ReoNaは『SAO』であり、『SAO』はReoNaである。「依り代」としてさらなる開花を果たした、新曲“ANIMA”――ReoNaインタビュー

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更新日:2020/10/6

ReoNa

 ReoNa4枚目のシングルの表題曲にして、TVアニメ『ソードアート・オンライン アリシゼーション War of Underworld』最終章の主題歌、“ANIMA”を聴いて思った。ReoNaが『SAO』であり、『SAO』がReoNaなのだな、と。ReoNaの歌を受け取るごとに、「破格の才能」であると感じ、紹介してきたが、何がすごいのかというと、歌詞や楽曲に託された物語を歌へと出力する「依り代」としての力、そこに尽きる。自身が経験してきた絶望も希望も全部背負いながら、ReoNaは歌う。その姿は、喪失を抱えながらも戦い続けるキリトに重なる。ReoNaは依り代であり、器である。彼女を通すことで、聴き手と『ソードアート・オンライン』(以下『SAO』)の物語の距離は、一気に近づく。アニメ音楽を説明するとき、「作品の世界観に寄り添う」という表現がよく用いられるが、それはReoNaには当てはまらない。「寄り添う」のではなく、「そのものになる」。“ANIMA”は、ReoNaだけが持つこの資質が、さらに開花したことを知らせてくれる、会心の1曲なのである。

『ANIMA』制作への道のり、『SAO』との向き合い方の変化、カップリング曲の制作で得た気づきなど、前作『Null』以来約1年ぶりのインタビューで、「ReoNaの今」を語ってもらった。

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わたしという人間と、受け取ってくれてる「あなた」という人を、お歌がつなげてくれていた

──状況的に音楽活動が制限されてる中、どう過ごしてますか?

ReoNa:家から出られなくなってる間も、お歌を歌ったり、ギターを弾いたり。でも、早くスタジオに入りたいし、早くライブしたいし、早くレコーディングを再開したかったし、気持ちの部分で焦るというか、「早く!」みたいな気持ちを持ちながら、できる限りのことを家の中でやりながら過ごしてました。予定していたものが予定通りに進まないことはこんなに苦しいんだって、ものすごい感じています。

──歌をいろんな人に届けられる環境は、当たり前ではなく素晴らしいことだと感じているとは思うんだけど、ここ2年、ライブをやったら次のライブに向かうサイクルがあったわけじゃないですか。音楽やライブがある日常が目の前から一度失われたことについて、どのように感じましたか。

ReoNa:本当に、生活の厚みが100分の1くらいに減ったように感じます。「1日って、こんなに終わるのが早いんだ」「1ヶ月ってこんなにあっという間だったっけ」と思うぐらい、1日の時間割が少なくなってしまって。それだけ、自分が過ごしてきたこの2年は、1日の中で、音楽に接してる時間、音楽のことを考えてる時間、ライブやレコーディングの準備をする時間が思っていた以上にあったんだなって、それがなくなったことで改めて感じました。

──でも、元来わりと閉じこもりがちな人ではあるのでは?

ReoNa:はい、その通りです。

──多摩川の川辺でBBQをする人じゃないわけで。

ReoNa:じゃないです。おかげさまで、今年も真っ白です(笑)。

──(笑)だから、「部屋の中にいる」という状態は、実は音楽活動を始める前と物理的な意味では一緒じゃないですか。だけど今、精神的には全然違うはずで。

ReoNa:全然違います。パーソナルな空間、自分の世界として、部屋にいることはすごく好きだし、ほんとは部屋にばかりいたい人なんですけど、改めて「出ちゃダメ!」って言われると、こんなに出ていきたくなるんだなって思います。

──なんで出ていきたいんだろう? 聞きたいのは、「何が待ってると感じているのか」で。数年前に、物理的に部屋の中にいたときは、ReoNaを外で待っている存在はいなかったわけで。

ReoNa:何も待ってなかったと思います。自分がやりたいことがあれば出ていけばよかったし、たぶん外側に自分の期待するものがなかったです。でも今は、ニュースを観ていても「いつになったらライブできるの?」「いつになったらレコーディングできるの?」と思いますし、「いつになったら自分のやりたいことができるんだろう」という気持ちで、閉じ込められてました。

