたりする取り組みが必要なときもあるんです」

 それは選手が自分の都合だけで練習していては「変化」や「成長」をしにくいから、だという。

「たとえば暑さに弱い選手が、自分のパフォーマンスが上がらず練習効率も悪い、暑い環境では練習をしないとしましょう。それは一部分では合理的で正しい。しかし、それではいつまでも暑さに弱いという弱点は変わらないでしょう」

 プロを含むトップアスリートの凄みのひとつは「アベレージ」だ。どんな環境、状況でも一定の力を発揮できる強さがないと、一流にはなれない。

「『自分を変えよう』という意識のない選手に成長はありません。暑さに弱い選手が、効率的ではないことをわかったうえで暑い中、真剣に練習する。そのうえで過程や結果を見つめれば『なぜ自分が暑さに弱いのか』という原因がわかってきます。一種の自己理解ですね。それは『変えるべき点』を自身が思い知る機会でもある。自己理解を本気でしていない選手は、なかなか変われないものなんですよ」

 もちろん、レースの敗戦などで弱点を痛感した結果、真の自己理解ができる選手もいるはずだ。だが、全員がそんな機会に恵まれるとは限らない。ときには指導者が自己理解の機会を促す必要もあるのだろう。

「だから、一見すると理不尽で無駄な練習をやるには『なぜ、それをやるのか』を選手に伝え、理解してもらうことが大事でしょう。『昔から決まっているから』『自分も昔やったから』と練習を課すのは簡単ですが、それではいけません」

 酒井監督は、一見無駄なような練習は、自分の都合ではなく「何かに自分を合わせる」練習でもあるという。レースでは、自身ではどうにもできないアクシデントや条件に襲われることもある。「何かに自分を合わせる」練習とは、自己理解だけではなく、そんな逆境でも自身の力を発揮できるようになる練習にも感じる。

 これだけ科学的トレーニングが発達、普及した時代であっても、トップアスリートの多くは「勝負の結果を分けるのは、最後は精神力」と語る。東洋大の強さは、先進的なトレーニングに取り組む一方で、精神力の育成にも様々な手法を用いて取り組んでいる結果のようにも思えた。

『怯まず前へ』には、そんな酒井監督の細かな取り組みが数多く詰まっている。それは冒頭の酒井監督の言葉通り、スポーツの世界に限らず、様々な分野での人材育成やチームマネジメントの参考になりそうだ。そして、東洋大は酒井監督の指導で培われた力を武器に、2020年も箱根駅伝の舞台に挑む。注目は、なんといっても大エース・相澤晃の走りだ。

「相澤はどの区間に入っても注目されるパフォーマンスが期待できる選手。駅伝ファンのみなさんには、まさに『怯まず前へ』を体現したような走りを見てほしいですね」

 そして、指導11年目に入る自身も「怯まず」、常に時代に合わせて変化を恐れることなく、「前へ」進化していくつもりだ。

「箱根駅伝のレベルは非常に上がっています。トレーニングにしても、食事の栄養管理やコンディショニングにしても、有力校はどこも各分野のプロフェッショナルを招いて取り組んでいる。環境は実業団レベルといっても過言ではありません。ただ、その環境にあぐらをかいていると選手が伸びなくなるのが学生スポーツの面白いところ。今後も選手を次のレベルに押し上げられるような指導をしていきたいですね」

 監督就任時は32歳。当時は「兄貴分」的に選手に接してきたが、最近は選手の親が同年代というケースも出てきた。今後は、そんな立場や心境の変化が指導に反映するかも楽しみである。

取材・文=田澤健一郎 撮影=内海裕之