ワンルーム暮らしの独身、じき50歳。売れない作家と若手編集者、再生の物語『食っちゃ寝て書いて』小野寺史宜インタビュー

小説・エッセイ

公開日:2020/6/6

 作家・横尾成吾、じき50歳。1ミリの丸刈り頭に、ヨレヨレのチノパン。ワンルーム暮らしの独身。『食っちゃ寝て書いて』の主人公は、小野寺さん自身を彷彿とさせる作家だ。冒頭、編集者から長編小説のボツを食らった横尾は、重い気持ちを引きずったまま帰途につく。しかも公園を歩けば、おもちゃの銃で遊ぶ子どもたちに胸を撃たれる始末。なんともやるせない、売れない作家の物語が始まる。

小野寺史宜さん

小野寺史宜
おのでら・ふみのり●1968年、千葉県生まれ。2006年、「裏へ走り蹴り込め」で第86回オール讀物新人賞を受賞。08年、第3回ポプラ社小説大賞優秀賞受賞作『ROCKER』で単行本デビュー。19年、『ひと』が本屋大賞第2位。「みつばの郵便屋さん」シリーズ、『太郎とさくら』『夜の側に立つ』『縁』など著作多数。

 

「10年くらい前から、いつか作家を書こうと思っていました。僕が小説を書く時は、ネタだけメモっておいて、熟成させていくんです。このネタもそうやって寝かせておいたうちのひとつ。これまでにも何度か書こうとしましたが、なかなかOKが出ず、ストックされたネタのトップにあり続けていたんです。今回ようやくタイミングが合い、やっと書くことができました」

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 横尾のモデルは、やはり小野寺さんなのだろうか。そんなぶしつけな質問をぶつけてみると……。

「ちょっとしたおふざけとして、あえて横尾=僕であるかのような描写を入れています。子どもに撃たれたのも実話。とは言っても、やっぱり横尾成吾は僕自身ではなくて。デビュー2、3年目だったら、僕をそのまま書くことしかできなかったでしょうが、いい具合に虚実のバランスが取れたと思います」

 作中では、「書くこと」に対する横尾の思いも語られる。

〈おれは何故小説が好きなのか。
答は簡単。すぐに出る。
文字だけで世界を築けるから。一人でそれができるから〉
〈おれは書きたいだけ。長生きしなくていい〉

 中でも印象的なのは、次の言葉だ。

〈おれ自身に勝者の感覚はない。ずっと二勝八敗の感じだ。その二勝のために書いてる。それが実感〉

「読者からすると、『本を出せてるだけで作家は勝ち組でしょ?』と思うかもしれません。でも実際は、企画は通らないし、毎回ダメ出しされるし、負けてばかり。その感覚を書きたかったんです。とはいえ、それでもとにかく書けていればいい。書くこと以外、何もできないんで」

 そんな横尾と対を成すのが、編集者の井草菜種だ。横尾にボツを出した編集者の後を引き継ぎ、菜種は彼の担当になる。

「僕は基本的に、一人称で小説を書いています。でも、作家の一人称だけだと、僕が言いたいことを押し付けることになりかねません。そこで、他の人物の視点も入れようと考え、当然のように思いついたのが編集者。作家の反対側から意見を出す編集者がいれば、作家が独善的な主張を述べるだけにはなりません。それに、菜種という名前も使いたかったんですよね。以前にもこの名前を使ったのですが、横尾と同じくボツになってしまって。今回使うのに、ちょうどいいのではないかと思いました」

 菜種は開業医の息子だが、医学部受験に全滅し、文学部に進学する。在学中にボクシングを始めたものの、プロテストに落ち、辞めてしまう。卒業後は出版社(その名もカジカワ!)に入社し、文芸書の編集者に。だが、30歳を迎えた今も、ヒット作を出せずにくすぶっている。

「今風に言えば、ハイスペックな人間ですよね。でも、本人からすればうまく行かないこともたくさんある。医学部受験でつまずいたことも、医者の息子からしたら大きな挫折ですよね。恵まれているように見えるけれど、実は成功体験がない。ボクシングをあっさり辞めちゃうのも、今っぽくて面白いですよね。そういう人間を書きたいと思いました」