──今は何が待ってるかというと、たぶん外には「ReoNaを待ってる人」が待ってるんですよ。だから、外に出たいんじゃないのかな。

ReoNa:ほんとにそうですね。自粛前の最後の活動が、“ANIMA”のMVの撮影だったんです。「これは最高のMVができる!」って確信を持っていたけど、リリースが5月から延期になって。それこそ待ってくれている人がいて、海外からもメッセージも届いたりする中で、やっぱり届けたいものがあるから外に出ていきたかったんだと思います。

──ライブについてはどうですか。ReoNaの真髄はお歌にあるわけで、ライブはその表現の一部ではあるけれども、「一対一を作り出す場」としては、やっぱり唯一無二なものじゃないですか。

ReoNa:はい。そのとき、その場だけの一対一を作りたいです。

──それは他に代え難いし、ライブ以外ではありえない体験であって、たとえばオンラインでライブをやって一対一が生まれるとしても、まったく同じものにはならない。だからこそ、「ライブとは何なのか」を、この数ヶ月で改めて考えたんじゃないかな、と思うんですけども。

ReoNa:人と会うことがこんなに待ち遠しくなることって、今まであまりなくて。わたしという人間と、受け取ってくれてる「あなた」という人を、お歌がつなげてくれていたんだなって思います。ライブという、誰かと会う空間が待ち遠しくなったのも、お歌の力だと思います。自分の中に、「早く届けたい!」という思いが生まれてきてるんだなって感じます。

ReoNa

まだちっぽけな存在だけど、それでも、「『SAO』に携わらせていただく」だけじゃなく、どれだけ大きい掛け算の数字になれるか、だと思う

──最新シングルの『ANIMA』は、これまでと同様、そしてそれ以上に素晴らしい内容だったし、「破格の才能」と言い続けてる身としては、とても嬉しいです。まずは本人の言葉で、今回のシングルがどういうものになったと感じているか、話してもらえますか。

ReoNa:まず(表題曲の)“ANIMA”は、ReoNa史上一番アニソンな楽曲になったと思います。まっすぐ『ソードアート・オンライン』に向き合った楽曲である“ANIMA”と、『ソードアート・オンライン』の中でも根強いファンがいるゲームシリーズの中で、初めてテレビゲームの主題歌を担当させていただく“Scar/let”。この2曲で《アリシゼーション》の物語に携わらせていただいたことで、さらに深く向き合えましたし、『ソードアート・オンライン』のファンの方にも、ぜひ手にしてもらいたい1枚になりました。

 カップリングの“雨に唄えば”は、実は“虹の彼方に”(2ndシングル『forget-me-not』収録)と対になる楽曲です。“虹の彼方に”が傷や痛みを強く反映した楽曲だったのに対して、“雨に唄えば”は、傷を濯ぐ雨というか、これから晴れていく空に思いを馳せる雨、みたいなイメージの楽曲です。もうひとつのカップリングの“ミミック”は、(作詞の)ハヤシケイさんに最初にメモをお渡ししました。ちゃんと言葉にまだできていない、自分がそのとき思ってたことをお渡しして、ケイさんがそこから言葉を拾ってくださって完成した楽曲です。

──最近っていつ頃の話?

ReoNa:メモを書いたのは、去年の11月です。ワンマンライブの“Birth”があって、そこから年末に向けての時期に書いていたメモをお渡ししました。

──なるほど。このシングル全体に対して、自分自身がこういうことを注げたな、と手応えを感じている部分は?

ReoNa:ライブもシングルも、自分の中では常にそうなんですけど、やっぱりその瞬間瞬間で、最高のものを作っていきたいです。その最高到達点みたいなものが常に点としてあって、それがつながっていくイメージなんです。わたしの中で、全部の楽曲が点なんです。“ANIMA”は今までの中で一番アニソンらしいアニソンだし、“Scar/let”も自分の中で最高到達点を出したい、と思っていました。“ミミック”もえぐられる楽曲というか、向き合うのがしんどい楽曲ではあったんですけど……(昨年8月リリースの)『Null』で、ReoNa自身をさらけ出させていただいたからこそ、“ミミック”は「ReoNaってなんなんだろう?」というところからつながる楽曲になったと思います。1曲1曲、今までがあったからこその点になっている感じがします。

──まさに今話してくれた『Null』の存在はすごく大きかったと思う。当時の話から引用すると、本当は隠したいと思う過去や記憶、足跡があって、それを開示したのがReoNaの原点である『Null』だった、と。さらけ出して、受け入れてもらって、一度アウトプットできたことで、強くなれたんじゃないですか。だからこそ、えぐられるような曲にもしっかり向き合えたのだろうし。

