生駒里奈、過去のいじめを乗り越えたからこそ「伝えるのが私の役目」――『かがみの孤城』主演舞台はじまる!

文芸・カルチャー

更新日:2020/9/2

 2018年本屋大賞にも選ばれ、現在では『ウルトラジャンプ』でコミカライズが連載中。かつて救われたかった大人たちも、今まさに救われたい子どもたちも、虜にし続けている辻村深月さんの小説『かがみの孤城』(ポプラ社)が、このたび舞台化されることとなった。手がけるのは、長年、演劇集団キャラメルボックスの脚本・演出をつとめてきた成井豊さん。辻村さんは、自身の書く小説には成井さん影響があると公言し、『スロウハイツの神様』舞台化の際は全幅の信頼をおいていた。ファンの期待も高まるこの舞台、主演をつとめる生駒里奈さんとともにお三方での鼎談を行っていただきました!

『かがみの孤城』についても語った、辻村さんと成井さんの対談
『かがみの孤城』刊行時の辻村さんインタビュー
『かがみの孤城』のあらすじがわかるレビュー

乃木坂46の「君の名は希望」に近いものがある

辻村深月(以下、辻村) 主人公のこころをはじめ、『かがみの孤城』に出てくる7人の中学生はみんな、なんらかの理由で教室に行けなくなってしまった子たち。学校を休むというのは逃げる選択をしたと思われがちですが、私の中では「休む勇気」を持った子たちだ、という気持ちが強くて。普通に毎日通っている子たちの中にも、しんどくて本当は休みたい日もあったけど、行かなかったら行かなかったぶんだけ戻りにくくなるし、なんとか一日をやり過ごすことでいつのまにか1年が経ち、2年が経ち気づいたら卒業していた、ということは多いと思うんです。だから、誰より「教室」にとらわれながらも、逃げる選択をできた子たちを主人公にすることで、改めて学校って何なのか、書くことで見えてくるものがあるんじゃないかと思ったんです。

advertisement

生駒里奈(以下、生駒) 私は、小学校5・6年生くらいのときが、いちばんの暗黒期で……。まさに、学校を休む勇気を持てなかった側なんです。母に心配をかけたくない一心で通い続けてはいたけれど、いじめっ子たちに「調子こくなよ」って言われたり、ロッカーを荒らされるから学校には私物が置けなくなったり、毎日本当に苦しかった。こころみたいに、家にまで押しかけられたことはないけれど、彼女の苦しさと恐怖にはものすごくシンクロしてしまって。正直、「これ以上読みたくない!」って思っちゃうくらい、リアルでした。

成井豊(以下、成井) 同級生たちが家にやってくるあのシーンは、僕にとっても非常に衝撃的でしたね。刃物をふりまわしているわけでもない、ただ壁を叩いているだけのことが、どうしてこんなにも恐ろしいのだろう、と。正直、『かがみの孤城』を読むまでは、学校に行けなくなる子たちの気持ちがわからなかった。怠け心があるんじゃないの? なんて偏見もありました。でも、ちがう。彼らはこれほどの恐怖にひとりで耐え続けているのだと、ようやく理解することができた。感動する小説を読むといつも舞台化したくなるものですが、『かがみの孤城』への意欲が強まったのは、やはりあの場面があったからですね。一刻も早く、みんなに“これ”を伝えなければ、と。

生駒 わかります。私も読みながら、しんどい気持ちにはなったんですけど、同時に「中学生のときに読みたかった」とも強く思いました。いじめっ子、というかイケイケチームって呼ばれていた派手な子たちは、不登校の子のことを「サボってるだけじゃん」みたいな感じで言うので、みんな、逃げることも立ち向かうこともできずに通い続けるしかなかったんですよね。喜多嶋先生とか、作中でこころの味方になってくれる人たちに触れたとき、「もっと早くこの言葉が欲しかった」って思いましたし、いま必要としている子たちはとても多いと思います。

辻村 この小説を書いているとき、誰かの孤独に寄り添うものでありたい、と思っていました。どんな現実が待っていたとしても、読んでいるあいだだけはこころたちと友達になって、一緒の時間を過ごしてほしい、って。それは、乃木坂46の「君の名は希望」という曲を生駒さんが歌われていたこととすごく近い気がするんです。あの曲を歌う生駒さんを見ることで確実に力や勇気をもらえた人たちがいたと思う。今回の舞台が決まったとき「あの生駒ちゃんがこころをやってくれるんだ」ってすごく嬉しかったです。

生駒 ……ありがとうございます!

辻村 オンラインでの読み合わせを見せてもらっていたときも、「こころってこういうふうに喋ってたんだ」とか「こんな感情を抱えてたんだな」とか、自分で書いたもの以上のことを、生駒さんから教えてもらった気がしました。しかも、演出を手掛けてくださるのは成井さん。成井さんには、私の全小説を舞台化してほしいくらいなんですけれど(笑)。『かがみの孤城』はとくに舞台向きの作品だと思っていたので、本番が待ち遠しくてしかたがないです。

成井 とてもありがたいお言葉ですが、だったらもっと芝居にしやすいものを書いてほしいというのが本音です(笑)。いや、いいんですよ。そんなものに囚われないからこそ傑作が生まれるのであり、舞台空間で演出し直すのが僕の仕事ですからね。ただ『スロウハイツの神様』もそうでしたが、『かがみの孤城』ではなにげない会話にも繊細なコミュニケーションが積み重ねられていて、それがラストで効いてくるので、たった一言であろうと省略するのが非常に難しいんですよ。「えっ? あれを削ったの!?」って言われるんじゃないかと、びくびくしています(笑)。