 奇数章は横尾、偶数章は菜種の一人称で、交互に物語は進んでいく。売れない作家とヒットが打てない編集者─負け続きのふたりは、より良い作品を生み出そうと本気で意見をぶつけ合う。第一稿を書き上げた横尾に対し、登場人物の性格設定を変えるよう提案する菜種。どちらも引かない、譲らない。書くプロと読むプロが、矜持をぶつけ合う姿に胸が熱くなる。

「作家としては、これがベストだと思う原稿に直しを入れられたら、当然いい気はしませんよね。でも、第三者の意見は絶対に必要なんです。正直に言えば、新人の頃は編集者の役割がよくわかっていませんでしたが、長く作家を続けていれば、編集者の言うことは大体合っていると気づく(笑)。作家が100%正しいわけでもなければ、編集者が正しいとも限らない。お互いが冷静な目線で、フラットに意見を出し合うことが大切だと思います」

 小野寺さんにとって、編集者はどんな存在なのだろう。

「友達、学校の先生、会社の同僚、どれとも違う不思議な関係。僕からすると編集者=出版社ですが、それでいて一対一の関係なんです。お互いを見ているというよりは、目の前の小説を見て、どうすればより良くなるか考えている。この風通しのいい関係も、描きたかったんです」

作家の仕事ではなく、個人のことを描きたかった

 作中にはもうひとり、横尾にとって重要な人物が登場する。それが、大学時代の同級生・溝口弓子。彼らは男女の仲ではなく、年に2回ほど飲みに行く間柄。肩の力を抜いて楽に過ごせる、貴重な関係だ。

「作家の話と言ってもお仕事小説を書きたいわけではなく、むしろ作家個人のことを書きたいと思っていました。その時点で、弓子の存在は生まれていましたね。『こんな関係、ねーだろ』と思うかもしれないけど、僕はあり得る関係だと思っています。適切な距離を置いているという意味では、もしかしたら作家と編集者の関係に近いのかもしれないですね」

 菜種の協力を得て小説に打ち込む一方、弓子に関する意外な事実を知り、衝撃を受ける横尾。このまま終盤になだれ込むのかと思いきや、突然ある仕掛けが明かされて……。今まで見ていた世界がふっと揺らぐような感覚を味わうはずだ。

「最初から構想があったわけではなく、書き始めるギリギリのところで思いつきました。どんでん返しというよりは、ちょっとベクトルをずらすくらいのイメージ。これで最終章もちょっとした面白さを感じてもらえるのではないかと思います」

描きたいのは“人のありよう”

 構想から10年、ようやく作家の物語を書き終えた小野寺さん。自身の作家人生の総括にもつながったのではないだろうか。

「総括とまでは行きませんが、ひとつ終えたなという感慨はあります。横尾は僕と年齢も近く、ほぼ等身大の人間なので、思い入れも強いですね。作中では、横尾が書いた小説の題名も出てきますが、それは僕自身が昔書いたものだったり、バンドをやっていた頃に作った曲の名前だったりします。フルネームが出てくる登場人物が、作中作を含めると70人以上いたのも楽しかったです。今回ふと気づいたのですが、横尾成吾のように一人称が“おれ”だと、僕は筆が乗るんです(笑)。ちょっとふざけられるし、書いていて楽しくて。“俺”だと強すぎるけれど、“おれ”はいいなとあらためて思いました。一人称の会話は僕の武器だと思いますし、まだしばらくは一人称で書いていくでしょうね」

 横尾は作中でひとつの作品を完成させた。小野寺さんは、今後どんな小説に取り組んでいくのだろうか。

「僕は、テーマを決めて書くタイプの作家ではありません。それよりも人のありようを書きたくて。あまり大きなことは書きませんが、小さなことは他の小説の5倍は起きている(笑)。これからも肌に近いところ、自分の皮膚感覚から離れないところで書いていきたいですね」

取材・文=野本由起 写真=隼田大輔

 

『食っちゃ寝て書いて』

『食っちゃ寝て書いて』
小野寺史宜 KADOKAWA 1700円(税別) 30代半ばでデビューし、書くことを何よりも優先してきた作家・横尾成吾。だが、映画化された一作は売れたものの、以降は鳴かず飛ばず。一方、新しく横尾の担当になった編集者の井草菜種は、30歳にしていまだヒット作を出せずにいた。一念発起した彼は、停滞を続ける横尾と本気で向き合うが……? 作家と編集者、それぞれの再生を描いた物語。