ReoNa:本当にそうですね。やっぱり、今までの足跡や歴史があって、“ANIMA”ができたと思います。

──“ANIMA”を聴いて思ったのは、「ReoNaが『SAO』であり、『SAO』はReoNaなんだな」ということで。たとえば作品との位置関係で言うと、「携わらせていただいた」という表現ではなく、もちろん「携わらせていただいた」「『SAO』に関われて嬉しい」は大前提ではあるけれども、もはやアウトプットはそのレベルにとどまってないというか。

ReoNa:確かに、立たせていただいてる場所はそこじゃないな、と思います。

──そう。なのでまずは、“ANIMA”に向き合う上での意識の部分を聞いてみたくて。

ReoNa:わたしの中での意識は、どうしても今まで観てきた作品だったので、作品を観ている人たちの側に行こうとしてたんです。

──それは、圧倒的に正しい。お客さんの目線を持っているのは、素晴らしいことです。

ReoNa:はい。でも、“ANIMA”や“forget-me-not”のように、作品とともに主題歌を届ける立場としては、実際に『SAO』を観ている人たちからしたら、わたしは『ソードアート・オンライン』側にいるのかなって、改めて思いました。『SAO』が好きだし、ずっと観てきたし、今も観ているけど、そこを改めて自覚しなきゃいけないなって、“ANIMA”の制作で感じました。“forget-me-not”から1年経って、2012年から始まったTVアニメ『SAO』の物語に対して、作品に関わっている皆さんがどれだけの力を持って最終章に臨んでいるかを、近くで見させていただいているので。だからこう……わたしはまだちっぽけな存在だけど、それでも、「携わらせていただく」だけじゃなく、どれだけ大きい掛け算の数字になれるか、だと思います。堂々と隣に立って、「これが『SAO』の曲です」「これが“ANIMA”です」って届けられるものを、と意識しました。そういう思いも込めて、“ANIMA”ができたと思います。

──素晴らしい。ただ、自分の見方は少し違っていて、もはや「隣に立つ」ですらなく、「ReoNaが『SAO』」なんですよ。ReoNaは『SAO』になっちゃったんだ、と。シンクロとか没入とか、そういう言葉では表現できない。「世界観に寄り添ってますね」でもない。「寄り添う」は、あくまで並走であって。

ReoNa:わたしが、『ソードアート・オンライン』?

──そう。今までの『SAO』関連楽曲も、もちろんグッとくるもの、感動するもの、静かな中にエモーションがある曲、いろいろあったけど、総じて繊細な歌だったと思うんですね。その繊細さの中から感情が流れ込んでくるから、歌の力が聴き手に伝わっていく。でも、“ANIMA”はかつてなく力強くて、そこにも意識的なものはあったのではないか、と。

ReoNa:ありました。やっぱり、今までになく言葉のひとつひとつが削ぎ落とされて、集約してもらえた印象があります。言葉が全部、《魂の色は 何色ですか》というフレーズにつながって、そこにこもっていくし、つながっていく。その問いかけに対する熱のようなものを、自分の中でどう噛み砕いて、どう問いかけよう、という部分は、すごく大切にしました。

──その答えは、どういうものだったんだろう。

ReoNa:答えは、あの歌です(笑)。

──(笑)聴け、と。

ReoNa:わたしのお歌の出発地点に、「何を歌っても絶対に暗くなる」ということがあって。でも、過去の傷だったりをお歌に込め続けてきて、そういう道を歩んできたからこそ、“ANIMA”では今までにない熱や昂ぶりを込められていると思います。

──だから回路は一緒なんだけど質量が違う感じがするんですよね。『SAO』のファンの視点を持っている曲であり、今はとにかくみんな『SAO』の続きが観たい状況なので、その期待に答えを出してくれる曲になっている。実際、『SAO』が楽しみな気持ちは一緒なわけで。

ReoNa:一緒です!