辻村 『スロウハイツの神様』は上下巻。『かがみの孤城』は、1年という時間の流れをかなり細かく描いているので、2時間にまとめていただくのは本当に大変かと思います(笑)。でも成井さんは、東野圭吾さんや梶尾真治さんといった、私の大好きな小説を数々舞台化されていますが、そのどれも観終えたときには同じ「読後感」を味わうことができました。ちがうのに、同じなんです。迫ってくる感動も、芽生える感情も。『かがみの孤城』もきっとそうなるはずだと、確信しています。

“派手じゃない” 『かがみの孤城』舞台化の難しさ

――以前の辻村さんとの対談で、成井さんは「舞台だと派手な事件を作りがちだけど、なにげない日常にも劇的な事件はあるのだと『かがみの孤城』を読んでわかった」とおっしゃっていました。今回、その“派手じゃない劇的さ”を演出する難しさはありましたか?

成井 そうですねえ。学校行かない子どもたちが鏡の向こうの異世界に誘われ出会うからには、大冒険が始まると思うじゃないですか。でも『かがみの孤城』の彼らは、ひたすらテレビゲームをしたりお喋りをしたりするだけ。もちろんラストにかけて事件は起こりますけど、基本的には普通に穏やかな日常を過ごしやがる(笑)。

 さてどうしようか、と考えたとき、しきりに思い出したのは北村薫さんの『スキップ』でした。あれもタイムトラベルの話ですが、主人公は普通に学校生活を送るだけで、時空を超えた大事件!みたいなことは起きないんです。あれを舞台化したときの経験は今回に活かせるんじゃないかと思いますね。そのうえで、シアトリカルな表現を工夫し、新たな舞台を生み出していくかが、挑戦のしどころだと思います。

 実は昨日、3シーンを試してみて「あっ、イケそうだな!」と手ごたえを感じる瞬間があったんですよ。これから稽古を重ね、役者さんたちとともにいろんな動きをつけていくうち、キャラクターたちの心情を感じとれるものにしていけるのではないかなと思います。見て楽しいだけの小手先芝居で終わらないよう、それだけは気をつけたいですね。ちゃんと、作中のメッセージが観ている人に伝わるものになるように。

生駒 原作の想いをちゃんと伝えたい、っていうのは私のなかにもあって……。私、こころの気持ちがすごくわかると言いながら、実は「ちょっと我儘なんじゃないの?」って思っちゃう部分もあったんです。「ちゃんと伝えないと解決しないよ。頑張って行動しようよ。」みたいな。でもそれはたぶん、私が大人になってしまったから。最後まで読むと「そんな気持ちを抱えていたんだ。わかってあげられなくてごめんね。」って思うし「そうだったんだ、それはつらかったよね。」って寄り添うこともできるんですが……。当事者でなくなってしまった人間は、どうしても、最初は遠い場所から語りかけてしまうじゃないですか。だから、10代の子たちに大人たちの言葉はなかなか届かない。そうならないよう、観ている人たちにとって“遠い”存在でないようにしたいな、とは思っています。

――「読みたくない」と思うほどリアルな感情に、演じることで立ち戻ってしまうおそれみたいなものは、なかったんですか?

生駒 そうですね……。苦しかったし、そのままの私でこころになれてしまう気がしたから、演じるってことじたいに悩んだりもしたんですけど、成井さんが「これは演劇です。お芝居です」って最初におっしゃってくださったときに、ハッとして。役になりきることも大事かもしれないけれど、多少距離のある“私”が演じるこころだから、同じような想いをしたことのある“みんな”に伝わるのかもしれない。それを伝えるのが私の役目なんだって気づきました。最近、いじめというトピックを取り扱う番組などに出演させていただくことも多いなか、当事者として100%寄り添うことができなくなってきた自分にもどかしくなることもあるんですが、大人になった私だからこそ、ラストのあのセリフも確信をもって言えるはずだし、うまく橋渡しができればいいな、と思っています。

――「かつてこころのような中学生だった大人たちに対しても、大丈夫だよ、大人になってもいいんだよ、と言ってあげられる小説になればいいなと思いました」と以前、辻村さんもおっしゃっていました。大人は決して敵ではない、というのも本作の核ですよね。

辻村 そうですね。私のデビュー作は、10代の子たちの群像劇。あれから年を重ね、大人の視点を獲得した私が、10代の時間にもう一度戻った話を書いてみたいなというのも、本作を書くきっかけでした。「子ども」と「大人」は決して分断しているわけでなく、地続きの存在であると知った今だから、書けるものがあるのではないかと……。

 原作は、今の境遇を一変するような奇跡を願い続けているこころが「そんな奇跡が起きないことは、知っている」というところから始まるんですが、大人に「夢みたいなことばっかり言うな」って言われなくても、現実の残酷さを誰よりも知りながら生きているのが中学生。そしてその絶望を抱えながら、年を重ねてきたのが大人たち。だからこそ、それでも起きてほしいと願った奇跡が起きる瞬間を、長い旅と邂逅の果てに私はこの小説で描きたかったのだと思います。

 今の中学生や、かつて中学生だった人たち……奇跡を信じたいと願ったすべての人たちに、自分が8人目の仲間になったような気持ちで『かがみの孤城』を読んでほしいですし、舞台を観ていただけたら、とても嬉しいです。

取材・文=立花もも 撮影=内海裕之