──『SAO』のお客さんでもあるわけだから、「楽しみじゃん!」というエモーションがこもる。

ReoNa:よかった! (『War of Underworld』の)最初のクールが終わったのが2019年の12月だったから、楽しみじゃないわけがないんです。YouTubeもTwitterも、生放送や特集の記事を見ていても、やっぱりそこにつながってくるし、「早く観たい!」「楽しみ!」という言葉が数え切れないくらい集まっているので、わたし自身も待ち遠しいです。

──で、今の『ソードアート・オンライン』は、主人公のキリトが心神喪失のまま何話も続いている、ある意味奇跡的な状態になってるじゃないですか。ではなぜキリトはそうなっちゃったのか、なぜ《アリシゼーション》編の最終章が期待されてるのかというと、ユージオを喪ったキリトは、絶望の底に叩き落とされているわけですよね。絶望の底に叩き落とされているキリトが復活する、這い上がる、立ち上がる姿を、みんな観たくてしょうがない。

ReoNa:そうです。

──それを、みんなが待ち望んでいる。キリトは強いけど、完全無欠のヒーローではない。デスゲームで人を救えなかったり、ユージオを失ったり、とにかく喪失をたくさん抱えて、それでも戦って、強くなっていく人じゃないですか。そういう経験をした一方で、信頼できる仲間も増えていく。と考えたときに、「それ、ReoNaじゃん」って思ったんですよ。『Null』のリリース当時に話してくれたことを引用すると、絶望も、歌と出会って得た前向きな気持ち、つまり希望も、全部背負って歌っていきます、と。「いや、それキリトじゃん」っていう。全部背負って、お歌を紡いでいく絶望系アニソンシンガーであるReoNaは、キリトなんじゃないかと(笑)。

ReoNa:キリトは、わたしの中にいる(笑)? でも、キリトが完全無欠のヒーローじゃなかったからこそ、わたしは『ソードアート・オンライン』が大好きだし、だからお歌に込められるもの、重ねられるものは確かにあります。“ANIMA”には《それでも挫けない》《それでも伝えたい》という歌詞があって、そこには傷や痛み、救えなかったもの、拾いたくても零れていってしまったものがあるんです。その果てにわたしのお歌もあって。今ここにあるもの、今の自分ができることに対して前向きというか、「それでも!」っていう気持ちは、確かにすごく重なるところです。

──「それでも!」に続く言葉は?

ReoNa:それでも──それでもお歌を紡ぐし、それでもわたしは人と関わることをやめなかった。人前に出ることをやめなかった。

──もうひとつ、“forget-me-not”の取材で“トウシンダイ”について話してもらったときに、「今ここで死ねちゃえば、このあと落ちる自分を見ずに済むんだなあと思う」と言ってたじゃないですか。ここまで来たら、それはもう許されないよ、と言いたいんですけども。

ReoNa:まさにその、許されないところまで来てる感じは、わたしの中にもあって。今までの自分の足跡を見たときに、明日、明後日のことすら明確じゃなかったし、想像できなかったんです。今この瞬間の自分が幸せだったら、明日や明後日幸せじゃない自分に打ちのめされるくらいだったら、幸せな瞬間に終わってしまいたい、という気持ちがあったんですけど、今のわたしは、これから“ANIMA”を届けられるし、『ソードアート・オンライン』も始まるし、明日や明後日よりもう少し先のところに見たい未来があって。なんだろう、未来に期待ができるようになってしまったので、「今この瞬間終わってしまえば」っていう気持ちは、今はないのかもしれないです。

──なぜ許されないかというと、もう「待ってる」が外にあるから。「ここで終わりにする」なんて、「ReoNaを待ってる人」が思わせてくれないから。こんなに最高な居場所、ないでしょう。憧れてきた『SAO』と一体に見えるくらい作品に深く関われたら、実際未来は楽しみになるはずだし。『SAO』が希望と絶望を描いている作品なんだとしたら、「ReoNaの歌」はそれを一緒に背負っちゃってるんです。

ReoNa:そうですね。キリトは絶望の底にいるけど、観ている側はそこから立ち上がる希望を持ちながら、キリトを見ていると思います。

ReoNa

“ANIMA”は、わたしにとって『SAO』へのひとつの答え、アンセム

──“雨に唄えば”を聴いた印象としては「これぞReoNa、な一対一ソング」だなと思いました。“虹の彼方に”のアンサー、という話もあったけど、《忘れない》という言葉を繰り返し伝えようとしている点で、「忘れないで」というメッセージを含んだ“forget-me-not”のアンサーでもあるのかな、と。

ReoNa:まさに。初めて歌詞を見たとき、“虹の彼方に”に感じたのと同じくらい、“forget-me-not”との近さも感じました。《忘れない》もそうですし、《鳥が羽ばたくように/魚が泳ぐように/僕に君がいた/君に僕がいた》っていうフレーズが、サビと同じくらい飛び込んできて。

──“forget-me-not”のあとにあった1年半の間に出会ったいいことを忘れないし、『Null』でさらけ出した暗いことも忘れない。全部忘れずに歌っていくんだ、と。

ReoNa:忘れないですし、忘れたくないという気持ちもやっぱりあって。わたし自身、忘れたくないことだらけなので。願いというか呪いを込めて、忘れないです。

──“ミミック”は、《想像するだけ》っていう歌詞がめちゃくちゃ印象的でした。「自由」が歌詞のテーマになっていると思うんだけど、自由ではないところから歌われている感じがするんですね。人が自ら「自由だ」と表明するときって、実際には自由じゃなくて。自由でありたいと思うから表明するんじゃないかな、と。でも“ミミック”の歌詞が伝えてくれるのは、「自由であることを想像できる場所にはいるんだな」ということなんですね。

ReoNa:今は、想像できます。想像できる場所に行くというか。ある意味、前向きな諦めというか、「想像するだけの自分」を受け入れていて……最初は、《想像するだけ》っていう言葉に対して、すごく悲観的になっちゃったんです。実現しないことのように思ってしまう、というか。この歌詞は、ケイさんがフランツ・カフカの『変身』という小説をモチーフの中に交えてるんですけど――。

──確かに、《虫》が出てくる。

ReoNa:そうなんです。わたしも、『変身』を読んでからレコーディングに臨みました。なんだろうな……理不尽なことに対して諦めるって、すごく楽じゃないですか。期待しない、だって期待するから裏切られるし。そこで、達観まで行けずにお歌を歌い始めちゃったので、最初はすごく暗い歌になって、痛みみたいなものが前に出ちゃったんです。でも、そうじゃないんだ、と。少しだけ違う姿を想像するだけで、自分の中でピースがハマって。「想像するだけでいいんだ」って思えてからは、「なんであんなに悩んでたんだろう」って思うくらい、この“ミミック”を表現することができたなって思います。

──《想像するだけ》と言うけど、想像してる間は自由だから。その間だけは自由になれる、みたいな。

ReoNa:はい。想像の中では、自由に空も飛べるし。

──まさに、この曲には空を飛んでるような感覚がある。歌詞では《地べたを這いずる虫》って出てくるのに、不思議な感覚なんだけど。

ReoNa:“ミミック”は、歌詞を聴いてみてほしくて。今回初めて、リリックビデオの背景の絵を描かせていただきました。体育座りしている人を描いたんですけど、そこに行き着くまではすごく悩みました。《想像するだけ》っていう言葉を、どう表現したらいいんだろうって考えて。絵にすると、それがひとつ答えになって、受け取る側の考えを狭めてしまう可能性もあるので、「形にすることはこんなに大変なんだな」って、改めて感じました。

──いい話ですね。“ミミック”以前の曲は、「ReoNaという依り代」が、預けられた歌詞、完成した楽曲を、誰にもできない方法で出力してきたと思うんですよ。その「依り代である」ということは本当にすごいことで、実際『SAO』そのものになれてしまうのは、依り代、器としてものすごい表現ができるからなわけで。でも、“ミミック”によって発信するチャネルも手に入れた、という。

ReoNa:はい。入口は、自分が抱えているものに潰されるようなところから始まるから大変ですけど、終盤になるにつれてどんどん窓が開いていく、どんどん空が広くなっていくような感じがして、“ミミック”のイメージにたどり着きました。

──なるほど。では、ここまでの話を踏まえて、ReoNaにとって“ANIMA”とは?

ReoNa:“ANIMA”は、わたしにとって『SAO』へのひとつの答え、アンセムです。デスゲームから始まった『ソードアート・オンライン』というシリーズそのものが、命、アニマ(魂)の物語だと、わたしは思ってます。その歴史、足跡、救いきれなかった命、そのすべてがあったからこその集大成、総力戦、最終章だと思います。《アリシゼーション》の物語の中での、AIとは、魂とは、という問いかけへの結論になるのかなって。改めて、わたしの中では『ソードアート・オンライン』は、はじめから、命や魂の物語だったんだな、と思います。

取材・文=清水大輔